第40話 奇跡の代償(セティウス視点)
やっぱりあなたは嘘つきですね、リーリア様。
あなたの大丈夫ほど信用できないものはないと言ったでしょう。
大丈夫だと言ったのに。
星を見ようと約束したのに。
どうしてあなたは目を覚まさないんですか。
ベッドに横たわる美しい人。
まだ、かろうじて心臓は動いている。
けれど、目を覚まさない。
ぴくりとも動かない。
大神官の話では、女神に与えられた浄化の力をすべて地脈に流し込んだ上に、意識的にか無意識にかはわからないが癒しの力までも同時に使ったということだった。
主に肉体に帰属する聖なる力はまだしも、魂がもつ浄化の力を極限まで使ったことで……魂が肉体から離れようとしている、と。
今はまだかろうじて肉体と魂はつながっているけど、……いつ命が終わってもおかしくないと、言われた。
そんな残酷な話があるか。
前世では人のために生きて死んだ。今世でも人のために死ぬというのか。
嫌だ。
そんなのは絶対に嫌だ。
昨夜、止められていれば。
この国も大陸もどうなったってかまわない、あなたをさらってどこかへ逃げてしまえればよかった。
あなただけが、何よりも大事なのに。
ベッドの横に置かれた椅子から立ち上がって、白い手をとる。
体温が低い。
少しでも温めたくて、ぎゅっと握った。
ノックの音がして、少しして「失礼いたします」と侍女が入ってきた。名前は……エイミーだったかエミリーだったか。
僕がずっとベッドの横の椅子を占領している上にろくに返事もしないことに慣れてしまったのか、返事をしなくても入ってくるようになった。
時折入ってきては、花瓶の花を換えていったりリーリア様の唇を湿らせたり体を拭いたりと世話をしていく。
涙をこらえながら。
「リーリア様、御髪を梳かせていただきますね。セティウス様、少し失礼いたします」
「ああ」
リーリア様の手を離して、少し下がる。
この侍女がたいした用事がなくても入ってくるのは、リーリア様が心配だからだろう。
嫌な言い方をすれば、無事かを確認している。
僕がどうこうじゃなく、少しでも体調に変化がないかを見ている。
「リーリア様の御髪は本当にきれいですね。私、実はずっとうらやましかったんです」
僕などいないかのように、髪を梳きながらリーリア様に話しかける。
侍女の目も鼻も真っ赤だ。
今はかろうじて涙を流していないが、人のいないところでは泣いているんだろう。
侍女にも心から慕われてたんだな、リーリア様は。
「目を覚まされたら、まずはお食事とお風呂ですね。お食事は消化のいいものから。お風呂は、いつもは贅沢だからと遠慮なさいますが、いい香りの花びらもたくさん浮かべましょう」
震える唇で、そんなことを言う。
「ルカったら、驚いてしまったのかどこかへ走っていったっきり戻らないんです。ダメですね。今は少しお休みになっているだけで、必ず目を覚ますのに。リーリア様から叱ってあげてください……」
櫛をもつ手が震えて、それ以上は黙った。
僕に頭を下げて、逃げるように部屋から出ていく。
「リーリア様。みんながあなたの無事を祈ってるんですよ。団長もずっとこの部屋の外にいるのを知ってる。陛下もさっきお見舞いにいらした。レオも、たぶん駆けつけてくるでしょう。みんなあなたが目を覚ますのを、待ってるんです」
ベッドのすぐ横に膝をつき、リーリア様の手を再びとる。
少しも力が入らないその手に、口づけた。
手首には大神官がつけていった魔石。
体調の変化を見るものらしい。何かあったら瞬間移動してくると言っていた。
「お願いです、目を開けて。あなたの青い瞳が見たい。笑っている顔が見たい。僕を、選ばなくてもいいから……」
リーリア様が誰を好きなのか承知の上で告白した。
ほんの少しの可能性に賭けたかったし、何も言わずに後悔したくなかったから。
でも、僕の気持ちなんて今はどうでもいい。
ただただ、生きていてほしい。
僕の傍じゃなくても、幸せでいてほしい。
「こんなのってないですよ。一人、犠牲になって……僕たちが喜ぶと思ったんですか。僕もレオも、今度こそあなたに幸せになってほしかったのに。お願いだから、逝かないで。二度も僕を置いていかないで」
女神様。
あなたがこの世に送ったこの方を、連れ戻さないでください。
まだ十六年しか生きていないんです。
優しい人なんです。
いつもいつも、前世も今世も、人のために一生懸命になって……自分のことは後回しにして。
ようやく自覚したであろう恋すら捨てて、自分の命かけてこの大陸を救ったんです。
お願いです。連れて行かないで。
僕の命をすべてリーリア様にあげていいから。
どうか。
どうか……。
こんな祈りなど届かないと知っている。
けれど祈らずにはいられない。
無力な僕は、女神に祈ることしかできない。
「リーリア様。僕にできることならなんでもする。だから……」
長いまつげは、ぴくりとも動かない。
生きている証は、時折かすかに上下する胸元だけ。
あまりにも美しく横たわるリーリア様は、まさに女神のようにこの世ならぬものに感じられた。
視界が歪む。
いくつもの雫がリーリア様の手を濡らした。
扉が開く気配に、振り返る。
蒼白な顔で息を乱したレオが、そこに立っていた。
「……レオ」
ゆっくりと近づいてくる。
夢でも見ているかのような足取りで。
どこか力の抜けたような表情で。
「何が、あった?」
「……リーリア様が祈りの間で、自分の中にある浄化の力をすべて地脈に送った。そのせいで、魂が……肉体から離れかけている、と……」
「……」
レオの制服はあちこち破れて血が滲んでいたけれど、出血はしていないようだった。
リーリア様の、癒しの力で、か。
「ごめんレオ。リーリア様を任せるって言われてたのに、止められなかった。僕が、僕が止めていれば……!」
「お前のせいじゃない。リーリア様が自ら決断されたことなんだろう。リーリア様のお側を離れていた俺に、何かを言う資格もない」
僕の横に来て、同じく膝を床につく。
大きな手で、リーリア様の頬に触れた。
「あなたは、俺の言うことなどちっとも聞いてくださらない。大人しく待っていてと言ったではありませんか」
口元は微笑の形を作っていたけど、レオの瞳は泣き出しそうな子供のように見えた。
「お転婆にもほどがあります。あとで偉そうに説教しますから、覚悟しておいてください」
レオの手が、髪を撫でる。
「あなたのお陰で、騎士たちは皆助かりました。命を失わずに済んだ者も何人もいます。あなたは聖女としてこの上ない存在です。清廉で、慈愛に満ちて、自己犠牲すら厭わない」
「……」
「ですが、俺たちに必要なのは聖女様じゃなくリーリア様なんです。聖なる力も浄化の力もなくていい。あなたがいればほかに何もいらない。お願いだから、戻ってきてください」
リーリア様。
あなたが恋をしている男が、そう言ってるんですよ。
愛し愛される人生が、あなたにはあるはずだ。
こんな風に、自分だけを犠牲にして消えたりしないで。
「リーリア様、愛しています。たとえ俺を選ばなくても、他の誰かを選んでも、俺はあなたの幸せのために一生を捧げます。だから、お願いだ、逝かないで……」
レオが片手で顔を覆う。
こんなレオは大人になってからは初めて見る。
いつも強くて、僕よりずっとしっかりしてて、誰からも頼られる存在で。
ねえ、リーリア様。
好きな男にこんな顔させて、平気なわけないですよね?
だから戻ってきてよ。お願いだから……。
もう一度リーリア様の手をとって、ふと、気づいた。
体温が……さっきより低い。
「レオ。体温が。さっきより、低いんだ」
「……!」
レオが顔を上げる。
「リーリア様?」
手首に巻いた魔石が、淡い光を放つ。
全身から、冷たい汗が吹き出す。
待って。嘘だ。待って。
後ろに魔力の気配。
振り返らなくても誰かはわかった。
「大神官」
青ざめた大神官が、こちらへ近づいてくる。
僕とレオが一歩離れて場所を譲る。
大神官がリーリア様の手首をとった。
「……脈が、今にも途切れそうです。肉体と魂を結ぶ糸が、切れようとしています」




