第41話 いのち
ふわり、ふわりと、上へと浮かんでいく感覚。
なんだかいい気持ち。
前にもこんなこと、あったわね。
ああ、そっか。ミリアとしての生を終えたとき。
『困った子』
誰?
真っ白で、何も見えないの。
『こんどこそは幸せになる、わがままに生きるって地上に戻っていったのに』
……女神様?
『そうよ、愛しい娘。久しぶりねと言うにはちょっとあっという間すぎたわ。もうこちらに来てしまうなんて』
私、死んでしまったんですね。
死なないから大丈夫だからと豪語したけど、結局駄目だったみたい。
『完全に死んではいないけれど、もう時間の問題ね』
そっか……。
『そっかじゃないでしょう。今回こそは幸せになれるよう、光の魔力も覚醒まで隠したし、生まれる環境も厳選したのに。ああ、前回もちゃんと選んだのよ。誘拐されて国の外れに捨てられてしまうなんて予想外だったけど。それで、心残りはないの?』
もちろんあります。
でも、私は私にできることをしたから。
だから……。
『だからあなたは困った子だというの。下を見てごらんなさい。そのうえで、そんな風に達観していられるかしら?』
……下?
あ、私だ。
ベッドに横たわっている。
バタバタと部屋に人が入ってくる。
みんなとても……悲しそう。
「嫌だ、嫌だ! 二度も僕を置いていかないで!」
セティが泣いている。
また結局、泣かせてしまった。
あなたには、笑っていてほしいのに。幸せになってほしいのに。
ごめんね、セティ。ごめん。
「私に二度も……あなたを見送れというのですか。戻ってきてください、どうか!」
ランス卿、ごめんなさい。
前世でも今世でも、私を優しく見守ってくれて感謝しています。
あなたに会えてよかった。
「嫌です、リーリア様。こんなの嫌です。まだお仕えしてわずかじゃないですか。私はリーリア様が大好きなんです! それなのにこんな……」
エイミー。
泣かないで。
たくさん優しくしてくれてありがとう。
「死ぬべきは私なのです。あなたではない。しぶとく生き残る約束ではありませんか」
大神官シャティーン。
いつも損な役回りで気の毒だったけど、これからは自分の人生を生きてね。
もう、大神官としての役割に苦しむ必要はないの。
「リーリア様」
……レオ。
「俺に告白もさせないまま逝かないでください。愛しているんです。お願いです、目を覚ましてください」
レオ。
「二度もあなたを失いたくない。あなたを愛してる。逝かないでくれ、お願いだから……」
レオ、レオ……!
私も、私も好きだった。
ちゃんと言えばよかった。
でもそうしたら、よけいにあなたを苦しめていたのかしら。
私もみんなと別れたくない。
だけどもう間もなく、あの肉体と魂を結ぶ糸は切れてしまう。
少しずつ、下の景色が見えなくなってくる。
また部屋の扉が開いたのが見えたけれど、それ以上は何も見えなくなってしまった。
またふわふわと上に向かって浮き始めた。
白い光に包まれる。
ごめんね、みんなごめん。
許されるなら、また生まれ変わってみんなに会いたい。
でももう、生まれ変わりだとは決して知られないようにするから。
結局私は、みんなを悲しませてしまうから。
ふいに、下に引っ張られるような感覚があった。
また、下の景色が見えてくる。
部屋の中。
私に手をかざしているのは……ルカ?
「リーリア様」
やっぱり、ルカだわ。
何をしているの?
あれはまさか……聖なる力!?
「私、大神官様に聖女にしてもらいました。でも地脈に対して力は使わないし、すべて承知の上で自分の意思で聖女になりました。だから女神様もきっと見逃してくださると思います。女神様の罰があるなら私がすべて受けます」
ルカが。
私の体の中に、癒しの力を注ぎ続けている。
ルカの額には、玉のような汗が浮かんでいる。
だめよルカ、そんな力の使い方をしては。あなたが危険だわ。
「こんなことをしてもおそらく効果は期待できないと大神官様に言われました。癒しの力では衰弱を治せない、できて数分の延命だろうと。私の聖なる力なんて微々たるものです」
ルカの息が乱れている。
やめて、そんな無理をしないで。
「でも、もしかしたらリーリア様の魂が戻ってくる道しるべになるかもしれない。ほんのわずかでも体力を回復してくれるかもしれない。望みが薄くても、わずかな可能性でも賭けたい。リーリア様を諦めたくないんです」
涙を流しながら、手をかざし続ける。
エイミーはその場に崩れ落ちて泣きじゃくった。
「戻ってきてください、リーリア様。私の一生分の力をここで使い切ってもいい。子供ができなくてもいい。命が消えてもいいんです。だから戻ってきて、逝かないで、逝かないで!」
ルカ。
ごめんね、ルカ。
ごめん……。
『たしかに、あれじゃあ効果はないわね。そもそも魂の力である浄化の力を使い切ったことが原因なんだから』
はい……。
あれほど必死になって、あんなに苦しそうに聖なる力を使っているルカに申し訳ないです。
『でも、不思議ね。あなたの魂の糸をあの子の力が必死に留めてる。聖なる力と魂の力の共振? 私にさえよくわからないわ。でも、あれを続けてるとあの子は危ないわね』
そんな。
お願いルカ、やめて。お願いだから。
あなたにはあなたの人生があるんだから。どうか。
『もう一度聞くけど。心残りはないの?』
レオにも。セティにも。ランス卿、エイミー、ルカ。大神官。私の家族にも。みんなに謝れないことが……。
ううん、そうじゃないですね。
もっといろんなことをしてみたかった。
星を見ようって言ったし、夏には川遊び、秋には木の実をとって。
街のカフェにも行ってみたかった。
ああそうだ、お金をいっぱい貯めて孤児院の子供たちにも、もっといい生活をさせてあげようと思ってた。
愛する人に愛してると言いたかった。
結婚したかったし、子供も産みたかった。
お婆さんになったら、孫に囲まれて猫を飼って。
……まだ死にたくない。
愛する人たちの側にいたい。
生きたい、生きたい!
『そうそう、それでいいの。他人を大事にするのも美しいけれど、もっと自分を大事にね。心のままに』
温かい何かに包まれる。
それが少しずつ重みを持つようで、私は下へ下へと下がっていった。
『手を貸してあげられるのは今回だけよ。またね、愛しい私の娘。今度はもっとゆっくり戻っていらっしゃい。あなたたちが感じる幸せが、私の力の源なのだから。ちゃんと幸せにおなり』
白い世界がどんどん遠ざかって。
どん、という衝撃を感じた。
「……」
ゆっくりと目を開ける。
視界に入ってきたのは、白い光ではなく見慣れた天蓋。
「……! リーリア様が、目を!!」
ルカの声。
首を動かすと、涙でぐちゃぐちゃになったルカの顔。
その隣には、やっぱりぐちゃぐちゃになったセティの顔。
二人の後ろには、目を大きく見開く、レオ。
「……、おは、よう」
声がうまく出ないけれど。
喋れた。
生きてる。
生きてる……。
ルカとエイミーが抱き合って大声で泣く。
セティが私の手を取って彼の額に押し当てた。その肩が、小刻みに震えてる。
少し離れたところにいたランス卿が、片手で目元を覆った。
「リーリア様?」
レオが問いかけるように私を呼ぶ。
目を見開いたままのその表情が、少年のようにあどけない。
「……うん」
「リーリア様……」
「もう、だいじょうぶ、よ」
はらりと。
琥珀の瞳から、一筋、涙が流れ落ちた。
レオの涙、見るのは三回目ね。
孤児院から引き取ったとき。ミリアが死んだとき。そして、いま。
苦しいほどに愛しさがあふれて抱きしめたいと思ったけれど、体がまだ思うように動かない。
そこで、呆けたような顔で見ていた大神官がこちらに突進してきた。
レオもセティも押し退けて、ぺたぺたと私の手首や首元、頬を触る。
目の下もベロンと伸ばされた。
押しのけられたセティが、大神官の足を踏んづけた。
「いたた。脈拍も呼吸も、しっかりしています。体温も血色も……奇跡です」
「ルカが、わたくしを、引き止めてくれた気がします。あとは、女神様が……戻してくださった、ような」
ついさっき、白い世界で何かを話した気がするんだけど。
頭にもやがかかったようで、はっきりと思い出せない。
ルカがコップに入ったお水を差しだしてくれる。
レオが私の上体を起こして、背中の後ろにクッションを入れてくれた。
大きくて温かいその手が震えていて、私も泣きそうになった。
飲み下した水が、カラカラだった喉を潤す。
「おいしい」
体がだるくて頭が痛い。
全身が筋肉痛のようにズキズキと痛む。
でも、生きてる。
痛いのも水が美味しいのも、生きているからこそ感じられる。
戻ってこられた。
私、生きてる。
命というものを、これほど強く感じたことはなかったかもしれない。
「みんな、心配をかけてごめんなさい」
「まったくですよ」
セティが即答する。
「言ったでしょう、あなたの大丈夫ほど信用できないものはないって」
「その通りです」
レオも続ける。
「無茶はしないでと申し上げました。少し目を離したらこの有様ですから、気の休まる日がありません」
ええー……。
そんな。
生き返ったばかりなのにひどくないかしら。
「皆を心底驚かせる行動をとられるのは昔も今もお変わりないようです」
ランス卿まで!
「ですが」
大神官が、穏やかに微笑む。
「聖女様のおかげで、地脈は正常に戻りました。瘴気もゼロになったわけではありませんが、少なくとも魔獣が人里に出てくることはしばらくないでしょう」
「リーリア様のお力で、討伐隊は何人も命を救われました。あんな戦いが何日も続けば、死者が何人も出ていたでしょう。グレンのやつも死ぬ寸前でしたが、リーリア様の癒しの力のおかげで助かりました。感謝してもしきれません」
ルカが驚愕の声をあげる。
それは驚くわよね。
でも無事でよかった。ルカのためにも。
「神聖騎士団長として、私からも心よりお礼申し上げます」
ランス卿が深く頭を下げる。
なんだかこんなにお礼を言われると照れるわ。
「僕はお礼なんて言いませんよ。地脈よりこの国よりあなたが大切なんですから、こんなことしてほしくなかった」
ふふ、セティらしいわね。
「でも……戻ってきてくれたことには心からお礼を言いたいんです。もう一度目を開けてくれて、声を聞かせてくれてありがとうございます」
「うん。セティもありがとう」
涙が出そうになる。
「ふぐっ、リーリア様。勝手なことしてすみません。でもよかった……!」
ルカがこれ以上ないくらいに涙を流してる。
拭いてあげたいけど、ハンカチも何もないわ。
「ルカのその力……聖なる力よね」
大神官を見ると、神妙な面持ちでうなずいた。
「また許されざることをしてしまいました。申し訳ありません。ほとんど効果がないだろうと思いつつも、彼女に最後の望みを託さずにはいられませんでした」
「大神官様は継承の儀についてすべて話してくださいました。その上で私が望んだことなんです。女神様に罰せられるべきは私です」
「罰せられるなんて。女神様もそんなことでお怒りにはならない……と思うわ」
白い世界での記憶がどんどんあいまいになっていく。
女神様と何かを話していた気がするのだけど。
「あまり覚えていないのだけど、ルカが引き留めてくれた気がするの。ルカは恩人よ、本当にありがとう。でも、そのために継承の儀まで……」
「うう、いいんですこんなの。リーリア様が戻ってくれただけで、それだけで」
よくはない。
紋章を刻んだままでは、これ以上力を使わなくてもルカの体に負担がかかってしまうかもしれない。
ルカを短命にはしたくない。
聖なる力は、驚くことに私の中に完全な状態で満ちている。
浄化の力も。
おそらくは女神様から慈悲をいただいて戻してもらったおかげだろうけど。
もう少し体が回復したら、以前レオの潰された紋章に使った癒しの力……肉体の時間を巻き戻すのをやってみよう。
一度ですべての紋章を消すことはできないだろうけれど、何日かかってでもやってみせる。
「リーリア様、本当に……本当にもう大丈夫ですか?」
ルカの問いに、私はうなずく。
「少し疲れているだけで、もう大丈夫よ。魂の力も女神様に戻してもらったし、もう心配はいらないわ」
「よかった……!」
ルカがごしごしと目元を乱暴に拭う。
「この通り、リーリア様は無事に戻られました。皆様も心から安心されたことと思います。というわけで、男性の皆様はご退出くださいませ。着替え、食事、その他色々ありますから」
ルカがパンパンと手を叩く。
ルカらしいたくましさに、思わず笑みがこぼれた。
男性たちは戸惑ったように顔を見合わせる。
「僕はもうちょっとリーリア様の側にいたいんだけど」
「……俺も、色々話したいことがあるんだが」
「申し訳ございません。それは後ほどでお願いいたします」
エイミーもにっこり笑って言う。
「ほら、みんな出るぞ。名残惜しいのはわかるが、聖女様を困らせるな」
ランス卿がみんなを促す。
さすが大人だわ。
「私は男性のアレがないからここにいても構いませんよね?」
大神官がみんなの前でそんなことを言う。
そんなにあっさりと話していいことなの……?
セティは目が点になっていた。
「アレの有無は関係ありません。無意味に粘らずに出ましょう、大神官様」
冷静なランス卿に促されて、しぶしぶ魔法陣のある場所に向かう。
「その手首の魔石、体調の変化を見るものなのでそのまま巻いておいてくださいね。もう大丈夫だとは思いますが」
「わかりました」
「何かありましたら来ます」
ふう、とため息をついて、大神官が魔法陣を発動させて消えた。
騎士たちも部屋から出ていく。
「リーリア様、お食事をご用意しますね。胃が驚いてしまいますから、まずはスープからですね」
「お倒れになる前にも食事を抜いてらしたので、少し痩せてしまいましたね。でも変わらずリーリア様は美人です!」
「ふふ、ありがとう」
しばらくして、エイミーがスープを運んできた。
ほどよい温かさのそれは私の食欲を容易く刺激して、私はあっという間に飲み干してしまった。
空腹を感じることも、スープを美味しいと感じることも。
すべてが「生きている」という実感につながる。
そして、私は反省した。
私は「生きる」ということを、どこか軽視していたのではないかと。
祈りの間で力を使い切ったことに後悔はない。今考えても、あれしか事態を収束させる術はなかったと思うから。
でも、最後までこの世にしがみついてみせると言いながら、心のどこかで自分の命を最初から諦めていた。
それは、私を大切に思ってくれている人たちに対して失礼だった。
私は、ルカと女神様によって生かされた。
そして、多くの人が私の生還を心から喜んでくれている。
その命を、今度は精一杯生きていかなくちゃ。
そんなことを考えていると、ぽろりと涙がこぼれた。
「リーリア様!」
「どうかなさいましたか!?」
「ううん。ただ、生きていることが嬉しいの。心配をかけて本当にごめんね。そして……側にいてくれて、最後まで私を諦めないでいてくれてありがとう」
「リーリア様……」
二人とも、涙をこぼす。
ルカが「泣き顔も美人です!」と言ったことで、三人とも泣き笑いになった。
「リーリア様、他に何かなさりたいことはありますか?」
「そうね、お風呂に入りたいわ」
「あーでもお風呂は体力を使いますから、今日はゆっくり休んで明日からですね!」
「そう、残念だわ。あとは、レオやセティとも色々話さなきゃ」
「そういえばレオ様……」
エイミーがぽつりとつぶやく。
「どうかした? エイミー」
「いえいえ」
わざとらしく私から離れていくエイミー。
その顔は照れたようににやけている。
ルカもエイミーに続いて私から離れた。
「え、なになに。あっもしかして、皆の前で言っちゃった系?」
ルカが声をひそめてエイミーに聞く。
でも私、耳がいいから全部聞こえてるのよ……。
「みんなリーリア様のことで必死すぎて聞き流してたけど、あらためて思い出すと関係ない私まで照れちゃうわ」
「もともとみんな知ってたけどね」
「二人とも、レオが何か?」
「いいえフフッ。お元気になられてから直接お話してください」
エイミーがうれしそうに口元を押さえて笑う。
「気になるじゃない」
「すみません、ウッフフッ」
ルカもニヤニヤしながら言う。
もう……。
でもレオとセティには話したいこと、話さなきゃいけないことが色々ある。
まずは元気にならないとね。




