第36話 芽生えた不安(レオ視点)
あのタイミング。
あれは絶対にわざとだ。
あの大神官、どうしてやろうか。
……いや待て違う。
あのままいってたら気まずいじゃ済まない事態になってた。
引っ叩かれたり嫌われたりしていたかもしれない。もしくは壁どんか。
あれで良かったんだ。
リーリア様に気持ちを告げてもいないのにあんなことをしようとした俺が図々しすぎただけだ。
なに暴走してんだ俺。
ただ、泣いているリーリア様があまりにきれいで、かわいそうで、可愛くて。
――もっと泣かせてみたくなった。
って違う!
どうなってんだ俺の思考回路。
知るほどに恋心と執着は強くなっていて、自分でもどうしていいかわからない。
ミリア様だったと知った今、複雑な思いはまだ残っているが、それ以上にあの方を幸せにしたい、他の男に渡したくないという気持ちが強い。
今までそれなりに恋人はいたし、十代の頃などは荒れていてリーリア様に知られたら死にたくなるような乱れた生活をしていたが、自分をコントロールできなくなるほど人を好きになるのは初めてだった。
だから、リーリア様に想いを告げる。
正直、どういう答えが返ってくるかはわからない。
もしかしたら俺を、と自惚れた時期もあったが、あの方は子供のレオを俺の中に見ていたのだと知ってしまった。
俺のすべてを受け入れるような笑顔も、慈愛の眼差しも、無防備なまでの信頼も、すべて子供の俺に向けられたものだった。
それを知って俺はあまりにいたたまれなくなり、何日かリーリア様を避けてしまった。
けど、あの泣き顔を見てそんなことはどうでもよくなった。
リーリア様を幸せにしたい。
前世ごと、あの方の全てを受け止めたい。
もし俺のことを男として意識していないというなら、させてみせる。
俺は不器用だ。
好きだと告げてしまえば、その先副団長として振る舞えるかわからない。
全力でお守りすることに変わりないが、どこかで公私混同してしまうかもしれない。
そしてフラれたら? ……リーリア様が俺ではなくセティウスや団長の手を取ったら?
俺はちゃんとリーリア様の幸せを願えるんだろうか。
わからない。
だが、そうすべきだ。
本来、俺の心の中なんて決してきれいなもんじゃない。
独占欲が強いし、どす黒い感情やおぞましい欲望が奥底にうごめいている。
リーリア様を前にして、その感情があふれそうになったことも何度もある。
だが、身勝手な欲望をぶつけるのは愛じゃない。それではあの近衛騎士と同じだ。
あらためて団長のことを尊敬する。
このあいだの話から察するに、団長は知っていたんだろう。リーリア様がミリア様だったと。
知った上で、内心はどうであれあんなふうに俺の背中を押すようなことが言えるんだから、すごいと言わざるを得ない。
俺も自分の想いがかなわなかった時、そんな風に一歩引いて見守ることができるんだろうか。
まあ……フラれたときに考えるか。
というわけで、俺はリーリア様を遠乗りに誘った。
リーリア様は驚きながらも、楽しみだと言ってくれた。
セティウスが「レオばっかりデートしてずるい! 職権乱用だ!」と怒っていたが、職権乱用上等だ。
使えるものはなんでも使うのが俺の主義だ。
無事外出許可もおりて、俺は厩舎でリーリア様を待った。
しばらくして、侍女とともにリーリア様が現れた。
今日は珍しく髪をすべて後ろでまとめてあげている。パーティーのご婦人のようにかっちりしすぎてはおらず愛らしい。
後ろから手綱を持つ俺への配慮か。髪が当たらないように。
服装も馬にまたがれるよう、ズボンをはいている。
聖女の衣装を着ていても美しいが、こういう格好も可愛い。むしろ何を着ても可愛い。
リーリア様を馬に乗せ、裏門へと向かう。
セティウスが遠くから呪いの視線を俺に送っていたが、気づかないふりをした。
門を出てしばらくは、ゆっくりと馬を歩かせた。
裏道は緊急時以外はスピードを出してはいけないことになっているから。
急ぐ必要はない。
滅多にない二人の時間を楽しみたい。
「珍しいですね」
「はい?」
「レオが城門の外に誘ってくれるなんて。珍しいというか、初めてですね」
「ええ、まあ……」
まさか告白するためだとは言えないが。
それ以外にも、目的はある。
「リーリア様に楽しんでいただきたかったのです」
「レオも私を励まそうと?」
「それもないわけではありませんが、ただ楽しいことをたくさんしてほしいと」
リーリア様が首をかしげる。
「先日セティウスが夜にリーリア様を連れ出しましたよね」
「ええ」
「最初はリーリア様を心配するあまりセティウスに腹が立ちましたが、楽しそうだったとグレンに聞いて……反省したんです」
「反省?」
「俺の頭が固すぎました。たしかに安全を考えれば外出を控えていただくのが一番ですが、それは俺の都合を押し付けているだけだと気づいて、自分が恥ずかしくなりました」
「そんな。レオは警備責任者なのですから、安全を一番に考えるのは何も悪くありません」
「いいえ。リーリア様を人形のように押し込めるんじゃなく、どうやったらお守りできるかを考えるのが俺の仕事なんです。職務怠慢でした」
「そんなの気にしなくていいのに……レオは真面目ですね」
「不真面目ですよ」
夜間にほぼ毎日部屋の前の警護をしながら、どこか安心していた。
部屋の中に眠るリーリア様がいて、その外には俺。
宝物を箱にしまい込む子供のように、その時間だけはリーリア様が自分だけのもののように感じていた。
そんなわけはないし、常にもう一人騎士はいたんだが。
「とにかく、セティウスの柔軟さは尊敬するし、俺も見習わなきゃいけないと思いました。こちらの都合で我慢だけさせるなら、あのハ……元神官長と同じです」
ふふ、とリーリア様が笑った。
「だから遠乗りに連れてきてくれたのですね」
「女性を楽しませるなんてあまり得意じゃありませんが」
それは本当だ。
女性に対して特に努力もせず、言い寄ってくる女性だけを相手にしていたから、いざ本気で好きな人ができればどうしていいか、どうしたら喜ぶかがわからない。
楽をしてきたツケが回ってきたということか。
「馬は好きですし楽しいですわ。ありがとう」
「喜んでいただけたなら幸いです。このまま街を抜けたら、少し走らせてみましょう」
裏門からまっすぐ伸びる道を通り抜け、街の大門から外へ出る。
街道へと続く整備された石畳がまっすぐに伸びていて、そこから少しずれて森を目指して馬を走らせた。
「リーリア様、大丈夫ですか?」
「だ、だだ大丈夫です。怖くなんてありません」
どうやら怖いらしい。
馬のスピードを少し緩める。
リーリア様がほっと息を吐いた。
「これくらいならどうですか?」
「ちょうどいいです。風が気持ちがいいですね」
外套のフードが外れて、後ろでまとめた淡い金色の髪があらわになる。
どうやったらこんな複雑にまとめられるのか。侍女すごいな。
その下の白いうなじにドキリとする。
この程度のことで心が乱れるって……俺は十代のガキか。軽く首を振って煩悩を追い払う。
だが今、決めたことがある。
職権を乱用してでも、ほかの男と馬には乗らせない。
馬のスピードをさらに落として森に入る。
ここは王都から近くて魔獣も滅多に出ないから、王都に住む人間が時々散歩をしたりデートをしたりしている。狩りが許されている区域もある。
舗装はされていないながらも道はできているので、馬で入っていくことができる。
そして俺だけが知る場所を目指した。
入口付近では人影も見られたが、森の奥に入る人間は滅多にいないのでだいぶ静かな環境になる。
道らしい道もなくなってきた。
「ここで馬を降りましょう。もうすぐです」
「ええ」
俺が先に降りて、リーリア様に手を貸す。
こんなひと気のないところに連れてこられても、リーリア様にはなんの戸惑いも見られない。
俺を信用しきっているんだな、と思う。
主に前世のせいだろうが。
嬉しいような複雑なような。
馬をつないで、リーリア様の手をとる。
耳を澄ませばかすかな水音が聞こえた。
「小川があるのですか?」
「耳がいいですね。ここからすぐです」
少し歩くと、開けた場所に出た。
その先には小川と、一面の花畑。
「わぁ……なんてきれい」
聖女廟の周囲に植えたミリア様が好きだった白い花も、ここからせっせと運んでいた。
この花畑が作られたものなのか自生しているものなのかはわからないが、美しい場所であることには変わりない。
あの白い花だけだと廟を思い出させてしまうが、ここには色とりどりの花が咲いている。
「こんなきれいな場所が王都の近くにあったのですね」
「俺の秘密の場所です。といっても俺のほかに知っている人間もいるかもしれませんが」
「ふふ、秘密の場所に連れてきてくれてありがとう。花は大好きです」
持ってきた厚手のハンカチを地面に敷いて、そこにリーリア様を座らせる。
水が流れる音と、花がさわさわと風に揺れる音。
リーリア様と一緒に聞くとこんなにも心地よい音に感じるものなのか。
俺も少しだけ距離をとって木に背を預けて座り、目を閉じる。
「レオ」
「はい」
「ほら、見てください」
リーリア様が嬉しそうにウエストポーチから取り出したのは、何かが入った袋だった。
「なんですか?」
「ジャムのクッキーです。一緒に食べましょう」
持ってきたのか。
嬉しそうに取り出すところがかわいすぎる。
「ありがとうございます」
思い出の味、というのか。
子供の頃から、このクッキーが好きだった。
初めてミリア様と食べたのがこのクッキーだったから、一番好きになったのかもしれない。
あの頃はミリア様が大きく見えた。
優しい手も瞳も、俺を包み込むようで。
けれど今俺の目の前にいるリーリア様は、とても小さく見える。
小柄というほどでもないんだが、俺の腕の中にすっぽりと納まりそうで。
なんだか不思議な気分だ。
「レオ」
「はい」
「先日教会であんなに取り乱してしまったけれど、なぜなのか自分で考えてみました」
リーリア様が俺のほうではなく真っすぐに前を見ながら言う。
視線の先には、花がそよそよと風に揺れていた。
「理由は見つかりましたか?」
「はい。きっとわたくしは悔しかったんだと思います。ミリアの人生は偽りだった、その死も無駄だったと言われたようで。ミリアとリーリアの扱いの違いを知っているから、よけいにそう思ったのでしょう」
「偽りでも無駄でもありません。俺たちは救われました」
「そうですね。あなたたちに会えたのだから、決して無駄なんかじゃなかった。でも、強い心残りがありました。だから悲しくて悔しくて取り乱してしまいました」
「……はい」
「でも、そんなのは意味がないのだと知りました」
「意味がない?」
「ええ。あの時死んで良かったなんて思わないけれど。でもわたくしは新たな人生を得て、ここにいます。あなたたちにまた会えて、あなたたちが側にいてくれて。一緒にきれいな景色を見て、美味しいものを食べて」
リーリア様が、こちらを向く。
あまりに綺麗な笑顔で。
「わたくしは幸せなのです。終わった人生に縋らずに済むほどに。だから、ありがとうと言いたくて」
さらさらと、金色の前髪が風になびく。
光の中に溶けていくように。
白い肌も青い瞳も、すべて風がさらっていってしまいそうで。
俺は、急に怖くなった。
思わず、リーリア様の手をとる。
「レオ?」
「もう、俺たちを……俺を置いて行かないでください」
「どうしたのですか? 寿命なら、前世とは違って短いわけではないと言われました」
「そう、ですか。そうですよね。不吉なことを言って申し訳ありません」
リーリア様が微笑して首を振った。
そうだ、何を考えてるんだ俺は。
何故急にこんな。
せっかくの楽しい時間なのに。
ちいさく息を吐いて手を離した。
「クッキー美味いですね」
「ええ」
「ご存じでしょうが、昔からこのクッキーが好きなんです」
「そうね。美味しそうに食べてるのが微笑ましかったわ」
「今でもこれが好きです。俺は一度好きになるとずっと好きでいる人間のようです。食べ物も、人間も」
「ふふ、そうですか」
まあこんなんじゃ少しも通じないよな。
知ってる。
目的を思い出せ。俺は今日告白するんだ。
曖昧にじゃなく、はっきりと。
顔を上げると、リーリア様が不思議そうな顔で見ていた。
「リーリア様」
「はい」
「俺はリーリア様と楽しい時間を共有していきたい。夏には小川で遊んで、秋には木の実をとって。雪は降るかわかりませんが、降ったら雪だるまを作るのもいいですね。遠出も夜の外出も、もう駄目だなんて言いません。どんな状況でも俺が必ずお守りします」
「どれもすごく楽しそう。季節ごとに色々な楽しみがあるのですね。遠出もしてみたいわ」
頬を紅潮させるリーリア様が愛らしい。
「リーリア様は幸せだと仰いましたね。俺も幸せだし、もっと幸せになりたい。リーリア様にももっと幸せになってもらいたいんです」
「? ええ」
一度視線を外す。
こんなに緊張するのはいつ以来だろう。
「俺は、あなたとずっと一緒にいたい。俺は……」
視線をリーリア様に合わせる。
俺が続きを言う前に、彼女の瞳が突然大きく見開かれた。
「リーリア様?」
「……っ」
リーリア様の体が、がくがくと震えだした。
「リーリア様、どうなさいましたか!?」
「あ……っ」
苦しげに胸を押さえ、体がぐらりと傾く。
慌ててその体を支えた。
「リーリア様!」
「……」
乱れた息を何度も吐き、答えが返ってこない。
俺の体中の血液が、氷のように冷えた。
なんだ、これは。
なぜ急にこんなことが。
――慌てている場合じゃない、まずは医者に!
リーリア様を抱え上げ、走って馬のところまで戻る。
片腕で支えながら馬に飛び乗り、駆けさせた。
嫌な考えが、頭を支配する。
嫌だ。
まさか。
また、俺を置いていくのか。
置いていかないでと言ったばかりなのに。
「レ、オ……」
「すぐに王立病院へお連れします」
「だいじょう、ぶ……。少し落ち着いて、きました……」
たしかにさっきより顔色が少し良くなっている気がする。
ほんの少しだけ安堵したが、油断はできない。
「馬が揺れて申し訳ありませんが、すぐに医者に診せますので」
「病院、ではなく。神殿へ」
「何故ですか」
「病ではありま、せん。瘴気……瘴気が……」
瘴気!?
瘴気がどうしたっていうんだ。
「おねが、い。神殿へ」
「承知しました」
森の中、馬を走らせる。
多少足場が悪い上に二人乗りだが、馬術には自信があるし俺の愛馬なら大丈夫だろう。
森から出ると、リーリア様が顔を上げた。
彼女の視線の先をたどると、遠くでどす黒い煙のようなものが高く吹き上がっているのが見えた。
なんだあれは。
煙じゃない。まさかあれが瘴気? 目視できるほどにあふれているというのか!?
あの方角、魔の森の……。
「少々揺れます。具合が悪くなったらすぐに知らせてください」
リーリア様がうなずく。
俺は彼女を抱えなおすと、神殿への道を急いだ。
馬を速く駆けさせすぎてかえって体に負担がかかったかと心配になったが、厩舎に馬を戻すころにはリーリア様の顔色はだいぶ良くなって、立つこともできた。
病ではないというし、一刻も早く神殿に帰ったほうがいいと判断してのことだったが、それでも無理をさせてしまったかもしれないと悔やむ。
「リーリア様!」
セティウスが走り寄ってくる。
切羽詰まったような顔をしていた。
「リーリア様、顔色が悪いですが大丈夫ですか?」
「ええ、もう平気」
「何が起きたんですか。あのどす黒いの……瘴気ですよね? まさか目に見えるほどの瘴気が噴き出るなんて」
「わたくしも詳しくはわからないの。大神官様に相談しなくては」
「俺が部屋までお連れします。大神官様は瞬間移動で勝手に来るでしょう。セティウスは団長を呼んできてくれ」
「……わかった」
リーリア様を抱き上げる。
セティウスもさすがに文句は言わなかった。
「レオ、もう歩けますから」
「大人しくしていてください」
問答の時間が惜しい。
まずはリーリア様を部屋で休ませなくては。
体調は回復しているようだが、また倒れないとも言い切れない。
それにしても、いったい何が起きてるんだ……!?




