第32話 あなたさえいれば
ランス卿と別れてセティとエイミーのもとに戻ると、セティはすねていた。
「どうしたの?」
「別に」
ふい、とセティが顔をそらす。
こういう時に構いすぎるとかえって意固地になるタイプなので流しておこう。
本気で怒ったり傷ついたりしてる時の反応ではないから。
「そう。じゃあ部屋に戻りましょう」
「わかりました。ところで……明日僕に時間をくれませんか?」
「何をするの?」
「行きたいところがあります。聖女様と一緒に」
セティの顔は決して楽しい計画を立てているようには見えない。
口元だけかすかに笑っているけれど、目は寂しげに見える。
「わたくしと一緒に?」
あ、もしかして。
「……廟に」
聖女廟。
いつか一緒に行ってほしいと言われていた。
自分の決心がついたらと。
セティの中で心の整理がついたのかしら。
「わかったわ。明日一緒に行きましょう」
セティが頷いた。
翌朝、私はセティと一緒に聖女廟への道を歩いていた。
今日はエイミーもルカも連れてきていない。
ずっと無言だったセティは、ひと気のない道に入ったところでようやく口を開いた。
「一緒に来てくれてありがとうございます」
「いいえ」
「本当はもう少し早く来ようと思ったんですが。気持ちになかなか整理がつかなくて」
「そう……」
「前にも言いましたけど、一度だけでもちゃんとお参りしたかったんです。もう魂はそこにないってわかっていても、僕を優しく抱きしめてくれたミリア様の体が、眠る場所ですから……」
「……」
そのまま二人とも無言になり、聖女廟の前へと着いた。
廟の周りを彩る白い花はそよそよと風に揺れてかすかに甘い香りを放っている。
「花……きれいですね」
「ええ。レオがお世話をしていたわ」
「今度からは僕も花の世話をしますよ」
ありがとうと言うのはさすがにミリア視点すぎるので、そこは黙ってうなずいた。
扉を開けて、二人で中に入る。
狭く短い廊下の先に、明るい光が差す円形の部屋がある。
ドーム状になっている天井の一部はステンドグラスでできていて、墓であるということを忘れさせるほど美しい。
行き届いた掃除と漂うお香のかおりに、少し慰められた。亡くなった聖女のことを、忘れないでいてくれる人がいるのだと。
「大丈夫? セティ」
「ええ」
セティは円形の部屋の入口で立ち止まり、真正面を見ている。
香炉や花が置かれた祭壇の奥、両開きの扉を。
あの中に、代々の聖女の遺骨が納められていると聞いた。
あそこを開ければ骨壺の数で自分が何代目の聖女かがわかるかもしれないと一瞬考えたけれど、聖女ですら開けるのは禁じられていて、開けられるのは大神官だけだとか。
なら鍵もかかっているだろうし、大神官の結界も張ってあるはず。
そもそも自分の遺骨なんて見たくないし。
「ここから先は聖女と高位神官しか入れないの。結界も張ってあるわ」
この結界は聖なる力を持つ者か、特殊な魔石を持つ者しか入れないと聞いた。
たしかに強力な結界が張ってある。無理に通ろうとすればどうなるかわからないし、通れたとしても罰せられる。
「わたくしが行ってくるわね」
「はい……」
そこでセティが、何かを感じ取ったように急に振り向いた。
どうしたのと声をかけようとして、出入口のところに魔力を感じて身構える。セティは剣の柄に手を置いた。
床に魔法陣のようなものが現れて、その上に人影がすうっと現れた。
床につきそうなほど長い髪を持つ男性――大神官。
何、今の魔法は。
急に人が現れるなんて……!?
「瞬間移動かよ」
ぼそりとセティが言う。
瞬間移動というの? こんな魔法もあるなんて。
「先客がいたようですね。ごきげんよう、聖女様」
「大神官様もご機嫌麗しく」
大神官と聞いて、セティが頭を下げる。
簡単に姿をさらしてはいけないのが大神官だけれど、当の本人は良くも悪くもあまりセティの存在を気にしていないようだった。
「急に現れたので驚きました。そのような魔法があるのですね」
「瞬間移動です。おそらくこの国で使えるのは私だけだと思いますが」
「さすが大神官様です」
「といってもあらかじめ魔法陣を描いておいた場所にしか移動はできないんですけどね。描くのには何日もかかるし、長距離の移動も無理です」
長い衣装を引きずって、大神官がこちらへ近づいてくる。
相変わらず、浮世離れしているというか……不思議な人だわ。
「それにしても、ここで聖女様に会えるとは思いませんでした」
「わたくしも。大神官様はこちらにはよく来られるのですか?」
「“起きた”時はまずここに来るようにしているんです。最近は事情があってずっと起きているのですが」
そうなの?
月に二~三日しか起きていない生活はもうやめたのかしら。
「だから最近は毎日ここに来て、祈りを捧げています。大陸を守ってくださった方々ですから、せめて心安らかでいられるようにと」
頭を下げているセティの横を通り過ぎて、大神官が祭壇の前に立つ。
深々と一礼をすると、手慣れた様子で香を焚き始めた。
意外だわ。
彼が亡くなった聖女たちにこんなに敬意を表しているなんて。
彼は再度深く礼をして、振り返った。
そして、頭を下げたままのセティを見る。
「そこの護衛の君。ずいぶん魔力が高いんだね。神官の中でも君ほど魔力がある人間はいないんだけど、何故神官ではなく騎士に?」
大神官がセティに興味を持つなんて。
セティは頭を下げたまま「事情がございましたので」と無感動に答えた。
「君……顔を上げてくれる?」
そう言われて、セティは怪訝そうに顔を上げた。
「……。その顔。君、もしかしてフィリーナの息子……?」
「!!」
セティの顔色が明らかに変わる。
フィリーナって、セティのお母様?
なぜ大神官がセティのお母様を知っているの?
彼女は未婚でセティを産んだ貴族のお嬢様、というくらいしか……。
まさか?
そんな短絡的な。でも。
うっすら銀色がかった白い髪と、銀色の髪。
桁外れの魔力。
一目で分かるくらいだからセティの顔立ちはお母様によく似ているのだろうけど。
そういえば大神官の名前はシャティーンと言っていた。
不思議な響きの名前も、少しだけ、似ている。
そんな、まさか。
セティの魔力が一気に高まる。
祭壇の上のものがガタガタと揺れだした。ステンドグラスがビリビリと震えて鳴っている。
――いけない、暴走しかけてる!
「セティだめ!」
セティに走り寄って、その体を抱きしめながら弱い聖印を施す。
魔力の渦はおさまったけれど、その体は震え続けていた。
「お前……お前が……」
セティはそれ以上の言葉を紡げない。
言葉にしたくないのかもしれない。
大神官は動揺するでもなく、セティをじっと見ていた。
「ああ、そうか。そうなんだ。その魔力の高さ、髪の色……君は」
「言うな!」
今にも剣を抜きそうなセティを抑えるので精いっぱいだわ。
私をはねのけられるくらいの腕力はあるけれど、それをしないだけの理性はまだある。
けれど、それもいつまでもつかわからない。
「今は退散しますね聖女様。また後ほど」
大神官は入り口のところまで戻ると、魔方陣を発動させて姿を消した。
セティの力が抜けて、座り込む。
「セティ……」
なんて声をかけていいのかわからない。
私も膝をつき、セティの手に触れた。
「ミリア様が亡くなった後、母親に教会で会いました。なぜそんなところにと思っていたけど、あいつに会いに来てたんですね。あのキレっぷりだと会えなかったんでしょうが」
「……」
実母に罵倒されたというその日ね。
ミリアの死で傷ついたセティは、そこからさらに心を閉ざしてしまった。
「父親の存在なんて今更どうでもいいと思っていた。別にどこの誰でも構わない、流れの詩人だろうが乞食だろうが、どうでもよかったんです」
独り言のようにセティが言う。
私は口をはさむことができなかった。
「どうでもいいのに、どうして今更許せない気持ちになるんでしょうね。あいつが未婚の令嬢に手を出したから? 子供だけ作って母親も僕もほったらかしだったせいで、僕が虐待されていたから? 子供ができたことを知らなかったから? ……何年も近くにいたのに、僕もあいつもお互いに気づかなかったから? どうして……」
少しためらったけれど、セティをそっと抱きしめる。
それしかできなかったから。
セティがきつく抱きしめ返してきて、その力の強さに驚く。
けれど、すがりつくようなその抱擁を拒むことはできなかった。
「でももう……どうでもいい。全部過去のことだ。母親もあいつも全部、僕には必要ない」
「セティ……」
「僕はあなたがいればいい。捨てられて行き場のなくなった僕を拾って、喜びという感情を教えてくれたあなたがいてくれれば、それで」
……えっ?
聞き間違い?
それとも、混乱しているの?
セティが体を離す。私を見下ろしながら、苦し気な顔をしていた。
凄絶なまでに美しいその顔に、一瞬恐れすら覚えた。
「何を、言っているの、セティ」
「気づいてました。あなたが……ミリア様の生まれ変わりだということに」
今、なんて。
待って。どういうこと?
「最初からではないけど。見た目も口調も違うし、初めは気づかなかった」
心臓がうるさい。
セティの顔を見られない。
「でもずっとあなたを見ていて、ちょっとした仕草とか、表情のつくり方とか。そういうのが似てるなと思い始めると、あなたが初対面の僕をあそこまでして助けた理由、あなたの年齢……様々なものがあなたとミリア様を結び付けた」
「セティ。何を言っているのか……」
「確信したのはミリア様を恨めしく思っているのかとあなたが聞いたときです。生まれ変わりだと知って混乱したし、自分の中のあなたへの感情がどういうものなのかよくわからなくなったけど、何より……嬉しかった」
これ以上の誤魔化しはもう難しいかもしれない。
セティはもともと勘の鋭い子だったし、今はもう私がミリアだったということを確信をもって話している。
けれど、そうよ私はミリアだったのよと言うことがどうしてもできない。
「僕がまたあなたに依存しておかしくなることを心配してるんですね。でも僕はもう大人です。聖印ひとつに縛られて自分を滅ぼすような真似はしないから安心してください」
そう言いながら、さっき私が施した聖印を消し去る。
「取り乱してすみませんでした。もう大丈夫です。僕はいつもあなたに助けられてばかりだ」
「そんなことないわ。セティもわたくしを助けてくれたし。セティがいなかったらどうなっていたか」
「あなたは僕にとって何より大切な存在ですから、助けるのも守るのも当然です。僕はあなたさえいればいい。だから、今更血のつながりのあるやつなんて……どうでもいい」
それは自分に言い聞かせているようで、つらかった。
本当にどうでもよければ、たとえ動揺したのだとしてもあんな風に暴走しかけるはずがない。
けれど、私がそれを言っていいはずもない。
今、セティは必死に自分を抑えようとしている。ミリアを“唯一の”大切な存在だと思うことで、無理やり。
「リーリア様……」
指を絡めるように私の手をとる。
ミリアと呼ばなかったのが少し意外だった。
セティは私と手をつないだまま、しばらく何かを考えこむように目をつむっていた。
私はただじっとセティの反応を待つ。
セティが壊れ物でも扱うかのようにそっと私の手を持ち上げたけれど、手を引っ込めるのも気が引けてされるがままにしていた。
セティはそのまま私の手を自分の口元に持っていって、指先に軽く口づけた。
「っ!」
驚いて手を引っ込める。
赤くなったであろう私を見て、セティが口元に笑みを浮かべた。
「リーリア様は傷ついた男に弱いんですね。抱きしめられても手を握られても振り払わないんですから。そんなんじゃ悪い男に騙されますよ」
「人をからかえるようになったのならもう大丈夫ね」
顔をそむけて立ち上がる。
セティも同じく立ち上がった。
「ええ、僕は平気です。何よりも大事なあなたがいますから」
「……」
こんなに綺麗な男性にそんなことを言われれば、胸が高鳴りそうなものだけど。
私の中に芽生えたのは、不安だった。
「さっきも言いましたけど、あなたに依存する気はありません。それはあなたを苦しめるだけですから。だからあなたもミリア様としての責任なんてもう忘れて、リーリア様として僕を見てください」
ランス卿に続いて、セティにもミリアであることを忘れてと言われた。
なんだか不思議な感じだわ。
「僕はもうあなたに拾われた子供じゃない。あなたよりも年上の男です」
「それはわかっているわ」
「わかってなさそうですけどね」
「?」
「まあ今はいいです。戻りましょう」
「そうね……」
なんだか色々なことがありすぎて、疲れてしまった。
でもセティが表向きだけでも元気を取り戻したようでよかった。
大神官は滅多に外に出てくることはないし、もうセティには会わせたくない。
というか、私ももう会いたくないかも。
――と思っていたのに。
夜、ベッドに入ってすぐに感じた防音・防振結界の気配。
部屋の中央に光る魔法陣。
今日の部屋の外の警護がセティじゃなくてよかったな、なんてのんびりと考えてしまった。




