第4話 引っ越しメリーさん編
わが家の向かいにあるメリーさん家にペリーさんがやってきてから、しばらくした日のことである。
小中高などの学生は卒業を迎え、沖縄などではおめでたく桜が咲きはじめるこの穏やかな季節。すでに大学が決まった高校3年生らは新たな生活を始めるべく引っ越しの準備をし始める初春という時期に事件はおきた。
『私メリーさん!5分後にあなたの家に行くから、片付けておきなさいよねっ!』
彼女から電話を通じてそう連絡があったのは午後10時をまわったころだ。
普段からメリーさんはよく「いま何してるのよ」とか「どこにいるの」、「何時に帰るの」といった詰問――質問を電話でしてくるため、今夜もその類かと思って電話に出てみたのだが、今夜は妙に引っ掛かった。
「えっ、来るってどういうことですか?」
『ちょっと事情があってそっちに行くだけよ。別にいいでしょ?』
「いや、でも……」
『なによ、私に来て欲しくない事情でも――あっ、まさか私という女がいながら浮気して別の女を連れ込んでるんじゃないでしょうねッ!!!!!くきーっ!!!』
「連れ込んでませんから!!ていうか、なんでこんな時間にウチに来るんですか!?回覧板なら――」
『と、とにかく詳しい事情はあとで話すわ!!』
「あっ、ちょっ、メリーさん!?」
電話はすでに切られていた。
メリーさんの方から一方的に電話を切られることはよくあることなのだが、今日はどうも様子がおかしい。
どこか焦っているというか、何かに追われているような。
それに、『片付けておけ』ってどういうことだろう。
回覧板か手渡し物程度ならわざわざ部屋を片付けなくとも玄関先で受け渡しすれば済む話。
メリーさんの残した言葉を思案しながら、衣類が散乱したリビングに向き直る。
うん、これをあと5分で片付けるのはミッション・インポッシブル。
とりあえずメリーさんが来襲――来訪するまでに少しでも片付けようとするも、彼女の言う「事情」が気になって仕方ない。
どうせまたロクでも無い事情であるのは間違いないだろう。
せ、せめて夕飯のおすそ分け程度の事情であってくれ……!!(土下座)
何事も起こりませんように、と天の神様に祈りをささげていると、家のインターホンが鳴った。
居留守など通じるハズがないと分かっていながらも、忍び足で玄関まで行き、決して気配を悟られぬようこっそり覗き穴で外を確認する。
案の定、そこには吹雪のなか玄関先でたたずむ雪女――もといメリーさんの姿が。
げっ、なんかトランクとか登山用みたいなリュック持ってやがるし。
パッと見るからに、どうも夕飯の残り物をおすそ分けしてくれそうな風貌ではない。
その姿はまるで行き場を失った家出直後の若者と、京都を訪れた欧米人バックパッカーを足して2で割った感じだ。
要するに大荷物なわけである。
(何故あんな大荷物を持ってこんな時間からわが家に来る必要があるんだ……!?
いや待て、きっと深い事情があるに違いない……
ここは素直にドアを開けて彼女を迎え入れるべき――いやいや、ドアを開けてしまったが最期!きっと餌に飢えた肉食獣のごとき勢いで飛び込んでくるに違いない!!)
ドアを隔てて、開ける、いや開けないの自己問答。
右手がドアノブを捻りかけるが、それをギリギリのところで左手が阻止しようとするもどかしい状況が1分ほど続いたものの、再度家のインターホンが鳴らされたことでケリがついた。
ガチャッ……
「あの、何の用スか?」
地雷を処理するような慎重さでドアを15センチ開けると、ドアの向こうにいた厚着姿のメリーさんは一度大きなため息をつき、手にしていた荷物を玄関先に置いた。
荷物の中には半透明のレジ袋があって、シャンプーやらドライヤーやらのお風呂場用品の姿も確認できる。
もうこの時点ですでに嫌な予感はほぼ100%的中していたのだが、最も恐れていた言葉はこちらから訊くまでもなかった。
「私、引っ越してきたの」
最悪だ。
「引っ越して…きた……?」
「そ。これから私もここで生活するの」
「えっ、ちょっ待って下さいよ!引っ越してきたってどういうことですか!?」
「どうもこうも、言った通りよ。やっぱり将来の夫婦関係を誓った仲なんだから、私が傍にいる方がいいかなって思ったの」
「(傍にいない方が良いのに……)」
「何か言ったかしら?」
「いえ、何も。――っていうか、引っ越してきた理由はそれだけじゃないでしょ!?なんでまた急に……」
メリーさんの言う将来の夫婦関係に関しては1兆歩譲って認めるとして、お互いの家が離れているならともかく、歩いて5秒以内のお向かいにある時点でほぼ同居しているようなものだ。
わざわざ引っ越してくる必要はないし、仮にメリーさんがそう思っていたとしてもこんな夜分に引っ越してくるか、普通?
イマイチしっくり来ないでいると、メリーさんは目線を下に落としてポツリと呟くようにして言った。
「……たのよ…」
「へ?」
「出たのよ……」
突如メリーさんの背後から鳴りはじめる不気味なBGM。
夏休みの怪談番組で使用されそうな、女性の「キャー」という悲鳴入りのデロンデロンというメロディーだが、音源を辿れば彼女のケータイから流れている。
さらに雰囲気を味あわせるために、わざわざ持参した携帯型温風機で生暖かい風をこちらに送りながらブルーのペンライトで顔を青白く照らせば準備は完了だ。
うーむ、夜中23時に他家の玄関先でこんなことを平然としてくるメリーさんが違う意味で怖くなってきたぞ。
「……出たのよ。私の部屋に」
ブルーのペンライトで自分の顔を照らす不気味なメリーさんが神妙な面持ちで語りかけてくる。
「で、出たって何が……?ど、どうせアレでしょ?最近便秘気味で食物繊維食品を食べたら――」
「違うわよ!!ヤツが出たのよ!!!」
「ヤツだけじゃ分からないッス」
「ヤツはヤツよ!!……実はヤツが出たのは今日が初めてじゃないの」
「え?」
「こないだも和室に出たの。あれは私が寝ようと思った深夜1時くらいだったわ。洗濯物を畳み終えて、リビングに戻ろうとしたら部屋の障子に黒い影が写っていて――」
バタンっ、ガチャガチャ
『ちょっ、何で話の途中でドアを閉めるのよ!!!』
「僕マジでそっち系の話ムリなんですって!!晴明神社(※陰陽師)に依頼するか近所の坊さんにおまじないしてもらってくださいよ!!何で悪霊と縁もゆかりも無い平和な北海道に相談しに来るんですか!!」
『いくら北海道でも縁くらいあるでしょ!!』
「無いッスよ!!こっちはヒグマぐらいしか出ません!!」
『本州民からしたらヒグマの方が怖いわよ!!ていうか、もう何でもいいから話だけでも聞きなさい!!こっちも真剣に困ってるんだから!!』
半泣きでドアをドンドンと必死に叩いてくるメリーさんに根負けし、気はすすまなかったが渋々開けてやる。
「あ、開けてくれたのね――って、なんでドアチェーンしてんのよ!!」
「だって話だけでも聞けって言うから」
「こっちは全開かと思ってたわよ!!――って、こないだと全く同じ下りじゃない!!」
またも金髪ツンデレ美少女メリーさんが玄関先でギャーギャーわめいている。
ご近所迷惑この上ない。
「いい?話を先に聞いて」
「は、はい」
「この前は和室に出たんだけど、昨日は台所に出たの。そして今日は……」
でろ~ん♪でろ~ん♪と答えを言う前にケータイで不気味な音を鳴らすメリーさん。
クイズ ミリオ○アの『みのも〇た』的な感じに焦らさないでほしい。
「聞いて驚きなさい、」
「ぎゃー(棒)」
「早いわよ!!」
「で、どこに出たんスか」
「私の部屋よ!!部屋には自分しかいないはずなのに、誰かの視線を感じると思って振り向いてみると、そこには――」
ガッ (僕がドアを閉めようとする音)
ガッ (メリーさんがドアの隙間に足を挟む音)
「ドアを閉めようたって、そうはいかないわ!!」
「お金払うから帰ってください!!」
「私だってあんな不気味な生物が住みついた家に帰りたくないわよ!!!」
ん?生物?
「えっ、お化けじゃないんですか?」
「はあ!?そんなの出るわけないじゃない!私が言ってるのは、夜行性でカサコソ動く――」
「それってゴ――へぶっ」
「その名を言わないで!!!せめて呼ぶなら『這いよる混沌』と言って!!」
やたらとメリーさんは泣きじゃくりながら『混沌』を連呼する。
本州で台所によく出没するヤツは、姿見た目だけでなく、名前を口にするだけでも天下の人間様に精神的ダメージを与えることができるらしい。
さながらハリー・○ッターのヴォル○モート卿。魔力とか強そうだ。
「後生よ!!お願いだから家に入れて!!」
「えー、でも」
「た、タダでとは言わないわ……。と、とと泊めてくれるって言うならその……○○(自主規制)でお支払しても……」
「ファッ!?」
「か、かんちがいしないでよね!!べ、別にあなたに喜んでもらいたいとか、そんなんじゃないんだからっ!!」
と、今だけ無駄に恥じらいを見せるメリーさんにトキメキそうになったものの、彼女のまな板を彷彿とさせる貧乳カップを見て萎えたのは秘密である。
ここで肉食系イケメンは「男の家に泊まることがどういうことか、分かってる?」的なことを言って乙女心をキュンとさせるのだろうが、あいにくカピバラ系男子の僕にはそんなこと言えるはずも無く、むしろメリーさんの方から「私が泊まりに来た意味、分かったでしょ?」などと諭される始末だ。
メリーさんから見た僕の立ち位置が非常に気になるところである。
「……本当に今日だけですからね」
「え、泊めてくれるの!?ラッキー!!」
結局、僕の方が先に折れ、一晩だけという約束でメリーさんは大層な大荷物を抱えてわが家に上陸することとなった。
とはいえ問題が無いわけではない。
僕がもし女ならまだしも、両親が旅行に出て家を空けている中、年頃の男女が一つ屋根の下で暮らすというのはいささか危ない匂いがする。
しかし、だからといって無下に吹雪の中追い返せば、それはそれでご近所関係に影響が出そうで心配だ。特に彼女の父はあの時代錯誤不審者ゆえ、娘からチクられると僕が何をされるか分からない。
娘が門前払いされたと知れば、『USA!USA!』とか言いながら黒船の大砲を使ってわが家の破壊を試みるくらいの報復はしてくることだろう。
「で、今夜私はどこで寝ればいいの?」
メリーさんは玄関に荷物を放り投げるや否や、人んちを探検する子供のような足取りで二階まで上がっていく。
「ちょっと、勝手に僕の部屋に入らないでくださいよもう」
「私はあの小さいベッドに寝るわけ?」
「あれ元々僕専用のベッドです!」
「仕方ないわね。ちょっと狭いけど一緒に寝てあげるわ」
「遠慮しときます!!」
「か、勘違いしないでよねっ!!別にあなたのことが好きだから一緒に寝たいとか微塵にも思ってないんだから!!」
「僕の話聞いてました!?」
「聞いてたわよ!!でもあなたも一緒に寝るの!!いい?」
「なんでですか」
「寝てるときにヤツが部屋に出たらどうする気よ!!!あなたがいないと対処できないじゃない!!私に『食われろ』っていう気!?」
「いや、ゴ――這いよる混沌は人間を食べませんって!ていうか、そもそも冬の北海道で出没するって初耳なんスけど」
北海道は年間を通して寒いため、混沌(※以下G)は住みつかないという。
それゆえ、本州とは違いGを見たことがないという方も案外多い。まあ夏場なら可能性としては否定しないが、積雪数十メートルの真冬の北海道でGが出没するということは、彼女の家がよほど汚くてかつ、よほど温かいという事実が浮かび上がる。
「思ったんですけど、このままじゃメリーさんずっと家に戻れないんじゃないですか?」
Gがメリーさん家に巣食っている以上、ヤツを処分しないことにはどうしようもない。
「で、でも放っておいたらいつか死滅するでしょ?」
「いえ、奴らは生命力が強いんで、放っておいたら繁殖しちゃいますよ?」
『G一匹見つければ、まだ30匹いる』という言葉が巷で流行っているように、ヤツの生命力は強い。
放置すればネズミ算で増えていく可能性が極めて高い。
「じゃあ私、一生この家に住むわ!」
「はぁッ!?」
「そうだわ!あなたと結婚して正式な妻になれば同居しても構わないはず!!」
「絶対別居してもらいます!!」
たかがGごときで異国不審者さんと結婚&同居フラグなんて是が非でも回避してやる!!
「とにかくもう何でもいいから家を何とかして!!!」
「メリーさんの家って確かペリーさんいるじゃないッスか」
「パパは昨日から神奈川に旅行に行っちゃったのよ!!」
「浦賀か……」
歴史の教科書で見たことのある図版が脳裏に浮かぶ。
しかしメリーさん家に肝心のペリーさんがいないとなると、やはり彼女の家で何か起きた際には僕が対処しなければならないのだろうか……。
「じゃあもし僕がメリーさん家の混沌を退治したら、大人しく帰ってくれます?」
「え、ええ……」
「本当に?」
「本当よ! は、80%くらいは!」
「あとの2割は何なの!?ねえ!?」
「ツベコベ言ってないで早く退治するなら退治して!!!」
思い返すだけでも恐ろしい、と言わんばかりに腕にしがみつくメリーさん。
思った通りメリーさんの家は散らかっていた。
真冬の北海道でGが出るくらいの家だから、相当劣悪な環境なんだろうと予測はしていたものの、玄関には引っ越しの際の段ボールが散乱し、リビングには食べかけのポテチやら脱ぎ捨てた衣類が放置。
メリーさん曰く、自分がいくら片付けても父ペリーが散らかすらしいが、雰囲気的にいかにも何か出そうな様相を呈している。
草むらを歩けばモンスターにエンカウントする例の人気ゲームの如く、メリーさんの家を歩けば必ず何かしらの生物にエンカウントしそうな感じだ。
そのため、Gを退治するべく実家から持ち出してきた丸めた新聞紙&殺虫剤が片時も手放せない。
「この部屋なんだけど……」
僕を盾にするようにして家の中を進み、案内された部屋のドアには広告の裏に「封」やら「悪霊退散」の文字を書いたチープな張り紙があった。
メリーさんが言うにはこの部屋がヤツの居城らしいが、その居城のドア前に「南無妙法蓮華経」と書かれたお札やら線香といった仏教系グッズを並べているくせに、イエス・キリストの金色の十字架まで立て掛けられているところにメリーさん一家の複雑な宗教感が垣間見える。
……正直、色んな意味で開けたくない。
でも一度「退治してあげる」と言ってしまった以上、もはやこのパンドラの箱を開けざるを得ない。
特にメリーさんに至っては、どこから引っ張り出して来たのか白い防護服を身に纏いガスマスクまで着用して背後でフゴフゴ言っている状況だ。
この女、何気に自分だけ助かろうとしてるぞ。
「あ、開けるよ?」
「うん……」
決して自らの意思で開けたくは無かったが、男としての義務感?から「えいやっ」と思い切ってノブを捻った。
ドアを開けた瞬間、不意を突いてヤツが飛び出してくる、あるいは上から降ってくる超絶最悪のシチュエーションを考慮し、スプレーを2割ほど噴きながら入室する。
部屋は15畳ほどあろうか。
女の子らしいクマの縫いぐるみが置かれた出窓の下に天蓋付きベッドが佇み、その後ろに勉強机、そして部屋の中心には大理石の小テーブルと4Kテレビが見える。
さすがはペリーの娘。ブルジョワ級の暮らしとは言い難いが、我ら庶民より遥かに上の暮らしをしていらっしゃる。
だが今はメリーさんの部屋の実況をしている場合ではない!
この高級家具の数々の中にヤツが紛れ込んでいるのだ!
「ヤツを最後に見たのはどのへん?」
「つ、机の下のあたり……」
僕の服をギュッと握りしめながら机を指差すメリーさん。
彼女が僕を頼って来てからすでに十数分が経過しているため、ヤツが同場所に留まっている可能性は低いとみえる。
念のため、机の下をスプレーでシュッとして様子をうかがう。
……ここからは瞬発力が必要となる。
答えが分かった瞬間に回答ボタンを押すクイズ番組とは訳が違うのだ。
ヤツが机の下から飛び出した瞬間に丸めた新聞紙で確実に仕留めなければならない。
瞬間の反応が必要となる。
そう思いながら新聞紙を構えて数秒待つも、反応はなし。
よそに逃げたか、と振り返ってみると、出窓の方を見つめるメリーさんの顔が蒼くなっているのが分かった。
「どしたの?」
「あ、ああああああ、あれ……」
防護服の下でブルブル震えながらメリーさんが指差した先には、這いよる混沌の姿――
――ではなく、
「え? ネズミ?」
体長およそ10センチ。体重およそ数十グラム(多分!)
メリーさんが「出たぁ!」と叫ぶソレは、まだウブなチクチク針を背中いっぱいに乗せ、ヨチヨチ歩きでこちらに行進してくる。
「きゃーッ!!」
「メリーさん、これ……ハリネズミじゃない?」
正式名称、ハリネズミ(ベビー版)。
夜行性で最近ではペットとして飼う人も増えていることなどから度々テレビでも取り上げられる愛玩動物の一種。
まさか彼女はこんなのを怖がっていたのか? というか、這い寄る混沌ってハリネズミなの!?
「お願い!! 早くこの生物を外に追い出して!!」
「いやいや、なんでこんな可愛らしいのが怖いんですか!」
「わたし爬虫類と“哺乳類”はだめなのよ!!」
「後者は間違いだと言ってくれ!! てか、よくそれで僕(哺乳類)を将来の旦那にするって言ったね!?」
「私にとってあなたは哺乳類に属さないもの」
「メリーさんから見て僕は魚類か鳥類なの!?ねえ!?」
「……霊長類」
「そろそろ僕に人権かえして下さい」
将来の旦那さまを前にして「お前はサルかゴリラだ」と言う将来の嫁?がいるとは思わなかった。
仮に将来結婚することになったとしても僕が霊長類として扱われるのはもはや目に見えている事実。うむ、よけいに結婚したくない。
「てか何でハリネズミの赤ちゃんがこの家にいる――」
「きゃー!! ソレを持ってこっちに来ないで!!!」
「ぶべしッ(裏拳)」
「パパがUSAから来る時に『ペットだから』って連れてきちゃったのよ!!」
「今グーで殴ったよね!?グーだったよね!?」
「お願いだから早くソレをケージに戻してッ!!」
「ケージってどこに――ぶあべしッ(平手打ち)」
「パパの書斎!!」
「ちょっ、待っ、いちいち殴――ぐぎゃぁぁああ!!(鼻フック)」
――☆――☆――
ペリーさんの書斎とやらはメリーさんの部屋の隣ということで、凝った木製のドアをそっと開けて見ると、そこは通常の家とは少し異なったレトロな雰囲気がただよっていた。
なるほど。西洋人の書斎というだけあって部屋には巨大な本棚、木製の机と椅子、シャレオツなオレンジのライト、西洋チックなアーチ型の窓。おまけにワインボトルが飾られた棚まである。
まるで洋館というか大使館みたいだ。行った事は無いけども。
「メリーさん、終わったよー」
机の上に置かれていたケージにハリネズミの赤ちゃんを収容し、部屋の外で待つメリーさんに声をかける。
ペリーさんはよくペットのハリネズミを部屋の中で放し飼いにするそうで、部屋に放したのを忘れて神奈川に旅行に行ってしまったそうだ。
おかげでそのハリネズミが逃げ出し、メリーさんの部屋に迷い込んだという顛末。
おまけに留守番のメリーさんは爬虫類と哺乳類がダメときた。
全くこの家にはロクな人間がいない気がする。――っていうか、メリーさん、哺乳類がダメなら人類も無理なんじゃ……
「はあ~、これでやっと家に帰――」
ハリネズミの赤ちゃんをケージに入れ、やれやれ、とため息をついたのも束の間。
部屋の雰囲気に圧倒されて気付かなかったが、よく見たらこの書斎の本棚、なんかオカシイ!
収納されている本が難しい辞書とか哲学本とかならともかく、
「す、全てBL本だと……!?」
丁寧にブックカバーをかけられたおよそ数百の危険ドラッグならぬ危険本の数々。
思わず腐女子も発狂する数量だ。
まさかと思いペリーさんの机の引き出しを開けて覗いてみるも、案の定、そこには『男たちのエデン』、『ボーイズ×学園~恋は同性の香り~』などと書かれたメモ、切抜き。
そして極めつけは、
「ぼ、ぼぼぼ、僕の写真……だと!?」
学校帰りの様子や散歩中の僕を映した盗撮写真の数々。
さらにはペリーさん作と思われる、僕のアイコラ的写真の数々が……
(ムダにクオリティーが高……いやいや、今はそんな感心している暇はない! 一刻も早くこの場を脱しないと――)
「見てしまったアルネ?」
ゾッと背筋が凍りつくのがわかった。
振り返ると、ヤツがいる。
自分は今、人の書斎に入り込み、勝手に机をまさぐって知ってはならない秘密を知ってしまったのだ。
もう今更言い訳できる状況などではない。
だがそれでも言い訳しなければ負けを認めたことになってしまう。
「ぺ、ペリーさん!?」
勇気をだして振り返って見ると、そこにはこちらを恨めしそうに見下ろす巨漢ペリーさんの姿。
既にこの時点で色んな意味でチビりそうなのだが、彼の背後から鳴り響いてくるゴゴゴゴという重低音がさらに僕の心理を圧迫する。
っていうか、ペリーさんって効果音出せるんだ……。
「か、帰ってたんです……か?」
「さっき浦賀から帰ってきたアルネ」
「あ、あの、話せば長くなりますし、べ、別に覗くつもりとか無かったんですけど……これは一体……」
おそるおそる自分がアイコラ被害に遭った写真を提示し、マシュー・カルブレイス・ペリーさんのご意見をうかがう。
万が一にも彼の性癖上、僕がターゲットにされていたら窓ガラスを突き破ってでも逃げなければならない。
僕の初めては可愛い女の子に奉げると決めているんだ……!!
すると彼はその太い指で僕の持っていた写真をヒョイッと奪い、懐に隠したかと思うと、
「誤解アルヨ。ワタシMr村上を狙ってないアルネ」
「ほっ、よかった」
「単にワタシの描いてるマンガのモデルにしただけアルヨ」
「ペリーさんってマンガ描いてるの!? てかBLなの!? 何しに来たんですか日本に!!」
「アメリカで『黒○のバスケ』を見てBLに目覚めたアル」
「アレはそういういかがわしいマンガじゃないからね!?」
「日本の汚文化すばらしいアルネ!」
「いま『汚』って言ったな!?『汚』って!!この西洋かぶれ時代錯誤不審者!!」
「来年ワタシの描いた漫画をコミケに出展するから、そのコミケがどんなのか調べに横浜に行ってきたアル」
「コミケは東京ですペリーさん!!」
「お土産のBL本あげるアルネ」
「いらんわっ!!」
「いやぁ、でもMr村上が来てくれたから丁度良かったアルヨ」
「?」
「ちょうど今、男子高校生同士のラブシーンを描いているからそのモデルに――」
「帰りますッ!!!! 失礼しましたぁ!!」
後のメリーさん曰く、僕がペリーさん&メリーさん包囲網をかいくぐって出て行くスピードはまさにジェットエンジンを搭載したウ○イン・ボルト選手のようだったという。
かくして今日もまた、平和な一日がこの一家によって破壊されたのであった。