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レインメイカー  作者: J.Doe
ドリズル・チューズデー
122/131

千紫万紅のプールサイド 2

 500ミリリットルの缶飲料が200円。

 いわゆる観光地価格に眉を顰めるも、ユウリは仕方ないと自動販売機のボタンを押す。和紗は水着が必要なら売店を使えば良いと言っていたが、店員が居るどころか明かりすらついていない。後払いで良いと事情を知っていた和紗が先に話をつけておいてくれたのかもしれない。それだけに状況は深刻かもしれないのだ。


 撮影中、いや、現場入りの時からユウリはずっと緊張と共にあった。任務中という責任からではなく、あからさまに向けられた視線のからくる緊張感が。

 斉藤泉。伊勢裕也。森崎仁。椎葉智子。

 誰もが悪意なく、あるいは害意を持って1人に対して執着心を持っていた。それを理解しているユウリ達の先入観をブラフとして利用しているのか、結果としてそうなっただけなのかは分からない。だが艸楽彩雅が穏やかなひと時を望んだからこそ、鉛地和紗が整えた現場で起きたからこそ、この事態を放っておくわけにはいかない。


 何せ、その視線の主はすぐそばに居るのだから。


 自販機の取り出し口から取り出した缶飲料を投げつけ、背後へと身を投げるように転身する。

 初手を譲ってはならない。責任など後で考えればいい。勘違いなどあり得ない。

 ただ、ソレを相手に不覚を取ってはいけない。ただただそう思ったのだ。

 そして、ユウリは自身の直感が間違っていなかった事を知る。

 後ろで1つに結わいた白髪のオールバック。糸のように細い目。なんらかの目的をうかがわせるように鍛えられた体躯。

 今この瞬間に視認した清掃員姿の男は、当然のように缶飲料を受け止めていたのだから。


「やめておけ」

「どういう意味さ?」

「どういう意味でもだ。お前には勝ち目はなく、お前の行く道には破滅だけが待っている。手荒な真似はしたくない」

「アンタがさせてるんだろ」


 ユウリは乱暴に引きはがしたネクタイの片端を男へと投げつける。分銅が仕込まれたネクタイの剣先は男の腕に巻きつき、高く跳躍したユウリは上空から足を振り下ろすように男を蹴りつける。

 しかし男は顔色を変えるどころか、捕えられた腕を引いてユウリの胸倉を掴む。ユウリは咄嗟にネクタイから手を離して伸びたままの男の腕に足を絡めるようにサブミッションに持ち込んだ。


「軽いな。ろくなものを食べていないのか」

「生憎さま。お嬢様方とバランスの取れた最高の食事をさせてもらってるよ」


 片手にはユウリが投げつけた缶飲料。逆の腕にはユウリ1人の体重。

 拘束は不可能。文字通りの力の差と自身のサブミッションの弱さを再確認させられたユウリは、ドレスシューズのかかと同士を叩きつける。すると鉄板を仕込まれたつま先から刃渡り5センチほどの切っ先が飛び出した。

 顔のそばで刃物を見せつけられたせいか、男は僅かに顔を歪めてユウリの胸倉から手を離す。自由の身になったユウリは男の顔を切りつけようとするも、男は顔を傾けるだけで斬撃を簡単に回避して見せた。


「もうよせ。知るべきことは知った。お前では勝てない」


 返す言葉もない。宙へと逃げ延びたユウリは床を転がるようにして姿勢を立て直し、言葉の代わりに更なる斬撃を繰り出す。男は足を引いて白刃から逃れ、牽制するようにユウリへとまっすぐ腕を突き出す。

 男の言う通りだ。牽制しつつ更に距離を取ったユウリは、切り札を探してジャケットのポケットをまさぐる。

 男はユウリを傷つけようとはせず、まるで宥めるように全てをいなすだけ。缶飲料を投げ返すでもなく、ネクタイでユウリの首をしめるでもなく、軽いと評した体を壁や床に叩きつける事もなく。ただ圧倒的な力量差でユウリを傷つけなかっただけ。


 だから、ユウリは勝てない。

 だけど、ユウリは負けない。


「悪く思わないでね」

「何をする気だ?」

「簡単だよ。アンタを殺す、それだけさ」


 ユウリはそう言って、ポケットから取り出した最後の切り札を見せつけるように視線の高さに上げる。

 良く鳴りそうなスピーカー付きの黒いボディ。指に掛けられたリング。

 それは、美緒に渡された防犯ブザーだった。


「ただし、社会的にね」


 男が駆け寄って来ようとしたその瞬間、ユウリは躊躇いなくリングを引いた。スピーカーから施設内へとけたたましいサイレンが響き渡る。


 あとはこの男を逃がさなければ良いだけ。


 防犯ブザーの大音量に顔をしかめつつ、ユウリは男との間合いを測る。いくら男が格闘技に秀でていようと、数で勝る警備員達が相手では一筋縄ではいかないだろう。そんな事が出来るのは世界中を火の海にすべしと企んでいたテロリストくらいだ。

 法治国家日本に住んでいるのであれば、16歳の少年に防犯ブザーを鳴らされた時点で勝ち目などない。

 現に、ドスドスと乱暴な足音がこの瞬間にも迫ってきているのだから。


「くたばれ、こんクソアホンダラァッ!」


 聞き慣れたが、聞き慣れる気などなかった乱暴な言葉と共に、和紗が飛び蹴りで2人の間に割り込んでくる。プールから離れた自販機を選んだつもりではあったが、艸楽彩雅に認められた女ともなれば距離など関係ないらしい。

 飛び蹴りをかわされながらも、その度の過ぎた三白眼は男を睨みつけていた。


「チィッ! 殺りそこねたか!」


 大きな舌打ちをした和紗は、清掃されたばかりの床にパンプスの痕跡を残して滑る。あまりにも物騒な言葉に茫然とするも、出来れば頼りたくなかったが、場を任せられる味方の到来に防犯ブザーのリングを戻す。ユウリが来日するまではボディガードを兼任していた和紗のことだ。現場を任せられる警備員達に声を掛けてはいるだろうが、3人を任せられる存在はお互いだけ。何らかの手は講じているだろうが、ユウリはすぐに戻らなければいけない。


「おどれ、なにしとんじゃボケェ」

「自分の胸に聞きや、あほんだら」

「……はい?」


 先ほどまでの端的な喋り方とは違う、関西なまりの広島弁にユウリは足を止める。偏った地域だけだが、世界中を転戦していたユウリでもこんな喋り方をする人間は他に知らない。

 柳眉を歪めてじろりと睨んでくるユウリの視線に、和紗は暗いブリュネットの髪を乱暴にかきみだし、やがて観念したようにがっくりと肩を落として言った。


「げにすまん。前に話とうた世話にのうた院長じゃ」

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