千紫万紅のプールサイド 3
かつて、鉛地和紗は高利貸しで働いていた。奨学金と院長の支援によって大学を出て、悪い経営状態孤児院へ金銭的な支援をするために。良い就職先を選べなかったのは、生みの親が捨てるほどに悪い自身の人相によるものが大きいと察した和紗は、早い段階でいわゆる"堅気の仕事"に就く事をあきらめていた。
なら、どうすれば良いか。堅気の仕事に就かず、院の経営を救えるほどに稼ぐには。
簡単だ。"稼ぎの良い堅気ではない仕事"に就けば良いだけ。
その結果、鉛地和紗は高利貸しに務めたのだ。より効果的に顧客を集め、より効果的に返済を遂行する。自分と同じ喋り方をする子供達と院長の相手をするよりずっと簡単だった。
しかしそんな日々も長くは続かない。
折れた木刀や日本刀。蹲る男達。床にまき散らされた和紗は知らなかった取引の品物。
何もかもがめちゃくちゃにされた事務所に居たのは、鉛地彰夫。早く恩返しをしたいと思っていたその人だった。
「つまり、この不審者はアンタの身内なんだね?」
「……そうじゃ」
自分で汚した床をモップで拭く和紗に、ユウリは苛立ちから思わず舌打ちをしてしまう。
全力で不意を打ち、殺すための凶器を選んだ自分に、圧倒的な実力で敗北を突き付けて来た男。その男がただの一般人だったのだ。陳に知られれば嫌味で済むはずがなく、美緒に防犯ブザーを使った事を知られればしたり顔で何を押し付けられるか分かったものではない。慌てて駆けつけた警備員達には心から申し訳なさすら感じてしまう。こちらの事情で締め出した彼らをこちらの事情で巻き込んだのだ。目つきの悪さだけはそっくりな義理のような親子の首根っこを掴んで頭を下げさせたのも当然だ。
「まっとうな仕事についた言うたじゃろが」
「そうほざいて非合法な事務所に勤めとったんはどこのあほじゃ」
育ての親の言葉に和紗は返す言葉もなく眉間に皺を寄せる。
以前にも増した仕送り。相変わらずつかない連絡。信用できない過去。和紗に返す言葉などあるわけがない。何も知らないまま犯罪の片棒を担がされかけていたのだから。
それに、と彰夫は壁に寄りかかるユウリへと視線を送る。
「どうやら、堅気ではない子供が勤められる会社のようじゃしの」
「口を出すなら自分の身内だけにしておいてくれないかな――今度こそ殺すぞ?」
そう言ってジャケットの袖口からワイヤーソーを引き出したユウリに彰夫はため息をつく。
「もうよせと言ったはずじゃが」
「アンタに命令される覚えはない」
「命令じゃのうて助言じゃ。おどれのような眼をした奴はくたばりおった。老若男女関係なくのう」
「わかったような口を――」
「ああもうやめいやめい! 院長も邪魔すんなら帰りんさい!」
詰め寄ろうとするユウリとどうしたものか、と顎に手をやる彰夫。和沙は慌てて2人の間に割って入る。かつては反発したこともある相手だけにユウリの気持ちもわかるが、相手は子供達を守るためという理由だけでマーシャルアーツとブラジリアン柔術を学んだ変人だ。ユウリに勝ち目がないとは思わないが時間の無駄だ。育ての親である彰夫を信頼していないわけではないが、こうなった彰夫の頑固さも和沙は知っている。財閥資本の企業に勤めた自分は信用されていないが、不知火ユウリは明神敬一郎と艸楽彩雅に認められたボディーガード。それぞれの事情を抱えた何人をも見送った鉛地彰夫がなんと言おうと、ユウリはプロとしてここにいるのだから胸を張れば良い。
それでも彰夫は納得いかないのか、ならば、と和沙に問いかけた。
「おどれは責任とれるんか? こないなガキを傷もんにした責任を」
「せ、責任くらい取ったらんかい!」
「その言い方だけは本当にやめて」
〇
くたびれ切ったとばかりに深いため息をついて、ユウリはプールサイドのビーチチェアに体を投げ出す。
結局、鉛地彰夫を施設から追い出すことには成功した。和沙のプライベートな時間を説明と説得にささげることによって。
プールサイドの端で頭を抱えている張本人が自覚しているように、これは和沙が彰夫に信頼されなかったことが原因だ。あとは身内で勝手にやってくれればそれで良い。
だが、本当にそれだったのだろうか。
ユウリはジャケットの上から防犯ブザーに触れる。子供達を守るために格闘技を身に着けたような男が、卒院生の勤務先を疑わしく思っただけで院を空けてくるだろうか。和沙から聞く限り、孤児院の経営状態は厳しいもの。それこそ、彰夫が疑わしいと感じていた和沙の寄付がなければ立ちいかないほどに。
もしかしたら、鉛地彰夫は誰かに何かを吹き込まれたのかもしれない。
ユウリと和沙を邪魔に思う誰かに。
「……考えても無駄か」
彩雅もそうだが、どうにもユウリの周りには企みごとが好きな人間が多い。それに厄介だが、頼んでもいないのにユウリの命の心配をするような彰夫が居たのだ。見逃してしまった警備員達に思うところはあるが、金では変えない安全性を得られた。そうでも思わなければやっていられない。
何せ、人を殺してまで守ろうとした護衛対象が物陰から様子を窺っているのだから。
「遊んで来ないの?」
「あ、あの、その、さっきは、その騒がしかったみたい、ですが」
「用具の搬入で手違いがあっただけだよ。それより、詩織はアイツらに混ざって来ないの?」
ユウリは巨大な水しぶきを上げるプールをあごでしゃくって示す。何がどうしているのかはわからないが、彩雅ほどの姉貴分になるとフィジカルの怪物とも渡り合えるらしい。目測で1m以上の水柱をバシャバシャとあげる相手でも。
「わ、私は、その、休憩、です」
そう言って詩織はユウリの隣に腰を掛ける。体の線を隠すように着ていたオーバーサイズのパーカーは着ておらず、少し濡れた青いビキニはやや肉感的な体に張り付き、濡れた髪が少し張り付く顔はすっかり紅潮していた。
恥ずかしいなら見せなければ良いのに。
胸中で呟くも、ユウリは小さくため息をついて言葉を飲み込む。こういう時に女性がどうして欲しいのか、どういう言葉が欲しいかなど分かりきっている。それも仕事の内だと
「その水着、よく似合ってるよ。すごくきれい――」
俺の次くらいに。
今まで通りでこれからも変わらないだろう心無い言葉。
寝床や食事を得るために繰り返して来ただけの言葉をユウリは続けることができなかった。
「う、嬉しい、です……」
恥ずかしさが極まったのか、それともユウリの言葉をそのまま受け取ったのだろう。詩織は先ほどよりも色を増した赤い頬を隠すように、顔を俯かせて微笑んでいた。その表情は花が咲いたよう。
たったそれだけ。たったそれだけのことでしかないのに、ユウリには何かが救われたような気がしていた。
「ところで、和沙さんが責任とか傷物とずっとつぶやいていたのですが」
「ふぁっきんしっと」




