06 かいじん 著 晴 『晴れの国』
全国的に見て雨の少ない地方で生まれ育った。1981年から2010年までの30年間の統計値の平均でみると僕の生まれ育った県は全国の都道府県で1番、雨の日が少ない。年間の降水量も47都道府県の中で下から3番目。この統計値を何となく眺めていて気付いたのは全国で最も年間降水量の多い高知県(2547mm)と長野県に次いで2番目に降水量の少ない香川県(1082mm)が隣接しているという事と、年間降水量全国1位の高知県の年間日照時間が山梨県(2183時間)に次いで2番目に多い(2154・2時間)という事だ。
僕の生まれ育った県は、年間日照時間全国14位とそれほどでも無いのだけれど雨の日が少ないという事をもってして、県はある時期から(晴れの国)というキャッチフレーズで県のPRを始めだした。
僕は子どもの頃から今まで自分が雨の少ない土地に生まれ育ったという事を実感した事はたぶんほとんど無かったと思う。しかし雨の日の思い出というのを今、思い出そうとしてみたけれど、台風とか雷雨の事が思い浮かんだ以外、すぐには何も思い浮かばない。
・・・
5月も終わりに近付いた。
今日は4時限目の授業は無いので、僕は職員室で昼までの時間を比較的ゆっくりと過ごしている。校舎の1階にある職員室の窓から見えるグラウンドに降り注ぐ正午近くの陽射しは強く、外は初夏の熱気に包まれている。グラウンドのフェンスの向こう側を走る国道を挟んで建っている町民会館などの建物が並んだその向こう側は港の岸壁でその先には瀬戸内海が広がってすぐ沖合いには汐見諸島の島々が迫っているのだが1階のここからでは見えない。この町立中学校校舎の裏側は海岸沿いに走っている単線線路を挟んですぐなだらかな低い山々が連なっている。
今年の4月に新任教師としてこの汐見町立汐見中学校に着任して以来慌しい日々が続いていたけれど、最近ようやく少しは落ち着きが持てる様になって来た。
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海岸線と山々の間のわずかばかりの平地に東西に細長く続いているこの町を西に向かって抜けて7、8キロばかり行くと陶器で有名な海前市に出る。かつて海前湾の最奥にある海前港から北の方へ30キロほどの山間部にある鉱山に向かって鉱物輸送の為の鉄道が延びていて、数少ない沿線住民の為の旅客営業も細々と行われていたが、鉱山が閉山となり僕が高校を卒業した年の6月に廃止された。
僕の実家はこの海前市と鉱山とのほぼ中間の位置にある山に囲まれた小さな集落にあり、僕は高校時代、1両だけで走る戦前生まれのディーゼルカーに乗って海前市にある県立海前高校に3年間通った。高校卒業後、東京都内の大学に進学し去年この県の教員採用試験に合格した僕は4月からこの汐見町立汐見中学校に社会科の新卒教員として赴任する事になった。生徒数は現在178名、各学年2クラスずつと特別支援学級がある。僕は2年2組の担任をしている。
汐見町は汐見諸島の島々に住む人々約500人も含めて人口約8000人、漁業が盛んで特にカキの養殖で知られている。地形的に平地が少なく多くの住民は海と山に挟まれた狭い土地に沿って軒を並べて暮らしている。豊かな自然に囲まれたのんびりとした環境の中でこの学校の生徒達はのびやかに健全に育っている……わけでも無い。
今朝も僕のクラスの武井健一、市野直哉、南原健介の3人組が靴箱脇の影で畑野修二に向かって何か言っているのを見かけた。はっきりとした場面を目にした訳では無いが、校内のいろんな場所で幾度と無く、4人の様子を見かけていれば何と無くわかる。
畑野は元々大人しい印象の生徒だったが、最近は目に見えて表情に陰りがある。資料で見れば武井、市野、南原の3人は1年の時には同じ1組だったが畑野は2組だった。僕の目から見る限りでは(兆候)が見え始めたのはここ1ヶ月ばかりの事の様に思える。
時計を見ると4時限目が終わるまでには、あと15分ほどあった。
(こういった事は子供社会の中の出来事なので、大人が入りこんで口出しする様な事ではない)
なんて言ってるのをTVで見たりする。
それで、いつかある時期に彼らが自ら気付き、悟って彼ら自身で問題を解決し良い結果をもたらすと言うなら、何も言う事はないけど、まず大抵はそんなに都合よく事が運ぶ事は無い様に思える。
生徒の自主性に委ねる?
感情のコントロールも出来ず、やっていい事と悪い事も分別も出来ず、いや頭ではわかっていても、露見しなければとか、俺だけがやってるわけじゃ無いとか狡猾とまでは言わないにしろ安直に考えている。そんな子供に必要なのは、自主性を持たせる事などでは無く指導だと思う。
(いじめられている方に問題がある)
問題があると言うのはその通りだと思う。ただ、孤立無援の状態で自力だけでは解決出来ない問題に直面している13歳の子供の無力さを責めると言うのはちょっと神経がわからない。僕が言うのは、今後少しずつでも身につけさせなければならない物があるだろうと言う事だ。しかし生徒間の間だけで、しかも大人の目を盗んで行われている事に介入するのは難しい。ただ行為を止めさせるのではなく、事の理非を根本的に理解させなければ意味がない様に思える。理想論を並べ立てているみたいだけれど、いずれにしても立場上何も言わない、何もしないと言う訳にはいかない。
(とにかく……まずはリーダー格の武井かな)
4時限目の終了を知らせるチャイムが鳴った。
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校舎2階にある2年2組の教室で給食を取った後、僕は教室を出て向かいに建っている第2校舎の3階の方に向かった。理科実験室の前に何人かの1年生の男子生徒がいたので彼らと他愛の無い話をしながら、右斜め下の方角に見える自分のクラスの教室を眺めた。真向かいの位置にある美術室の前まで行けば、もっと教室の様子がよくわかるのだけど、そこからだといかにも自分の担当するクラスを観察している様に見える。
窓際に近い中ほどの席を取り囲んでいる、武井、市野、南原の背中だけが見える。
畑野の席だが畑野の姿はここからは見えない。
1年の男子生徒達がどこかに行った後も、しばらく様子を眺めていたが時折、3人の体が大きな動作をした。畑野本人には手を出していないのかもしれないが、机を蹴飛ばしたりしている様にも見える。どうやら早急な対応が必要な様だった。
僕はそのまま職員室に戻り、次の授業の準備だけした後、生徒資料を手に取った。
この学校の生徒には親が漁業、或いは漁業関係の仕事についているという者が多いが、武井健次の家は鉄工所を営んでいて、武井はその家の次男だ。2つ年上の兄はこの汐見町から電車で40分程かかる場所にある工業高校に通っている。
畑野修二。
この中学校には汐見諸島の島から通っている生徒が8名いるが畑野修二もその内の一人だ。
畑野の住んでいる多美島はカキの養殖が盛んだが、畑野の家は民宿を営んでいて、島の斜面でミカンの栽培などもやっている。畑野も次男だが兄が10歳上、姉が7歳上とやや歳が離れている。生徒資料を閉じた所で丁度、僕のクラスの委員をしている奥山多恵子が職員室に入って来た。
・・・
「そうじゃ、そう言やあ奥山って1年の時、畑野と同じ組じゃったんじゃろう?」
奥山と何気ない会話をした後、ふと思い出した風に尋ねてみた。
「うん。同じ2組じゃったけど」
「畑野って、えろう絵が上手いみたいじゃのう」
「そうそう。畑野君って絵描いたらぼっけえで。夏休みに描いて来た絵を見た時あまりに上手過ぎるんで教室が大騒ぎになったけえ」
僕は彼の絵を見た事は無いが、確かに相当絵が得意なんだろうと思う。1年生の時に、県の児童生徒絵画展で県知事賞を受賞している。
「あんなあ、畑野君の事なんじゃけど……」
奥山が周囲を見回した後、言い出しにくそうに口を開いた。
「まあ、畑野も、もうチイと楽しい顔して学校に来れる様にしちゃらんといけんのう」
5時限目のチャイムまで2分を切っていたので、僕はそれだけ言うと立ち上がった。
・・・
6時限目の授業は僕のクラスだった。
「ほんじゃあ次、(平安時代の武士たち)の所……」
僕はそう言うと教室を見回して次に教科書を読み上げる者を選ぶ仕草をしたが誰を指名するかは既に決めていた。
「じゃあ、畑野に読んで貰おうか」
畑野がおずおずと立ち上がりためらいがちな声で読み始めた。
「平安時代の武士たち……平安時代には地方の豪族や有力農民たちは……私有地を広げていったのであった……9世紀の中ごろから……」
隣の席の人間にやっと聞き取れるほどの声でぼそぼそと読み上げている。
「もうチイと大きい声で読んでくれにゃあ、皆に聞こえりゃあせんがな」
僕はその時、そう言いながら細野の方を見ていなかった。
「豪族や有力農民たちは自分たちの土地や財産をまもるためには……兵力をたくわえていった……」
畑野が先ほどより少しだけ大きな声で再び読み始めた。
僕はその間もずっとある1点を凝視していた。
「もうチイとだけ大きな声を出して読め」
「一族の者や、手下の農民たちに武装させるようになった……」
畑野の声がまた少し大きくなった。
僕はずっと教壇の横に置いた椅子に座ったまま一人の生徒を凝視している。
「このようにして、武士ができていった……」
「先生、なしてそがいにワシの方ばぁ、見よるんなら」
たまりかねた様に武井健次が言った。
「別に見とりゃあせんがな」
視線を動かさずに僕は答えた。
教室内に一瞬、沈黙の間が流れた。
「……武士たちは、一族のかしらを棟梁として、それぞれの一族ごとに武士団を結成していった……」
「見よるがな」
「ほいじゃけ見よりゃあせん。……ワシの視線の先にお前がおるだけじゃ」
「……」
「……貴族の中にもこれにならい、武士団をつくり……源氏や平氏などがそのような貴族の武士である」
そこで読むのを止めさせ、畑野は席についた。
僕はまだ武井から視線を外さずにいる。
武井はずっと気まずそうな困惑した表情で僕の方を見返している。
「何なら? ……嫌なんか?」
僕は言った。
「そりゃあ、そがぁにずっと見られようたら、気になってしょうが無いけえ」
「ほうか。ほいじゃあやめるわい。……嫌じゃぁ思う事をされるんは嫌じゃろうけえのう」
僕はそう言って武井から視線を外し、椅子から立ち上がった。少しでも伝わったかどうかはわからないがいずれにしても、これで終わったとはまったく思っていない。とりあえず、1球、牽制球を投げてみただけの事だ。授業とホームルームが終わった後、職員室に戻って大きく息をついた。とにかく、問題を解決出来るまでは、思いつく限りの事を次々とやってみるしか無いと思った。
・・・
次の日ももよく晴れた一日だった。
この日の5時限目は自分の受け持つ2年2組の授業だった。その後の6時限目は各クラスのホームルームになっている。
「武井、市野、南原、畑野……この4人は今からすぐに体操服に着替えて体育館の前に集合せえ」
給食の後、僕は4人に向かって言った。
武井、市野、南原の3人は怪訝な表情をした後、互いに顔を見合わせ畑野の方へ視線を送った。
畑野も目を見開き、何か問いたそうな目で僕を見つめている。
「体操服に着替えてどねえするんですか」
市野が僕に尋ねた。
「授業に決まっとろが。……あんまし時間が無いけえ早よせえよ」
それだけ言うと、クラス委員の奥山多恵子に職員室に来る様に言って席を立ち、職員室に戻った。職員室で奥山に最近授業でやった所のプリントを渡して今日の授業は自習にすると伝えた後、僕も着替えようかと思ったけど、結局、そのままナップサックだけ持って体育館前の方へ向かった。
しばらくすると4人も体操服姿でやって来た。
「よし、ほんなら行くぞ」
僕はそれだけ言って校門の方へ向かって歩き出した。
「行く言うて、どけえ行くんですか?」
後ろに付いて歩きながら武井が言った。
「今日はお前らだけ、野外授業にする」
「どこで?」
「あれに登る」
僕は校門を出た所で、すぐ近くに見えている物見山を指差して言った。
物見山はここから国道を挟んですぐ右手に見えている汐見港の端にある標高120mほどの小さな山だ。横断歩道を渡り、右に曲がってしばらく歩き観光旅館の脇の路地に入って登山道口の方へ向かった。高い所から照りつける陽射しが痛いほどに肌を灼いた。
4人は表情に不審の色を浮かべながらも黙って付いて来ている。
頂上近くまで舗装されている登山道を登り始めるとたちまち汗が吹き出て来て僕は着替えて来なかった事を少し後悔した。急な勾配を登って行く内に僕と4人の生徒達の息が少しずつ荒くなって行く。周囲は鳥の鳴き声だけが騒がしかった。
「先生、なしてワシらあこげな所、登らされよるんかの」
汗を噴出させながら武井が僕に尋ねた。
「頂上に着いたら教えちゃるわい」
そう答えている内に登山道の両脇を覆っていた樹木の枝が途切れ、麓の様子が見渡せる場所に来た。すぐ眼下に太陽の光を受けた青い海がありフェリーが停泊し、何層もの漁船が固まって繋留されている汐見港が見えてその向こうに汐見の町並み、汐見中や少し離れた所にある汐見駅の簡素な駅舎が見えた。海側の方には汐見諸島の中で一番大きい大鳥島の一部だけが見える。
やがて舗装が途切れて山道になった所を少し登って頂上にたどり着いた。頂上からは汐見町の町並みや瀬戸内海に浮かぶ汐見諸島の島々等が一望に見渡せた。僕は4人の生徒達に氷を入れて持って来た麦茶を飲ませて少し休ませた後、ナップサックから4枚の透明ゴミ袋を取り出した。
「ほんじゃあ、もうすぐに始めるぞ」
「始める言うて何を始めるん?」
南原が言った。
「何をする言うて、周りをよう見てみい。あちこちにゴミが落ちとろうが。それを集めて持って帰るんじゃ」
「なして、ワシらだけそげな事をさせられるんじゃ」
市野が言う。
「クラスから厳選して選び抜いた選抜メンバーじゃ。時間が無いんじゃけ、すぐにやるぞ」
畑野は黙々とゴミを拾い始め、他の3人も固まってゆっくりとゴミをゴミ袋に入れ始める。
「そげえに固まってやりょうったら、終わるもんも終わりゃあせんがな。ここは武井1人に任して、市野と南原は下の駐車場をやって来い。畑野は駐車場からここまでの道に落ちとるのを下から拾うて来てくれぇ」
何かブツブツ言っている市野と南原の後ろを畑野が付いて3人は下の方へ降りて行った。
頂上には僕と武井だけが残った。
武井は何か言いたそうな表情をしながらも黙って柵の付近に落ちているゴミを拾ってゴミ袋に入れていた。
僕はしばらくの間、よく晴れた空の下に広がっている瀬戸内海とそこに浮かんでいる島々を眺めている。
この町に住んでいる4人の生徒たちはおそらく、何度かはここに来た事があるのだろうが、僕がこの場所に来たのは1ヶ月前に初めて来て以来2回目だ。
目の前に見える一際大きな大鳥島は県の離島の中では一番大きな島だが平地が殆ど無い為にそこに暮らしている住民は12人しかいない。その隣に浮かんでいる周囲4キロほどの小さな島が畑野の暮らしている家がある多美島だ。多美島と大鳥島の間の穏やかな海面には無数の牡蠣筏が並んで浮かんでいた。多美島の右手の方には喜多島や丸石島、白岩島などが見える。ずっと沖合いの方にうっすらと広がっているのは四国では無く、島の分教場を舞台にした小説で有名な大きな島だ。
「なあ、武井。ワシがなして、お前らをここに連れて来たと思う」
武井に向かって僕は言った。
「……畑野の事じゃと思います」
しばらくの間、迷った後武井が答えた。
「ほうじゃ。……ほんでなしてなら?」
僕は言葉を省略して尋ねた。
「何かあいつ見ようったら、イライラしたんで……」
「イライラする言うて、どげな所が?」
「何か、見ようったら女みたいで……」
「ほうか。……ほんじゃあ聞くけどお前らがしよる事は男らしい事なんかのう?」
たぶん、この(男らしい)と言う言葉がこの武井には響いたのだと思う。
「これからは……もう絶対にやらん様にします」
きっぱりとした口調で武井が言った。
「ほいじゃったら後で畑野に謝っとけ」
僕がそう言うと武井は、はいと頷いた。
「ほうか。ほいじゃったらもうええわい」
その表情を見て僕はそれ以上念を押さない事にした。
陽射しは強かったが風が吹いて来たので心地よかった。振り向けばよく晴れた空の下、光り輝く風景が広がっていた。
・・・
あれからずいぶん長い年月が流れた。汐見町は海前市と合併し、海前市の一部になった。
武井健次はその後兄と同じ工業高校に進学したが卒業後はその方面の仕事にはつかず航空自衛隊に曹候補生として入隊した。現在では空曹長にまで昇進し北関東にある地上防空を行う基地の部隊で先任空曹と言う下士官や空士たちを指導、教育する立場にいるのだそうだ。
畑野修二は中学卒業後は僕の母校である海前高校に進学した。卒業後は千葉県の会社に就職したが数年後に漫画家としてデビューした。連載した少年向けの架空世界での冒険漫画がTV放映、映画化されるほどの大ヒットになり、彼は旧汐見町出身者としては最も、著名な人物になった。
了




