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自作小説倶楽部 第12冊/2016年上半期(第67-72集)  作者: 自作小説倶楽部
第72集(2016年6月)/「夏至」&「恋人」
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27/35

01 奄美剣星 著  恋人 『郵便船』

挿絵(By みてみん)

挿図/「秩父丸」wiki 



 モダンガールを略してモガという。その点からしてマリヤンは正真正銘のモガだった。ワンピースにハイヒール、頭には男物のパナマ帽を載っけた妙齢女性。小麦色の肌というのはこの人のためにあるのだろう。船縁にもたれかかった伶人のパナマ帽からあふれ出した長い髪が風にたなびいていた。暇さえあれば僕は彼女を木炭スケッチしたものだった。

 第一次世界大戦で日本がドイツ領を信託統治領という形で奪取した太平洋の島々・ミクロネシヤの海域は広大で、そこを治める南洋庁はいくつかの支庁に分割して、島々を統治していた。パラオ支庁の同名諸島にあるコロール島を首府と定めて庁舎を置いた。南洋庁とパラオ支庁は木造二階コテージ風の建物だ。

 日本が統治するようになって以後も、コロールには欧州人も若干残っていた。ドイツ人やスペイン人たち東方教会聖職者たちで、聖母を意味するマリヤンという名前も彼らがつけたらしい。

 太平洋戦争が始まったばかりのころ、パラオはまだ静かで、環礁となった島々の渚に茂ったマングローブも、内陸に立ち並んだパン椰子も、そこに佇む夾竹桃で生垣をなした家々も、戦争なんぞ無関係であるかのように何も変わるところがなかった。

 ドイツ統治時代は、もともといた島民をすべて集めても数千人規模だったのだが、砂糖きびやバナナといった商品作物を栽培。内地はもちろんのこと沖縄や半島に移民をつのって開発を行った。結果、島は潤って人口数万を擁するほどになっていた。

 内地では尋常小学校というのがあったのだが、歴史ほか、南洋では意味をなさない学科があるので、ここならではの教育方針をする必要が生じ公学校というのを設置していた。そういう公学校は南洋庁が管掌するところで、東京美術学校(現・芸大)を卒業した僕・土方は、図工の訓導(正規教師)として雇われた。

 僕が勤務するコロールの公学校は平屋の木造校舎に運動場がついたもので、建物の中には職員室と教室の三室があった。教師用の寮が学校近くにあった。マリヤンの家は隣で、お菓子を与えたり一緒にレストランや映画館にいったりもした。

 ミクロネシヤのちょっとした拠点となる島は港湾が整備され、駐在所、公学校、居酒屋、旅館そして映画館があった。映画は活動写真と呼ばれていた。少し前まではただフィルムを回すだけだったため、各映画館にはお抱えの楽団と語り手である弁士がいた。それがレコードを組にした映写機トーキーに取って代わられた。

 彼女は僕の勤務する学校の生徒になり、卒業すると師範学校に進み、そして結婚。一児をもうけたのだが、亭主を追いだして公学校の教師補(嘱託教師)になった。子供のころのマリヤンは、チャプリンやキートン映画を好んだが、大人になると、ピエール・ロッチの小説を熱心に読みだした。

 そうそう、こっちにきてからの友人に中島という男がいる。三十になったかどうかという年頃で、ほっそりとしたいい男だ。実家が何とか藩というところに仕えた漢学者家系なのだとかで、帝大を卒業して内地で教職についたものの持病があって退職、療養のため気候温暖なここ南洋の国にやってきた。ありついた職というのが南洋庁教科書編纂係。公学校の国語教科書に載せるのに短編小説を一本書いた。『山月記』という中国・唐の時代を舞台としたもので、若い官吏が勅命を受けて旅をしていると山道で人食い虎に出くわす。ところがそれはかつての同僚のなれの果てだったという筋だ。その話が大変評判でいまや内地文壇でも注目されているらしい。――中島は人見知りだ。しかしどういうわけだか僕には心を許したようで、部屋へよく遊びに来たものだった。

 公学校に勤務する僕とマリヤンが内地でいうところの夏休み・長期休暇になると、中島を加えた三人で、コロール島からでるデッキを日よけの天蓋で覆った千トン級の郵便船に乗り込み、ミクロネシヤの島々を巡ったりもした。

 ミクロネシヤは一つの大陸に匹敵するほどの広さをもった海域で、目的地の離島にむかうとき数日を要することだってままある。はじめは海や空の機微をみているのだが、しだいに飽きてくる。郵便船〝国光丸〟にはデッキから船倉にむかう順に一等室から三等室まであり、食堂は一等室と同じ階層にある。デッキに並べられた椅子に僕らは腰かけ、読書をするマリヤンや中島をスケッチしたものだった。

 沖縄県人入植者の島、子供が生まれなくなった不思議な島、日本人との混血児である妻の尻に敷かれた大酋長が、妻の妹に手をだし大騒ぎになったという島。また、ポンポン汽船で環礁の入り江をゆくとイルカに取り囲まれ揺らされて危なく転覆しそうにもなったこと。それから同乗した警部補がナポレオンという名前の非行少年が出港した船から海に飛び込んで脱走を図ったので追いかけて海に飛び込んでの大捕り物まであった。

 クサイ、ヤルート、ボナペ、トラック、ロタ、サイパンといったミクロネシヤの島々。そのうちのクサイ島のあるカロリン諸島は、ゴーギャンが描く油絵・南洋の島というよりは水墨画のようだった。そんなカロリン諸島のなかにはレロ遺跡というのがあって興味をひかれた。切石を積み上げた城郭、宮殿、墓所なんかがある。――島民にはこの滅亡文明に関する伝承というものがない。しかしミクロネシヤ人は概してアフリカ系なのだけれども、東にゆくほどに中南米大陸に栄えた文明、今の島民の肌の色からの判断だがマヤ・インカの系譜なのだろうか。戦後、十五世紀あたりの遺跡として周知される次第だが。

 一緒に遺跡を周った中島が、「十九世紀の画家ゴーギャンはフランス海外領土タヒチに渡って愛人をつくり子供を産ませたのですが、流行病で両者をいっぺんに失った上に、蓄えを食いつぶし生きる希望を失って自殺を図りました。しかし、上手い具合に隣人がみつけて一命を取り留め、『人間はどこからきてどこにゆくのか』っていう有名な絵を描き上げ代表作にします」といった。

 日本語と現地の言葉に堪能なマリヤンを助手に、僕は、土俗調査の成果をガリ版刷りの報告書としてまとめた。もともと美術学校の彫刻科で学んでいた僕だから、モチーフを捜していたわけだが、そっちよりもむしろ、内地では民俗学者様に祭り上げられてしまったのには苦笑させられるところだ。

 ミッドウェー海戦敗退からしばらくして、パラオが米軍機の空爆を受けるようになってくると、僕は、南洋庁の上役から内地帰還を命ぜられた。マリヤンとも別れることになった。すると内地ゆきの郵便船デッキで、同じく帰還を命ぜられた中島に出会った。

「土方さん、マリヤンをどうして一緒に連れてこなかったんです? 彼女は貴男を愛していた。察していなかったとはいわせませんよ」

「中島君、思うんだが、マリヤンは内地に馴染めない。僕はゴッホやゴーギャンみたいに壊れてゆく彼女をみたくなかったんだよ」

「土方さんはやっぱり貴族だ。内地だとマリヤンじゃ分不相応というわけですね」

 病弱なくせに、中島ときたら、やけに食い下がってくる。――伯父が軍人で武勲によって伯爵となり、その恩寵で僕は貴族の端っこにぶら下がっている。無爵貴族。伯爵家一門というだけのお坊ちゃんという揶揄が入っている。こちらの口は重くとも世間の口は軽く、中島の知るところとなっていたというわけだ。

 一九四二年、内地帰還した中島は念願の文壇デビューしたものの同年のうちに没した。戦局がましだったころ、マリヤンから僕宛の手紙を何通か受け取った。どれも中島の容態を気づかったものばかり。

 たぶん、彼女は……。

     了

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