第三話 バイバイ天界
「はあ」
神の任命式から数万年ぶりの大仕事にさすがの俺も疲れてしまった。
肩を回したり、肩を叩いたり、肩をもんだりするが疲れは取れない。
ふむ、ニート神様と言う名も伊達ではないということだろうと妙に納得してしまう。
そんなこんなで俺は自室に帰ってきてからというものずっと机に突っ伏している。
ミハエルでさえいつもより気が抜けた声で、仕事をするよう促す。
「早く準備しなくてはカサエルが来ちゃいますよー」
そう言うミハエル自身も休暇を取るための書類を書く手を休めている。
まあ、結局二人ともニートだった訳だ。
言い訳する気力すらわかない。
「大丈夫だ、多分。今日は来ないように言っといたから」
「いえ、彼は一日は前に集合場所へ来るという変態なので、明日って言ったら今日来ます」
ミハエルはあくび混じりに書類を埋めていく。
なぜ平然としてられるのだ、それは変態じゃない、時間感覚の崩壊してる者だぞ。
そんな思いを飲み込み、やる気の出る言葉をやる。
「なら仕方ない……ミハエル、はやく書類を書き上げて、新しい世界での人物像考えるぞ」
それを聞き、少しぐったりしていたミハエルの目に輝きが戻る。
やはりミハエルと言えども異世界の魅力からは逃れられないようだ。
「ところで、カサエルってのは信頼出来る天使なのか?」
押し付けられた書類に目を通しながら話を振る。
選挙で決まったものをねじまげる独裁を披露する気は無いが、ミハエル以外の天使をろくに知らない俺としては気になるところだ。
「他の世界の神々や天使たちとの関係作りに長けている天使ですね。信頼できない天使は手を挙げていても私が候補者にしません」
ミハエルは書類の手をとめずに呟く。
なるほど、さすが転生担当というわけか。
「まあ……他の世界に対してすこしあくどいこともしてるようですが、それもこの世界のためなので問題ありません」
「あくどいことだと?」
「ええ。ですが大したことじゃないですよ、ちょーっと堕天使を使って裏事情詮索したりとかです」
ミハエルは人差し指を立て、口元に寄せる。
堕天使は本来天使からしたら忌み嫌われるべき存在である。
故に、あくどいかはさておき眉をひそめられるような行為であることは間違いない。
まあ、俺は割とどうでもいいと思っている。他世界の堕天使とか全く興味ないからな。
それがわかっていてミハエルは報告をしたのだろう。
「ま、その熱意を今度はこの世界の運営に向けてもらえれば俺は構わない」
「ですね、少なくともこの書類たちを任せ、この世界を運営していくだけの実力はあるのでご安心ください」
ミハエルは書類の端をトントン揃えながらウインクをしてみせる。
「む、終わったか?」
「ええ。アリグリット様も終わってますよね? 手が動いてませんし」
「もちろん。最低限はこなせるからな」
「でしたら、どの世界に行きたいか考えましょうよ。パンフレットはカサエルから貰ってきているので!」
ミハエルは目を輝かせながらパンフレットの山を取り出す。
同じ紙の山だと言うのに、書類の山とは輝きが違うな。
「くくっ、すっかりお前も乗り気だな」
「……否定はしません。あまり地上に行ったこともないので」
そうかそうか、と頷きつつ、俺は再び羽根ペンをとり、パンフレットに目を通していく。
「そうだな……やはり定番の剣と魔法の世界だな。異世界行ってニートやめてみた、みたいな?」
「ふむふむ、無難ですね」
ミハエルはそう言いながら、パンフレットの中から条件に合わないものを外していく。
……と、動きが鈍いぞ。
「どうした」
「……いや、よく考えたら天界でも魔法使えるではありませんか」
「ほう? 意見があるならはっきり言え」
「……わたしは近未来っていうのに憧れます。空飛ぶ車とか、市民カードとか上の者が下に落とされ、その街の異常に立ち向かうとかいいじゃないですか」
ミハエルが口を尖らせ異を唱える。
「いやいや、努力して魔法覚えて、魔物を倒す。この流れがいいんだよ。今の俺みたいに生まれた時から使えるなんてつまらないだろう? それに、近未来とかは設定覚えるのに苦労するしな」
気に食わないので一蹴してやる。
つまらんことを、片目でミハエルを見ると、すごい形相でこちらを睨んでいた。
「な、なんだ……」
「……そうですよね。生まれつき全ての魔法が使えるのは当たり前ですよね。そうですよね。全知全能のアリグリットさまですものね。そうですよね。今もなお少ししか魔法を使えない私は欠陥品ですよねぇ」
ミハエルはペン先をへし折りながら、早口でまくしたてる。
煽り耐性ゼロの俺を舐めるなよ?
「あ? 神に喧嘩売っていいと思ってるの? あと、ペン先折るな」
アリグリットはミハエルからペンを奪い、仕舞う。
煽り云々は関係なく、備品をむやみに壊されるのは責任者として見過ごせない。
「ちっ……」
「舌打ちをするな。その分お前は剣術に長けているのだからきにすることはないだろう?」
「……ともかく、アリグリット様は不便なのは苦手なのでは?」
フォローしてやったからか、ミハエルはいつもどおりに戻っていつもの俺の言い分をぶつけてくる。
根には持ってるな、面倒なヤツめ。
とはいえ、呼吸をするように魔法を使っている現状を考えると、ミハエルの発言も一理ある。
「……それとこれとは別だ。そう、別だ。特権は無くして純粋に楽しむ。不便さえ珍しいのだからいいんだ」
そう、不便さえ楽しめるのさ。
異世界ならね。
「そうですか」
ミハエルは諦めたように肩を落とす。
悪いな。
ミハエルが話に一区切り付けた時、部屋にノックの音が響く。
俺はドアの方をチラ見して答える。
「誰だ?」
「どうぞ」
俺の怪訝な声と、ミハエルの許可の声が被る。
む、神に声をかぶせるとは何事だ、とミハエルを睨むも華麗にスルーされる。
この程度で機嫌を悪くしたりはしないという信頼はいいのだが、少しムカつくな。
ノックした相手はミハエルの声が聞こえなかったのか、またノックする。
「誰なんだよ」
次はミハエルが返事する前に聞く。
それには答えずミハエルは人差し指を口の前で立ててから答える。
黙れということらしい。
「どうぞ!」
やっとミハエルの声は届き、かしこまった様子でカサエルが入ってくる。
そして跪く。
「アリグリット様、神代理の任命を受けに参りました」
「あ、ああ……」
俺はミハエルの近くに寄り、小声で囁く。
「おい、本当に今日来てるじゃないか。こんなに時間守れないやつに任せて大丈夫なのか……?」
「逆に遅れることは絶対にないので周りが困るだけです。大丈夫です」
「……ふむ、それもそうか」
カサエルも怪訝な顔をしていることだし、俺は頷き、ミハエルから離れ、カエサルに向き直る。
「よし、これから留守の間頼むぞ。ミハエル!」
「はい、アリグリット様! ごめん、カサエル」
ミハエルに書類を持ってこさせる。
まるで山のようなので、ミハエルはワゴンのようなものに載せて持ってきた。
さっきこなしていたのは必要最低限の書類でしかないという訳だ。
その量にカサエルは目を丸くしている。
「これはアリグリット様がためにためた書類です。これからアリグリット様と私、ミハエルは異世界旅行へ行きます。だから手続きをお願いいたします」
カサエルが口を開こうとするが、ミハエルが畳み掛ける。
そして、その勢いでミハエルは休暇届けをカサエルに押し付ける。
まあ、神代理になった地点でこの書類の山は回避できないから、我慢して欲しいところだ。
「……はあ、分かりました。神ですから仕事も多くて当然ですよね」
カサエルはしばらく硬直していたが、間接的とはいえ、長い間アリグリットのむちゃぶりに付き合わされてきた身なので諦めがよい。
「うむ、理解が早いヤツは悪くない。権限については微々たるものだが、俺が居なくなった瞬間にお前に移るようにしてある」
「お心遣いに感謝致します」
跪いたまま、カサエルは頭を垂れる。
そう、本来天使どもは神にこう対応すべきだと言うのにミハエルのやつは……ったく。
「顔を上げろ。もう特に言うこともないからさっさとやってくれ」
「かしこまりました」
休暇届けに目を通しながら、カサエルはテンプレートのセリフを述べる。
転生業界ではお決まりらしい。
「……それでは転生しますか?」
ミハエルはそれに待ったをかける。
「いや、転生ではなく、魂をほかの人間に入れるにと言った感じでお願いいたします」
カサエルは首をかしげ、合点がいったように頷く。
「魂移しということですね」
「ああ、そうだ。行き先はここで頼む。あと、チートのない貴族にして貰えると助かる」
俺は先程ミハエルと共に取捨選択したパンフレットを差し出す。
そこの神は俺の知り合いでもあるし、まあ拒否でないだろうしな。
「…………ほう? 分かりました」
カサエルは愉快そうに口の端をあげる。
魔法無しの俺を様子を想像したのだろうか?
「で、ミハエルは? なにか要望は」
ミハエルとカサエルはほぼ同期なので敬称略だ。
ほぼとはいっても千年くらいは違うが。
ミハエルは少し考えてから薄く笑う。
「私はアリグリット様を監視できるなら何でもいいです。あ、人型でお願いします」
「ミハエルくん怖い」
俺がストーカーされる恐怖を感じている間に、カサエルは手を掲げ詠唱をはじめてしまう。
詠唱が進むにつれ、足元に複雑な魔法陣が刻まれていく。
俺が興奮を抑えるため、カサエルの詠唱を解析していると、落ち着きのないミハエルが目に映る。
くくく、なんだかんだ言って楽しみなのではないか……
おっと、詠唱ももう終盤だな……む?
詠唱完了、カサエルはニヤリと笑う。
「それではお楽しみ下さい。剣と魔法の世界を!」
その瞬間、俺たちはとてつもない光と共に完璧にこの世界から消えた。
ここまで改稿済みです。