その4
さて。
そうして時間はさかのぼった。
いや、進んだのかも知れないけれど、世界が終わるまでにはもう少し余裕があった。
なぜならここは、佐倉八千代が通う大学の講義室で、彼女はいま、夢の中にいたから。
そう。
彼女はめずらしく、大学の講義中に居眠りをしていた。
が、しかしそれは、それほどまでに誰かあるいは何かが、事態の切迫を重く見ていたからなのかも知れない。
そう。
そのため彼女は現在、いつも訪れる大きな公園の中にポツンと立っていた。もちろんひとり、夢の中で。
《壁》はまだ現れていなかったけれど、公園にひとの姿は見えなかった。
花も緑も、いつもどおりに美しかったが、鳥たちの歌は聞こえて来なかった。夏の風が、彼女の背中を押した。
野外ステージの前をとおり、けやき広場へと向かった。主人のいないアイスクリームカート、ラジオのドラマーはテンポが狂っていた。
彼女のこころは傷つき、自分の犯した罪にそれはそれはえぐられたままだった。大きな不安と予感。彼女は歩みを速めた。
ちいさな横断歩道を渡って、公園の西側へと入った。誰もいない野球場、ガランとしたテニスコート。
郵便局前の通りにもやはりひとの姿はなく、代わりに、何台かの車輛が、動かず、乗り捨てられたように止まっていた。学校やバイト先、家で待っている両親の顔が頭に浮かんだ。
浮かんだが、しかしそれでも彼女は、背中を押す初夏の風に、何故か、彼女の知るある人物、石橋伊礼のもとへ、彼の事務所へ向かうことにした。彼女は考えた。
彼ならばひょっとして、この事態を“報されて”いたかも知れない。
そう。
そうして実際、彼は報されていた。
いや、本当は託されていたのかも知れないけれど。世界が終わるまでの一部始終を。なぜなら彼は、それを受け取ることが出来たから。
が、しかしそれらの預言は――本来、時間も空間も不連続的かつ任意的であるため――あまりにランダム的かつ痙攣的かつ行き当たりばったり的に彼の下へと落ちて来て、それを夢に見、受け取ったはずの伊礼にとってすら、それが果たしてなにを意味しているのか、はっきり分からないこともよくあった。
『すべてのお話は、
すべてホントに起きること。
すべてのお話は、
すべてホントに起きたこと。』
そう。
実際それは、起こってみてはじめて理解出来るものばかりであった。親しい友人の死や、約束の地での虐殺、分かれ道でどちらに向かうべきなのか、等々。
そう。
これはつまり、別の言い方をすれば、その預言の大半が実は役に立たないものばかりであった、ということでもあった。ひょっとすると、託す側の伝達機構が老朽化し過ぎているのかも知れないし、あちらはあちらで、資金繰りに苦労しているのかも知れなかった。
なので、と言うか、それでも、と言うか、石橋伊礼はノートを取った。自分でもなにが重要でなにが重要でないかも分からないまま、結局それが役に立たないかも知れないと想いながらも、まれになら役に立つ預言もあったし、と言うかそれ以上に、「これは報せておかなければ」という“託す人たち”の切迫感が、それらメッセージのコンテンツではなくフォーム、文勢から読み取れたから。
『すべてのお話は、
すべてホントに起きること。
すべてのお話は、
すべてホントに起きたこと。』
なんだか子守唄のようにも聞こえたが、それでも彼はペンを取った。
ノートを開き、昨夜夢見た世界の終わりをそこに記した。
いつもと違う手応え――まるで別の誰かが夢見た未来の記憶のような調子っぱずれさ――をそこに感じた。
が、それでもなにか時間と空間のヒントになるものがないか? と、いつもするように。その夢をつぶさに想い出しながら、その時間と空間に、すでに自分はいないであろうことなど、気付きもしない様子で。
(続く)




