第12話 『マリカスで最も高価な宿』
「エレノアさんって言うんですね、よろしくお願いします。でもそれより、契約の文章ってそんな感じで良いんですか?」
グレイシャルが知っている限り、契約書と言うのはもっと小難しい単語や言葉を使う筈である。
少なくともカールの書類はそうだ。
だから、エレノアが書いている契約書が本当にそれで良いのか疑問に思った。
エレノアは愉快そうに笑いながらグレイシャルに答える。
「本当はもっとちゃんとしないといけないんだけど、こういうのって要はね。お互いが合意してサインすれば、文章なんか適当でも良いんだよ」
『本質的にはそうなんだけど、実際そうは行かないのが社会の難しさだけどね』と、最後に付け加えた。
「よし、これでサインしてっと……。出来た! 次は君達の番、どうぞ」
エレノアはペンと紙をグレイシャルに渡す。
グレイシャルは軽く礼を言って受け取った。
だが、問題が一つ。
何処に名前を書けば良いのか分からなかったのだ。
カールの仕事を近くで見ていたことはあったが、自分で処理していた訳では無い。
だから分からなかった。
エレノアはそんなグレイシャルを見て、咄嗟にグレイシャルのペンを持つ手を上から包み込む様にして、自分の手で支えた。
「良いかい? 契約書はここに名前を書くんだよ」
身体をグレイシャルに密着させるエレノア。
彼女の胸が丁度耳に当たっているので、鼓動が耳に聞こえてくる。
どこか落ち着く優しい音がした。
それから良い匂いが――
「こら、聞いてる?」
エレノアに頭を撫でられる。
グレイシャルはその感覚でハッとする。
「ごめんなさい! ボーッとしてました、何処に名前を……ってアレ、もう書いてある?」
そこには既にグレイシャルのフルネームが書かれていた。
いつの間に書いたのだろうか。ボーッとしている間に書いたのだろうか。
それからミスがないか契約書を見渡すと、そこにはエレノアの本名が書かれていた。
「エレノア・アルカロード?」
「んー? あー、うん。私の本名だね。恥ずかしいから口に出さないでよ」
「恥ずかしい? こんなに美しい名前なのにですか?」
エレノアは少し恥ずかしそうに笑った。
「君は将来、女の子にモテるだろうね」
「え、どうしてですか?」
「おいおい、終わったんなら早く俺にも書かせてくれよ。ヤスもあそこで寂しそうに待ってるからよ」
オーディスが二人の会話に混ざりヤスを指差す。
エレノアとグレイシャルがオーディスの指の先を見ると、そこには椅子に座って虚ろな表情で何かをブツブツ呟いているヤスの姿があった。
「あー……。うん、そうだね。早く終わらせよっか」
「書けたのでオーディスさんどうぞ」
グレイシャルは契約書をオーディスに渡す。
オーディスはそれを受け取るとパパパッと自分の名前を書いてエレノアに渡した。
エレノアは一通り目を通すと「うん、これなら大丈夫」と言ってその契約書を受付の女性に渡す。
受付の女性もそれを当然の様に受け取った。
「なんで受付に?」
グレイシャルが聞くと受付の女性が答える。
「ギルドではお金の貸し借りや財産の譲渡と言ったのは日常ですから。こうやって我々が間に入ることによって、トラブルを少なくしているんですよ」
「「へー」」
オーディスも聞いていたのか声が被った。
それはそうと、これで金銭の受け渡しをする準備が整った訳である。
エレノアは内ポケットから一枚の装飾の施された紙を取り出した。
その紙には『クロード王国』と書いてあった。
「金額はそうだなあ、一週間分くらいでいいかな?」
「一週間? 何がですか?」
「んー? 君達に渡す金額。三人で一週間は暮らせる分で良いかなって」
「え?」
元々、エレノアは冒険者登録に必要な分の手数料を肩代わりしてくれるという話だった筈だ。
それが何故、一週間も渡す事になっているのか。
「えーと、もともと登録手数料をくれるって話だったと思うんですが……。エレノアさんはどうしてそこまでしてくれるんですか?」
エレノアはしばし考える素振りを見せてから答えた。
「だって元々、私が君達の仲間のサムライ君から財産を没収しちゃった訳だしさ。これくらいは当然だよ」
そう言われればそうなのだが、どうにも釈然としない。
「ですが、それは元々ヤスさんが――」
「まあまあ! くれるって言うんだから貰っとこうぜグレイ! な!」
エレノアに追求しようとするグレイシャルに、オーディスが勢い良く肩を抱いて話しかけて来た。
その光景を微笑ましそうにエレノアは見ている。
「君達は本当に仲が良いんだね。真面目過ぎるグレイシャル君を、適当なサムライ君とオーディス君が良い感じ支えるってチームかな」
「エレノアさん、多分逆です。少なくとも今のところは僕が頑張っています」
「はー? グレイちゃんよお、照れてんのかよ? このこの」
オーディスがグレイシャルの頬を餅の様に両手で伸ばす。
グレイシャルはされるがままだ。
「ははは。まあ、それはそうと取り敢えずどうぞ。一週間分しか無いから、その後は自分達で稼ぐんだよ?」
エレノアはそう言うとグレイシャルに小切手を手渡す。
グレイシャルをそれを両手で受け取り、エレノアに頭を下げた。
「本当にありがとうございます」
「良いって良いって。それよりもそれ使って登録しちゃおうか!」
そう言うとエレノアは、先程自分が渡した小切手をグレイシャルから取り上げ、受付のカウンターの上にバンと置いた。
「これ、この子達の冒険者カード代。余りはそうだね、グレイシャル君の口座に全部入れておいてあげてね」
受付の女性はそれを笑顔で受け取った。
「畏まりましたエレノア様。グレイシャルさん、オーディスさん。冒険者カードの発行までしばらく時間がかかりますので、それまで自由にお過ごし下さい。1時間程で出来上がります」
「分かりました、ありがとうございます」
「やっと終わったでござるか」
気がつくとヤスが真後ろに立っていた。
ヤスは余りにも暇だったのか、本当に感情が消えかかっているかの様な顔をしている。
「あー、終わったぜ。でもカード出来るまで1時間かかるから時間潰して来いってさ。どーしたもんかねー」
何かすることを探す為にオーディスが周りをキョロキョロと見渡す。
すると、ふと目に入った文字が彼の意識をそれに集中させた。
オーディスは壁に飾ってある額縁に近づく。
「どうしたんですかオーディスさん?」
グレイシャルとヤスと、何故かエレノアもオーディスの側に寄って来た。
額縁の中には、歴代の青級の者の名前と称号が古い順に書かれている。
当然、その中には『バジリスク』の名前もあった。
「バジリスク……」
オーディスが呟いたその言葉を聞いたグレイシャルも苦い顔をする。
自分の親や友を殺した存在の名前が、こんな所に堂々と飾られているのが気に食わない。
だが、だからと言ってどうすることも出来ない。
「ん……? なんか、僕の知らない名前がある……?」
グレイシャルが額縁の下の方、つまり最近青級になった者の名前を見る。
記憶が正しければ青級は現在10名しか居ない筈だ。
四年前に倉庫でチラッと本で読んだので憶えている。
だが、そこには自分の知らない名前が二つ追加されていた。
「『剣豪』アズマ・ヤスムネと『弓聖』アズマ・イグサ……? 誰ですか、これは」
「相変わらずすげー名前だな、お前の国の奴は」
グレイシャルとオーディスがその名前を指差しヤスに聞く。
ヤスが一歩前に出て、二人の間に入って話し出す。
「東安宗と東藺草は、同じく青級の東正海の弟と妹でござる。あと、オーディス殿以外は知っていると思うが、拙者達の名前は『家の名前の後に』自分の名前が来る。グレイシャル殿達とは逆でござる」
「へー、そうなんだ。道理で『ヤスと呼べ』って言ってた訳だ。わざわざ家名を呼ばせる変な奴って思ってたけど違うんだな」
「拙者が変な奴というのは認めるが、家族を変呼ばわりはしないように。堪忍袋が破裂するでござる」
「お? なんだ? お前も家族ラブか? 奇遇じゃねえか」
「『も』……? もしや、オーディス殿も?」
オーディスは無言で手を差し出す。
和解、及び友情を誓い合う為に。
ヤスは差し出された手を力強く握りオーディスの事を見つめ、オーディスも同じ様に見つめ返す。
家族を大切にする者同士、打ち解けあった瞬間だ。
二人が情熱的になっている間、グレイシャルはエレノアに質問していた。
貴族だから大抵のことは知っているだろうと考えたからだ。
「家族で青級ってことは、もしかして。この四人も家族ってことですか?」
グレイシャルが指を差した部分を、エレノアは腰を少し曲げて見る。
そこに書いてあった名前を読み上げた。
「『青の剣ルウィン・レアヴィタム・シルバーアーク』『青の拳ライウッド・レアヴィタム・シルバーアーク』『極光エリザベス・レアヴィタム・シルバーアーク』『断影剣ネフェリ・レアヴィタム・シルバーアーク』ねー。うん、そうだよ。この人達はみーんな家族」
「そうなんですね。あれ、でも『シルバーアーク』ってクロード王国の公爵領と同じ名前の……」
料理をしながら昔サレナに教わった気がする。
それに世界地図は見ていて面白かったので、その後父に頼んで何度も見た事があった。
「よく知ってるねグレイシャル君。その通り、この人達は公爵家の一員だ。ルウィンが公爵で、ライウッドがルウィンの兄。エリザベスとネフェリはルウィンの娘なんだ」
エレノアが何故か楽しそうに話している。
彼女ももしかしたらクロード王国の出身なのかも知れないと、グレイシャルは何となく思った。
「でも、すごいですね。一つの家から青級が四人も出るなんて。エリートの家系ってこういう事なんですかね」
「当然と言えば当然だけどね。レアヴィタム家はずーっと遡ると雷神トルーマに行き着くし、彼等はその直系の一族の中でも、トルーマの三兄弟の中で長男に当たる家系だから。受け継いでる魔力もセンスも半端じゃ無いよ」
「はえー……」
一気に壮大な話になったのでグレイシャルが驚きの声を上げる。
「なあなあ、レアヴィタム・シルバーアークって言う名前なら、普通はシルバーアーク家って言うだろ? なんでレアヴィタム家になるんだ?」
会話に混ざってきたのはオーディスだ。
彼はヤスと肩を組みながらエレノアに話しかけた。
もう、すっかりヤスと仲直りしたし仲良しだ。
共通の大切な物があると、人間関係は上手くいくという良い例である。
「んー、それは本当にすごく長い話になるから話せないけど、この一族は特殊でね。元々レアヴィタムが家名で、その後にシルバーアークって貴族名が付いたからだよ。もっと詳しく話してあげたいけど――」
エレノアがズボンのポケットから懐中時計を出した。
とても気品のある、貴族に相応しいと思える出来の時計だ。
彼女は「ふむふむ」と言いながら時刻を確認すると、再びポケットに仕舞った。
「ごめんよ、あと2時間くらいしたら私は帰らないといけないんだ」
「そうですよね、仕事でこの街に来てるだけでしたもんね。僕達の方こそ色々ありがとうございました」
グレイシャルは礼を言いつつ右手をエレノアに出す。
握手をしたかったのだ。
だが、エレノアは……。
「君は本当に礼儀正しいね! 良い子良い子!」
「ちょっと! や、やめ……!」
と言い、グレイシャルに抱きついて頭を撫でていた。
エレノアの所為で性に目覚めかけてしまっていたグレイシャル。
「そこまででござる。それ以上は教育上よろしく無い」
「お? おお?」
ヤスがグレイシャルに抱きついているエレノアを引き剥がす。
保護者その2だ。
「はぁ、はぁ……。次からはそういう事止めてくださいよ本当に!」
「えー? でもちょっとだけだよ?」
「いいですね!」
「はーい」
グレイシャルに強く言われて仕方なくエレノアは引き下がる。
そして、エレノアは唐突に何かを思い出したかの様に手を打った。
「そういえばグレイシャル君達は泊まる所とかもう決めてるの?」
純粋な疑問からの質問。
三人は顔を見合わせて一斉に首を横に振った。
「そうなんだ。じゃあさ、私が泊まってた宿にしない? 結構広いから三人でも大丈夫だと思うよ?」
「えっ。でも、エレノアさんが泊まるくらいですから。結構高いのでは……?」
先程彼女は自分自身で『そこそこの階級の貴族』と言っていたのだ。
安宿には止まらないだろうと、グレイシャルは予想した。
そして、それは的中する。
「うん、高いよ。高級宿だからね。でも大丈夫、それとは別に私が宿代は出してあげよう」
「え? でもそんなむぐぅ!?」
グレイシャルが断ろうとした矢先、グレイシャルの口をオーディスが両手で覆った。
彼は自分の口をグレイシャルの耳元に近づけて言う。
「おい、バカ! 良い所に泊まらせてくれるって言ってんだから素直に受け入れろよ!」
グレイシャルが足をバタバタさせて抵抗させていると、ヤスがエレノアに話しかける。
「かたじけない。それではお願いするでござる。早速で悪いが案内してはくれぬか?」
「おっけー。着いておいで」
そう言うとエレノアとヤスは外に向かって歩き出す。
ようやくオーディスがグレイシャルを放すと、グレイシャルはオーディスに怒っていた。
「何で勝手に決めちゃうんですか!」
「まあまあ、たまには俺にも決めさせてくれよ」
「いやでも、現世では僕の方が先輩で……」
「ほーん? でも、お前より先輩のヤスも俺と同じ考えだったぞ?」
「っ……。それは」
そう言われてしまっては何も言い返せない。
オーディスはグレイシャルの肩に手を置いて一言。
「俺達の勝ち、な? 多数決だぜ」
グレイシャルは肩を落として溜息を付く。
「分かりました、もういいです。僕の負けですよ。そんなことよりもヤスさん達を追いかけましょう。二人を見失ったら結局野宿ですからね」
「そうだな、じゃあ行こうぜ」
二人は額縁を後にして冒険者ギルドの外に向かう。
幸いにもエレノアとヤスは外で待っていてくれたので、一緒に行くことにした。
何日間泊まれるかは分からないが、自分達の拠点をどうにかするまでの繋ぎの宿に。
――――
三人はエレノアに着いて行く。
冒険者ギルドから歩くこと5分ほどでエレノアの泊まっている宿に着いた。
その『高級宿』は見た目からしてかなりの物だった。
横の大きさは冒険者ギルドと同じくらいだが、何よりも縦が違う。
ギルドが二階建てなのに対してこちらは『地下を含め無い』五階建てだ。
窓は大きく、壁の至る所に彫刻がなされている。
そして庭も付いている。
かなり高額・高等な宿だろう。
だが、外だけでもすごいのだが中はもっとすごかった。
とても大きな広間に高い吹き抜け。
床は全てが大理石だし、一部にはアズマの国の木材が使われている。
等間隔で芸術品も置かれており、宿と言うより美術館にすら思えた。
「ここが私の泊まってる宿だよ」
エレノアが三人に振り向いて「どうだ!」という顔をしている。
グレイシャル達は三者三様、それぞれの反応を示す。
「何というかもう、すごいですね」
「富豪でござる」
「飯食えんの?」
オーディスだけが眠そうに欠伸をしながら聞いていた。
彼は野宿じゃなければどこでもいいのだろう。
エレノアはクスッと笑いながらオーディスの質問に答える。
「うん、勿論食事も風呂代も宿泊費の内だよ。それよりも君達のこと、宿の人に伝えに行こっか」
エレノアがそう言うとフロントに向かったのでグレイシャル達も付いて行く。
が、フロントには誰も居なかった。
なのでエレノアは置いてあるベルを高速で連打する。
すると奥から鬼の形相で、とても豪華な服を着ている人物が出て来た。
「こら! またイタズラしてるのか坊主……ってエレノア様!? 申し訳ありません! 最近よくイタズラしに来る子供がいまして!」
「はは、別に気にしてないよ。それよりもさ、私今日で帰るって話だったでしょ?」
「えぇ、今日でトルマータに戻られると言っていましたし、台帳にもそう書いてありますね」
男は目の前にある台帳と、自分の記憶の整合性を確認する。
「うんうん、それでね。私が泊まってる部屋にこの子達をお客として泊めて欲しいんだ。勿論お金は払うよ? ダメかなー?」
反則級の美しさと可愛さを併せ持つエレノアが、ねだる様な顔で男を見る。
男はしばらく考えた後にグレイシャル達を見て、再びエレノアに視線を合わせた。
「既に次の予約が入っているのですが……。それも他の国の王族の方の。ちなみに期間はどれくらいですか?」
王族が泊まる様な所なのに、どうして子供がよくイタズラに来るのだろうとグレイシャルは思う。
「なあグレイ、偉い奴が泊まるの所なのに警備がザルなのエグいよな」
オーディスも同じことを考えてたのか、グレイシャルの耳元で呟く。
堪えきれなくなったグレイシャルはオーディスと一緒に口元を隠して笑いを堪えていた。
二人のことを受付の男は軽く睨むが、エレノアが話し出したので直ぐに目線を元に戻す。
「うーん、そうだね。一週間くらいでどう?」
「一週間ですか。そうですか……」
男は悩みながら台帳をペラペラと捲ったり戻したりしている。
その動作自体に意味はないが、自分の考えをまとめるには最適だからだ。
そして男は台帳を閉じ、深呼吸を一度してからエレノアに告げる。
「申し訳ありません。いくらエレノア様の頼みでも相手は王族、位的には『僅か』に王族の方達の方が上なので」
「えー! じゃあ他の部屋で良いよ?」
「他の部屋も今はいっぱいでして」
「そんなー! そこを何とかー! 頼むよマスターくーん!」
「本当に申し訳ありません。こればっかりは流石に私ではどうにも」
エレノアがマスターと呼んだその男は恐らく宿屋の主人だろう。
彼は本当に申し訳なさそうな顔をしていた。
エレノアに至っては、自分から「着いて来い、任せろ」という旨の発言をしたのにこれでは格好がつかないので、どうしても引き下がる訳には行かない。
「エレノアさん、無理そうでしたら僕達は別に野宿でも――」
「いーや、グレイシャル君! ここは私に任せてくれたまえ、なんとしても君達をこの宿に泊めさせてあげるから!」
エレノアはムキになっていた。
そしてその発言を聞いたマスターは首を凄まじい勢いで横に振っている。
「ちょ! 無理なものは無理ですって! エレノア様! 勘弁してください!」
「何が無理なんだい! マスターくんがダメって言うなら、私が直接話をつけてくるからその人達の所に案内してよ!」
「それは一番ダメです! 本当に、トラブルだけは勘弁して下さい!」
マスターの胸ぐらを片手で掴み迫るエレノア。
流石にマスターが可哀想だと判断したグレイシャルは止めようとするが、それよりも先にヤスが動いた。
先程までずっと黙っていたのに、何故このタイミングで動いたのか。
「エレノア殿。ここは拙者におまかせを」
そう言うとヤスはマスターを掴むエレノアの手を解く。
何か考えがありそうな顔をしていたのでエレノアは、
「はぁ……。わかったよ。じゃあ君に任せるから」
と言って、グレイシャルとオーディスの間に割って入る。
オーディスは「割って入って来んな」と言う顔で彼女を見たが、エレノアは謝ったのでそれ以上は何も言わないでおいた。
「えーと、あなたは見たところアズマの国のサムライですね? 申し訳ありませんが、いくらサムライの方でも――」
「ふむ、とりあえずこっちに来てくれ」
ヤスはグレイシャル達から離れた所まで歩き、自分の所に来るように言った。
マスターは首を傾げながらも、とりあえず話だけは聞いてやることにした。
二人はグレイシャル達に背を向けて話し始める。
「先程も申し上げた通り、いくらサムライでも――」
「これを見てもまだ、同じことが言えるでござるか?」
ヤスはそう言うと懐から何かを取り出してマスターに見せる。
それを見たマスターは驚愕し、狼狽え始めた。
「えっ……!? そんな、まさか。じゃあ貴方は……。いえ、貴方様は……」
「シー! 声がでかい! シーでござる!」
ヤスはマスターを黙らせる。
その後の会話はかなり小さい声で話していたので三人には聞こえて来なかった。
2分程経ち、ヤスとマスターが戻って来る。
マスターはグレイシャル達に深く頭を下げ、話し始めた。
「先程のご無礼をお許し下さいエレノア様! まさかヤス様とお知り合いだとは思わず……! 先に予約していたサラディオンの王族の方には私の方から断っておきます。一週間、どうぞ我が家だと思ってお過ごしください!」
いきなり態度が180度変わって三人は驚く。
「え? いきなりなになに? 泊まる予定だった王族ってサラディオンの人だったの? ていうか、ヤス君ってもしかしてすごい地位が高い?」
「いや、そんな事はないでござる。詳しくは言わぬが、マスターと拙者は友達なのだ。そうであろう?」
ヤスがマスターに同意を求める。
マスターは背筋をビシッと正し、大きな声で返事をした。
「サー!」
「と言うことだ。さあ、エレノア殿。部屋への案内、よろしいか?」
イマイチ腑に落ちないがまあ、泊まれるなら何でもいいかとグレイシャルとオーディスは思った。
シンプルに腹が減ったし疲れたのだ。それに、知らなくても特に問題は無さそうだともた。
「うーん。良く分からないけど、まあいいか! さ、案内するから行こう。私の部屋は五階だから少しだけ上るよ」
エレノアも考えるのが面倒だったので「まあいいか」で済ませることにして、自分の泊まっていた部屋に歩き出した。
三人はエレノアに付いて行き螺旋階段を上る。
目的の部屋に行きながらエレノアは宿の説明をした。
「言ってなかったけど、この宿の造りとしては一階が受付と食堂。二階が宿で働く人の部屋とかお風呂。三階より上が全部、宿泊用。ちなみに大きな浴場が三階にあるよ。結構気持ち良かったからおすすめ」
「む? 混浴でござるか?」
「冒険者が多い街でそんな事したら犯罪が増えるよ……。お世辞にもマリカスは治安が良い所じゃ無いから気をつけてって言いたいところだけど」
エレノアはグレイシャル達を見て笑う。
「まあ、君達なら大丈夫でしょ。喧嘩売られたり襲われたりしても返り討ちに出来そうだしね」
「おう、多分な。でもまあ街は壊しちゃダメらしいから手加減しねえとなのが辛ぇーー」
「オーディスさん、火事だけは止めてくださいよ?」
「分かってるって。だからそんな目で見んなよ!」
オーディスは笑いながらグレイシャルの頭をわしゃわしゃと撫でる。
撫でるには丁度良い高さだからだ。
さて、そんなことをしていれば直ぐに五階まで辿り着いた。
階段から少しだけ廊下を歩いた所でエレノアが止まる。
「着いた。ここだよ、私の泊まってる部屋は。まだちょっと片付け終わって無いから服とか散らかってるけど、あんまり見ちゃダメだよ?」
エレノアはそう言って部屋の扉を開ける。
部屋の中は宿の外観やロビーとは違い質素な物だった。
だが、飾らない美しさという言葉もある様に、質素だがどこか威厳を感じる部屋の内装である。
広い部屋には、本棚・机・ソファー・テーブル・四人分のベッド・バルコニー・トイレ・風呂と言った基本的な物に加えてキッチンなども付いており、どういう訳か畳の部屋もあった。
ヤスはそれを見てうんうんと頷く。
だが、部屋の中は彼女の言う通り散らかっている。
床には酒の瓶が転がっていたり、ベッドの上には脱ぎ散らかした服が乱雑に置かれていたりした。
「おー? んだこの薄い布はよー」
何やら興味深いものを見つけたオーディス。
彼はベッドの上に置いてあるそれを手で摘み、取り敢えず匂いを嗅いでみた。
するとその布は芳しい香りに満ちていた。
「わっ! ちょっと! 何してるのオーディス君! あんまり見ちゃダメだって言ったでしょ!」
エレノアは急いでオーディスの近くに走り寄り、彼が手に持っていた布を奪い取る。
彼女は顔をとても赤くして泣きそうになっていた。
何故ならそれは、エレノアのパンツだからだ。
オーディスは女性物の下着を見たことはあるが、それは随分と前のことなので、今自分が持っている布が何なのか分からなかった。
悪気は無いのだ。
「オーディス殿。女性の下着を盗むのは如何なものか……」
ヤスに咎められたオーディス。
だが、そのヤスは鼻血を垂らしていた。
「ヤス君、君も大概だからね! グレイシャル、君はこうなっちゃダメだよ!? いい!?」
「あっ、はい。分かりました」
グレイシャルも女性の下着にいくらか興味はあるが、ヤスの様になりたくなかった。
エレノアは急いで、散らばっている下着や服を大きな鞄の中に仕舞い始める。
そしてグレイシャル達に、
「今から片付けるから部屋の入口で待ってて! 絶対来ちゃダメだよ! 来たら本当に怒るからね!」
と言って、自分の荷物の片付けをし始めた。
――――
それから数十分。エレノアはあーでもないこーでもないとブツブツ呟きながら、ゴミとそうでない物を分けて帰りの支度を終わらせた。
「やっと終わった! ごめんね待たせて! 多分丁度良い時間だからギルドにカード取りに行こっか! ゴタゴタしたお詫びにご飯も奢るよ!」
彼女の提案は嬉しいものだった。
だが、時間は平気なのだろうか?
「それは本当に嬉しいんですが、もうすぐトルマータに帰るんですよね?」
トルマータとはクロード王国のシルバーアーク公爵領にあり、その領の最高権力者でもあるルウィン・レアヴィタム・シルバーアークが治める街だ。
彼は公爵であると同時に青級剣士でもあり、とても有名である。
先程のマスターとの話でエレノアはそこに帰ると言っていた。
そんな有名人が治める街で『そこそこ偉い貴族』ということは、もしかしたら彼女は公爵家の人間なのかも知れないとも思った。
だが、それは直ぐに「無いな」とグレイシャルは思った。
何故なら、彼女の名字が『アルカロード』だからだ。
エレノアはグレイシャルに答える。
「うん、そうだよ。でも少しくらいなら遅れても平気だから」
「いや、知らねえけど船の時間とかあるんだろ? ダメじゃねーの?」
オーディスも会話に混ざって来る。
現世に疎い彼でもそれくらいは何となく想像がつく。
エレノアは手を左右に振って、オーディスの言葉を否定した。
「いやいや、船には乗らないよ。それじゃあ家に着くまで時間がかかりすぎるからね」
「ならどうやって帰るのでござる? 拙者達の様に海を走るのか?」
「えっ、君達サムライって海の上を走るの? あっ、そういえば昔走っていた様な気が……。おっと、話が逸れる所だった。私は転移の魔術が使えるから、トルマータまでそれで帰るよ?」
「「え」」
グレイシャルとオーディスは同時に驚いた。
片やホルムに、片やベルフォードに転移の魔術について説明をされた事があるから分かる。
人間を輸送する転移の魔術は『尋常ではない』難易度の魔術であると。
そして今、エレノアはそれを使用して帰ると言った。
本当にこの女性がヤスをボコボコにしたとは思えなかったが、それを聞いていよいよ、信じざるを得ない。
魔術師の階級で言えば『青級』にすら匹敵する。
それ程までに人を転移させるというのは難しい事なのだ。
だが、そんな事を知らないヤスは「そうなのか」と頷き、
「で、あるならば。好意に甘え、拙者達は馳走に預かるとしよう! グレイシャル殿、オーディス殿! 行くでござるよ! いざー!」
片方の腕でそれぞれグレイシャルとオーディスと肩を組み、扉の外に歩き出した。
「ちょっと! ヤスさん苦しいです!」
「首締めるんじゃねえよバカ!」
「あ、こら! 君達待ちなよ! どこで食べるかは私が決めるから!」
エレノアはまとめた荷物を背負い、背負いきれなかった物は両脇に抱え、三人を追いかけた。
螺旋階段でようやく追いついたエレノア。
彼女はすごい量の荷物を持っているにも関わらず、息を切らしていなかったし、汗の一つもかいていなかった。
「やっと追いついた! よし、それじゃあ行くよ! 私に付いておいで!」
エレノアは元気よく、そして楽しそうに人差し指を目的地の方に向けて言った。
「ご飯食べる場所は冒険者ギルド! 丁度カードも出来てるだろうから一石二鳥! さあ、行くよ!」
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長すぎるからまた分割。
次で多分終わるかも。
ちなみにこれもペイントソフトで作った。




