裏
最初は純粋な願いだった。
誰かを助けたい。そんな当たり前の、それでいて尊い少年の願い。他の人と違うのは、その力を持っていたこと。
一桁の少年は勇者となった。人類で唯一人、魔王を倒す定めを持つ者。その日から少年が戦い始めた。地獄の始まりだった。
世界中からのバックアップがあるはずなのに厳しい戦いが続く。物資が足りなくなるのはしょっちゅうだ。最初は気にもしてなかったが。
ある程度成長し知恵が着くと勇者は不審に思った。勇者の支援の食料がパンと水だけというのも変な話だった。調べるとすぐにわかった。国が中抜きしていた。利用されていたのだ。
不正の証拠を見つけ、それを見せた。もうやめて欲しいという気持ちを込めて。何故かその日その国は滅んだ。他の国が弾圧していた。被害にあったのはその国の民達だ。
更に証拠を探した。勇者支援を表明している全ての国の不正の証拠を見つけた。悲しいを通り越して情けなかった。
だが、民達の事を考えたら何も出来なかった。何もしらない民達は自分を応援してくれている。尊敬してくれている。
だからそんな状況でも戦い続けた。むしろ支援を受けない方が楽に戦えた。わずかな支援の為に一々寄り道するのに手間だと今更気づいた。
魔族に恨まれた。当たり前だった。それでも戦い続けた。正直何をしているのかわからなくなっていた。
でも生き方を変えられなかった。少年は他の生き方を知らなかった。
そして、魔王のいる城にたどり着いた。たどり着いてしまった。
魔族の寿命は長い。そして、成長の速度は決まっていない。早い者は一切で成人し、遅いものは百年経っても肉体が小さい。
その者は肉体は既に大人のモノだった。だから、彼の精神が成長していなかったと気づいた者は誰一人いなかった。
力は魔族の中で最も強く、魔王を使えば術者がひれ伏す。己を律し、魔族の成長と繁栄の為に尽くすことの出来る者。
誰も文句無く、彼は魔王となった。ただし彼の精神は幼稚だった。彼のしていることは自分の意思を無視して機械に徹することだった。
それが彼にとっての当たり前だった。他を知らなかったからだ。
一つ大きな問題があった。何でも出来てしまったことだ。
少しでも効率よく魔族を発展させる。その為に魔王は働き続けた。人事から戦略まで、ありとあらゆる政務を自分で行った。
部下に任せるより自分の方が効率がいいからだ。そして、そんな魔王は尊敬を集めた。
出来ることを全て自分の手でしてきた。気づいたら睡眠時間は月で合計三時間ほど。休みの時間は年間でも一時間にも届かない。
そんな生活を数百年続けた。精神が磨耗しているのに回りはおろか本人さえも気づかない。
少しだけマシになったのは側近が就任した時くらいだ。
何故魔王様にこれほど過酷な労働を強いているのかと部下に怒鳴っていた。
この時初めて自分の生活が過酷だと気づいた。
だがそれだけだった。成長の機会は逃した。磨耗した心は未だ戻らない。
魂すら悲鳴をあげていた。
機会と化し魔族を最良に導く。そんな魔王の元に勇者が現れることになった。
魔王は部下をみんな下がらせた。どうせ無駄だからだ。自分が戦うのが一番マシだった。
それでも魔王は勝てる気がしなかった。心も体も磨耗してボロボロの状態。勇者はきっと万全だろう。
だがどれだけ計算してもボロボロな自分の方が部下より勝率が高い。
だから自分が戦う。その時に感情は無かった。死を目前としても、何の感慨も得られなかった。
そして、勇者エインと魔王ウルは出会った。
魔王城の玉座の間にて、種族の命運をかけた戦いが始まろうとしていた。
勇者の顔は疲れきっている。だが剣を構える。ほとんど感情らしい感情を失ったが初志だけは忘れてなかった。魔王を討つという勇者の使命。
魔王は玉座に座ったまま、勇者を見据えていた。
魔王は誤解していた。勇者は人に愛された幸せな存在だと思っていた。だがその顔はそうは見えない。まるで自分の鏡を見ているようだった。自分と同じように苦しんでいる。もしかしたら自分よりなお苦しんでいる。そんな勇者を魔王は見つめ続けた。何か不思議な感情が芽生える。
同情。憐憫。または同類への親近感。どれもあったがどれとも違う。不思議な感覚だった。
つらいようだが、そうでもない。相手のことをつい考えてしまう。この気持ちは何なのか。
碌な感情を知らない魔王は悩み、悩んだ末に答えを見つけてしまった。この気持ちは恋か愛だと。
そして、自分の始めての感情に流される。思い立ったら即行動。後先を考えるという機能は魔王から消滅していた。
「惚れた。私と一緒になって欲しい」
魔王の低音の効いた一言に勇者は理解出来なかった。
「何を言ってるのですか?そんなことで気を抜くと?」
警戒したまま勇者を剣を構える。だが魔王にとってどうでもいいことだった。
「殺されるならそれはそれで良い。楽しくない人生だったが、最後の終わりは幸せというのも悪いことじゃあないな。うむ。文句無いぞ」
玉座を立ちゆっくりと歩いてくる魔王。その姿は完全に無防備な状態だった。
「何をしている。隙だらけだぞ」
「ああ。好きだらけだからな。ははは」
魔王の反応に怯える勇者。勇者は一歩下がった。魔王の考えが全くわからない。
「何を言っているのだ?僕は男性だ。その上種族も違う。冗談にしか聞こえない」
勇者の正論に魔王は頷いた。
「そうだな。確かにそうだ。だが、それがどうした?正しいことがそれほど大切なことか?人生で初めて本気になれた。その前に性別や種族など取るに足らないことに過ぎん」
魔王が本気だと、ようやく勇者は気づいた。そして、勇者は何年かぶりに感情が戻ってきた。恐怖だ。
今までがんばってきた。だが、自分の支援金で贅沢をする王。着服した剣で人を切って遊ぶ王子。既に忠誠心というモノは無く、勇気等の全うな感情も磨耗していた。
掘られる!強い恐怖を自覚し、勇者は剣を魔王に投げ捨て、そのまま魔王城から逃げ出した。わざわざ窓から飛び出して勇者は逃げる。そんな勇者を魔王は楽しそうに後ろを追った。
ただし、その速度は誰も見えないほどの速度だった。
そして勇者にとって苦しい鬼ごっこが始まった。逃げて隠れてのサバイバル生活。人生の中でも最も過酷だった。
人を食う魔物の庭で寝食を行ったことがあるが、その時の方がまだマシだった。
魔王にとっては人生で最良の時間だった。勇者に何かしようという意志は無い。
ただ、がんばって走ったら好きな人が見える。それが嬉しくて追いかけた。
ポジティブな感情とは非常に強い。
ただの恐怖で逃げる勇者よりも、ただただ楽しくて追いかけている魔王。どちらが強いかは一目瞭然だ。
それでも勇者が全力で逃げた。最初に追いついたのは逃げ出して一週間後だった。
追いついた時に魔王は提案した。
自分が追いついた時に勇者との時間を貰う。そして一つ何かをしたらまた追いかけっこに戻ると勇者は同意した。
最初は簡単な自己紹介をすることになった。
勇者は幼い頃に勇者となり、魔王を倒すために生きてきたと話した。
魔王は長いこと、魔王として政務に励んでいたと話した。
両者は他に話すことが無かった。
次に追いついたのは三日後だった。
今度は勇者につらかったことを尋ねた。
勇者は今この状況がつらいと話した。
魔王は笑いながら、それ以外のつらかったことを尋ねた。
勇者はしぶしぶ、国家に、人に、人類に利用されていることがつらいと話した。
次に追いついたのは一日後。
もう勇者の逃げる意志は余り無い。逃げることに疲れてきていた。
魔王は勇者に好みの女性のタイプを尋ねた。
勇者は応えられなかった。そんなことは今まで一度も考えたことが無かったからだ。
そして次に追いついたのはわずか三時間後だった。勇者は前の場所からほとんど動いてなかった。
勇者は混乱していいた。魔王は明らかに自分を汚そうとも楽しもうともしていない。
一体何を求めて何をしたいのかわからなかった。
そして、こちらに戻ってきた魔王を見て驚愕した。
姿が完全に別人になっていたのだ。
「今度は逃げなかったのか」
勇者より大きかった体型は小さくなり、男性らしかった骨格ではなく完全に女性の骨格に。声も綺麗で高くなっていた。
「魔王って女性だったのですか?」
ありえない質問をする勇者。それに魔王は嬉しそうだった。初めて勇者が自分から魔王に話しかけたからだ。
「いいや。男だったよ。つい三時間前まではね」
以前までの見た目と同じなのは短い銀の髪くらいだ。その見た目は女性というよりは年若い少女だった。
「何故。変身能力ですか?」
魔王は首を振った。
「いいや。ただ肉体を一から再生成しただけだよ」
「それは何度でも出来ることですか?」
「どうだろうな。魔力も力も失った。きっともう出来ないと思うよ少なくても私はもう無理かな」
ケラケラと笑いながら話す魔王に、勇者はイラつきを覚えた。何故こう腹が立つのか分からない。が、とにかく腹が立った。
「あなたは一体何がしたいのですか。正直に言うと私は貴方に負けました。恐怖で逃げ、それでも何度も追いつかれ、もう私には僅かな余力もありません。それなのに変なことばかりして。あなたは私をどうしたいのですか!」
勇者の叫びに魔王は逆に尋ねた。
「むしろ今なら逃げられるよ。今の私は一般人以下の力しか無い」
魔王の真剣な表情に気圧される勇者。何も言えなくなった。そして、何故か逃げる気も起きなかった。
理由はわからない。一つだけいえるのは。嘘まみれの自分が、全て本音で話す魔王に何も言う資格は無いということだ。
「一応追いついたし言う事を聞いてもらいましょうか。今から尋ねる私の質問に答えてください」
魔王の言葉に勇者は頷く。ゲームとはいえ。約束は約束だ。
「あなたを愛した国はありましたか?」
勇者は何も言えなかった。
「あなたを愛した家族は今いますか?」
これも何も言えなかった。勇者となった時、自分の支度金を持って逃げた父と母を思い出した。
「あなたを愛した女性はいましたか?」
そんな存在は一人もいなかった。怯えた顔でお礼を言う女性が記憶に残っていた。
「あなたに感謝した人はいましたか?」
勇者のその言葉に頷いた。確かに、自分は多くの人に心から感謝された。それだけは間違いなかった。
「ではその人はあなたを愛しましたか?」
そして勇者は何も言えなくなった。確かに感謝はされた。だが、愛されたとはっきり言えるようなことは無かった。
勇者になってから、誰かに愛をもらった記憶が無かった。孤独だと今更に気づいた。世界が自分を見ていると思っていた。実際は自分を見ている存在は一人もいなかったのだ。
「私もそうでした。だからこそ、私だけは貴方を愛しています」
魔王の心からの告白だった。勇者を勇者としてでなく、個人としてみる存在が、ここに今存在した。
「誰にも愛されなかった。仲間にも国にも守った民にも!そんなあなたを、敵だった私くらい愛しても良いじゃないですか。誰かにあなたは愛されてもいいじゃないですか。そうでないと。あまりに寂しいじゃないですか」
気づいたら魔王は勇者を抱きしめていた。魔王は同じだった。同じく誰にも愛されてなかった。それでも魔王は幸せだ。愛することを知ったからだ。
勇者は魔王を振りほどけなかった。静かに、魔王の胸の中で泣いていた。
勇者は死にただのエインに。
魔王は死にただの少女になった日のことだった。
「勇者を逃げた私ですが、そんな私でやってみたいことが出来ました。手伝っていただけませんか?」
エインの言葉に少女は頷く。少女が拒否することはありえなかった。
「それってプロポーズって意味で捉えていいですか?二人で一緒に夢を見よう的な」
少女の言葉にエインはしっかりと首を横に振って拒絶した。
「駄目です。手伝ってもらうなら多少何か融通はしますがそういうことは絶対に駄目です」
「ちぇー。じゃあお願い。私に名前をつけて。魔王どころか生涯を全て捨てた私の新しい一歩を始める名前を」
エインは考えて、そしてエーヴィという名前を与えた。それを喜んで受け取り、少女はエーヴィとなった。
「それでしたいことって何?今の私じゃ大した事出来ないけど」
エインは店を持ちたいと言った。誰もが安らぐ時間を得られる。そんな店を作りたいと。喫茶店とバーを一緒にしたようなそんな空間を作りたいと。
恋愛的な意味でぐいぐい来るエーヴィをかわしながら、二人は一緒に生活した。
エーヴィが手伝ってくれおかげで、思った以上に早く夢だった自分の店を建てることが出来た。
その店の名前は『キングダム』
この小さなスペースが、誰かにとっての王国となってほしいという願いから生まれた店だった。
種族に拘らないで、誰でも楽しめる。そういう願いを込めて建てた店。
最初は問題だらけだった。殺し合いはしょっちゅう。とても安心できる空間には出来なかった。
だがその問題も二人にとっては割と楽しかった。改善していけばどんどん良くなる。それがやりがいとなった。
改善を繰り返していたら店は安定した。来た人に一時の安らぐ時間を作るというエインの本当の意味での夢は叶った。
エーヴィもそれほど不満は無い生活を送っていた。恋愛的にはいつものらりくらりとかわされる。だけどそれは仕方が無い。それでも一緒にいれたら幸せだった。
唯一の不満は夢の理由を話してくれないこと。何故このような憩いの場を作るのが夢なのか。
何回聞いてもはぐらかされ、一度も答えてくれなかった。不満らしい不満はそれくらいだった。
そしてあっという間に自分達が出会った日から十年が経過した。
店を閉めて二人で後片付けと清掃をする。今日の客もマナーが良かった為汚れはほとんど無い。それでも、毎日の清掃に手を抜くことはありえなかった。
「結局常連になりましたが、良かったのですか?」
エインはヴェールのことを尋ねた。
「うーん。最初は何かしでかすつもりか考えたけど、何もしないし、それに楽しそうだし良いんじゃないかな?」
元魔王の側近。ナンバー2のヴェール。彼は最も勇者と魔王の真実に近づいた。そして、最後まで勘違いをしたままだった。
「罪悪感とか無いですか?」
それは何に対しての罪悪感だろうか。魔王をやめたことだろうか。ヴェールに黙っていることだろうか。
エインの言葉にヴェールは笑顔で答える。
「全く無いね。というか私達いないほうが世界平和になってるし。ちょっと笑ってしまうよねこの結果は」
くすくす笑うヴェールの頭を軽くはたく。流石に自分たちが言って良い言葉では無い。
「ごめん。冗談だって。ヴェールはアレで幸せそうだしこのまま黙ったままで良いと思うよ。例えばれても彼なら問題無い。信用出来るからね」
その言葉にエインがちょっとだけむっとしたようにヴェーダは見えた。たぶん気のせいだろう。
「もう十年ですね。そろそろ私に飽きたんじゃないですか?」
エインの言葉にエーヴィは驚いた。
「え?楽しいですよ毎日。少なくても私からここを出て行くことは無いですねー」
「ですが、私は何も返せてませんよ。お世話になった意味でも、恋愛的な意味でも」
エインのその言葉は後悔にも聞こえた。エーヴィは首を横に振り、優しく微笑んだ。
「いっぱいもらったよ。楽しい思い出。そりゃもっと仲良くなれたら嬉しいけど、別に今のままでも十分幸せ。だよ?」
エインは困った顔で頭を掻いていた。普段はしない。珍しい動作だった。
そしてそのまま後ろを振り向いた。
「私が店を作ろうと思ったり理由はですね。私にとって居心地の良い場所があったんですよ。それがとても嬉しくて、それで皆にもそんな場所があったらなと思ったんです」
振り向いているから顔が見えないが、真面目な話だとわかった。エーヴィは真剣に受けとめる準備をして、そして尋ねた。
「なるほど。それはどんな場所だったんですか?」
エインは一呼吸置いて、そしてゆっくり話し出した。
「それはですね。私にはとある人の傍でした。その人はどんな時でも私を想ってくれていました。私自身が嫌いな私を、その人は好きだと言ってくれたんです」
エインはまた頭をかいていた。それが照れ隠しだと、今更にわかった。
「それは、ちょっとだけ自惚れても、良いってことですか?」
不安なような、怖いような、ドキドキするような、そして頬がにやけてしまうような。色々な気持ちを持って彼に尋ねた。彼は後ろをむいたまま、確かに頷いていた。
エインの背中をエーヴィはそっと抱きしめた。抱きしめて、離れられなかったのは、今までで二回だけだった。
もじもじとしながらエーヴィは尋ねた。
「じゃあ。今晩寝床に遊びに行って良いですか?」
今まで何回も言っていた冗談の言葉。今までずっと拒否されていた言葉だ。そういう意味のある言葉。ただし、今回は本気だった。
「早く片付けて寝ましょう。明日も早いですから」
ぶっきらぼうな態度で掃除の続きをするエイン。ただし、さきほどの問いに否定しなかった。
生真面目な気質のエインは、駄目なことは駄目だとはっきり言う。今回みたいに否定も肯定もしないということは今まで無い。つまり……。
エーヴィは自分の頬が赤く染まるのを実感する。後ろを向いて掃除をするエインを見ると耳が赤い。急に恥ずかしくなって、エーヴィも後ろを向いて掃除をしだした。
色々したことはあった。もう一度抱きしめたい。もっと色々お話した。愛していると言いたい。
でもそれは夜のお楽しみに取っておいた。今は二人で真面目に後片付けと準備をする。
背中を向け合ったままだったせいか。その日の掃除はいつよりとても時間がかかった。
その為だろう。次の日の店が休みになっていたのは。
ありがとうございました。
短いですが完結です。
楽しんでいただけたら幸いです。