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欠損世界の記録士 ― 追放された俺だけが、消された真実を覚えている  作者: 橘秀斗


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第0話 記録に残らない男

「レオンハルト、右だ!」


 振り下ろされかけた剣が、寸前で軌道を変えた。


 レオンハルト・グレイヴが身をひねった直後、獣型の魔物の前脚が石床を薙いだ。三本の爪が床を抉り、砕けた石片が宙へ散る。ほんの一歩、判断が遅れていたら、爪は彼の胴を捉えていただろう。


 しかしレオンハルトは、避けただけでは終わらなかった。横薙ぎで伸びきった魔物の脚を踏み台にするように距離を詰め、《英雄剣》を外殻の継ぎ目へ滑り込ませる。


「バルク!」


「おうよ!」


 バルク・クロウの大剣が横から魔物の逃げ道を塞いだ。獣が身をよじった瞬間、レオンハルトの二撃目が急所を断つ。巨大な体が石柱の根元へ倒れ、遺層の奥に重い音が響いた。


 しばらく誰も動かなかった。魔物が起き上がらないと確かめてから、バルクが大きく息を吐く。


「終わったな! さすがレオンだ!」


「バルクが押さえてくれたからだ」


 レオンハルトは剣の汚れを払い、後方へ目を向けた。エリナ・フェルが負傷の有無を確認し、誰にも治癒が必要ないと知って肩の力を抜いている。


「レイン。今の警告は助かった」


「ああ。間に合ってよかった」


 レイン・アークスはそう答えると、魔物の死骸ではなく、爪が刻んだ床へしゃがみ込んだ。


「何してんだ、もう倒したぞ」


「さっきの動きを確かめたい」


 手帳を開き、右肩が沈んだ位置と爪痕の向きを書き留める。以前、同種の魔物が二度目の突進の前に似た姿勢を取ったことがあった。そのときは意味が分からなかった。だが今日、肩が沈むのは前へ飛び込むためではなく、横へ逃げる相手を薙ぐためだと分かった。


 記憶に頼るだけなら、次に遭遇するころには曖昧になっているかもしれない。だから、今のうちに残す。


『二度目の攻撃前、右肩が沈む。横薙ぎに注意』


 レインは筆先を止め、さらに一語付け足した。


『要再確認』


 一度見ただけで、すべての個体に共通するとは限らない。


「お前、ほんとによく見てるな」


 バルクは呆れ半分に言った。


「まあ次も、レオンが斬れば済む話だけどよ」


「次も同じように勝てるなら、それが一番だ」


 レインが真面目に答えると、バルクは笑った。


 レオンハルトの剣技が優れていることは疑いようがない。バルクが相手を押さえ、エリナが後ろを守ったからこそ、彼は迷わず踏み込めた。レインの声だけで魔物が倒れたわけではない。


 それでも、警告が届いた。レオンハルトが動いてくれた。


 手帳の文字を見下ろし、レインは静かに満足した。


 ◇


「帰りは来た道でいいか?」


 魔石を回収したレオンハルトが尋ねる。


 レインは頭の中で七つの分岐をたどった。来るときに確認した天井の亀裂、魔物の巡回の間隔、帰路で増えた荷の重さ。どれも単独なら大きな問題ではない。ただ、疲れた四人が重なった危険へ入る必要はなかった。


「三つ目の分岐だけ西へ回りたい。東側は今ごろ巡回と重なると思う」


「遠回りは?」


「十二分ほど。戦闘を避けられれば、むしろ早い」


「分かった。西へ行こう」


 レオンハルトは短く決めた。


 レインは頷き、手帳に印をつける。こうしたやり取りに、もう特別な説明は必要なかった。地図を見て、危険を知らせ、隊長が進路を決める。それが四人のいつもの形だった。


 出発前に装備を確認していると、バルクの大剣の根元に細い傷を見つけた。


「バルク、帰りは予備の剣に替えてくれ」


「これくらいでか? まだ振れるぞ」


「振れる。でも前に見たときより亀裂が長い。強い衝撃が重なれば危ない」


 バルクは大剣を傾け、レインが示した場所を覗き込んだ。しばらくして、眉を寄せる。


「……確かに伸びてるな」


「帰ったら鍛冶屋に見てもらおう。今日は予備で十分だと思う」


「ったく。せっかくの勝利のあとに、細かい話だぜ」


 文句は言ったが、バルクは素直に剣を替えた。


 レインはそれを確かめてから、エリナの灯りと食料袋を確認した。彼女が差し出した袋の結び目が緩んでいたので直すと、「ありがとう」と小さな声が返ってきた。


 それだけのことだった。


 西の通路へ入ってしばらくすると、東側から低い唸り声が響いた。分岐の奥を複数の影が横切る。


「本当にいたな」


 バルクが口笛を吹く。


「向こうでも勝てただろうけどな」


「たぶん。でも倒さずに済むなら、その方がいい」


「お前らしいよ」


 バルクは笑い、レオンハルトも足を止めずに進んだ。


 途中、壁際に新しい石片が落ちている場所があった。レインは以前の記録を思い出し、天井を確かめる。大きな崩れは見られない。それでも落石の位置だけは地図へ追記した。


 昨日安全だった場所が、今日も安全とは限らない。過去に書いたものを信じるためにも、今見たものと照らし合わせる必要がある。


 地上への階段が見えたころ、バルクは今夜の酒の話を始め、エリナは服についた埃を払っていた。レオンハルトは魔石の入った袋を持ち直す。


 レインは、帰ってからの作業を思い浮かべていた。経路の清書、魔物の行動、装備の整備、灯りの補充。忘れないうちに片づけたいことがいくつもある。


「また全部書くのか?」


 バルクが振り返った。


「ああ。次に来るとき必要になる」


「俺なら三日で飽きるな。そんなに書いて、誰が読むんだよ」


「俺たちだ。レオンハルトも要点は見ている」


「じゃあ、俺が読まなくても困らねえな」


 冗談めかした声に、レインも少し笑った。


 必要なときに使ってもらえれば、それでいい。誰が何頁読んだかを数えるために、手帳を埋めているわけではなかった。


 ◇


 夕暮れのギルドは、冒険者たちの声で満ちていた。


《蒼天の剣》が帰還すると、受付の近くにいた者たちが次々と顔を上げる。


「また深部から無事に戻ったのか!」


「最近のレオンハルトたちは勢いが違うな」


 レオンハルトは大げさに胸を張ることもなく、魔石と討伐証明を差し出した。


「まだ上へ行ける。今日の相手も、想定より手応えがなかった」


「そりゃ俺たちが強くなってるからだろ!」


 バルクが笑い、周囲からまた歓声が上がる。


 レインは受付台の端を借りて、帰還時刻を書き込んでいた。予定より早く戻れた理由を記し、東側の巡回を避けたことを報告書へ反映する。


「おい、もう仕事かよ」


 バルクが覗き込む。


「今日の勝因なんて簡単だ。レオンが斬って、俺が押さえた。エリナも後ろを守ってくれた。な?」


「そうだな」


 レインは頷いた。三人の働きは、間近で見ていた彼がよく知っている。


 ただ、報告書の魔物欄へ目を戻したとき、レオンハルトが右へ避けた瞬間を思い出した。次に同じ攻撃が来ても、今日ほどぎりぎりの警告にならないようにしたい。


 そのための一行を加える。


「レインも終わったら来る?」


 エリナが酒場の入口から声をかけた。


「清書が済んだら」


「じゃあ、席を取っておくね」


 彼女は微笑んで、バルクのあとを追った。


 レオンハルトだけが残り、机の上の地図を覗いた。


「次はもう一段深い区画を狙いたい。明日までに使えそうな道を出せるか?」


「三つ候補がある。今日の巡回を考えると西側がいいと思うけど、休憩地点も調べ直したい」


「任せる」


 その一言で、レインの胸に小さな安堵が広がった。


 自分の仕事が、次の攻略に必要とされている。


 戦闘で誰より強くなれなくても、ここでできることはある。そう確かめられる瞬間が、レインは好きだった。


 レオンハルトは酒場へ向かいかけ、掲示板の前で一度足を止めた。そこには護衛依頼や冒険者募集の札が並んでいる。


 彼の視線が、戦闘職を求める札の一角へ向いた。


「何か探しているのか?」


 レインが尋ねると、レオンハルトは首を振った。


「いや。次の攻略について考えていただけだ」


「人数が変わるなら、準備も組み直せる」


「まだ、そういう話じゃない。まずは明日の経路を頼む」


「分かった」


 レインは地図へ目を戻した。


 深い区画へ進むなら、前衛を増やす考え方もあるだろう。四人のまま進むなら、それに合った道を選べばいい。どちらにせよ、今できる準備を進めるだけだ。


 レオンハルトが酒場へ消えると、レインはもう一度、今日の報告書を読み直した。


 ◇


 宿へ戻った夜、机の上には小さな灯りが一つだけ残っていた。


 仲間たちはもう酒を飲み終え、それぞれの部屋へ引き上げている。レインは昼間の手帳を広げ、走り書きの文字を清書した。


 西へ回った分岐には巡回の注意を。石片の落ちていた場所には、次回確認の印を。バルクの大剣には、使用前の整備が必要だと書く。


 最後に、魔物の行動記録を読み返した。


『右肩が沈む。横薙ぎ。要再確認』


 今日の警告は間に合った。けれど、次も同じように声を張り上げるだけでは足りないかもしれない。レオンハルトが先に気づけるよう、地図と一緒にこの注意点も渡しておこう。


 そう決めてから、総括の欄へ筆を運ぶ。


『《蒼天の剣》――全員生還』


 書き終えると、ようやく肩の力が抜けた。


 危険はあった。見落としも、まだあるだろう。それでも今日は、四人で戻ってこられた。


 明日になればバルクの剣を鍛冶屋へ持ち込み、レオンハルトへ新しい経路を示し、エリナの灯りを補充する。そしてまた、四人で遺層へ向かう。


 自分の仕事が続くことを、レインは疑っていなかった。


 手帳の頁をめくると、魔物の弱点、危険な分岐、装備の状態が整然と並んでいる。どれも次の攻略には必要な情報だ。


 ただ、そのどこにも、今日それを見つけた人間の名はない。


 レインは気に留めず、最後の頁を閉じた。


 表紙には《蒼天の剣・攻略記録》と記されている。擦り切れた角を指で押さえ、明日もすぐ開けるよう机の端へ置いた。


 レオンハルトが進む道を決め、バルクが前を切り開き、エリナが仲間を支える。


 自分は、その三人が帰ってこられるよう、見たものを残す。


 それでいい。


 役に立てる限り、あの列の最後には自分の居場所もある。


 レインは灯りを消した。


 暗い部屋で、攻略記録の表紙だけが窓から差す月明かりを受けていた。明日の勝利に必要なことは、そこに書かれている。


 その頁を埋めた男の名を、誰も書き留めないまま。




――――――――――――――


【読者のみなさまへ・感謝とお願い】


ここまでお越しいただき、本当にありがとうございます!


本作は、「記録しかできない無能」と見下され、仲間から追放された一人の記録士が、誰にも気づかれなかった自分の力を武器に、新たな仲間とともに成長していく物語です。


かつての仲間たちが、彼を失った本当の意味に気づいていく逆転劇。そして、世界から消された歴史と、誰も覚えていない真実を巡る大きな謎。


最初は小さな《記録》から始まる物語ですが、その一つひとつが、やがて世界の秘密へとつながっていきます。


「追放された主人公が、自分の本当の価値を証明していく展開が好き!」


「一見地味な能力が、実はとんでもない可能性を秘めている物語が好き!」


「伏線や世界の謎が少しずつ明らかになるファンタジーを読みたい!」


そんな方には、ぜひレインの旅を最後まで見届けていただけたら嬉しいです!


そして、もし本作を読んで「面白い!」「続きが気になる!」と感じていただけましたら、評価や作品フォローで応援していただけると、とても励みになります。


いただいた評価や応援は、これからも物語を書き続けていく大きな力になります。


レインたちの物語を、一緒に見届けていただけたら幸いです。



それでは、第1話から始まる《記録士》の物語を、どうぞお楽しみください!



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