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四話 本気の代償

ちょっと実力開放します。

温かい目でお読みください。

授業後のグラウンドは、さっきまでの喧騒が嘘のように静かだった。

測り直しのメンバーは陽を含めて五人。体育教師が改めてストップウォッチを確認しながら、申し訳なさそうに頭を下げた。


「本当にすまなかった。さっさと終わらせるから、順番に走ってくれ」


計測係として残っていたのは、日葵だった。

なぜお前がいるんだ、という視線を向けると、日葵は涼しい顔で「係だから」と返した。確かにさっきも計測係の一人だったが、それにしても授業後まで残っているのは明らかに別の理由があるように見えた。

最初の一人が走った。七秒八。体育教師が記録する。次の一人。八秒一。また次。七秒九。じわじわと人が減っていく。

陽は順番が来るたびに「次の次だな」「次だな」と先延ばしにしながら、ひたすら頭の中でシミュレーションを繰り返していた。


(八秒一。それだけでいい。一回目と同じタイムを出せれば何も問題ない)


四人目が走り終えた。


「じゃあ最後、一之瀬」


体育教師がそう言いかけたところで、ポケットからスマホが鳴った。教師は画面を確認して、少し眉を寄せた。


「……悪い、一之瀬。ちょっとだけ待ってくれ。すぐ戻る」


そう言い残して、小走りで校舎の方へ消えていった。

グラウンドに残されたのは、陽と日葵の二人だけだ。

沈黙。

日葵はストップウォッチを持ったまま、陽をまっすぐ見ていた。学校用の優等生の顔ではない。陽だけが知っている、素の日葵の顔だ。


「……なんだ」

「別に」

「その目はなんだ」

「どんな目?」

「お見通しですって顔だ」


日葵はくすりと笑った。


「ねえ、はる」

「……なんだよ」

「先生いないよ」

「知ってる」

「二人しかいないよ」

「知ってる」


日葵はストップウォッチをくるりと回しながら、少し首を傾けた。


「本気で走ってみたら?」

「やだ」

「なんで」

「面倒くさい」

「それ本当の理由じゃないでしょ」


日葵は笑みを消さないまま続けた。


「記録、私しか見てないよ。先生には平均のタイム伝えてあげるから」


陽は少し黙った。


「……共犯にする気か」

「人聞きが悪いな。応援してあげてるんだよ」

「どう見ても脅しだ」

「じゃあ脅し」日葵はあっさり認めた。

「走らないなら美月さんに電話する。『はるが体育でも手を抜いてた』って」

「……お前という奴は」

「冗談だよ」と日葵は笑った。

「でも、たまにはいいじゃん。誰も見てないんだから」


陽はスタートラインを見た。まっすぐ、五十メートル先まで白線が伸びている。

誰も見ていない。記録は日葵が誤魔化してくれる。それでも、なんとなく踏み出せない理由があった。


「……お前、絶対楽しんでるだろ」

「うん」と日葵は即答した。

「はるが本気で走るの、久しぶりに見たくて」


陽はため息をついた。


「……一回だけだ」

「うん」

「タイムは八秒一で伝えろ」

「はーい」


陽はスタートラインに立った。深呼吸を一つ。風向きを確認する。追い風。悪くない。

構えた瞬間、何かが変わった。

計算でも、シミュレーションでもない。ただ、走る。それだけのことが、久しぶりに頭の中を空っぽにした。

日葵が「よーい」と言った。

スタート。

最初の一歩から、違った。地面を蹴るたびに景色が後ろへ流れる。中盤で落とすとか、ゴール前で上げるとか、そういう計算が全部吹き飛んでいた。

ゴールを駆け抜けた。

静寂。

日葵がストップウォッチを見つめたまま、しばらく動かなかった。


「……ひまり」

「…………」

「タイムは」


日葵はゆっくり顔を上げた。その表情は、笑っているような、困っているような、なんとも言えない顔だった。


「……六秒ちょうど」


陽は何も言わなかった。


「はる、それ……」

「八秒一で伝えろ」

「う、うん。わかった」


日葵はストップウォッチをぎゅっと握った。陽は乱れた息を整えながら、何事もなかったように髪を直した。

ちょうどそこへ、体育教師が戻ってきた。


「待たせた。じゃあ一之瀬、行けるか」

「……もう走りました」

「え? 俺いない間に?」

「日葵が計ってくれました。八秒一です」


体育教師は日葵を見た。日葵は澄ました顔でストップウォッチを差し出した。


「八秒一でした」

「……そうか。わかった、記録しとく。お疲れさん、二人とも」


教師が校舎へ戻っていく背中を見送ってから、日葵が小声で言った。


「……はる」

「なんだ」

「また走って」

「やだ」

「ちぇ」


四限は古典だった。

陽は教科書を開きながら、さっきの感覚をどこかに仕舞い込んだ。六秒〇〇。我ながら馬鹿なことをした。でも、不思議と後悔はなかった。それが少し、厄介だった。

日葵は前の方の席で、ノートを綺麗に取っている。一度だけこちらを振り返って、小さく笑った。

陽は視線を教科書に戻した。


昼休み。颯太が「飯どこ行く?」と陽の席にやってきた。結愛もどこからか湧いて出てきて「購買のパン買ってきたから屋上行こう」と言い出した。気づいたら陽も一緒に屋上へ連れられていた。


「にしても今日の体力測定どうだった?」


颯太がパンにかじりつきながら言った。


「俺50m六秒後半だった」

「さすが」と結愛が感心した。

「私は全然だめだったー。反復横跳びで転びそうになった」

「見てた、それ」と颯太が笑った。

「一之瀬はどうだったんだ?」

「……平均くらい」

「まじか。体育苦手?」

「得意でも不得意でもない」


颯太はそれを聞いてなぜか嬉しそうにした。


「じゃあ部活どうすんの? 一之瀬、バスケ部来いよ。うちの部、人足りなくてさ」

「もちろん帰宅部に入る」

「帰宅部って部じゃないだろ」

「立派な部だ」

「ちょっとくらい見学来てよ」颯太は諦めない。「一回だけでいいから」

「一回が二回になって三回になるパターンだ。知ってる」

結愛がくすくす笑った。「一之瀬くん、用心深いね」

「……経験則だ」

「どんな経験だよ」と颯太が呆れた。


しばらく他愛のない話が続いた。颯太の中学のバスケの話、結愛が見つけたという学校近くのカフェの話。陽は相槌を打ちながら、パンをゆっくり食べた。

悪くない昼休みだと、思った。


放課後。陽が鞄を持って教室を出ようとした時だった。

廊下で声をかけられた。


「ねぇ、ちょっといーい?」

振り返ると、短めの髪の女子が立っていた。胸元のバッジで二年生だとわかる。背はそこそこあり、引き締まった体つき。何より、その目が静かに、しかしまっすぐ陽を見ていた。


「君、さっき測り直しでグラウンドにいたよね」


陽は表情を変えなかった。


「……そうですが」

「最後に走ってたの、君だよね」

「……何の話ですか」


ものすごく嫌な予感がした

女子は少し間を置いた。口元に薄い笑みが浮かんだ。


「陸上部なんだけど」


陽の背中に、じわりと嫌な予感が広がった。


「……それは」

「あの走りを見るに六秒くらいかな?見てたよ」


陽は答えなかった。

女子生徒は笑みを崩さないまま、一枚の紙を差し出した。


「陸上部の見学、来てみない?」


ちなみに私の50m走は高校一年のときに7.4くらいの陰キャでした。

引き続き応援よろしくお願いします

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