第9話
ダクトのファンを停止させるだけなら、10秒とかからない。
設備の故障が、手こずらせていた。物理的に、操作が困難になっている。しかし、なづきは汗一滴垂らさない。冷静に操作盤の下部にあるパネルを外し、中からコードを引っ張り出すと、それをなづきが持っていたポータブルゲーム機に繋げる。そして、リズムゲームをプレイするようにタッチパネルを叩く。
――きた。
通気ダクト内のファンが停止する。
残り3分。
なづきは素早くポータブルゲーム機からコードを引っこ抜き、パネルをもとに戻し、ネジを締めた。そして、何事もなかったかのように、コントロールルームを出る。
コントロール・ルームを出ると、なづきは翼のギアを全開にして、建物の中に迷いこんだ燕のように、天井近くを飛んでコントロール・ルームを離れた。背後から、こちらへ向かってくる複数の足音が聞こえた。なづきが飛び立ってすぐ、通路の角から荘子が姿を現した。
コントロール・ルームに入るなり、剛や捜査員たちは絶句した。原型を留めないほどに損壊した遺体。しかし、荘子だけは遺体に目もくれず、コントロール・ルームを注意深く観察していた。沢山あるモニターには、ビル内部の監視カメラの映像が写っているが、肝心の1階と37階の映像はないことに気が付いた。大きなタッチパネルや、様々な操作用のスイッチやレバーが並ぶ操作盤は、被疑者が放ったエボルヴァーによってだろうか、無残に破壊されていた。その時、剛のもとに、無線で連絡が入る。
『被疑者の死亡を確認。スカムズの姿は確認できません』
「くっ、またしても逃げられたか」
捜査員達の間に諦めの空気が漂い始めた中、荘子はまだモニターを見つめていた。そして、頭の中に記憶してあるビルの見取り図と、モニターを見比べる。
唯一、通気ダクトからなら脱出できる可能性がある。
だが、そんな事は可能なのだろうか。スパイ映画ではあるまいし。しかし、彼らが好むのはそういう場所——
次に、荘子は周りの様子を観察し、操作盤の下部にあるパネルに注目した。操作盤を修理する時などのメンテナンス時にこのパネルを外し、中の機械をいじるのだろうか。パネルはしっかりとネジが締めてあり、特に不自然な様子はない。しかし荘子には、なにかが引っかかった。これは、完全に才能というものだろう。熟年の刑事が幾多の経験によって身に付ける直観を、荘子は生まれながらにして身に付けていた。 荘子はパネルの前にしゃがむと、鞄の中からドライバーを取り出し、ネジを回す。思った通りに、ネジは軽く回った。事前にネジを外した証拠だ。
パネルを外し、中を伺うと、配線をいじった形跡がある。今度は鞄の中からタブレット型PCを取り出すと、配線を繋いだ。こんな時もあろうかと、どんなシステムにも対応出来るようにプログラムを組んであった。タブレットで操作履歴を確認すと、通気ダクトのファンを一時停止させた形跡が残っていた。
やはり、間違いない。彼らは、人が通る事が不可能と思われる通気ダクトを選んだ。それでこそ、スカムズ。
荘子は、特殊なプログラムを使い、自身のタブレットでファンの操作を行えるようにした。そして、立ち上がった。
「いえ、まだです。スカムズはまだこのビルの中にいます」
そう言うと、荘子はコントロール・ルームを飛び出した。
「待て、荘子! 危険だ!」
剛が止める声も聞かず、兎のように素早く通路を駆け、姿を消してしまった。剛の部下が後を追ったが、すでにその姿は闇の中だった。
荘子は走った。
まだ追いつける。
すぐそこに、もう手が届くところに、スカムズはいる。
なづきは、地下の管理用通路の階段を下り、壁のパネルを器用に何枚か取り外し、通気ダクトに出た。
『おわわ!』
ちょうどそこに、マキナと志庵が出くわした。
『あれ、なづきちょっと遅れた?』
『ごめん。少し手こずった』
『まぁ結果オーライにゃ』
そう言って、3人は翼のギアを全開にして停止しているファンに向かって走り出した。もう少しで、あの大きなプロペラの間を通過出来る。そして、このミッションは終わりだ。
『え……』
しかし、無情にも2メートルほどあるファンの羽根はグルグルと鈍い音を立てて動き出した。
『何故だ。まだ3分経っていない。まさか、気づかれたか……』
3人は、プロペラの前で厚い風を受けながら立ち止まった。
『仕方ねぇ、エボルヴァーで壊しちゃおう』
『まぁ、そういう時もあるにゃ! 今日は相手が少し上手だった。突入も早かったし』
マキナがエボルヴァーのハインにエネルギーを集中させ、黄金色に輝く刃を出現させたその時、爆音と共に、背後から噴煙が巻き起こった。
3人は驚き、振り返る。
そして、次の瞬間、動きを失う。煙から姿を現したのは、セーラー服姿の、白川荘子だった。
何故、彼女がここにいる?
荘子は、その一瞬の隙を突いた。荘子が持つ特殊な銃火器のようなものから放たれた粘着性の球が3人のマスクの上に命中し、ベタっと引っ付いた。
『なんだこれ!? い、息が……うがががが』
粘着性の物体はピッタリとマスクを覆い、それによって3人は呼吸が困難になり苦しんでいる。
「マスクを取らないと窒息しますよ」
『ふがぁぁぁぁ!』
マキナは、マスクを外し、床に投げ捨てた。
「まったく! なんなんだよおめぇさんは」
「え……?」
マスクの裏から現れたのは、美しい金髪と、小さな白い顔、エメラルドグリーンの瞳。志庵となづきも、諦めたようにマスクを取り、その素顔を露わにする。
「ぷはー、苦しかったにゃあ」
「……お見事」
マキナの次に現れたのは、赤髪を猫耳風に結んでいるつり目の美人と、小柄で幼い印象を受ける青髪の女の子。
荘子は、3人とも、知っている。数時間前に会って話した女子高生だ。
しかし、何故、ここにいる?
それが示す答えは、彼女達が、スカムズである、ということ……
荘子は、突然金縛りにあったみたいに動けなくなった。
「はぁ、さすが優等生ちゃんだべなぁ」
そう言ってマキナは爽やかな笑顔を見せた。
「ま、おっさん刑事に捕まるよりか可愛い娘に捕まった方が気分いいにゃ」
志庵は丸めた右手の甲で頬をさすって見せた。
「完敗」
なづきは両手を上げて手の平を広げた。観念した、というポーズだ。
しかし、荘子はなお、動かない。
「どした? 早く捕まえるべ」
マキナは少しはにかんだ笑顔で両手を差し出した。表情は柔らかいが、マキナは全てを受け入れる覚悟が出来ていた。荘子は暫くマキナが差し出した白く可愛らしい手を見つめた。そして、そっと、マキナの両手に右手を被せるように乗せる。
常に迅速に物事を判断し素早く的確な決断を下す荘子だったが、この時、自分の思考をうまく整理出来なかった。こんな事は、初めてだった。
ずっと捕まえたかったスカムズ。
どんな姿をし、どんな思想を持っているのだろう?
会ってみたかった。
話してみたかった。
そして、わたしの手で捕まえて、彼らの悪意にナイフを突き刺して、言ってやりたかった。
あなた達は間違っている。
彼らを否定する事で、自分の中にあるこの間違った感情を葬り去れる事が出来ると思った。
それで、全てが終わると思った。
救われると思った。
強く焦がれたその感情は、恋に似ていたかもしれない。
しかし、そんな夢にまで見て捕まえたいと強く願ったスカムズの正体は、自分と同じ高校生の女の子だった。
「行って」
「え?」
荘子は、タブレット端末を操作して、大きなファンの動きを停止させた。
「行って」
マキナは、差し出していた両腕をゆっくりと下げた。
「でも……、いいのか?」
荘子は、何も言わずに頷いた。スカムズの3人も、何も言わずに去った。
3人がプロペラの向こうに姿を消すと、荘子はタブレットを操作し、再びファンを起動させた。ファンが回り始めると強い風が起こり、髪が揺れ、制服のスカートが脚にくっついて、裾がパタパタと靡く。
後には、ファンが回る低く厚い音だけが、ダクトの中に響いていた。