第10話
平日の朝。
通勤するサラリーマンや学生で溢れる駅のホーム。荘子は、セーラー服に身を包み、ポール・スミスの鞄を肩にかけ、片手で文庫本を開きながら、赤い電車が来るのを待っている。荘子の前に並んでいる中年のサラリーマン風の男性は眠そうに欠伸をし、荘子の後ろで並んでいる男子高校生は熱心にスマホをいじっている。沢山の人がそれぞれに待ち時間を潰している中で、紙の本を手に持っているのは荘子くらいだった。現代では電子書籍が主流になっていて、紙の本を好んで読むのは少数派だ。合理主義な荘子にしては珍しい、特別なこだわりの1つであった。
やがて、電車の到着を告げる単調なメロディーが鳴り、駅員のアナウンスが構内にこだまする。荘子は文庫本を鞄の中にしまい入れ、電車が止まるのを待った。電車はきっちりと所定の位置で止まり、並んで待つ列の前で、扉が左右に開いた。それと同時に、転落防止のゲートも開く。電車から乗客が降り、ホームで並んでいた人の列が電車に乗り込む。荘子も、他の乗客と一緒にベルトコンベアーで流される部品のように電車の中になだれ込む。
車内は、左右に長いベンチシートが設置されており、対面型の座席になっている。荘子は車内の中央まで進み、乗客で埋まっているシートの前に立つと、鞄から文庫本を取り出し、片方の手で吊り革を掴むと、再び本を読み始めた。電車の走行音と、学生同士の楽しげな話し声が聞こえる。
突然、開いていた文庫本のページに、付箋が貼りつけられた。猫のイラストがあしらってある、可愛らしい付箋だ。そこには、数字とローマ字の羅列が書かれてあった。
「マキナのID♡ヒマな時連絡するべ」
文庫本の向こうから、聞き覚えのある声が聞こえた。荘子は視線を、文庫本の活字から、文庫本を隔てた向こうに移す。そこには、座席に座り、こちらを見て微笑む金髪の少女マキナ、ひらひらと手を振る猫耳の志庵、そして、座席の上で膝を抱えて、眠たそうな眼で荘子を見つめる青髪の娘なづき、3人の姿があった。
「はい」と荘子が短く返事をすると、3人は何事もなかったかのように、マキナは音楽を聴き、猫耳の娘は髪型を直し、青髪の娘はゲームを始めた。荘子も、また文庫本を読み始めた。
いつもと変わらない朝の風景に戻った。
しかし、この4人が、今までと同じ生活に戻ることはなかった。運命は、別の方向に、大きく動き始めた。まるで、行き先の違う電車に乗り違えてしまったみたいに。
「誰とメールしてんのよ、彼氏?」
千聖が、フォークの先に突き刺したシュウマイを荘子に向けながら言った。荘子、萌、千聖の3人は学校の食堂にいた。今は、昼休憩の時間だ。
荘子は2人よりも早くチキンサラダを食べ終え、ずっとスマホの画面を見つめていた。
「違うよ。彼氏なんて必要ない」
「えぇ~なんで?」
千聖は口を尖らせた。
「わたしが必要としていないだけ。千聖が彼氏を必要とするなら作ればいい」
「そんな、簡単に言うけどさぁ……もう、彼氏は作ろうと思って出来るものじゃないの!」
「なら、どうやって出来るの?」萌が言う。
「どうって……、うんめい!」
そう言って、千聖は不服そうにフォークに突き刺したシュウマイを一気に口の中に放り込んだ。 頬を膨らませ、モグモグと口を動かしている。千聖の食べ方を見ていると、何だかどの料理も美味しそうに見えてくる。
荘子のスマホの液晶画面には、『真姫奈』という名前と、真っ赤なトゲトゲの髪の毛に、白塗りで目の周りを真っ黒にメイクし真っ赤なギターを抱えたどこかのバンドマンらしき画像が写ったトップ画像を見ていた。おそらく、マキナのアカウントであろう。今朝、マキナが教えてくれたIDを検索したらこれが出て来た。
荘子は、警戒していた。
普通の、新しく知り合った同級生なら、それほど警戒する必要はないだろう。しかし、相手はスカムズだ。何人もの人間を殺している(しかも警察でも手を焼く凶悪な犯罪者を含む)、連続殺人犯だ。
罠かもしれないな。
荘子は思った。何食わぬ顔で近づき、安心させ、油断させたところでわたしを始末するつもりなのかもしれない。でも、スカムズは、犯罪者以外は手にかけない。その法則は、今まで崩れた事はない。しかし、絶対だと、確信は持てない。この世に絶対なんてことはないのだかでも、あの子達は、悪い子には見えない。いやいや、痴漢から助けてくれたからと言って、必ずしも良い人間だとは限らない。でも、荘子の勘が言っている。
あの子達は、悪い人間ではない。
犯罪者と悪い人間って、どう違うのだろう。
荘子は、ふぅ、とため息をついた。
「やっぱ、恋?」
千聖が、味噌汁のお椀を持ったまま荘子の顔を訝しげに伺いながら言った。
「荘子に限って、あり得ない。多分、もっと大きなこと」
萌は、感心なさそうにカレーうどんをすすりながら返事をする。
「恋も、大きなことだと思うけどなぁ」
千聖は味噌汁のお椀を置くの、頰杖をついて不満そうに言った。
「それは、個人の差だって、荘子も言ってたでしょ? 荘子の興味は、男にはない」
「えー。じゃ萌は?」
「秘密」
「えー!?」
確かに、恋というなら、この感情はそれに似ているのかもしれない。しかし、そうだったとしたら、それは何よりも危険な恋である。命がけなのだから。
マキナから連絡があったのは、午後の授業が終わった後だった。学校が終わると、家に帰らず、大須に向かった。
『学校終わったら大須にいるぞ!』
というメッセージが、ちょうど6限目の授業が終わった時にマキナから送られてきた。
マキナという女の子が、スカムズが、何を考えてこのメッセージを送ってきたのか分からない。普通に考えれば、罠だろう。
しかし、荘子は、誰にも報告することなく、単身ひとりで大須入り口にある大きな赤い門の前に立っていた。まるで巨人族の為に造られたかのような、無駄に大きく立派な門が、荘子の前にそびえ立っている。門には、大きな赤い提灯が2つ、それぞれ『大』と『須』と書かれたものがぶら下がっている。
荘子は、スカート・ベルトに挟んだ銃器型のスタンガンを、セーラー服の上から触って確認した。
最近のわたしは、どうかしてる。
これでは、自ら殺されに行くようなものではないか。




