第30話 首都クライシス・前編
斑目沙亜紗は、アニメが好きである。
しかし、その多忙さ故、その趣味を十分に楽しめていない。仕事熱心だから捜査本部に泊まり込む事が多いし、家に帰ったとしても、シャワーを浴びて、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、お気に入りの赤いソファーに座り、録画したアニメを見始めるのだが、大体、エンディングの曲を聴くことなく眠りに落ちてしまう。そして朝目覚めて、まだスチール缶の中に3分の1残っているビールに気づき、
「あぁぁもったいないぃぃぃ!」
と、後悔の念に苛まれながら、朝の支度をするのである。そんな沙亜紗が最近めっちゃしてみたい! と密かに思っている事があった。それは、アニメキャラクターの、コスプレである。
アニメキャラクターの格好をして、街に繰り出したい。
けっこう本気でそう考えていた沙亜紗は、コスプレ用の衣装を自作した。後はそれを着て外に出るだけだ。しかし、1人でコスプレをするのはなかなか勇気がいる。それに、万が一コスプレしたところを真山や納屋橋に見られたらと思うと、インフルエンザにかかった時のような寒気がした。
沙亜紗には、アニメについて語れる友人もいない。現代ではSNSを通じて友人を作るのは当たり前だが、沙亜紗はSNSをあまり使用しない。ツイッターのフォローは5人で、フォロワーは8人だ。
そんな中、次の週末に、大須でコスプレイベントが開催される事を知った。沙亜紗は、そのコスプレイベントのサイトを目を輝かせながら眺めていた。
私にも、コスプレ友達がいたら……
その時、沙亜紗はふと思いついた。1人いるじゃないか。素晴らしい人材が。若く、日本人形のような整った顔立ち。絶対、様になる。必ず、彼女を取り込んでこのコスプレイベントに参加してやろう。沙亜紗は、1DKの薄暗い一室で、決意を固めるようにグッと拳を握った。
荘子は、警視庁のスカムズ対策室でテスト勉強をしていた。モニターに映る問題を解いていたその時、背後にただならぬ気配を感じた。荘子はスカートのベルトに挟んであるスタンガンに手をかけながら振り向いた。そこには、笑顔で近づいて来る沙亜紗がいた。
「沙亜紗さん?」
沙亜紗は荘子のPCのモニターに表示されている数式を見た。
「こんなところで勉強?」と沙亜紗は尋ねた。
「はい、いつスカムズの予告状が届いても対応出来るようにここで勉強した方が良いと思いまして」
もちろんそれは嘘だ。荘子はスカムズなのだから、予告状がいつ届くかなんてことはわかりきっている。荘子は勉強する振りをして、普段のスカムズ対策室の、警視庁の様子を探っていた。
「本当、関心しちゃうわね。ところで——」
沙亜紗は荘子の隣りの椅子に座った。
「荘子さんって、アニメに興味はない?」
「アニメですか? あまり見ないですね。勉強や捜査など、他にすることがありますので」
勉強を怠ることなく、スカムズの活動と国家公務員としても活動しているのだ。趣味に割くような時間はまるでなかった。
「では、アニメが嫌いってわけではないのね」
「そうですね、うさ助とかは好きですし。ぬいぐるみなど集めたりしていますよ」
「それなら——」
沙亜紗は、周りを注意深く見回した。
よし、誰も居ない。
「単刀直入に言うわ。私と、コスプレしない?」
「は?」
思いもよらない言葉が飛び出した事により、荘子の頭脳はフル回転を始めた。コスプレとは、特定の職業専用の衣服や、またはアニメの登場人物の服装を真似てその人物になりきる行為の事だ。話しの流れからすると、アニメのコスプレだろうか。
「私がしたいのはこのキャラクターなんだけど……」
そう言って、沙亜紗はタブレット型PCの画面を荘子に見せた。
「じゃーん!」
そこには、仲良さげに寄り添う2人のメイド服を身に纏った双子のような可愛らしい女の子のキャラクターが表示されている。片方の娘は綺麗な水色の髪で、もう一方の娘はピンク色をした、ふたりとも同じようなショートカットの髪型をしている。
「可愛いでしょ! これ1人でやるよりも2人でやった方が断然良いと思ってさ!」
まさか、この女性はわたしにこのコスプレを一緒にやろうと言うつもりなのだろうか。
「ひとりでも良いと思いますが。十分可愛いです」
「そんなことない! こうやってふたりでやると——」
沙亜紗は、タブレットに表示されている画像と同じようなポーズを取った。
「どう、様になるじゃない! さぁ、荘子さんもやってみて!」
「遠慮しておきます」
そう言って、荘子はまたパソコンに向かった。
別に、コスプレに抵抗がある訳では——本音を言うと多少ある。恥ずかしい。マキナ達ならまだしも、わたしにあんなキラキラした姿は似合わないと思う。それに、勉強や理想の世界を造る作業の方が大切だ。
趣味に興じる時間など、ない。
荘子がパソコンに向かってキーボードを叩いていると、後ろからさっと、沙亜紗のスマホが差し出された。その液晶画面には、何かのクーポンチケットのようなデータが表示されていた。
「もう、わたしは食事のクーポンなんかで釣られたりしま……こ、これは……」
「ふふ、荘子さん、ここ、行きたがってたでしょ」
それは、農場レストラン『モクモク』の特別お食事券だった。
モクモクは直営の農場があり、新鮮で健康的な野菜や肉などの食材が味わえるビュッフェスタイルのレストランだ。他のバイキングスタイルのお店と一風変わっていることや、健康的な料理が味わえるという事で大変評判が良く、常に3時間待ちは当たり前の人気店だ。
野菜が大好きな荘子にとってはとても気になるお店だったが、3時間も待たないといけないという事で(実際はそんなに待ちませんでした。電話番号を登録すれば、順番が近づくと連絡してくれるシステムがあります)学業やスカムズ、捜査に携わる時間を考えるととても行けるものではなかった。
理想の世界を創った後で、ゆっくりとモクモクで食事をしようと密かに考えていたほどだ。しかし、この特別お食事券があれば、一切待つ事なく食事が楽しめる(この券もフィクションです)。しかし、このお食事券は通常では手に入らないものだ。まさかこの女、コスプレをしたいという私欲の為に国家権力を振りかざしてこのお食事券を手に入れたのではないか、その可能性は十分にありえる。
「それで、わたしを揺するつもりですか?」
沙亜紗はニヤリと笑った。
「揺すりじゃないわ、お誘いよ」
そう言って、スマホを左右に振ってみせた。
食べ物に釣られるなど、新しい世界を創ろうとしている者が、そんなこと、あってはならない……
ゴクッ——荘子は大きく生唾を飲んだ。
港区、金城ふ頭の廃工場で、4人の黒い影がパソコンのモニターを囲んでいた。その4人のグループの1人の、鍛えられた筋肉質の二の腕に、小さな鳥の刺青を入れている。
「スパロウ、とうとう明日ですね」
スパロウと呼ばれたその刺青の男は、静かに頷いた。
「あぁ、平和ボケしているこの国に、思い出させてやる時がきた。死というものが、常にすぐそばにあるということに」
スパロウは、手に握った拳銃を見つめた。
「これが最後の仕事になる。気合い入れろよ」
「おう!」
男達の掛け声が、地獄から響いてくる亡霊の叫びのように廃工場の中にこだました。
「とても似合ってる! やはり私の目に狂いはなかったわ」
「そうですか……?」
荘子は、大きな姿見の前に立っていた。
鏡の中の自分は、まるで別人だった。水色をしたショートカットの髪。普段着ることのない、ひらひらしたメイド服。胸元と二の腕が少し露出していて、恥ずかしい。
頭の上のレースがついたヘッドドレスに、青い瞳。肌が白い荘子には、この衣装が良く似合っていた。しかし、荘子は特に満足感を抱く事もなく、ただ恥ずかしいと思うばかりであった。
「あの、ここで写真を撮って終わりにしませんか?」
荘子としては、写真を撮るのも憚れるが。
「何言ってるの。せっかく着たんだから、みんなに見てもらわなきゃ!」
「みんな、というのは?」
「決まってるじゃない。今日パレードを観に来るお客さん達よ!」
「なんでそんな事をしなくてはなならないのですか? わたしは約束通りコスプレをしました。これで十分ではありませんか。さぁ、大人しくモクモクの特別お食事券を渡して下さい」
荘子は、そのひらひらのレースのついた右腕を上げ、沙亜紗の前に差し出した。
「荘子さん。残念ながら、その特別お食事券は譲渡不可なのよ。私本人、もしくは私が同伴じゃないと、その券は使えない。虹彩認識システムを使ってるから、ズルしようたって無理よ」
やられた、と荘子は思った。この状況では、沙亜紗の方が圧倒的に有利な立場にある。もし沙亜紗がこの姿で恋ダンスを踊れと言っても、わたしは断れない立場にある。
「さぁ、そろそろパレードが始まるわよ!」
くっ、なんとかしなくては……。
更衣室を出て、商店街の通りに出る。周りはコスプレイヤーと観客で溢れかえっている。
このコスプレイベントは、門前町通りや大津通りを歩行者天国にした大掛かりなイベントで、奈護屋京知事も参加する。
荘子はまんべんなく辺りを見回した。もし、こんなところをマキナ達に見つかったら、何を言われるか分からない。わたしの自尊心に大きく関わる問題だ。絶対に、電気街に近づいてはならない。しかし、よく考えてみればスカムズともあろう者が、闇に生きる者達が俗世のコスプレイベントに興じるなどあるわけが——
「にゃー! フリーザ様のコスプレ可愛い!」
「やっぱマキナはヤムチャだなー!」
「何を言っている、あれは3次元の人間が衣装を見に纏いメイクし仮装し真似ているに過ぎない。このリアル世界の人間がどう足掻こうと、2次元には勝てない」
——ぎゃー!!! 居た!!!!
しかも唐揚げ食べながら楽しそうに観覧してやがる……
荘子はすぐさま沙亜紗の胸に抱きつくように顔を埋めて、マキナ達に隠れるような体勢をとった。しかし、その仕草が可愛らしく見えてしまったのだろう、かえって周りの注目を集める事になってしまった。
「か、可愛い!」
周りにいたカメラマンが、一斉に荘子と沙亜紗に群がる。荘子は必死に顔を隠すが、沙亜紗はガッツリとポーズを取り捜査の時より生き生きした表情を浮かべている。
「お、あの水色とピンクのメイドさん可愛いべ!」
しまった、マキナがこちらに気づいてしまった。
「にゃにゃ〜お持ち帰りしたい!」
幸い、まだ沙亜紗の顔はスカムズに割れていない。
……いや、沙亜紗は捜査一課の管理官だ。知ってはいるが、まさかこんなコスプレをする訳がないという先入観で気づいていないだけかもしれない。しかし、わたしが顔を見られたら、さすがにバレる。
「さ、沙あ……いや、姉様、はやくしないとパレードが始まってしまいますよ」
「あぁ、そうだね! もうちょっと撮られたかったけど行きましょうか」
荘子は右手で顔を隠しながら、左手で沙亜紗を引っ張ってカメラマンと観客の間を走り抜けた。
「あの娘恥ずかしがってて可愛いにゃ」
「ふん、コスプレをするなら堂々とそのキャラになりきるべきだ」
荘子はなんとか死線を潜り抜けた。しかし、その後にさらなる試練が2人を待ち受けていた。
荘子達はパレードの列に加わっていた。コスプレイヤーの人達が大須の商店街を練り歩き、最後にメイン会場に集結するという流れだ。相変わらず、荘子は顔を隠しながら歩いている。 しかし、妙だな。荘子は思った。
やけに警備の数が多い。知事が来ると言っても、ここまで厳重な警備はしないだろう。何かあったか……
「おかしいわね、この警備体制は異常だわ」
沙亜紗も気づいたようだ。コスプレに興じていても、さすが敏腕と謳われた刑事だ。周りを観察する事は忘れない。
「おまけに、公安の人間までいる」
パレードを観覧する人々の後ろに、規則的に制服警官が並び、一般客に紛れた私服警官の姿も見られる。
「まさか、テロの予告でもあったかしら」
そうなると、非常にマズい。沙亜紗は思った。事件となると、警備局だけではなく捜査一課が出てくる。捜査一課の人間には、私の顔は割れてる。こんな姿見られたら、私の今後に関わる。その時だった、荘子と沙亜紗、ふたりの表情が凍りついた。
「も、萌、千聖……」
「な、納屋橋捜査一課長……」
右手の観客列の中に、よく知った制服姿の萌と千聖の姿が、左手には鋭い視線で周りの様子を観察する、スーツ姿にコートを羽織った納屋橋がいた。
千聖は目をキラキラさせてパレードを眺めているが、萌は興味なさそうに遠くを見るような表情をしている。一方、納屋橋はそばにいた刑事らしき男とヒソヒソ話しをしている。
彼女ら(彼ら)に見つかったら、わたしの命に関わる……!
「しょ、荘子さん、充分楽しんだから、そ、そろそろ帰りましょうか」
「は、はい、そうしましょう」
水色とピンクのメイドは、勢い良くパレードの列を飛び出した。しかし、その行動があだになった。
「あ、萌、あのメイドさん」
千聖が荘子の方を指差した。
「うん、なに?」
「荘子に似てる!」
「え、荘子?」
は、はうぁ!
同時に、納屋橋達も反応した。
「管理官、あの2人……」
「我々を見て態度を変えたな。追え」
「はい!」
ひぃぃぃぃ! 来ないでぇぇぇ!




