第20話
目の前が、真っ黒になり、絞められていた首の痛みもなくなった。
真っ黒な闇が揺れている。
いや、それは闇ではなかった。
漆黒の黒い翼だ。
『ごめん、遅くなった』
それは、なづきの後ろ姿だった。
なづきの、鞭のような紐状のエボルヴァー『リリパット』でボスの左手、両足を縛って行動不能にしていた。荘子の首を握り潰そうとしていた右手は、肘の辺りから消失していた。そして、ボスに肩車されるように、マキナが両脚でボスの首を締め付けるようにして広い肩の上に乗っていた。
『おめぇ、うちのかわい子ちゃんに何してんだよ』
マキナのエメラルドグリーンの瞳が鈍く光り、ボスのソフトモヒカンの髪をぐっと引っ張りながら、黄金色に輝くエボルヴァー『ハイン』でボスの太い首を鮮やかに切断した。
首の無い巨体に跨り、返り血を浴び、生首を無造作に掲げているその姿は、まさしく死神だった。その光景を見て、荘子は再び、揺るぎない事実を再確認する。
この3人は、わたしを殺そうと思えば、いつでも殺すことができるのだ。
マキナはボスの骸から降りると、「お前も違う」と言って、手に持っていたボスの顔に赤い筆で×印を書き、生首を投げ捨てた。それが済むと、志庵が駆け寄って来て、仰向けに倒れている荘子に手を差し伸べた。
『遅れてごめんにゃ』
『いえ、ありがとうございます』
ゆっくりと立ち上がると、なづきが三条を拾って来て、荘子に差し出した。そして、倒れている磨瀬木の方を見た。
『出来るか?』
荘子は何も言わずに頷き、三条を受け取ると、磨瀬木の方に歩き出した。
荘子——
マキナが荘子に何かを言おうとしたが、志庵がそれを制した。荘子は落ちていたカタナのエボルヴァーを拾い、磨瀬木のそばに投げ捨てた。磨瀬木は少し顔を動かし、それを見た。
『拾って』
「はは、ただじゃ殺してくれないってわけかい、スカムズ」
そう言うと、磨瀬木はカタナを掴み、腕に力を込めて上半身を起こすと、震える脚で立ち上がった。
「言い訳するつもりじゃないけど、俺は自分で、俺はとんでもない罪を犯してしまった、とんでもないクズだって分かってる。だから、お前達に殺されるのも当然だと思ってる。だから、気の済むまで俺を痛ぶって殺してくれよ。それで、俺の罪が消える訳じゃないし、俺が殺した人間が生き返るわけじゃないし、俺がクスリを売った人間の人生が元に戻る訳じゃないけど、でも……」
磨瀬木はカタナを強く握り、真っ黒な刃を出現させた。そして、荘子に斬りかかった。荘子も三条を起動させ、磨瀬木の刃を受ける。
わたしは、まだ迷っている。
磨瀬木の刃は、荘子を傷つけようとする意志は全くなかった。荘子も、力無い磨瀬木の刃をかわすだけだった。
磨瀬木お兄さんは、わたしにとって特別な、大切な人だ。
生命の刃がぶつかり合い、眩い光りが散る。
でも、だからといって、お兄さんだけを見逃すようなことは許されない。磨瀬木お兄さんは、多くの人を麻薬中毒者にして、挙げ句の果てに人を殺した犯罪者なのだ。
犯罪者は全て、殺してしまうべきなのだ。
きっと、どんなに救いようのない犯罪者にだって、大切に想ってくれる人はいたはずだ。あの通り魔の犯人を匿っていた女性だって、悲しんだかもしれない。だから、わたしだけ、磨瀬木お兄さんだけ、なんていう例外は許されない。わたしが心に誓った信念に従うならば、もしお父さんやお母さん、千聖や萌、大切な人たちが犯罪を犯したとしても、わたしはその人を手にかけなければならない。その覚悟がなければ、わたしが理想とする世界なんか、到底創れないし、それを創ろうとする資格すらない。
しかし、磨瀬木の顔を見るたびに、決意が揺らぐ。
いい歳した大人なのに、子供のように笑うあの笑顔。家で剛と晩酌をし、酔っ払って荘子を肩車して家中走り回ったこと。荘子が磨瀬木のために描いた似顔絵を、心から嬉しそうに受け取ってくれたこと。
振り払おうとしても、次々と思い出が湧いてきて、心の中を満たした。それは、涙という形をとって、荘子の瞳からこぼれ落ちた。
このわたしの一撃で、それらは全て無と化してしまうのだ。人を殺すということは、そういうことなのだから。
ダメだ。
「くっ!」
荘子は磨瀬木を弾き飛ばした。そして、背中から倒れた磨瀬木のそばまで来ると、少しだけマスクをずらし、その黒いフードの中にある素顔を磨瀬木に見せた。それを見た磨瀬木は、大きく目を見開いたまま、少しの間動けないでいた。
「な……。まさか、しょこたん、なのか?」
「うん」
「はは。ははは、まさか、まさかな」
磨瀬木は上半身を起こし、頭の後ろを撫でた。
「驚いたよ」
地面に手をつき、ゆっくりと立ち上がる。
「まさか、こんなことってあるんだな」
もう、立っている事もつらいのだろう、腰を曲げ、両手を膝の上に乗せている。
「まさか、しょこたんがスカムズだったなんてな。警察を子供相手のように翻弄して鮮やかに犯罪者を始末するから頭のいい奴らなんだろうなとは思ってたけど、しょこたんなら納得だ。昔から、正義感は強かったしな」
「磨瀬木お兄さん、わたしは、磨瀬木お兄さんを、殺さなくてはならない」
磨瀬木は肩の力を抜いて、微笑んだ。
「あぁ、分かってるよ。覚悟は出来てる。俺は、取り返しのつかない事をしてしまったんだから。しょこたんは、正しい」
そう言うと、再びカタナのエボルヴァーを起動させ、黒い刃を出現させた。
「見てくれよ、俺のオーラ。こんなに真っ黒になっちまった。一筋の光りすら存在しない、完全な闇の色だ。どうして、こんなことになっちまったんだろう」
磨瀬木の瞳から、涙が溢れ落ちた。
やるんだ、犯罪者を殺すんだ。
荘子は、刃を磨瀬木の方に向けて三条を構えた。しかし、手が震えて、切っ先が左右に揺れ、うまく狙いを定める事が出来ない。
「だが、分かってる。もう、後戻りは出来ない。さぁ、しょこたん、やってくれ」
磨瀬木はカタナを捨て、両手を広げた。
その姿に、荘子は見覚えがあった。
まだ幼い自分を、抱きかかえてくれようとするポーズだ。もちろん、もう小学生だった荘子は断固として拒否していたが。
その姿を見て、荘子は理解した。
磨瀬木お兄さんは、最後まで、わたしを許し、理解し、わたしの全てを受け入れてくれようとしている。それは、本当の兄のような、家族のような姿だった。ならば、わたしはその想いに全力で答えなければならない。
ここで出来なければ、世界を変えることなんて出来ない。
「拓にぃ。ありがとう」
「あぁ。俺なんかを殺して捕まっちゃいけないから、証拠はしっかり消してけよ」
磨瀬木は、笑顔だった。
荘子は、三条を全身全霊を込めて、磨瀬木の胸に突き刺した。マキナに教えてもらった通りに、心臓を、確実に狙って、刺す。磨瀬木の口から、血が流れ出す
磨瀬木は、微笑んでいた。
「しょこたん、ありがとう」
こんなに嬉しいことって、あるかい?
神様ってのは、ホント、甘ちゃんだな。
神様は、俺みたいなクズにも、最後に救いを与えてくれたのだから。
だけど、やっぱ、残酷だ。
最期に、もっとも大きな罪を犯してしまったのだから……
磨瀬木は、両手を広げたまま、背中から倒れた。荘子が放った寸分の狂いもない精確な1撃で、磨瀬木は眠りについた。荘子の瞳から、一粒の涙が溢れ出し、頬を伝い、大理石の床に一滴、静かに溢れ落ちた。
闘いを見届けたマキナ達が、ゆっくりと荘子のそばに寄ってきた。
「磨瀬木の顔に、×印を描いてください」
磨瀬木の安らかな顔を見つめながら、荘子が言った。
「今日くらいは、いらないべ」
「いや、ダメです。描いてください。磨瀬木だけ例外だと、怪しまれます。そこから、父が何か、勘付いてしまうかもしれない」
「……分かった」
マキナは腰のポシェットから筆を取り出すと、磨瀬木の顔に豪快に×印を描いた。
お前も違う——別人でよかった。
マキナは、磨瀬木が持っていたカタナ型のエボルヴァーを拾い、それを荘子に差し出した。
「持っておきな」
磨瀬木が握っていた、刀の柄の形をしたエボルヴァー。磨瀬木の血だろうか、まだらに赤く染まっている。荘子は首を横に振った。
「所持品を持ち帰るなど、不必要な事をするとそこから綻びが出る可能性があります。危険です」
「そんなのいいって! 荘子の、覚悟の証だ。取って置きな」
荘子は、マキナの手に握られている磨瀬木のエボルヴァーを見つめた。
「はい」
荘子は、そっと磨瀬木のカタナを受け取った。磨瀬木の温もりが、残っている気がした。
「頑張ったにゃ、荘子。みぃが抱きしめてあげる」
そう言って、志庵は荘子の背中に抱きついた。
「もう、くすぐったいですよ」
なづきは、荘子の正面に立ち、まっすぐに荘子の瞳を見つめた。
「よくやった。大仕事だったが、その分儲けた。ラーメンを奢ってつかわそう」
「ありがとうございます。それで、わたしはスカムズに入れてもらえるのでしょうか?」
マキナと志庵となづきは顔を見合わせ、その後両手を大きく広げて言った。
「スカムズへ、ようこそ!」




