白殻のパンドラ #.03
「姫ちゃん。脱いでください」
「……う、うん」
「入れますね。痛かったら、我慢せずに言って」
頷き、声を出さないように唇を引き結んだけど――
「……んっ! んぁあっ!」
わたしの中に八重ちゃんが入ってくる――!
別にわたしたちは、人に言えないようなことをしているわけじゃない。
制服を脱いで、下着になって、気持ちよくなれる薬を塗って、八重ちゃんと繋がってるだけ。
目を閉じ真っ赤になって声だけを聞きながら、繋がっているわたしの手を握ってくれている舞桜ちゃん。
わたしはひとりで入れられないから、橘先生に入れるのを手伝ってもらった。
……
…………
複写コードを。
わたしと八重ちゃんは、いま繋がっている。
剣山のように、でもそれとは比較にならないくらい細い針が両端に付いたコード――複写コードによって。
複写コードはその両端を、お互いのうなじの辺りに差し込んで使用する。
麻酔は使ってないしそれだけなら当然痛いんだけど、ほかの感覚を発生させて痛みを上書きすることで中和している。何の感覚なのかは……察してください。
その感覚を与えるために、うなじと、針自身にも液体状の薬品を塗布する。
麻酔を使ってする方法もあるけどこっちのほうが楽なので、一般的に普及してるのはこっち。
結局、いま何をしているのかというと……、
魔術の刻印、正確には刻印された魔術を複製する作業。
八重ちゃんの(たぶん)脳内にある魔術の刻印を、わたしの(おそらく)脳内に複写する。これで八重ちゃんの魔術を、わたしも使えるようになる。対『ゴルゴタ』戦に向けての下準備その一、だそうです。
儀式を行って、とか、修業をして、とかじゃないし、まして魔法円を展開して契約、とかみたいな魔法のイメージからは、かけ離れていると思う。
でも内部的な伝達や刻印なんかには、魔術が使われてたりするとかしないとか。
薬品のことも含めて刻印作業に関わるものの詳細は、一般公開されてない類のやつなので知りようがない。
すぐに魔術の修得と使用ができるようになるので、とても便利な方法なのだけれど、残念ながら欠点もあって。
魔術を刻印できる領域には限りがある。魔術適性と同じように、人によって広さとかが違うし、成長する感じのやつ。
そういう理由から、一人が使える魔術の数にも限界がある。
そしてもう一つ。
刻印されている魔術は、競合してしまうことがある。組み合わせが悪ければ、魔術がまったく発動しないなんてことも。
雑に例えると、ひとつのグラスにミルクとコーラを注ぎこむようなイメージ。それはミルクでもないし、コーラでもない。別の何かになってしまう。
つまり、競合しないように魔術を刻印していくことになるわけで。そのためには主に同系統の魔術を刻印する必要があるので、魔術の方向性にも偏りが出る。
これが、魔術士が分類される理由の一つ。
残念ながら、一人で白も黒も使えないわけなのです。
実は、刻印される側は特に何もしないし、何も感じない。いつ始まったのか、終わったのかもわからないくらい。
コードを抜き差しする時はアレだけど、差している間はうまく中和されていて、ほとんど何も感じない。
……でも、わたしはこの作業がすごく苦手で。
何もやらなくていいと、逆にその間、頭の中をいじられている気持ちの悪いイメージが膨らんでいくから。
最近は刻印なんてする機会もなかったし、特に。
だから、不安な心を少しでも和らげるために、舞桜ちゃんに手を握ってもらってる。表情を見られるのが恥ずかしいので、目は閉じてもらった。
――時間にしてほんの数分。
カーテンで仕切られた向こう側のベッドから、八重ちゃんの声がする。
「――終わりました。えりちゃん、コードを」
「わかりました。姫乃さん、抜くわね?」
「はい、お願いします」
終われば、体に空いた穴も、体内に入った薬品も、回復魔術で治療と除去をする。だから魔術の刻印には、治療者が付き添うことになっている。
わたしはいま自分を治せないので、代わりに先生が治してくれるらしい。
……つまり、先生も治療者だったみたい。
ふと先生を見ると、いつの間にかナース服に着替えていた。
……形から入るタイプなのかも?
「我はすべて毒あるもの、死に至らせるものを絶つ」
聞いたことのない詠唱。
これも八重ちゃんの世界の魔術?
「ひめちゃん? もういい?」
下着姿くらいなら……って考えて、一瞬、見られるのを想像したけど……うん。ダメっぽい。ちょっと恥ずかしい。……ううん、かなり恥ずかしい。もう一緒にお風呂とか、とてもじゃないけど無理そう。
……舞桜ちゃんには、もう少し待ってもらうことにする。
先生に薬品と血を拭きとってもらって、制服に着替え終わったあと、
「情報漏洩を防ぐために――アナログですが、こちらを」
八重ちゃんにファイルを渡された。
「今回の変更内容や、刻印した魔術の効果、詠唱などについて記述したものです」
パラパラとめくってみる。
「あ、『浄化』消しちゃったの」
「はい。容量の関係で。それにいまは、ランダムで何かの弱化を発生させる使い勝手の悪いものになってますから」
刻印可能な領域も、わたしの成長に合わせて拡張されていたみたいで、『浄化』以外は消されてなかった。さすがわたし。
「姫乃さん。先生からもこれを渡しておきますね」
表紙には、
『不可解な回復魔術の挙動に関する考察』と、書かれていた。
「みかんちゃ――
……こほん。先生の奥さんが、貴女のお母様たちの回復魔術、反転現象についてまとめた資料です」
……これが八重ちゃんの言ってた『回復魔術を改善する近道』か。
「ありがとうございます。参考にさせてもらいます」
ママたちは二人とも天才タイプだから、本人たちには当然のことでも、わたしには理解が及ばないことも少なくない。別の人の視点から視た資料は、ありがたい。
……あれ?
「先生は、ママたちと知り合いなんですか?」
言ってから気づいたけど、支部長(代理)とママたちクラスの魔女なら、知り合っていないほうがおかしい。
「菫さんたちが学生だった頃、一緒にパーティを組んでいたことがあるの。彼女たちとはその時からの付き合いね」
……そんなに昔から。
ママたちがいま三十六歳だから、ママたちが学生の頃ってなると、先生もいま……? いや、それは先生もその時に学生だったと仮定した場合で、その時からすでに先生なんだとしたら……?
「あら、姫乃さん? 何かしら?」
にこり、と笑う先生。
「……い、いえ。何でもないです」
「姫乃さん、舞桜さん、お疲れ様でした。今日の準備はこれで終わり。もう遅いから送っていくわ」
またいつの間にか先生はワンピースに戻ってて、その服装によく似合ったつばの広い帽子を被っていた。
先生が部屋の奥にある扉を開く――と、
扉の向こう側は、わたしの部屋だった。




