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陳思王軼事  作者: 仲秋しゃお
清河
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(三十一)天人

「しかし、そなたの話を聞いていると、分かるようで分からんな」


 しばしの空白を置いた後、曹植がふたたび口をひらいた。


季珪(きけい)どののような男か」


「え?」


「婦女子にとっていちばん最初に憧れの対象となるのは父親だと聞く。

 堂々たる体躯、四尺の顎鬚(あごひげ)に加えてすばらしく優美な目鼻立ちを(そな)えたあの偉丈夫を父親代わりとするむすめが、それほど一途に思慕を捧げる相手とはどれほどの傑物か、気になるではないか」


 そなたの好いた相手が気になる、と告げられたことに、崔氏は思わず胸が収縮するような昂揚をおぼえた。


 が、よくよく考えなくとも、こんなくつろいだ口調で発せられた問いに深い意味があるわけはない。

 適切な回答を探さねばならない、と少しだけうつむきながら、床に目を這わせた。


「仰せのとおり、季珪叔父はずっとわたくしの憧れのひとでした。むしろ、誇りと申しあげるべきかもしれません。

 小さいころからずっと、叔父上のような殿方でなければむしろ誰にも嫁ぎたくない、と心に願うほどだったのです」


「ということはつまり、そなたの想い人の美男子ぶりはあの御仁に伯仲するわけか」


「はい、その、何と申しますか―――わたくし自身はそのかたのお姿が、涼しげなお顔立ちも、豊かな表情も、ゆったりした仕草も好きですが、―――とても好きですが、万人がみとめる美男子、というわけではないかもしれません。

 お背丈もやはり、季珪叔父のように八尺や九尺とはまいりません」


「そなたもそういう女か。

 男の価値が身長で決まると思ったら大間違いだぞ」


 遺憾そうに力を込めて、曹植が唐突に主張しだした。


 体躯が矮小なことで知られる父曹操ほどではないとはいえ、彼の丈も中原の男性の平均よりはやや低い。

 一方、崔琰と同じく長身の血筋をよく受け継いだ崔氏の丈は中原の女性の平均よりはだいぶ高く、ついでにいえば曹植よりも少しばかり高い。


 古来、女子であっても身の丈が低いよりはすらりと高いほうが喜ばれる。

 十三を過ぎたあたりから背が伸び始めてきた崔氏は、親族の婦人たちからおまえは幸運だと言い聞かせられ、自分でもそういうものかと思うようになった。


 しかしながら、数え十七になっても緩やかな成長はつづいており、おそらく族母たちの想定以上に伸びそうな気配である。

 そのうえ今ここに来て、自分より小柄な青年を好きになってしまった。

 世の中うまくゆかぬものだと崔氏は思った。


「願わくはそのかたも、婦人の身の丈に拘泥されねばとよいと思っております」


「そなたよりも短躯なのか」


「―――少しだけ」


「それはまた、親しみが湧く」


 崔氏はわずかに肩をこわばらせた。


「が、上背があるというだけでそなたの蕙質(けいしつ)を見過ごすような男なら、未練なく放念してしまえ。この俺にのりかえたほうがよい」


 曹植はそう言って快活に笑った。


 ふふ、と崔氏も笑いながら、片袖で口元を押さえた。

 けれど、いくら()(ごと)で流そうとしても、徐々に頬が熱くなるのを止められなかった。

 やや一方的ながら、きっぱりした声で話題を変えようと試みる。


「ご容姿のことはもう、いいのです。

 いずれにしても、理想とは違うかたを好いてしまったのですから」


「では、中身が季珪どのに似ているのか」


「中身、―――いいえ、お人柄は外貌よりもさらに違っておられます」


「ほう」


「わが叔父のような謹厳さや端正さには全く欠けておられて、礼教を重んじられる気配もなく、―――まことに、なぜこれほどに心を惹かれてしまったのか、自分でも分からないのです」


「幼なじみというやつか。長く過ごしているうちに情が深まってしまったのだろう」


「いえ、そういった相手でもなく、―――何と申し上げればよろしいのでしょう。

 お笑いになるかもしれないけれど、まるである日突然、天から伸びる糸で引き寄せられたかのような」


「何と、そなたの想い人は天人か。それは遠い相手だ」


「ええ、遠いのです。とても、とても遠い」


 曹植は笑いを収め、落ち着いた顔になった。


「家格の問題か」


「はい。―――いえ、たしかに家格の差は歴然としておりますが、それよりももっと大事なのは、そのかたのお心は決してわたくしのものにならぬということです」


「どうして分かる」


「どうしても、分かるのです。

 少なくとも、そのかたのなかにはいつもあるご婦人のための場所があって、誰もそこには立ち入りを許されぬかのようです。

 ―――それゆえに、わたくしには、永遠に遠いひとです」


 曹植は黙って崔氏を見ていた。

 これほど揺るぎないまなざしで彼からじっと見つめられたのは、ほとんど初めてのことだった。


 ふと、わたしはすべてを見透かされているのかもしれない、と彼女は目を伏せた。


「季珪どのは、そなたのためにすでに婿を定めているのか」


 曹植が思いがけないことを言った。


「いいえ。まだ、いずこの家とも正式な婚約はございません。ただ」


「ただ?」


「おそらくは、毛孝先(毛玠(もうかい))さまのご子息に嫁ぐことになるかと存じます」


「あの御仁か。たしかに、季珪どのと同じ東曹(とうそう)勤めのうえに、単なる同僚以上に親交が深いと聞いている。

 剛直、厳正、質朴な気質を謳われることでも似ているしな」


「はい。むろんご子息本人にお会いしたことはございませんが、先年、許都(きょと)にて笄年(けいねん)(十五歳)を迎えましたあとで、叔父の意向で叔母や従弟たちとともに毛孝先さまにご挨拶申し上げたことがございました。

 その際、わたくしにもいくつかご質問をなされましたので、あるいは、と思うようになったのです」


「妻子を引き合わせるほどの堅い信頼と心おきなさがあるというわけか。

 たしかに、姻族となる準備を固めるには十分だ」


「ただ、その後あちらのご親族にご不幸がつづいたため、毛孝先さまと叔父の間で具体的なお話は進んでいないようではございますが。

 ―――さりながら、すでに二年を経ておりますから、喪は遠からず明けましょう」


「だが、納采(のうさい)でもって正式に約定(やくじょう)したわけではない」


「はい」


「そなた、俺の妻にならぬか」


 崔氏は目を上げて曹植を見た。表情は相変わらず真摯だった。


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