(二十一)白木の瑟
彩色も彫琢もない、生地のままの桐でつくられた瑟を、崔氏たちは曹植の枕元へと運んできた。
彼女は王経をもといた房へ帰したあと、
「何を弾きましょうか」
と曹植に尋ねようとして、わけもなくためらいを感じた。
王経との今しがたの会話は胸から一掃したつもりでいたものの、どこか深い淵にかけらが沈んでいるのかもしれなかった。
「そなたの得意なものを」
家人以外の前で演奏したことのないむすめが緊張していると思ったのか、曹植は問われる前に声をかけた。
崔氏はうなずき、しばし弦を整えてから、ゆっくりと爪を下ろした。
このような田舎の茅屋で、宮廷楽人のようなたいそうな技巧を―――そして、それ以上の何かを期待されているはずはない。
いつもどおりに弾けばいいのだ、と思った。
上体だけ起こした曹植はしばらくこちらを眺めていたが、やがて枕元の几にもたれかかり、窓の外を見るようになったようだった。
一曲弾き終えても何も言われないので崔氏は別の曲を弾き始めたが、三曲目を終えたところで曹植がこちらに向き直り、ぽつりと言った。
「よかった」
「お耳汚しをいたしました」
「いや、よかった。飾りがなくて心が静かになる。まことに素の音だな」
「えっ」
「どうした」
「なにゆえ、わたくしの名をご存知なのでしょう。家の者が申し上げたのでしょうか」
「名前?―――ああ、そなた名を素というのか。みだりに口にして悪かった。
俺が言ったのはその瑟のことだ。
奏でられる音と同じ、装飾のないつくりだと思った。白木のままの楽器は、これまであまり見たことがない。
だがたしかに、素という形容はむしろ、そなたにふさわしいようだ」
曹植の微笑はいつものように屈託なかった。崔氏は目元を赤らめ、うつむいたまま何も言わなかった。
人の名は一種の禁句である。殊に女子の身ならば、親族や夫以外の人間に名を知られるなどあってはならぬことだった。
だから曹植が詫びを口にしたのも無理はないが、崔氏の顔が赤くなったのは、夫でもない男に名を知られたためだけではなかった。
彼に名を呼ばれたとき―――正確には彼がその語を口にしたとき、身体の芯が火照り焦がれるような気がした。あたかもその指で素肌に触れられたかのような熱さだった。
けれどそれは不快でも恐ろしくもなく、むしろ切なくも心地よいようなふしぎな感覚であり、自分のなかでそんな反応が起こったことに、崔氏はかつてないほどの羞恥をおぼえたのだった。
それ以来、曹植はたびたび崔氏の瑟を所望するようになった。
彼女が爪弾くかたわらで、横になりながら詩想を練ったり、崔家の書庫から借りた簡牘に目を通したりしている。
こんな鄙の地では不自由をおぼえることも多かろうにと崔氏は思うが、丞相の三男のほうはいたって呑気なものである。
実のところ滞在四日目になると彼の熱はほぼ下がり、家臣たちが先行して到着した平原の県城へ十分赴ける身体になったのだが、彼は自ら「よろしければもうしばらく宿をお借りしたい」と崔家の宗主に願い出、諸手を挙げて歓迎されることもない代わりに拒絶されることもなく、淡々と受け入れられたのだった。
曹植の発意はおそらく、かの大学者鄭玄にいくばくかの縁があるこの家の書庫をもう少し渉猟してみたいということなのだろうと崔氏には思われたが、どんな理由であれ彼の滞在が延びたということが、ただうれしかった。
自分がこれほど手放しで安堵を感じているという事実に、どこか不安をおぼえざるを得ないほどだった。
近年になって崔琰、崔林という族人ふたりが有力者のもとに辟召される僥倖を得たとはいえ、漢朝治下で官人らしい官人を出してこなかった清河崔氏一門の財政は、子弟に学問をさせる費用を捻出するのがやっとというところである。
むろん学者を輩出してきた家柄とは程遠いが、地方の弱小豪族としては、その蔵書はかなりの規模を誇っている。
経書や詩歌の類は元からよく備わっていたが、約四半世紀前、徴兵の令状を受けとった崔琰が二十三歳で本格的に学問に取り組み始めたころから、一門の蔵書は着実に増え始めた。
そののち彼は北海の鄭玄に師事し、約五年後にさまざまな書物を携えて清河に戻ってきたがために、崔家の書庫はますます彩りを増すことになった。
ただし戦乱の影響により、鄭玄に師事できたのは一年にも満たない期間であったため、崔琰が鄭学の本拠地にて収集できた書物はさほど多くない。
むしろ、北海から清河に帰還するにあたり、戦禍を避けるため四年もの間青州・徐州・兗州・豫州さらに江南という広大な地域の放浪を余儀なくされたことで、各地の奇書に触れる機会を得、見聞と蔵書の奥行きを大きく広げたというべきであろう。
また崔琰は、まだ郷里にて学問に打ち込んでいたころ、遠からぬ日に鄭玄に師事することを心に決めてからというもの、各種の経伝のなかでも鄭玄がとくに重視して注釈を施した書物とその関連文献を熱心に収集して読むようになった。
彼の変貌ぶりを好奇の目で見ていた崔家の族人のなかにも、次第にその熱に染められたかのように、鄭学に関心を向ける者がしだいに増えていった。
鄭玄は五経をもれなく兼修し、それぞれの経書解釈と総体としての経書解釈において余人の追随を許さない業績を残した碩学であるが、五経のうち『詩経』に関しては、前漢以来主流の学派であった今文の三家詩(韓詩・魯詩・斉詩)ではなく古文の毛詩をもっぱら支持して膨大な注釈を加えており、いわば毛詩学の泰斗である。
よって、崔琰が鄭玄に師事する決意を固めた時期と、遊学先から戻ってきた後の期間を通じて、崔家では『詩経』といえば毛詩のほうが標準になっていった。
崔琰が学問を志す以前の崔家では韓詩のほうが読まれており、若き日の崔琰自身が初めて正式に学んだ『詩経』テキストも韓詩のそれであったから、これは大きな変化である。
(平原侯さまは韓詩のほうになじまれていると伺ったけれど、毛詩の注釈書も楽しんでおられるなら、よかった)
黙々と簡牘に目を落とし、読み終えては次の簡牘を紐解いてゆく曹植の姿をそれとなく視界に収めながら、崔氏は安堵を感じていた。
今日何度めかの演奏を彼から所望されたため、ほど近い場所に座し、瑟の弦を調えているところであった。
つと曹植が顔を上げた。
「この新しいのは」
そう言って、いま机上にひろげたばかりの簡牘の文面を指さす。
「ひょっとして、そなたの叔父上が鄭康成のもとにおられたときの講義録か」
「いえ、それは鄭師父ご本人ではなく、ご高弟を通じて承ったご講述かと存じます。
叔父は、鄭師父のご講義に臨んだときの筆記原本は常に手元に置くようにしておりますので、いまは許都の邸にございます」
「そうか。だとしても、かの大儒の高弟による解説ならば得難いものだ」
そんなことを言いながら、曹植はすみやかに書物に没頭してしまった。
こうなるとこの青年は、外界からの働きかけにほとんど反応を示さなくなってしまう。
ふしぎなかた、と思いながらも、崔氏はようやく指の位置を定め、瑟を爪弾きはじめた。
ふと、こうしているととても自然に穏やかな気持ちでいられることに気がつく。
これまで自分は人見知りするほうだと思っていたが、出会ってたった数日のこの青年と朝夕一緒に過ごしていても全く緊張や疲れをおぼえないどころか、家人と接するときのようにごく自然に、ほのかに温かい気持ちに満たされながら身辺の世話をしていることをみとめざるをえない。
それはおそらくこの青年の側に、自分をよりよく見せようとする虚栄心や緊張感といったものが全くもって欠けているからなのだろう。
とにかく実にあるがままで、悪く言えばだらしがないほどに気ままな男なのだ。
ふつうならば、客人として預かるのにありがたい存在ではない。
だがそれだけでもない気がする。彼の磊落な笑顔で礼を述べられるたびに、崔氏はなぜだかもっと、このかたのためにできることを探したいという気持ちに駆られてしまう。
しかもそれがごく至当な、ずっと前から定められていたことのようにすら感じる。
そしておそらくは曹植の側も、崔氏の心の動きを自然なことのように受け止めている―――そのように見える。
(これではなんだか―――夫婦みたい)
そう思った瞬間、弦をはじく指がひそりと乱れかけたが、かろうじて音を破らずに曲をつづけられた。何と愚かしいことを考えたのだろう、とすぐに自戒する。
自分の家が彼の家と釣り合わないのは当たり前だが、それ以上に、この青年にはただひとりの想い人がいるという事実を思い起こせば、そんな仮定は虚しいものだった。
ちょうど曲の終わりにさしかかり、最後に長く伸ばした音が宙に散じてから顔を上げた。曹植もいつのまにか木簡から目を離し、こちらを見ていた。
目が合っても別に動じたようすはないが、「よかった」という謝辞とともに向けられた笑顔には何の陰翳も誇張もなく、ここにこうしてふたりでいることに安住しきっているかのようだった。
(平原侯さまには、想うかたがおられる。忘れがたいかたがおられる)
そう、忘れがたいかたがおられるのだ。わたしはそれを知っている。
そう自らに言い聞かせながらも、崔氏はついに、自らの奥底にあるものを押さえがたくなる。
(―――でも、だけれど、あるいは、ひょっとしたら)
打ち消すそばから、その思いがひそやかに湧き出でては止まらなくなった。彼女は自分自身に戸惑い、恐れを感じた。
その思いに身を委ねることの甘美さをおぼえてしまった自分が恐ろしく、けれど甘美さが損なわれることはなかった。




