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後編 許婚の弟ではなく



 婚約解消してすぐにセイルは王都へと出立した。


 デイジーは家族や村民達同様にセイルの出立を見送った。十年間も許婚という特別な関係で、家族同然だった愛しい人。セイルは不貞行為をした訳でもデイジーを裏切った訳でもない。目標と夢を持っての出立だ。どんなにデイジーの心が苦しくても、セイルの事を恨む事も嫌いになる事も出来なかった。

 ただただセイルの無事を祈って静かに見送った。


 心は今もまだセイルに囚われたまま。



 同じ事をただただ淡々と平穏に繰り返す日々。

 セイルと婚約していた時と何も変わらない日々。

 家族と共にパンを作って、売って、甥と姪の世話をして、食事を作って、部屋を掃除して、眠って。

 それなのに、たまに無性に泣きたくてたまらなくなってしまう。セイルと結婚する事をどれ程心待ちにしていて幸せな気持ちで日々を過ごしていたかを痛感する。けれど泣くわけにはいかなかった。家族にもモリアート家にも心配をかけたくはなかった。


 それに、シオンに対してとても失礼だ。

 シオンの態度は普段とまったく変わらなかった。愛想が無いのに、行動は相変わらず心優しい青年のまま。きっと彼の事を、セイルを愛したように愛することが出来る。

 けれど。

 十年というセイルとの婚約期間はあまりにも長すぎてしまった。シオンと一緒に道を歩くだけなのに、セイルを思い浮かべてしまって、心がいつも痛い。けれどシオンに気付かれたくなくて、普段通りに笑顔で振る舞う日々。


 デイジーは必死だった。

 悲しみと涙を必死な思いで堪えて笑う日々だった。


 それでも、どうしても涙が堪えられない時は、誰もやって来ないであろう雑木林の奥へと逃げるように走って行き、木陰に隠れてわんわんと泣いた。そうすると少しだけスッキリする。また明日から頑張ろう、と、ほんの少しだけ前向きになれるから――。




 セイルと婚約解消となって半年以上が過ぎた。

 秋と冬が終わり、暖かな春の季節になった今も、デイジーは雑木林に逃げ込んでいた。むしろ冬の間は雪が積もってどこにも逃げる事が出来なかった。平気なフリをして笑顔で生活する日々が限界に達していた。

 雑木林に逃げ込んだのは二ヶ月ぶりだった。


 誰にも気付かれないように。

 一人きりで泣いて、泣いて――泣き疲れてしまったデイジーはそのまま眠ってしまった。




 あまりの寒さにやっと目を覚ましたデイジーは、ぼんやりとした重たい頭を持ち上げてよろよろと起き上がる。ゆっくりと辺りを見渡して、その瞬間に現状を把握したデイジーは頭の中を真っ白にさせてしまった。


「え……もう夜なの? そ、そんな」


 太陽は沈み、夜になっていた。

 当然、この雑木林に灯りなど何一つ無い。人目を避けるために奥まで入り込んでしまっているため、村民に見つかる可能性も皆無だ。太陽の輝きを失った雑木林の中を迷わずに歩いて家に帰れる自信が無い。

 しばし途方に暮れて呆然とするしかなかったデイジーが出した結論は、この場から動かずに朝を待つ事、その一択だけだった。


 春の始まりはまだ寒さを残している。

 どんどんと冷え込む空気に手指はかじかんでいく。

 スカート姿じゃなくて仕事着のままで良かった、とデイジーは思った。白の調理場用コートに白のズボン、靴も履いている。もしも普段着だったらもっと寒い思いをしていたところだった。


「お父さん……みんな……」


 両膝を両腕で抱えて、額を膝にのせて背中を丸めこむ。

 少しだけ散歩してくる、と言って帰ってこない自分の事をとても心配している家族の様子が容易に想像出来てしまって、心がますます苦しくなった。自分がとても情けなさ過ぎる。もう半年も経つのに、未練がましくずるずると。結局多くの人に心配と迷惑をかけてしまっている。


「……シオン」


 きっとシオンも心配している。責任感が強くて無愛想だけど優しい人。デイジーにとっては許婚の弟として十年間を過ごしてしまったせいで今もまだ弟にしか見えない人だけれど。



 このまま半年後に結婚して、本当に大丈夫なのだろうか。

 ちゃんと夫婦になれるのだろうか。

 シオンは、実兄の許嫁であった自分を押し付けられてしまった事に対して、本当はとても不満なんじゃないのだろうか。



「……?」


 かさかさと、明らかに風が原因では無いような葉と枝の擦れ合う不規則な音がしてデイジーは顔を上げた。よく目をこらして正面を見て、はっと息を呑んで両手で口を覆う。

 ちらちらと光る二つの金色の光。――獣の瞳。

 瞳は明らかに真っ直ぐにデイジーに向けられていた。じりじりと歩み寄ってくる気配が伝わってくる。


「う、うそ……」


 身体が小刻みに震え出す。震えるばかりで、どうしたら良いのか分からなかった。唯一分かる事は、この場にいても逃げたとしても、あの獣は自分を襲ってくるに違いないという事だけだった。

 ガサリと、一段と大きく擦れ合う葉音がデイジーの耳に響いてくる。

 二つの光がどんどんと大きくなって迫り来る。

 凄まじい速度で走りながら自分に向かってくる獣を正面に、デイジーは立ち上がる事が出来なかった。襲い来る衝撃と痛みを覚悟して、頭と顔を守るように両腕をかざす事しか出来ない。


 声も出さずに大きく口を開けて跳躍し、デイジーの目の前に躍り出た四肢を持つ大きな獣。

 涎で濡らした見事な牙が暗闇の中で光る。


 噛まれる――覚悟して強く目を閉じた瞬間だった。


「!?」


 何かが空を切る音がした。

 デイジーの右側を、信じられない速さで何かが飛んでいったのだ。驚いて思わず目を開けた時には、獣の咆哮がデイジーの両耳に響き渡っていた。


「……矢?」


 獣の片目に一本の矢が刺さっている。痛みに獣がのたうち回っていた。


「そのまま動くな!」

「!?」


 背後から。しかし遠くの場所から聞こえた男の大声の指示に、思わずデイジーは従っていた。さらに五本もの矢が立て続けに射られ、デイジーの横を通り過ぎて次々と獣に命中する。ついに獣は咆哮すら上げる事も出来ずに血を流し、崩れ落ちる様に地面に倒れ込んだ。

 五本の矢が刺さって動かなくなった獣を呆然と見つめて、デイジーの身体は思い出したようにまたも小さく震えだしていた。安堵と恐怖で心臓がばくばくと鳴っている。震える両腕で自分自身の身体を抱きしめたデイジーの瞳から、涙がこぼれていた。



「……――ジー! デイジー!?」


 背後の木陰から飛び出すように現われた青年の姿にデイジーの瞳は釘付けになっていた。両手に弓矢を持ち、肩に手持ちランプを吊しているシオンだった。


「し……し……シオ、っ!」


 シオン、とデイジーが名前を呼ぶ前に、弓矢と手持ちランプを地面に置いたシオンは飛びつくようにデイジーを抱きしめていた。力加減は一切無かった。骨が折れてしまう、そんな危機感を感じる強さだった。


「シオ、ン。シオン、苦しい」


 喘ぐようにデイジーが言って、やっと気付いたようにシオンの腕の力は弱まった。それでもシオンはデイジーを抱きしめたまま離れない。デイジーの首筋に埋めるように顔を寄せている。

 シオンの身体が自分以上に震えている。どくどくと、シオンの胸が激しく打っているのが伝わってくる。


「……ごめんなさい。シオン。ごめんなさい……」


 恐怖心と大きな安心感。ぼろぼろと涙を溢れさせながら、デイジーはシオンを抱きしめ返していた。

 二人が抱擁したのは初めてだった。



「死のうとしたのか?」


 しばらく沈黙したままだったが、抱きしめられたまま唐突にシオンに尋ねられたデイジーはすぐに首を振って否定した。

 今まで誰にも言っていなかった秘密を正直に打ち明けた。

 一人で泣きたい時にこの雑木林に逃げ込んで泣いていたことを。今日は泣き疲れて眠ってしまい、起きたら夜になってしまっていて、死のうとした訳では無かったという事を。


「そうか。……無事で良かった」

「シオン。どうして?」

「何が」

「どうして、怒らないの。こんなに心配と迷惑をかけたのに。どうして」

「怒れる訳がないよ」


 シオンの身体が離れて温もりが消えていく。

 しかしシオンの大きく硬い両手は、すっかり冷え切ったデイジーの両手をしっかりと握っていた。目を伏せているシオンの睫毛が、ぼんやりと頼りない灯りの中ではっきりと見えた。


「デイジーが普段、一生懸命に日常を過ごそうと努力していたのは知ってた。感謝はしても怒ることなんて出来ない。今も一番に兄さんが好きだろう? それなのに、兄が駄目なら弟と、って。嫌に決まってる。けどまさか死のうとする程嫌がられていたのかと思って、さすがに焦った」

「し、死ぬ気なんて本当になかったわ。シオンは全く悪くない。助けてくれて、本当にありがとう。心配をかけてごめんなさい」


 ――今も一番に兄さんが好きだろう?


 今はもうセイルではなくシオンが婚約者なのだ。半年後には夫となる人。

 自分の本心を悟られないように、細心の注意を払ってシオンと向き合ってきた。向き合えていたつもりになったいた。

 しかしシオンには全て気付かれていた。シオン越しにセイルを見つめて、笑っていた自分。なんて酷い、最低な。

 デイジーは激しく動揺していた。


「せめて俺の前でだけはもう無理をしたり、取り繕ったりしないでくれ。一人きりでこんな場所で泣いたりするな。俺が頼りないっていう理由なら、そう思われないように、努力する。……デイジーを失う事が何よりも一番怖い」


 シオンの声は震えていた。


「俺はデイジーの事がずっと好きだったよ」


 突然の告白に、デイジーは息を呑んでシオンを見つめるが、シオンは相変わらず視線を合わせようとはしなかった。


「いつも兄さんが羨ましかった。デイジーと結婚出来るのは兄さんだから。デイジーは兄さんに一途で、そんな姿が可愛いなって思っていたし。俺の事も、昔から家族みたいに大事にしてくれてたのは知ってる。辛かった。俺は揺るぎなく『許婚の弟』だったから」


 デイジーの両手を握るシオンの両手の力がほんのわずかに強くなる。


「兄さんとデイジーが夫婦として幸せになってほしいと願った上で、ただデイジーの事を勝手に想っていた。俺もいずれは誰かと婚約して結婚すると思ってたし。でも、あんな事があって俺がデイジーの婚約者になった。俺の存在がデイジーを苦しめてる気がして、どうしたら良いかずっと分からなかった」

「……シオン……」


 初めて告げられるシオンの心内。

 シオンはシオンで苦しい感情を抱えたまま、しかし一切デイジーにその感情を感づかせる事は無かった。


 デイジーもシオンも、お互いがお互いを思いやるあまりに、それぞれに心を傷つけ合っていた。


「シオン。お願い、顔を上げて」


 デイジーが言うと、シオンは小さく息を吐き、躊躇いがちに顔を上げた。

 つり目がちな漆黒の瞳が不安げにデイジーを見つめている。


「ありがとう。シオンの気持ちを教えてくれて」

「情けない事ばかり言った気がするけど」

「ううん。情けないだなんて思わないわ」

「……生きててくれて本当に良かった」


 シオンがそんな事を言うと、泣き笑いのような、歪んだ小さな笑顔を浮かべた。シオンの笑顔を見たのは何年ぶりだろう。デイジーはシオンの笑顔から目が離せなかった。今の笑顔を忘れないように、じっとその表情を見つめ続けていた。




*

 あの夜の出来事を境にデイジーの気持ちは大きく変化していた。


 シオンと会っても、シオンを見ても、セイルの面影を追うことが無くなったのだ。デイジー自身が戸惑うほどにシオンはシオンとしてしか見えなくなっていた。

 戸惑うデイジーとは裏腹にシオンは何事も無かったかのようにいつものシオンに戻っていた。必要な事だけを話して、あとは口を閉ざして聞き役に徹する。淡々と普段通りに。唯一見られた変化は、「雑木林に行きたくなったら俺のところに来て泣け」と、顔を合わせる度に大真面目に怖い顔で言われるようになった事くらいだ。


 けれど、もう泣きたくなる事もなくなっていた。



 不思議だった。

 つんとすまして無愛想な、だけど優しい許婚の弟。十年間、デイジーにとってのシオンというのはそういう人だったのに。セイルとすらした事の無かった抱擁を思い出して、その時に伝わってきたシオンの震えと胸の鼓動を今も鮮明に思い出す事が出来る。シオンがどれ程自分の事を大切に想ってくれていたかをあの時初めて知ったのだ。

 泣きそうだったのに、生きててくれて良かったと、安心した様子で笑っていたシオン。思い出す度に、デイジーの胸は燃えて灰になってしまうのではと思う程に苦しくなる。


 もうシオンをあんな風に心配させたり辛い想いをさせたくはない。

 好きだった、と。

 長年自分の事を想い続けてくれて、けれどそんな態度をおくびにも出さずに幸せを見守ってくれていた人。


 相変わらず変わり映えのない平凡な日々を過ごし続けて、シオンの成人を迎える十八歳の誕生日――結婚式は明日に迫っていた。




「デイジー姉さーん! シオン兄さん見なかったー!?」

「え? こっちには来ていないけど」

「もぉっ! 逃げられたー!」

「えぇ?」


 両手に沢山の花婿飾りのアクセサリーをじゃらじゃらと持ったまま、怒りの形相でミシュに尋ねられたデイジーは目を丸くした。


 アルケ村の結婚式は村の中心にある寄合所で、村人総出で華々しく行われるのが慣例だ。沢山のご馳走を用意して。結婚式はちょっとしたお祭りのような感覚になってしまっているのが否めないが、変わり映えの無い田舎に暮らす村人達にとっては騒がしくも楽しく明るい気持ちで過ごす事が出来る結婚式は特別なものなのだ。


 シオンとデイジー、両家の親族は寄合所で明日の準備に追われていた。

 同時に衣装合わせの最終確認も別室で行っていたのだが、どうやらシオンは面倒くさくなってしまったらしい。ミシュとモリアート夫人、モリアートおじさんまでもがシオンの名前を大声で叫びながら探している。


 結婚式が近づく度に、シオンが言葉にはしないもののうんざりしている様子だった事をデイジーは思い出し、苦笑した。

 モリアート家にとっては初めての結婚式という祝い事で、皆気合いが入っているのも原因だろう。加えて膨大すぎる準備量。どうしてもそちらの準備に時間をとられて、しかも家族のこだわりが強すぎて余計に時間がかかっていた。満足に狩猟が出来ずにいる事がとても不満そうだった。


「私は外を見てくるわ」


 てきぱきと衣装合わせを終わらせていたデイジーはミシュに言うと、寄合所を出て、その足取りは迷わずに射場に向かっていた。



 風を切って、タン、という的を射る音がする。

 案の定、シオンは射場で一人で弓を構えて矢を射っていた。黙々と。


 デイジーはしばしその様子を後ろから静かに眺めていたが、やがて矢が無くなり、振り向いたシオンと目が合った。結婚式の準備中に脱走した事をさすがに少しは申し訳なく思っているのか、シオンは気まずそうに眉をしかめたので、デイジーは思わず小さく吹き出した。


「疲れた顔をしているわ。明日の主役はシオンなのに」

「主役はデイジーだよ。花婿なんて大して見られるわけでもないのに、なんでアクセサリー選びにあんなに長々時間をかけなきゃいけないんだ」

「まぁ。ふふっ」


 よほど嫌だったのか、無視されずに愚痴を言うシオンは珍しかった。


 射場の入り口で笑っているデイジーの元に、弓矢を片付けたシオンが歩み寄ってくる。木々に覆われた射場は夕焼けの茜色に染まっている。結婚式が翌日という事もあり、村民は明日に備えて皆すでに帰宅している者が大半だ。射場にはシオンとデイジーの二人しかいなかった。


「少しは息抜き出来た?」

「……諦めはついた」

「よしよし」


 からかうように、デイジーが背伸びしてシオンの頭を撫でようと右手を伸ばしたが、シオンに手首を掴まれてしまう。びっくりしたデイジーがシオンの顔を見ると、シオンの無表情はどこか悲しげだった。


「辛くないのか。本当にこのまま結婚して後悔しないか?」

「シオン?」

「周囲がどんなに反対しても俺はデイジーの味方だよ。……デイジーが今も兄さんと本当に結婚したいなら、俺はこのまま逃げても良いんじゃないかと、本気で思ってる。そうしたらデイジーに非はなく婚約解消になる」


 今ではまったく想像もしていなかった事を言われたデイジーは、衝撃を受けてしまった。


「私が今もセイルを好きで苦しんでいると思ってるの?」

「そうだろう? あの日以来デイジーは少し変だ。俺の顔を見ただけで変に顔を赤くしたり、そわそわしたりしてる時がある。結局俺に気を遣って、一人で泣いて我慢してるんじゃないのか?」


 デイジーは自分の失態に気がついた。

 挙動不審になってしまったのは、シオンが弟のようではなく、一人の男性として意識してしまっていたからで。泣かなくなったのは、泣く理由が無くなったからで。

 その事実を一言もシオンに伝えた事は無かった。

 だからシオンは今もまだとても苦しんでいる。

 苦しませてしまって――。


「――っ!?」


 デイジーは力一杯、両手でシオンの胸ぐらを掴んで自分へと引き寄せた。シオンはまさかデイジーにそんな事をされるとは思ってもいなかったらしく素直にそのまま上半身が倒れてくる。


 荒々しく二人の唇は重なっていた。


 唇を離すと、驚いて呆然としているシオンの表情が間近にあった。

 デイジーは頬を真っ赤に染めて、そんな顔を隠すようにシオンをそのまま強く抱きしめた。


「ごめんなさい! 肝心な事を言ってなかった。私が今一番大切で、幸せになってほしくて、大好きな人はセイルじゃない。シオンよ」


 信じてもらえる自信は無かった。

 長年セイルを想い続けている自分を一番間近に見ていたシオンだ。言葉にしても、口づけしても、シオンがすんなりと信じてくれる可能性はとても低い気がしてならなかった。


「こ、こんな風に。こんな……フローラン家の家族以外の男の人を抱きしめたのは、シオンが初めてよ。く、口づけしたのも、シオンが初めて。好きって告白したのも、シオンが初めて。私はシオンと、――っ!」


 信じてほしくて。

 伝わってほしくて。

 恥を捨てて思いを吐き出していた唇にもう一度シオンの唇が重なっていた。

 ボッと全身に熱を走らせて言葉を失ったデイジーの瞳に、つり目がちの漆黒の瞳を持つシオンの顔がうつる。今の口づけはシオンからされたものなのに、シオンもどこかまだ呆然としている様子だった。


「その言葉、そのまま信じるよ。良い?」

「もちろん」

「兄さんじゃなく、許婚だった人の弟が相手で、本当に後悔しないか?」

「しないわ。私の一番はシオンだから」


 ハッキリと言った途端にシオンは破顔した。


 寂しそうな泣き笑いではなく、とても嬉しそうな輝く笑顔で。シオンの屈託のない笑顔を見たのは初めてで、デイジーは思わず見惚れてしまっていた。

 同時に強く思った。


 無愛想で、仕事熱心で、けれど心優しく、溢れんばかりの愛情を注いでくれるシオンの事を、誰よりも大切に幸せにしたい、と。








 * 許婚の弟 fin *


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