旧時代の遺産 34
「え? た、助けるって、一体何が……どうすればいいんですか?」
「とりあえずカナリティアを止めてくれ! 彼女、シャルルを使って俺の命である眼鏡を壊す気なんだ!」
突然助けを求められて動揺するカイナに、ヒスはそう告げる。そんなやり取りの間にも、無機質に笑うシャルルは徐々に徐々にヒスへと近づいていた。
「えぇ?! と、止めるって、それは体を張れってことですよね! となるとオレに出来ることは、カナリティアさんに抱きついて体を張って止める……!? そんな、オレたちまだ手も繋いだ事無いのに!」
「抱きついたら通報しますよ、カイナ! いいからあなたは黙ってて、大人しく部屋の隅っこにでも座っててください!」
カナリティアがそう厳しく言うと、カイナは素直に「はい!」と返事をして部屋の隅で膝を抱える。その全く役立たずなカイナの姿を見て、ヒスは「いいから助けてくれー!」と叫んだ。
そして……。
「……ヒス、約束ですからね? 勝手なことをした罰として、来月私に新しいカーテン買ってください」
「はい……」
「約束破ったら、そのときは今度こそあなたの眼鏡がシャルルによって木っ端微塵に破壊されますからね」
「や、止めて……」
「止めて欲しかったらカーテン買うこと。いいですね?」
「買います……買わせていただきます……」
「……いいでしょう」
診察室の椅子の上で正座をするヒスの前で、仁王立ちしたカナリティアが女王様の如き貫禄の態度で深く頷く。そうして彼女はやっとヒスを許したようで、彼の傍に待機させてプレッシャーをかけていたシャルルを自分の後ろへと移動させた。
「うぅ……結局俺がカーテンを買うことに……はぁ」
「勝手なことしたヒスの自業自得ですよ。それよりも……」
ヒスにカーテンを買わせる約束を取り付けたカナリティアは、まだ残っている問題の解決を行おうと部屋の隅に視線を向ける、。そうして彼女が見たのは、カナリティアの命令を守って未だに部屋の隅で膝を抱えて待機しているカイナだった。
「……本当に今日からあなたが毎晩うちの夕飯を作りに来るんですか?」
カナリティアがそう不満げな様子で問うと、カイナは最高の笑顔で「はい!」と答えた。
「……何故?」
「だ、だから、さっきも説明したけど、ヒスさんが『毎日毎日カナリティアのリクエスト聞いてご飯作るの面倒だ』って言うから、少しでもカナリティアさんのお手伝いっていうか、カナリティアさんに喜んでもらいたいオレがヒスさんの代わりにご飯作りますっていう約束を半年前にして……」
「それは確かにさっきヒスからも話を聞きました。でもカイナ、あなたご飯作れるんですか?」
カナリティアが不審の眼差しを向けてそう問うと、カイナはまた元気に「半年訓練を重ねました!」と答える。
「仕事が終わったら毎日料理の練習をしてですね、カナリティアさんに美味しいご飯を食べさせたくてオレ、頑張ったんですよ!」
「……そうですか」
なんだかキラキラした眼差しでそんな純粋なことを力いっぱいに言われてしまうと、カナリティアもカイナのことを邪険に扱えなくなってしまう。
それに、別にカナリティアも本気でカイナの存在を迷惑と思っているわけではない。まして、嫌いなどとも。ただ……恥ずかしい気持ちと、後ろめたさが彼に対してついきつい態度を取ってしまう原因に思えた。
今も欠かさず、時々時間を作っては彼女はあの島へと行く。ヒスと共に、かつてヴァイゼスの施設があったあの場所へだ。
そこに訪れる理由は、そこに眠るユトナに会いに行く為。彼女にとっては大切な弟で、そして愛した人である彼の墓に花を手向けに行くのだ。
自分たちは幼い頃の人生で一番尊いと思える時間をその場所で重ねた。それは幸福と不幸が複雑に入り乱れる日々で、だけど彼女にとっては忘れることも否定することは出来ない時間だった。
自分や彼や、”彼ら”がそこにいた証があの場所にはある。辛い思い出と同じくらいに、そこには幸せと感じた日々の過去があった。それを思い出して、そして彼という存在を自分の中でただの思い出にしないようにするために、カナリティアはユトナへ会いに行っていた。
でも、それは未練なのかもしれない。時々そう思ってしまう自分がいることに、カナリティアも気づいていた。
『忘れない為』という戒めにも似た言葉を言い訳にして、自分のために生きると決めたのに自分はまだあの日々に生きる彼の面影を追って いるのだと。
そんな中途半端な自分に気づいているからこそ、カナリティアはカイナの想いを知りながらも彼に対して素直な態度を取れないでいた。
カナリティアも、カイナのことは好きだ。当然その好意は異性としてのものである。
彼は優しいし、少々情けない部分はあるがいざという時は頼りになるし、一途に自分を想ってくれる。素直になれない自分を見捨てることなく、彼は自分に好意を抱き続けてくれる。何よりこんなアンバランスに歳を重ねた自分を好奇の目で見ず、『好き』と言ってくれる。
(でも……だからこそ……私は素直になれない……)
中途半端な自分には、彼は不釣合いな程に”良い人”過ぎる。
今の自分は本当に嫌な女だなと、そう思いながらカナリティアは小さく溜息を吐いた。
「カナリティアさん? どうしたんですか?」
「え? あ、な、なんでもないですっ」
急に黙り込んだカナリティアを心配してか、カイナが声をかけてくる。そんな彼に、カナリティアは慌てて首を横に振った。
カナリティアが意識を現実に戻すと、カイナは不安げな表情を彼女に向けてこんなことを聞いてくる。
「あの……それで、ダメですか? オレがご飯作るの……オレ、カナリティアさんが喜んでくれればいいなって、毎日母ちゃんの手伝いして頑張ったんです……」
目を僅かに潤ませて、カイナは小動物的な眼差しでそうカナリティアに聞いてくる。それは”お姉ちゃん”属性の強いカナリティアには、非常に有効な手段だった。
「う……し、仕方ありませんね……努力していたようですし、その努力は認めてあげるべきですよね……」
「え?! ほ、ホントですか?!」
カナリティアのその言葉に、カイナは本当に嬉しそうな表情となる。そんな彼の顔を直視できなくて、カナリティアは少し熱を感じる頬を隠すように彼から目を逸らした。




