旧時代の遺産 5
「なるほど……なんだかすごく勉強になった。愛って奥が深い……まだまだ私は学習していく事が多いと、今あなたの話を聞いて思った」
「そ、そう……」
自分の話で予想外に感心されたことに戸惑うイリスに、アーリィはさらにこんな事を言って、ますますイリスを困惑させる。
「むぅ……良ければもっと話を聞きたい。何かあなたからは、そういう話でもっと勉強になることを聞けそうな気がする」
「な……っ」
驚くイリスに、アーリィは構わずに期待の眼差しを向けた。
「そういえば孤児院の子達はあなたを『先生』って呼んでた……なるほど、私もそう呼ぶことにする」
「ちょっと待て、なんでそうなる……っ」
「あなたから学ぶべきことがあるから、先生って呼び方は正しいと思うからそう呼ぼうと思ってる……間違ってる?」
「ま、間違いって言うか……あぁもう、なんでそういうことになるの……」
何か急激にぐったりした様子となったイリスを前に、アーリィはきょとんとした顔で小首を傾げる。そして彼女は再び「先生」と言って、嫌な顔をするイリスに恋愛についての勉強になる話を催促した。
すっかり日が暮れた時刻、ちょっと不安な気持ちでユーリが宿に戻ると、彼の元にそそくさとアーリィがやって来る。
「ユーリ」
「あ、アーリィ……」
自分に近づいてきたアーリィに、ユーリはとりあえずもう一度謝っとこうかと口を開きかける。が、それより先にアーリィが口を開いた。
「ユーリ、ごめんなさい……」
「へ?」
何故か自分が謝られた事にユーリは驚き、目を丸くして「どうしたの?」と聞く。するとアーリィはこうユーリに説明した。
「私ね、なんかユーリが何を考えてるのかよくわからなくなって、それで怒っちゃってたの……ごめんなさい」
本当に反省した様子でそう言うアーリィを見て、どう考えても喧嘩の発端で原因は自分だと思うユーリは、物凄い罪悪感に襲われた。
「いや、アーリィが謝ることじゃないって! 俺が悪かったんだし……俺こそごめんだよ、マジで」
しょんぼりと意気消沈するアーリィの頭を撫でながら、ユーリもひどく反省した表情で繰り返し「ごめん」と言った 。
「ううん、ユーリが謝ることない。それよりね……もしかしたら私、これからもさっきみたいに怒っちゃって、ユーリをヤな気持ちにさせちゃうかもしれない」
誰かを好きになるという事は、必ずしも良い感情ばかりが生まれるわけではないのだと、そうイリスはアーリィに教えた。
マヤもかつてのアーリィに”愛”を教えなかったのは、それから生じる醜く辛い感情を教えない為だった。
今実際にそんな自分の中の感情に触れ、アーリィの中に不安の気持ちが生まれた。しかしこの感情を恐れて不安を抱いていては、誰かを愛する事など出来ないのだ。
痛みを知りたくなければ孤独でいればいい。だけどそこには、幸福も無い。自分は痛みを伴う幸福を選んだのだと、そう自覚しながらアーリィはユーリに言葉を続けた。
「でもね、それってね、それだけユーリのことが好きだからなの。だからね……えーっと……これからも怒っちゃったりしたら、ごめんなさいって先に謝っておく。けど……嫌いにならないでね」
少し泣きそうな声でそうユーリに気持ちを告げたアーリィは、不安な気持ちのままユーリの言葉を待つ。
ユーリはアーリィの言葉に少し驚いたような顔で沈黙した後、少し照れたように赤くなりながら「嫌いになるわけねぇよ」と答えた。
「ホント?」
「ホント。つか俺の方こそ、アーリィに愛想つかされないように気をつけねぇとな」
「あ、愛想つかさないよ! 大丈夫!」
「そうか? でも気をつけるに越した事はねぇからな」
笑いかけるユーリに、アーリィもやっと不安げな表情を消して笑みをみせる。どうやら仲直り出来たようだった。
「そうそう、別に俺はおっきい胸が特別好きってわけじゃないからな? ただ男だし、そういうのに目がいっちゃうこともあるかもしんねーけど……」
「うん、イリスも言ってた。ユーリみたいなのは、どうしようもないって」
「どうしようもない?! 何そのダメ男っぽいニュアンスの言葉!」
「あれ、仕方ない、だったかな? ……まぁ、いっか」
そして仲直り出来て嬉しそうに笑うアーリィと、苦笑するユーリをこっそり廊下の物陰から見守る影が二つと一匹。
「……何アレ、別にフォローなんかしなくてもラブラブじゃん。 真面目にやって損した」
「いいなぁ、なんかああいう夫婦って」
「きゅいぃ~」
イリスとジュラード、そしてうさこがこっそり見守る中で、ユーリたちはまた何か話を始める。二人の表情は笑顔だった。
「そういえば先生、さっきアーリィのことをユーリから聞いたんだけど」
ユーリたちの様子を観察しながら、ジュラードが小声でイリスに声をかける。
「アーリィってなんだかよくわからないが、人じゃないんだとユーリが言ってたけど……」
「あぁ、そうだね。人や魔族やゲシュや……その他どの種族とも違う存在が、彼女だね」
イリスの返事を聞き、ジュラードは信じられないといったふうな驚く表情でアーリィを見つめる。
「確かに彼女は何か人とは違う感じはしたけど……でもああやって話す姿は、俺たちとまるで同じ”人”にしか見えない」
独り言のようにそう呟かれたジュラードの言葉に、イリスは懐かしむ眼差しで「そうだね」と言った。
「随分と変わったって言うか、成長したって言うんだろうね……私が最初にあの子に出会った頃は、あんなに自然に笑顔を見せることもなかったよ」
「そうなのか……」
複雑な事情で生まれることになった”命”なのだと、それをジュラードはユーリから聞いた。
そしてそんな存在を人と同じように心から愛するユーリの姿は、ジュラードには考えさせられるものだった。
自分と違う存在を愛し、伴侶として共に歩む事を決めるのは勇気がいる行為だと思う。
きっと母を愛した父も、多少状況が違えど彼と同じだったのだろう。
自分たち人とは違う魔族という存在を、違うと理解したうえで愛した父は……。




