旧時代の遺産 4
自分で淹れた冷たいお茶を飲みながら、イリスは気まずい表情で目の前を見る。
イリスの視線の先には、無言無表情で無心に焼き菓子を頬張るアーリィの姿。会話は無い。
「……美味しい?」
沈黙が気まずいのでそうイリスがアーリィに話しかけると、アーリィは無言のまま首を縦に振った。やはり会話は発生しない。
(ユーリは普段一体どうやって、この子と意思の疎通を図ってるんだろ……)
真面目に考えると、自分にはアーリィとどう接するのが正しい方法なのかわからない。アンゲリクスがどういう存在なのかは知っているが、知っているからこそ接し方に悩んでしまう。
難易度が高いアーリィとの交流にイリスが悩んでいると、意外にもアーリィから声をかけてきた。
「お前は……ユーリと仲良し、なの?」
「へ?」
いきなり予想外の事を問われ、イリスは目を丸くしてアーリィを見る。アーリィはお菓子を頬張りながら、イリスの疑問の眼差しに答えるようにこう言った。
「なんか……お前とユーリ、最近仲良しに見えるから」
「そ、そう……?」
まぁ確かに以前よりはよっぽど改善したと思う自分とユーリの関係だが、正直仲良しと思うほどでは無いとイリス自身は思う。と言うか、この歳で仲良しとか言うのは恥ずかしい。
「仲良しって言うか……古くからの付き合いだからね。気楽に話せるって言うのはあるかもね」
「そうなんだ……」
イリスの返事に、アーリィは興味を示したような眼差しを返す。そして彼女はイリスにこんな事を聞いた。
「古い付き合いなら、ユーリのこと詳しい? ユーリが何考えてるとか、そういうのわかる?」
「えぇ!?」
さらなる唐突な問いにイリスは困惑しながら、「突然なに?」とアーリィに聞き返す。するとアーリィはこう続けた。
「ユーリが何考えてるのかわからない時があるから……」
「……さっきの事? 女性の胸がどうとかっていう……」
イリスが問うと、アーリィは素直に頷く。
「ユーリは私には『小さいの気にしなくても俺は好きだよ』とか言うのに、胸大きい女の人のこと目で追うし……どっちなのって思う」
「あー……男なんてそんなもんだよ。大きい胸に目がいっちゃうもんなんだよ。とくにユーリみたいなのはね」
イリスは答えてから、『しまった、フォローになってないか?!』と焦る。が、アーリィはとくに機嫌を悪化させた様子は無かった。
「ふぅん……そうなんだ」
「あ、それって男の性って言うか……仕方ない事なんじゃない? そういう胸に視線行ったり興味示しちゃうのは、えーっと……不可抗力? まぁとにかく、あなたに言ってる事もユーリの本当の気持ちだと思うから大丈夫だよ」
恥ずかしいフォローをさせるなと内心でユーリに文句を言いつつ、イリスはアーリィにそう告げる。アーリィは理解したのかそうでないのかよくわからない顔で、「そう」と頷いた。
「……って言うか、あなたがずっとユーリに怒ってる理由って……大きい胸に興味を示してるのが気に入らないんだよね?」
イリスが問うと、アーリィは少し悩むように沈黙した後に、意外にも首を横に振る。
「じゃあなに?」
「……ユーリが何考えてるのかわからなくて、何を考えてるのかを考えたら段々……気持ちが怒ってきて……よくわからないけど、ユーリにヤなこと言っちゃうようになってた」
「ふぅん……」
アーリィの話を聞き、イリスは大体を理解した。
つまりアーリィはユーリの言動に怒ってるわけではなく、ユーリの言動にある矛盾が理解できなくて、理解できない自分に苛立っているのだろう。そしてその苛立ちを正しく理解できず、自分の中で処理出来ない感情をユーリへの怒りと錯覚して彼にああいう態度を取り続けてしまっているのでは無いかとイリスは思った。
「つまり好きな人の気持ちがよくわからなくて、イライラしちゃったんだ」
「え……そう、なのかな……?」
困惑した顔で首を傾げるアーリィを見て、イリスは思わず感心してしまった。こんなにも豊かに、造られた心が人らしい動きをするのか、と。
「私、何か変……本当はユーリに怒りたくなんてないのに、嫌な態度とってしまう……また私、おかしくなっちゃったのかな……ユーリ、こんな私のこと……嫌いになるかな……」
不安げな表情となってそう小さな声で呟くアーリィに、イリスは微かに微笑んで「大丈夫」と告げた。
「え……?」
「あなたのその感情は、正常な反応のひとつだと思うよ。ユーリのことがすごく好きだから、彼を知りたくて色々考えちゃうんでしょ? それでわからないとモヤモヤして、あなたの場合は最後にはイライラとしちゃう。……そういう感情の変化は、人にも普通にあるものだと思うからさ」
「そ、そうなの?」
驚いたように目を丸くするアーリィに、イリスは苦笑しながら「きっとね」と頷いた。
「怒っちゃう分だけ彼のことが好きってことなんだと思う。……まぁ、だからって怒りっぱなしはよくないからさ、怒っちゃう理由を正直に彼に話してみたら? そうしたら、案外イライラする気持ちも治まるかもしれないし」
「そうなんだ……怒っちゃうだけ、私はユーリのこと好きなんだ……」
なるほど、といった感じに神妙な面持ちで何度も頷くアーリィを見て、イリスはさらに苦笑する。そんな彼にアーリィはこう言葉を続けた。
「わかった。ユーリが帰ってきたら、ちゃんと怒ってた理由を言って……謝る。私も怒ったままじゃ嫌だから……それで、ユーリの気持ちをちゃんと聞く。考えてもわからないから……やっぱり聞いてみるのが一番だよね」
「そうだね……それがいいんじゃないかな」
イリスが頷くと、アーリィはもうすっかり不機嫌な感情を消して、納得したことに満足した表情でほんの僅か微笑む。
「話を聞いてくれてありがと。お菓子も美味しかったし……今なら私、ユーリと仲直り出来そう。ホントによかった、あなたが話し聞いてくれて」
礼を言うアーリィに、イリスはどう反応していいのか迷う笑みを向ける。これでユーリには借りを返せただろうかと、イリスは心の中でそれを思った。
「それにしても……また私、モヤモヤしてユーリに怒っちゃったらどうしよう。ちゃんと理由を話して謝ればいいんだろうけど……でも、出来れば怒らない方がユーリもいいよね」
「んー……まぁ、それはそのとおりだろうけどさ。でも誰かを愛するってのは、幸せな感情だけじゃ成り立たないよ? 好きな人を想えば、嫉妬や憎しみの感情だって生まれるもの。それが”普通”なんだから……」
微笑からまた僅かな不安へ表情を変えたアーリィに、イリスは諭す言葉を続ける。
「だからそういう嫌な感情を恐れてたら、恋愛なんて出来ないんじゃないかな。そういうのも覚悟して、好きな人を愛して愛される関係を築くんだよ。本当にお互いに愛し合っていたら、ちょっとくらいのそういう嫌な感情で相手を嫌いにはならないだろうし」




