再びの旅立ち 21
「しかし、明日出発ってのはまた急だねぇ……」
子どもたちの分の洗濯物をたたみながら、ユエがそう言葉を漏らす。彼女が語りかける人物は、傍で軽く荷造りを行うイリスだった。
「そうだね」
「まぁ、行動は早い方がいいことだから仕方ないんだろうけどね」
ユエはそう言って笑い、イリスの方を見る。彼は妙に真剣な顔付きで、黙々と荷造りを行っていた。
「……イリス、夕食の時から気になってたんだけど」
「なに?」
真剣な顔つきはそのままに、イリスはユエの問いに反応する。ユエはそんな彼にこう聞いた。
「なんでずっとそんな真面目な顔つきなんだい?」
「……気を抜くと角と尻尾が出ちゃうからだよ」
ユエの疑問に、イリスはそう答える。ユエは「そうなんだ」と、よくわかっていなさそうな顔で頷いた。
今現在イリスの姿はほぼ完璧に人の時と同じものに戻っている。昼間に自主的に変身術の訓練をして、どうにか厄介な角と尻尾を消す事が出来た成果だ。
しかし人の姿に戻れたとはいえ、それを維持するのはなかなか神経を使う行為らしい。彼は今の姿の維持に集中し、その結果にやたら顔つきが真剣なものになってしまっていた。
「気を抜くと角とか出ちゃうって言っても……別に今は出ても問題無いんじゃないかい?」
「いや、これも訓練だから。この姿を維持する訓練。だから気は抜けない」
ユエの疑問にそう答えるイリスは、やはり真剣な顔つきのままだ。ユエはそんな彼の態度に何か不満があるようで、彼女はそれを表情に出しながら、洗濯物をたたむ作業を中断してイリスへ近づいた。そしてそれにイリスが気づき、彼は僅かに表情を怪訝なものへと変えた。
「え? なに、ユエ……え? ちょ、えぇ? な……っ」
困惑するイリスなどお構いなしにユエは彼の背後に回り、何か企む笑顔で脇腹に手を伸ばす。そして……
「ユエ、何を……ひゃっ、はははははっ……ああぁぁ~!」
ユエに何故か突然脇腹をくすぐられ、イリスの集中は彼女の妨害行為によってあっさり途切れる。
笑った直後に変身が解け、イリスはズボンが生えた尻尾で窮屈になるのを感じると、物凄いがっかりしたような顔になって恨めしそうにユエを見た。
「ユエ~……」
一体どういうつもりなのかと、イリスは恨めしそうな顔でユエに疑問と不満を訴える。するとユエは可笑しそうに笑いながら、「ごめんごめん」と言った。
「だってねぇ……ずーっとそんな真剣な顔されてもつまらないからね。イリスは笑顔の方が似合うから、笑わせようと思ってつい」
ユエのその一言に、イリスの表情から不満は消える。代わりに彼はひどく照れた様子で戸惑う声をあげた。
「な、何言ってるのユエ……」
「それにコレくらいのことで集中が途切れるなんてまだまだ甘い!」
「……そう言われると反論出来ないよ」
楽しげに笑うユエを見て、イリスは苦笑しながら返事を返した。
「あぁ、でもまたこの姿に戻っちゃった……」
「いいじゃないか。その姿も案外見慣れると可愛いよ」
「せめてかっこいいって言ってもらった方が嬉しいんだけどな」
「ふふっ、そうかい?」
ユエはイリスの背後に回った姿勢のまま腕をまた伸ばし、彼をその大きな両腕で抱きすくめる。
「ゆ、ユエ?」
ユエの当然の行動に戸惑い照れるイリスに、ユエは彼を抱きしめたままこう言った。
「しばらく会えないのは寂しいね……」
そう静かに呟くユエの体温に心臓の鼓動を早めながら、イリスは「直ぐに戻ってくるよ」と返す。
「でも、リリンも何処かへ行くかもしれないし……やっぱり寂しいよ」
「って言うかさ……こういうことされると、私もドキドキしちゃうんですけど」
背中にユエの胸の感触をモロに感じ、イリスは赤い顔でそう小さく呟く。それを聞き、ユエは「え? そうかい?」と笑った。
「わ、私だって男だしあまり積極的にスキンシップされるとね……襲っちゃうかもよ?」
「イリスが襲うねぇ……想像出来ないな」
クスクスと楽しげに笑うユエに、イリスは赤い顔のまま後ろを向いて恨めしげな視線を向ける。ユエはやはり楽しそうに笑ったままだった。
「ずっと思ってたことだけど、ユエは私を男として意識してない気がする……」
「そんなことないよ。ギースやフォルトと同じくらいには、あんたのことも男の子だと思ってるさ」
「子どもレベルってことだよね、それ!? そ、そういえばこの抱きしめる扱いもギースたちにするのと同じ感じな気がする……いや、間違いなく同じだよ、コレ」
本当にショックを受けるイリスの様子を見て、ユエは「ごめん、冗談」と返す。イリスは不満げな表情のまま、ユエの腕の中で体を反転させた。
イリスは頬を朱に染めたまま、ひどく真剣な眼差しでユエを見つめる。ユエは彼のその様子に少し疑問を感じながら、その真剣な眼差しを見返した。
「ねぇユエ、真剣な話、本当に私のこと大人の男性って意識してないの?」
「な、なんだい、急に……」
不思議そうな顔をするユエに、イリスは真剣な表情で彼女へ言葉を続けた。
思えば自分はまともな恋愛をした経験が無い。女性に対して『好き』だの『愛している』だの愛の言葉を囁き、散々彼女らと体を重ねた経験はあれど、しかしそこに感情は伴っていなかった。
恋愛する心のゆとりは無かったし、そもそも自分がまともな恋など出来るはずも無いと、自然とそんな諦めの感情が心に生まれて恋愛には消極的になっていた。
だがユエたちに出会い、ここで共に暮らすようになり、自然と自分の心には彼女や子どもたちに対する愛情が生まれていた。そしてユエに対しての愛情は、明確な恋愛感情だった。
ラプラが指摘したとおり、自分は彼女が……ユエが好きなのだ。
誰かに恋することがこんなにも緊張することだったのかと、今更思い出す感覚に小さく声が震えた。
「そりゃ私は体格良くないし、ユエより小さいし力無いし、得意なことといえば料理とか家事だし、性格もこんなだからあまり男らしくないだろうけどさ……」
ユエを真っ直ぐ見据え、イリスは緊張を深呼吸で誤魔化して言葉の続きを紡ぐ。
「でも、こんな私だけど、男としてユエに頼ってもらえる存在になりたいとか、ユエのこと支えられる人になりたいとかって思う……だって私は真剣に、ユエのことが……」
自分が何をユエに言っているのかわからないほどにうるさく高鳴る心臓の音を耳に聞きながら、イリスは勢いでユエに自分の気持ちをちゃんと伝えようと唇を開いた。
「す……」
そしてイリスの真剣な告白の場は、空気が読めないこの人物の突然の登場でぶち壊された。
「イリスー! 今日こそは私と一緒にお風呂に入りましょう! イリスの美しいその髪を、私が懇切丁寧に洗って差し上げますから!」
故意なんじゃないかと疑いたくなる最悪のタイミングで最悪な事を言いながら部屋に入ってきたのはラプラだった。
「!? ラプラ、てめぇ……」
驚きながらも思わずイリスが口悪く『てめぇ』とか言いかけると、ラプラは抱き合う(?)イリスとユエの姿を見て目を丸くしながらしばらく硬直する。
そして、やがて彼は捨てられた子犬のようなしょんぼりとした顔でこんなことを二人に言う。
「わ、私もイリスをぎゅっと抱きしめたいのですが……あの、じゃあ順番に。ユエさん、次は私の番でよろしいですか?」
「おい待て、なんの順番だ!」
意味不明なラプラの要求に、思わずイリスは本気のツッコミを入れる。もはや真剣に告白できる雰囲気など、今この場には微塵も残っていなかった。




