光の裏側 23
”合図”までにラプラの呪文詠唱を妨害する攻撃を彼に向けていたウネは、突如場の空気が変わったことに気がつく。彼女は嫌な予感を感じて、意識をラプラに集中させた。
「もしかして、彼……」
今までとは明らかに違うマナの流れを肌で感じ、ウネは険しい表情で「禁術を使おうとしているのね」と呟いた。
「それはさせない……っ!」
ずっと魔力を消費して矢を放っていた彼女はだいぶ消耗していたが、しかし今ここで手を止めては最悪が加速すると判断し、ウネはラプラに致命傷を与えない程度の威力に抑えた矢をまた放つ。だがこの矢は、夢魔の魔法抵抗力により射る直前で無効化された。
「チッ……」
威力を抑えて打たなくてはラプラをひどく傷つけてしまうが、手加減しすぎるとラプラは動かずとも夢魔の能力程度でも矢は無効化されてしまう。加減の調整に苛立ちながら、ウネは攻撃を続けた。
だが夢魔がラプラを彼女の攻撃から守り、ラプラは術の詠唱に集中するという形となってしまい、なかなかラプラの呪文詠唱は止まらない。禁術は詠唱と発動に時間がかかるという難点があるので直ぐにはウネも知らないような最悪の術が発動するということは無いが、しかしこの状況をどうにか打破出来なければいつかは最悪の術が発動するだろう。ウネはそれを考え、焦りの表情を浮かべた。
「風よ、凍て付け」
その時、”合図”となっていたアーリィの魔法が発動する。夢魔とラプラを中心として、巨大な蒼の円形の魔法陣と翠の多角形の魔法陣が二重に重なって地面に浮かび上がり、それが消失すると同時に彼らは視界を奪うほどの猛吹雪に包まれていた。
水と風のマナの混合魔法は、その威力の猛烈さでラプラの呪文詠唱を止める。そしてさすがに夢魔も高威力のこの魔法は簡単には無効化出来ないようで、ダメージは脅威の魔法抵抗力で軽減しながらも吹雪をまともに体に受けて地に落ちた。
ラプラは夢魔に操られたまま、猛吹雪のせいで飛行が困難になって地に下りた夢魔を庇いながら、激しい吹雪に襲わせながらも結界術を唱えようとする。するとまだ猛烈に吹き荒れる吹雪の中を突き進み、彼らの元にユーリが接近した。
ユーリは真っ白い息を吐きながら、髪や服を凍らせつつもラプラたちへ近づく。ウネに事前に発動中の魔法の中に突っ込んでいっても大きなダメージを受けないよう防御術を施してもらっていた彼だが、防御魔法で完璧に魔法が防御出来るわけではない。凍て付く吹雪で肌の表面が弱く凍傷になりかけていたり、あるいは巻き上がる細かい氷の刃で肌が小さく切れたりとダメージを食らいながら、それでもユーリはラプラたちに接近して、猛吹雪で視界が悪い中で死角から飛び込み攻撃を仕掛けた。
反応が遅れたラプラは、ユーリの素早い二刀流の斬撃をまともに食らう。とはいってもユーリもいつもの的確に急所を狙う攻撃はしないので、ラプラの負った怪我は腕と肩だ。ラプラはイリスを庇う姿勢のままよろめき、ユーリはイリスに向けても牽制目的の攻撃を仕掛けようと動いた。だがそんなユーリに対し、イリスがまたあの笑みを見せる。一度悪夢の檻に捕らえた彼を、再びそこに閉じ込めようとする夢魔の淫靡な笑みを見ながら、しかし今度はユーリも笑みを返した。
「残念だが、もうその手には乗らねぇよ」
夢魔の誘惑からユーリを守るように、、彼と夢魔との間に蒼い魔法陣が浮かび上がり、それが夢魔の誘惑をはじき返す。それは作戦実行前にアーリィがユーリに施した守護魔法で、彼女の”守りたい想い”が具現化してユーリを夢魔の悪夢から守ったのだ。
驚愕したように目を見開いた夢魔に、ユーリは閃く刃の一撃を放った。
「あ゛あアあぁァあッ!」
咄嗟に自身の体を掲げた両腕で庇った夢魔だったが、両腕にユーリからの一撃をまともに受ける。濁った悲鳴の声を上げ怯んだ夢魔に、追い討ちをかけるようにアーリィが準備していたもう一つの魔法が襲い掛かった。
「ユーリっ!」
アーリィが叫び、ユーリはすかさず夢魔たちから離れるように飛びのく。そして夢魔の足元には、先ほどよりは一回りほど小さい蒼の魔法陣が再び浮かび上がる。魔法陣は即座に消え、夢魔とラプラに逃げる間を与えず力を発揮した。
「今度は逃がさないから」
呟き、アーリィは魔法に意識を集中させる。夢魔とラプラの足元が急速に凍り付いていき、二人の行動を封じる。夢魔がアーリィの拘束を解こうと魔法に抵抗すると、アーリィはそれをさせないために重ねて幾つも同様の魔法を発動させた。
「っ……ローズ、マヤ……早くっ!」
魔力消費の激しい二重展開魔法に続けて、連続での魔法の発動でアーリィの負担は大きい。額に大粒の汗を浮かべて苦しそうな表情をするアーリィは、あまり長い時間は夢魔を拘束し続けることは出来ないと予感し、早く彼らに接触するよう待機しているローズたちに叫んだ。
「ローズ、行くわよ!」
「あぁ!」
アーリィが夢魔を足止めしたことを確認し、少し離れた場所に待機していたローズがマヤと共に駆け出す。だが予想以上にアーリィの消耗が激しく、夢魔は負傷した腕を自己修復しながら、アーリィによる何重にも重ねてかけられた拘束を徐々に解いていく。
「まずい……私も……」
アーリィの拘束が不完全な事を悟ったウネが、急いで同様の拘束術を準備しようとする。だが間に合いそうもないことを彼女は悟り、ひどく焦った表情をみせた。
「イリスっ!」
その呼び声に反応してか、アーリィの拘束術から逃れようとしていた夢魔の動きが止まる。叫んだのはユエだった。
「イリス、思い出してくれ! 自分のことや、あたしのこと……みんなのことをっ!」
泣きそうな叫びの声が、夜の闇に響き渡る。それは夢魔も無視することが出来ない、祈りの声だった。
「頼むよ! あんたは……あんたはまだ、人なんだろう?! なぁ、イリス!」
「ゥ……あ、アァ……」
動きを止め、夢魔はどこか遠くを見つめるような眼差しで振り返る。そしてその瞳に、再びユエの姿が映った。
「イリス… …っ!」
「あ、ああぁ、あぁ、あアぁ……ッ!」
見開かれた蒼い眼差しに、ほんの一瞬感情が揺らぐ。人の感情と魔物の本能の間で迷い硬直する夢魔に、ついにローズが接近した。
手を伸ばし、ローズは夢魔の肩に手を触れる。夢魔はローズに触れられても、抵抗を忘れたように遠くを見つめる眼差しで硬直し続けた。
「イリス……」
ユエが祈るように呟き、そして皆が見守る中で、ローズはマヤに指示されたことを実行する。”マヤ”を感じるマナにのみ意識を集中させ、彼女は魔法を使う時の要領で夢魔の体から溢れるそれを自分の中に取り込んだ。
「ああぁ、ァ、ああぁあアッ!」
「う、くぅ……っ」
苦悶の叫びのような声を上げる夢魔から、ローズはマナを回収する。初めてやってみる行為だったが、やること自体は魔法を使用する為に必須な行為でしかなかったので、取り込むマナの選別のみに注意すればそれは案外に容易だった。
夢魔と、そしてローズたちを中心にしてマナが渦を巻き、本来不可視のそれが淡い白の発光する粒子となって夜の闇を照らす。幻想的な光の中で、夢魔の苦痛の呻きが響いた。
「アアァアァァアァァっ!」
「マヤ!」
自分の中に取り込める限界まで異質なマナを取り込んだローズは、若干苦しげな声でマヤの名を叫ぶ。そしてマヤは「オッケー、あとは任せて!」とローズに返事をし、そして彼女は一旦その姿を消した。
一体何がどうなっているのかと、皆がそれを思いながら夢魔たちを見守る。
ユーリは限界まで魔法を使い、気を失ってしまったアーリィを抱きかかえながら、不安げな眼差しでローズの様子を眺めた。
やがて夢魔を囲んでいた光が徐々に収束し、夢魔とラプラが気を失ったように倒れる。ローズもひどく疲労した様子でその場に膝をついた。




