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勇者増殖  作者: T村
獣の聲
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増殖4体目「ビルド村の生活」その1

「君がやりたいことをやればいい。君にはそれを選ぶ権利がある」


 真っ白な世界の中、誰かが、僕にそう言った。ここがどこかなんてわからなかったし、目の前の人物が何者なのかもわからなかった。そこにいることはわかるのに、肝心な姿は靄がかかったように見えない。


「あんたは一体……」


 そう尋ねると、目の前の彼/彼女は静かにほほ笑んだ。


「君はもう忘れてしまったかもしれないね。でも、私だって———」


 君の友達なんだから。その言葉を最後に真っ白だった世界に亀裂が入り始める。


「待て! それはどういう意味だ」


 僕の問いかけは空しく宙に木霊し、ばらばらと崩れる世界の中、僕はゆっくりと沈んでいった。




 ◆ ◆ ◆




「……妙な、夢だったな」


 そう独り言ちて、ぎしぎしと痛む体を起こす。普段から鍛えてはいたつもりだが、昨日が随分とハードな一日だった所為か、体中が筋肉痛で軋んでいた。

 いつまでも座っているわけにもいかないので、寝かされていた長椅子の背にもたれかかりながら、何とか立ち上がる。昨日は結局、満身創痍でロゥベルの家にたどり着いた後倒れるように眠ってしまったのだ。もう空はすっかり白んでしまっている。どうやら相当長い間眠っていたらしい。

 ……頭がずきずきと痛むのは、先程の妙な夢の所為なのか、それとも寝すぎたからなのか、疲れ切った今の僕の頭では理解できなかった。


「おう、起きたか」


 そう言って声をかけてきたのはアバドンだ。彼は僕の正面に置いた合った木の椅子に尊大に腰かけ、何やら本のようなものを読んでいた。


「お前、それ、何だ?」


 そう尋ねると、「本も知らないとかどんな野蛮な世界から来たんだこいつ……」とアバドンが信じられないような顔をする。否そういう意味じゃねえよ。ていうか僕の記憶を持ってるんだから本が何かくらいわかるのは知ってるだろうが。


「そうじゃなくてだな、なんていうか、本って———いや、紙ってこういう世界じゃ希少なイメージがあるんだが、ここじゃあそうでもないのか?」


 ああ、そういう意味の質問か、とアバドンは読んでいた本を開いてこちらに見せた。


「この紙、お前は似たものに覚えがあるんじゃないか?」

「似たものに?」


 そう言われて、アバドンが示したページに触れる。あれ、この独特な手触りはもしかして。


「和紙か?」

「ま、似たような製法で作ってるって意味じゃあ、そうだな」


 なるほど、和紙か。それなら本が一般に普及しててもおかしくはない。和紙というのは中世ヨーロッパで古くから使われていた羊皮紙などに比べて、大量生産が可能なうえに、平安時代からの書物が現代に残っていたりと耐久性にも優れる紙だ。事実日本はこの紙の製造が安定して行えたおかげで、同じ時代の他の国に比べて庶民に紙———つまりは記録媒体が普及していて、かなりの書が出回っていたらしい。

 そう考えると、似たような製法での製紙技術が確立されているのなら、本が一般家庭に置いてあってもおかしいことは無い。なんとなく西洋な感じをイメージしていた所為で、どうしても本がある=裕福な家という偏見を持ってしまっていたらしい。ここは中世ヨーロッパではなく異世界だ、そのあたり気を付けなくては。


「で、それはいいとして、何の本読んでたんだよ」


 一応ページにも目を通して見るが、なんだかよく分からない文字が書いてあっていまいち内容が分からない。ばあさんは僕が言葉が通じるのは【技能】の能力だと言っていたが、確かに【交信】では話は通じても文字が読める感じはしない。そこのところが少し不便だと思うので、なるべく早いうちにこの世界の文字を覚えなければならないなと思った。

 僕がそんなことを考えていると、アバドンは本をぱたんと閉じて表紙をこちらに向けた。


「民俗学者カイン・アルードル著の、『【獣宿し】、その特異性と留意点。あるいは有利性』だ」


 学術書でしたか。興味はあるが頭痛がひどい今はちょっと勘弁願いたい内容だ。いや、普通に気にはなるんだけどね? 頭が何かガンガンする時にうわあ読みたーいという内容ではない。どちらかというと今は中身のない絵本をただぼーっと眺めていたい気分だ。


「ああ、うん。今は遠慮しとくわ、その本」


 そうアバドンに断りを入れて、大きく伸びをする。長いこと眠っていたからか、喉がカラカラだ。水を一杯貰いたい。というかおなかもすいているのでできればお食事もご相伴願いたい。


「ああ、起きたのか、レイタ」


 と、ここでドア———はないので普通に廊下からロゥベルが顔をのぞかせた。


「怪我は大丈夫か?」


 そう尋ねると、「おかげ様でな」とほほ笑んでこちらに手を差し伸べてきた。


「歩けるか? とりあえず飯でも食べてくれ、あと村長が読んでいたからそっちにもいかなくてはな」

「村長?」


 一瞬誰のことだか分からなかったが、あのばあさんの事か。あのばあさんは本当につかみどころがないというか、ただものじゃない感じがするので、村長どころか救世の英雄だと言われても驚かない気がした。いや、流石にそれは無いか。

 僕はひとり苦笑しながら、ロゥベルに肩を借りて食卓へと向かった。




 ◆ ◆ ◆




「うむ、見ず知らずの村長を助けるために【掃除屋】を前にして逃げないとはずいぶんと根性の座った御仁であるな、弟よ」

「そうですな、兄上。けれどもしかし、ここは泣く子も黙る【果ての森】。行くも帰るも力無きは死、村長の恩人をむざむざ死ぬと分かっていて放っておけないのですぞ」

「応ともさ弟よ。かくなるうえは我ら兄弟が」

「せめてこの森で死なない程度に鍛えてやらねばというわけですな」


 始めて口にする味だったが意外と普通に美味しかった異世界の食事を堪能した後、村長の家に訪れた僕を待っていたのは上半身裸の筋肉だった。左右から交互に高速で筋肉が笑顔でまくし立ててくる。サラウンド筋肉とはたまげたなあ。


「あの、これは一体どういう……」


 あまりにもいたたまれないので逃げるように後ろのロゥベルに視線を向ける。ロゥベルは何とも言えないような顔で苦笑した。


「君は、ここに居続けるにしろ、旅立つにしろ、弱すぎるんだ。だから、その、な?」


 ああうん。そういうことか。僕が弱いから少しでもマシになるようにということか。いやでもしかし急にこんな筋肉が現れたら誰だって思考が停止するからできればあらかじめ説明してほしかったな。僕は苦虫をかみつぶしたような顔でそうぼやいた。

 確かに僕がこのまま村の外に出れば一日も生きられないだろうが、だからって急にボディビルダーが裸足で逃げ出すレベルの筋肉を連れて来るのはどうかと思うんだ、うん。左右から来る圧倒的な威圧感に恐れおののいてしまうから。


「そうと決まれば善は急げなのである、少年よ」

「この村の中である程度の戦闘訓練ができる場所があるのでそこに移動するのですぞ」


 スキンヘッドの筋肉とモヒカンの筋肉の二人に両腕をがっと掴まれ、某UFOの連行写真よろしく僕は軽々と持ち上げられた。この筋肉、ざっと目算で身長二メートル半はありそうなんですが。こんなのと戦うのだろうか。いや、まずは筋トレとかかもしれないし。いきなり戦闘訓練ってことは無いだろう。さっきそんなことを言っていた気もするが、きっと気のせいだ。

 そんな淡い期待を胸に抱きながら村の修練場とやらにたどり着いたところで、僕は筋肉から解放された。筋肉二人は僕から少し離れたところに立ち、ぐっと拳を構えた。


「「さあ掛かって来るのである」ですぞ」

「いきなり実戦かよぉ!」


 誰にともなく叫ぶ。叫ぶ、がどうにもならない。どうにもならないので僕は歯を食いしばり軋む体に鞭を打って彼らと同じく拳を構えた。昨日の今日でこんなことをさせる村長の考えはよくわからないが、恐らくどれだけつらい状況でも戦えるようになれという事だろう。

 僕は自分を奮い立たせるように大きく息を吸った。


「いいぜ……! スーツアクターに憧れてガキの頃から鍛えてきた実力をここで見せてやる……!」


 色々悲惨だがやるしかない。僕は雄たけびをあげながらスキンヘッドの方に飛び掛かった。


「うむ、まずは私からというわけですな」

「それならば弟よ、今日のところは私は観察に徹するのである」


 あ、戦うのはモヒカンの弟のほうだけか。それは少しうれしかった。相手が一人ならまだやりようがあるってもんだ。二人の筋肉を相手取るよりはまだ筋肉単騎の方がいい。

 しかし筋肉がすごすぎて打撃は効きそうにない。所謂筋肉の鎧という奴だ。打撃がだめで今は手元に武器もない。となると残るは関節技(サブミッション)か。僕はモヒカンの関節を取るために前方に構えられた右腕に狙いをつけて走り出す。


「真っすぐ来るだけでは勝てないのですぞ!」


 腕をつかむ直前、モヒカンは信じられない速度で左の拳をこちらに向けて放った。え、ちょっと待ってそれ多分当たったら死ぬと思うんですがそれは……!?


「クッ、【増殖】……!」

「!?」


 拳がぶつかる寸前で【増殖】を発動し、二人に分かれて左右に跳んで回避する。二つの体を動かすのにはいまいち慣れないが、それでもなんとか受け身を取って今度は両側から同時にそれぞれの肘関節をつかみかかる。能力の説明一切なしの上での両サイドからの奇襲、完全に隙をついた攻撃だった。

 利き腕なのか、左より若干反応が早かった右腕が右にいた僕をボールか何かの様に軽々と吹き飛ばす。増殖体はアバドンに乗っ取られている個体以外すべて意識がつながっているため、右側の僕が受けた信じられないような激痛に左側にいた僕は気を失いそうになるが、歯をくいしばって耐えて左腕に腕菱木をかける。一人戦闘不能に陥ったが、それでも完璧と言えるレベルで腕に組みつけた。僕はこのわずかなチャンスを逃さないように全身全霊の力を込めて関節技を決めにかかる。いくら筋肉の鎧をまとっていても関節を責められれば多少のダメージは入るだろう———と思ってた僕の考えは、どうやらかなり甘かったらしい。


「一人の少年が二人に分かれた。しかも分身や幻影の類ではなく意識の統一された完全な同一個体……。成程これが少年の【獣の力】というわけですな?」

「腕一本相手に、こちとら全身だぞ……!」


 微塵も腕は曲がらない。というか、今気づいたがこのモヒカン。仮にも身長175に体重60はある僕が片腕にがっちり組み付いているのに、重心がちっともぶれていない。あんまりにもわざとらしすぎる筋肉に、どうせ見せ筋だろうと甘く見てかかったのが祟った。というか、この状況、僕は逃げられないのでは。


「攻撃を食らうという事もまた成長につながるのですぞ」

「あ、待ってそれ多分死」


 ぐしゃ、と。なんだかそんな感じの効果音が聞こえた気がした。気がしたっていうのは気づいたらまあ修練場とやらを囲う柵に勢いよく激突して口から血を吐き出して何が何やら分からなくなったからだ。

 ただまあこの形容するのが恐ろしくなるほどの痛みが、今のはそういう感じの音がするんじゃないかと教えてくれた。ここまで痛いと痛いというよりはもう熱い。きっと腹の中で潰れたり切れたりした臓器から胃液やら何やらが漏れ出しているのだろう。一先ずなんとかして溢れ出る胃液だけでも止めないとまずい。

 僕はかろうじて動く右腕を、多分拳の直撃をもらった所為でヤバい形になった腹にあてがえて【シューツ】を発動した。出来るだけ内臓の正しい形を思い描きながら自らの腹の中に魔力の流れを作る。僕の【獣の力】最大の強みにして最大の弱点でもある【交信】の意識共有の所為で二人分の激痛が僕の神経を蝕み、痛みのあまり目の前がチカチカしてきたが、それでも歯を食いしばって傷ついた臓器の再生に全神経を研ぎ澄ます。

 昨日の経験が生きたのか、【シューツ】を発動してから五分もすると腹を内側から焼くような痛みは大分和らいだ。なんとか胃は治ったのだろうか。さっき飯を食べたばかりなので、どうか臓器の外に溶解物がはみ出していないことを願うばかりだ。


「ふむ、思ったよりも随分と動けるのですな。正面からの致死の攻撃にも迷うことなく回避に移れていたようですし、かなり戦闘慣れしていたように見えたのですぞ。ただ筋肉の差で負けただけですぞ」

「初撃の際に【獣の力】をうまく使って相手の虚を突いたのも良かったのであるが、すぐさま攻撃に出るのではなく、一度分かれた際にもう一体程増やして背後に回らせた方が良かったと思うのである。ただ打撃は効果が薄いと判断して関節を取りに行くのはいい判断なのである。決まらなかったのは筋肉が足りないからである」 


 ……うん、一応は褒められているらしい、これ。正直あまりにも無様にやられたのでどんな酷評をくらうものかと思っていたが。今の戦闘は、僕が最低限どれくらいの立ち回りができるのかを見るためのものだったようだ。ならもう少し手加減して欲しかったところである。未だに痛みで視界が揺れている。


「やはり足りないのは筋肉ですぞ」

「ソウルによる強化など邪道。まずは肉を食らい己を鍛え、戦いに堪えうる筋肉を身に着けることが重要であるな」


 なんだか二人してやたらめったら筋肉を推してくるが、まあ分からないこともない。レベルアップとやらでどれだけ強くなれるのかは知らないが、何をするにせよ筋肉は必要だ。上半身裸のこの兄弟はともかくとして、ロゥベルは重そうな鎧のような服を着ていたし、武器を扱うのにもある程度の筋肉はないといけないだろう。


「これでも、結構鍛えてたつもりなんだけどなぁ……」


 地べたに寝転がりながらそう呟く。金のない孤児院にいたから、肉をあまり口にできなかったとはいえ幼いころから鍛えていたからある程度の自信はあったのだが。やはり異世界ともなるとまだまだの様だ。


「……っていうか、治りが随分と早いな」


 さっきまで気を失うほどに痛かったのに、もう何とか立ち上がれるくらいに回復していた。怪我の酷さで言えば昨日の方が酷かったと思うのだが、これはどういう事だろうか。


「感覚をつかんできたという事じゃの、いや、お主の場合はちと違うか」

「ばあさ———村長。いつの間に」


 無理して村長と呼ばんでいいわい。そう言ってぴょんと隣の建物の屋根の上から飛び降りて僕の隣に立つばあさん。……【掃除屋】に土と一緒にこねられても無傷だった位だから屋根から飛び降りるくらい今更どうとも思わないが、どうして屋根の上にいたのか。


「それってもしかしてあれか? 石板に書いてあった……」

「熟練度じゃな、これも【技能保有者(ホルダー)】のみが持つ特性と言えるのう。普通なら使いこなせるようになるのに時間がかかる技術すら、【技能】として行使すれば熟練度が上がり、通常よりはるかに早く使いこなせるようになる。通常治癒術師はある程度の適性が必要な上に第一線で使おうと思ったら最低でも五年は治癒魔法について学ばねばならん。それでも今のお主よりも拙いものじゃろうよ」


 そこまで言い終えると、ばあさんは目を閉じて空を仰いだ。


「本来その分野、その在り方で、何はなくともそれを象徴するべき人物であるという者にのみ【技能】は発現する。だというのにのう、その上で更に【ホルダー】はその能力が強化される。自覚せい小僧、【献身】でなくとも、【ホルダー】はそれだけで特異な存在なのじゃからな」


 ……随分としつこくこのことについて話してくるが、これはやはり安直に【ホルダー】であるということを明かさないようにという警告だろうか。まあ今回の話は【技能】を持っている奴には気を付けろという話な気もするが。


「とはいえ、これで今後のお主の育成スケジュールも決まった様じゃの」

「育成て」


 嫌な予感しかしないんですがそれは。僕はこれから訪れるであろう村の生活を前に、「あはは……」と乾いた笑い声をあげた。

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