増殖3体目「ユスティアの民、ロゥベル」その2
「十六年前のあの日、不可侵条約を締結していた筈の北の魔界、【オールスダイト】が突如として隣接していたユスティア王国へと侵攻を開始した。いや、始まったと国民が思ったときには、もう終わっていたのか、あれは」
忌々しげに、ロゥベルが吐き捨てた。
「どういう意味だ?」
「裏切者がいたんだ、王城に。そいつが地下の隠し通路から直接城と城下町に魔王軍を送り込んだんだよ」
固く拳を握りしめる。
「ユスティア王や王直属の騎士団がいなければ、城下町の人たちは皆殺しにされていただろうな。ユスティア王は命がけで私たちを逃がしてくれた。そのおかげでほとんど全員が無事に城下町を脱出できたんだ、でも、代わりに王は……」
「死んだのか?」
「死んでない! ……筈だ。彼の王には【魔】によって死ぬことが無いという呪いがかかっていた。王は魔王軍にはどうあがいても殺すことはできない。だから、生きている筈だ」
ロゥベルは唇を固く噛みしめて空を仰いだ。
「ユスティアは、私たちの祖国は、もう亡くなってしまった。けれど、各地に散ったユスティアの民は今尚王の復活を信じている。それに、カブトという世界最大の交易都市は、ユスティア人が管理運営しているんだ。例え国を失ってもユスティアの民の、星の民の輝きは決して曇ることは無い」
「ロゥベル……」
国を失った民、か。僕の世界で言うと、ユダヤ人みたいなものだろうか。彼らも長い間国を失い、それでも生きるために他の人たち以上に頑張って、様々な偉業を成し遂げ、遂に——その方法はともかくとして———自らの国を取り戻した。この世界におけるユスティア人もまた、故郷でない場所で生きるために努力しているのだろう。
それは、ロゥベルの体を見ればわかった。腰に提げた鍛冶の道具に染み付いた血と、女の人のそれとは思えないほどに使い込まれ節くれだって包帯の巻かれた両手、職人の手だ。どれ程鎚を振るえばこれほどの手になるのか。僕には想像もつかなかった。
「なあ、ばあさんが言っていたんだが、僕がユスティア人じゃなくって渡り人だってわかったのは【ユスティアの月】とかいうのが無いかららしいんだが、それは一体何なんだ?」
「瞳じゃよ」
話題を変えるように、そう尋ねると後ろから返事が返ってきた。アバドンが一気に青ざめている。どうやらばあさんの様だ。
「瞳って?」
「ユスティア人は、生まれつき金色に輝く瞳を持つ。内包するオドの力により増減する輝きのそれこそが、ユスティアの証、【ユスティアの星】じゃて」
「金色の、瞳」
確かに、言われてみれば。ロゥベルの瞳は金色だ。
「金色の瞳の種族は数あれど、オドの輝きを示す瞳は【ユスティアの星】のみよ。ましてや黒髪であるのなら、ユスティアの民でない筈がない」
ま、お主の瞳は髪と同じ黒色だったから渡り人確定じゃがの、とばあさんは笑う。そうか、そういう事なら、少なくとも正面からあった人なら、ユスティア人と勘違いされることは無さそうだ。
「ユスティアの民が星の民と呼ばれる所以は、この瞳と髪、それに民族衣装にあってね。私たちは全身黒色で統一された服を着るから、全身黒色で瞳だけが星の様に輝いているという意味で星の民と呼ばれているんだ」
そうだったのか。星の民、少しかっこいい気がする。子供心をくすぐられるというか、なんというか。
僕がそんなことを考えていると、ロゥベルは顔をしかめてわき腹を抑えた。どうやら傷がまだ痛みだしたらしい。僕はさっき自分に【シューツ】をかけてから大分経ち、オドの回復が実感としてわかるくらいまでになっていたので、彼女に声をかけた。
「傷口を見せてもらえるか? 簡単な治癒魔法なら使えるから、多分治せると思う」
「治癒魔法? 渡り人の君が、一体どうして」
「信じがたいじゃろうが、こいつは【献身】の技能所持者じゃよ。レベルこそまだ低いが、お主程度の怪我なら治せるじゃろうて」
ばあさんの言葉に、ロゥベルは信じられない程目を見開いて、口をパクパクと動かし何かを言おうとした後、目を閉じて大きなため息をつき、妙に疲れた顔で「そうか、そういうことか」とぼやいた。
「あの状況で私を助けようとする段階で察するべきだったな……そうか、【献身】か……実際に見るのは初めてだ」
そして今度は珍しい者でも見るような目でじろじろと観察される。何なのこの扱い。
「な、なあ。珍しいとは聞いたが、そんなに、その、あれなのか? 【献身】持ちってのは」
「あれ、というかなんというか、な」
居心地が悪そうに、ロゥベルはばあさんと視線を交わした。
「何度も言うようで悪いんじゃが、【技能】とはその人間の存在————在り様としての本質が形になったもの。戦いや殺し、騙しに盗みの為の【技能】は数あれど、身を挺してまで誰かを護り、癒すための【技能】を持てる奴はそうそういないという話じゃ」
それの一体何がまずいんだろうか。正直なところ、珍しい【ホルダー】の中でもかなり珍しい部類というのは理解できた。だが、珍しいというだけでここまでの反応をするのはどうなんだろうか。
「……【献身】持ちは、早死にするからなぁ……」
「正直これから一年生きられればいい方かの?」
「え? あ、そっかぁ……」
かわいそうなものを見るような目で見られていた理由がなんとなく分かった。よく考えたら僕は今日だけですでに二回程死にかけている。これが【献身】を持つほどの僕の在り様によるものならこの魔物の跋扈する世界で生き残るのは相当厳しいだろう。
思わぬところで明らかになった絶望に打ちひしがれていると、「んなこと気にしてんじゃねーよ」と言ってアバドンが横から小突いてきた。
「そのための俺だろうが」
「? ああ! そうか、【増殖】か!」
確かにアバドンの【獣の力】を使えば、僕は自分を増やすことができる。増やした自分とはすべて意識が【交信】によってつながっているし、消えたとしてもそもそも個体としての意識よりも、全体としての意識の方が強いため、消えた僕の体の自我は残っている方に引っ張られて共有される。つまり【増殖】して増えている限り、全て殺されでもしない限り僕は死なないというわけだ。
「ふむ、そう考えると、どうやら儂らの無駄な心配じゃった様じゃの。ほれ、小僧。ロゥベルの傷を見てやれ」
「ああ、わかった」
ばあさんに言われ、ロゥベルと目を合わせる。ロゥベルは、「悪いな、助けてもらったのに、こんなことまで」と申し訳なさそうにわき腹の包帯を解いた。
……酷いけがだった。脇の下から鼠径部へ向けて三本、線を引くように大きくえぐられている。爪か何かでやられたのだろうか、きれいな切り傷ではなく、切れ味の悪いものを突き立てて無理矢理力任せにひっかいたような傷口だ。消毒薬だろうか、黄色い粉末が傷口全体に塗されていて、それが傷口から染み出した血でぐちゃぐちゃになって包帯に糸を引いている。
僕も孤児院の一番の兄として、弟や妹たちのけがを手当てすることはよくあったが、これはもうそんな類のそれでは無かった。こんなひどいけがを見るのは初めてだ。思わず顔をしかめそうになるが、ぐっとこらえる。辛いのは僕ではなくロゥベルだ。
「はは、酷いもんだろう?」
「……なあに、すぐに治るさ」
小さく、笑ってみせるロゥベルに、あくまで表情を崩さずに答えた。孤児院でも、強がって笑う弟たちがいた。親に捨てられたことが、一人になってしまったことが辛くて、情けなくて、笑う弟たちが。今のロゥベルも同じようなものだ。自分の力不足で傷を負ったと思って、そのうえ自分のせいで【獣宿し】になってしまった僕に治療されることが、辛くて、情けないんだ。泣きたいけど泣けないから笑うなんていう奴だ。目を見ればわかる。
分かるから、だから僕はさっきまでと変わらず相手をする。ここで僕まで気が動転したら、ロゥベルはもっと辛くなるだけだ。……それは、僕も散々経験してきたから。それにしても、嗚呼、何故かこうしてここでみんなと話していると孤児院のことばかりが脳裏をよぎる。
何でだろう。今朝まで確かにそこにいた筈なのに。あった筈なのに。
(今は、そんなことを考えてる場合じゃない、か)
僕は一度目を閉じて、ふっと小さく息を吐いた。
「消毒は済ませてあるんだな?」
「あ、ああ。一応な」
「傷の中に何か異物があったりはしないか? こう、爪のかけらが傷口に残ってるとかそういうのは」
「いや、それはない。というか、応急手当の時に全部引き抜いてある」
「そうか」
すると、このまま傷を閉じてしまっても問題はない……と、思う。何しろ魔法でこんな深い傷口を閉じるなんてのは初めての経験だし、そもそも消毒がどれくらい適切なのかも分からない。
「……傷口にこびりついてるものを綺麗にしながらじゃないと傷口が閉じられない。清潔な水はあるか?」
「ああ、確かまだ残ってたはずだ。……すみません、村長。そこの桶をとってください」
「ああ、これかの?」
このばあさん村長だったのか。道理で態度がでかいはずだ。僕はそんなことを思いながらばあさんから桶を受け取る。随分と澄んだ水だ。
「この水は?」
人は無理でも小さなもの程度なら浄化できると言ったじゃろ? とばあさんが答える。そうか、それでこの桶の水を綺麗にしたのか。それなら大丈夫そうだ。
「そこの椅子の上に横になってもらえるか?」
ロゥベルを、広場にあった布のかけられた長椅子に横たわらせる。おそらくさっきまでここで応急処置を行っていたのだろう。周囲にはまだ乾いていない血がこびり付いている。
「僕の手は消毒できるか?」
「ふむ、お主の、まあ手位なら大丈夫じゃろ、ほれ」
そう言ってばあさんが僕の手に触れると、淡い光が僕の両手を包み込んだ。どうやら、これで一応消毒できたらしい。僕は、傷口がよく見えるようにばあさんにたいまつを掲げてもらい、しゃがんで傷口に水をかけて指でこびり付いた血の塊や傷口にこびりついた包帯のかけらを丁寧にはがしていく。
「……これだけ傷口がきれいになれば、いけるか」
十分ほどして、ようやく目ぼしい異物を除去した僕は、両手を重ね合わせて傷口の端、ちょうど脇の少し下あたりに手を重ねた。
「頼むから無事に治ってくれよ、【シューツ】……!」
腹の底からゆっくりと息を吐くように、体の内側を流れるオドを両の掌に集中させる。バチバチと、静電気が立つような音が掌からしてきて、少し腕がピリピリとする。僕の中のオドが、治癒魔法という形を成して、ロゥベルの体に流れ込んでいっているのだ。それと同時に、全身から精気が抜けていくような感覚に襲われる。自分自身に使うときと違い、完全に他人に対して使っているから、オドが体の中で循環せず、自分に使うときよりも多くの魔力を必要としているのだろうか。
(まずいな、完全に傷がふさがるまで僕の意識が持ってくれるかどうか)
最悪の場合、外側と内側の主要な部分だけでもつなげて、それで内側が完全に治るのを待つようにするか? いや、それだと僕の素人知識じゃあ後々後遺症もなく完璧に治るとは限らない。今、この瞬間にこの傷を完治させなくちゃならない。
「ぐっ……不思議な感じだ、な。これは」
「喋ると余計体力を使うぞ」
治癒魔法は、発動するだけで傷が治る便利なものではないようで、あくまで魔法を受ける人の回復力を魔力を流し込むことで力づくでブーストするようなものだ。どこをどう言う風に治すかというのは全て流し込む魔力の量と位置で微調整しなければならないし、患者の体力が持たなければそれでおしまいだ。
僕自身にかけていた時は、生き残ることが最優先だったからつゆほどにも気にかけなかったが、オドの操作を誤り魔力を大量に流し込むと、その近辺の細胞が異様に増殖し、がん細胞の様になってしまうようだ。僕は精神をすり減らしながら丹念に魔力を操り、端から少しづつ傷を閉じていく。
いまだかつて無いほどの焦燥感と戦いながら、僕は黙々と傷を癒し続けた。
◆ ◆ ◆
「お、終わったぞ」
どれくらいの時間がたっただろうか、ようやく傷が塞がり、僕は倒れるようにへたりこんだ。
「す、すごいな。あれだけの傷が、本当に跡形もなく塞がっているなんて……」
ゆっくりと起き上がり、傷の様子を確かめながらロゥベルが感嘆の声を漏らした。
「塞がったとこ、少し他に比べて柔らかいだろ? それは新しく造られた組織だから、まだうまく体に馴染んでないんだ。一日か二日は安静にしてくれよ」
仰向けに広場に倒れて、多分足元の辺りにいるロゥベルにそう伝える。正直全身に力が全く入ってくれない。体中のオドをすべて使い切ってしまったらしい。頭がガンガンするし、どうにも意識がはっきりしなかった。
「オド欠乏症か。ま、碌な知識もなくただ力任せに【シューツ】をかけただけではこんなものじゃろうな」
ばあさんがなにやらそんなことを呟いたので、視線だけを動かしてばあさんの方を見やる。
「知識って、どういうことだ?」
「効率的な治し方じゃよ。カブトの治療院にでも登録すれば教えてもらえると思うぞい」
治療院か、名前からして僕みたいな治癒魔法が使える人たちが働いていそうだ。カブトというのはさっき話に出てきたユスティア人が管理する交易都市だったか。いつか行ってみたいものだ。
……いや、いつかの話の前にまず今晩の宿をどうするんだ、僕。金になりそうなものなんて持ち合わせてないし、何よりこの状況で宿を探して歩き回れる気がしない。あれこれもしかしてこのままここで野宿パターン? この世界元の世界と気候が違うのか昼の暑さと真反対の冷たい風が割と肌に刺さるんですけど? あれ死ぬ? 早速ここで死ぬの? 僕。
果てしない困惑を胸に抱き体が動かないので気持ちだけ右往左往していると、見かねたばあさんが口を開いた。
「のうロゥベル。この小僧は渡り人で帰る家もないし頼る当てもないそうだ。しばらくお前のところで面倒を見てやれ」
ナイスアシストばあさん。いやだがしかしその提案はどうなんだ。仮にもいい感じの歳の女の人の家に男が泊まれるなんてミラクルそうそう起こらないぞ。
「ああ、構わないぞ」
「? いいのか、僕は今のところ身元不明の不審者でしかも男だぞ?」
すぐに快諾したのに驚いてそう尋ねると、ロゥベルは小さく微笑んだ。
「【献身】を持ってるような奴は悪いことはできないさ。それに、今のキミを泊めたところで、どうせ今晩はまともに動けないだろ?」
「それもそうだな……」
今まさに情けなく地面に転がってるもんな。そういう事ならお言葉に甘えるとしよう。
「おいアバドン、悪いが運んでくれないか———ってあれ、あいつどこに行った?」
僕が動けないので運んでもらおうと思ったらアバドンの奴がいない。あいつどこに行ったんだ。
「あいつなら、『妙な気配がするな』って言って村の外の見回りに行ったようじゃぞ」
「ええ……肝心なところで役に立たないなあいつ」
じゃあどうやって移動しようか。腕を組んで悩みたかったが腕を組む気力もないので五体投地してぼやく。
すると、割とすっと立ち上がったロゥベルは僕の腕をつかんで僕を持ち上げ、そのまま肩を貸してくれた。
「これくらいなら今の私にもできそうだ。さあ、家まで案内するよ」
「ああ、頼むよ」
こうして二人はばあさんに見送られながらよろよろと夜の村の道を進んでいった。