第一章漆記「予期せぬ邂逅」
早朝の日射というものは憂鬱な心を捌けさせてくれる。
澄み切った空気もまだ冷たいが逆にそれが気持ち良いとも思えた。
清流流るるリビュア渓谷。
谷へと入るその入り口で仰々しい大軍団は束の間の休息を得ていた。
「ニコス、渓谷の深奥の様子はどうだった?」
「そうですねぇ、何と言いましょうか……まあ一言で言うと秘境? いやぁ、ちょっと奥へ行っただけで周りが全く見えなくなって、それに伴い日差しも木々の樹冠に遮られ差し込まないものですから、馬も怖がっちゃって注意して進めなければ危ない所でした。それに薄暗くて何か出るんじゃないかと思いましたよ本当に。僕お化けとか苦手なんで勘弁して欲しかったです」
「お前の事など心底どうでもいいのだが、やはり森林の方を大群で行くには厳しいか……?」
「もう、少しは心配してくれたっていいじゃないですか。そんなんだからこの歳になっても男が出来ないんですよぉ。」
「余計なお世話だぁ!!! お前には関係の無い事だろうが!! 聞かれた事に従順に答えろよ!」
「もう連れないなぁ。でもそんな所がス・テ――――――」
騒々しい団長の断絶を飄々と受け流しながらふざけていたニコスだが、キシリアの般若と化した顔貌に恐れ戦きお茶目を中断せざるを得なかった。
「ま、まあ、おふざけはここまでにしときましょうかねぇ~。そ、そうですねぇ、やっぱりこの人数では無理があると思いますよ」
渓谷発見から五日が経っていた。
食料も確保し、脱落していた団員達も次第に元気を取り戻している。
ある程度の人員を確保できた事により渓谷の調査を決行したのだが、結果はニコスの報告通り。
「やはり河川を横切るしか先に行く方法は無いのか、困ったものだな」
隆起した巨大な崖に挟まれて存在するこのリビュア渓谷は森林がその大半を占め、人間の手出しなど一切受け入れないかのように出来ている。
森林には辛うじて人が通れるぐらいの広さの獣道はあるがそれもこの大人数では時間が掛かってしまう。
自ずとその他の方法で進まなければならないのだが生憎、他路には様々な障害があり結局は川を渡らなければならなくなった。
「河川は激流とそうでない所が有ったりしますので、川に沿って一度進軍し流れの比較的穏やかな地点で横断すればそこまでの危険性は無いと思いますがねぇ」
「それでも、病み上がりの団員達にはきついものが無いか?」
「それはもう自業自得というか、自分たちの体力の無さに悲観してもらわないとどうしようもありませんよ。こればっかりは」
「そうは言ってもな……」
「早くしないと奇跡の場面に遭遇できないかもしれないんですよぉ~。これでも予定よりかなり遅れてるんですからもう形振り構わず進まないと」
ニコスの切言通り、自分達で規定した所定の期限は当の昔に過ぎ去っている。
それでも法王は明確な期限や期日などについては何も述べなかった。
ということは未だ奇跡は起きていないという可能性もあるのだ。
「選択肢が無いものな、良し。ではニコス、あの髭男もといデニス副団長を起こして来い。その後全小隊に伝令せよ。本日中に渡れそうな箇所を探し出し、明日の明朝には渉り切る。未だ体調が万全でない者は此処に置いて行くが、それ以外の者は準備を怠るな、と」
明朝、まだ日の昇りきらない朝露に濡れた渓谷を造る渺々(びょうびょう)たる大河を悠々と横断している一行があった。
轟々と激流の流れる大河ではあるがやはりその構造から流れが緩やかになる箇所は幾許かはどうしても存在しているのだ。その内のそれまた比較的浅い箇所を横断決行の場所と決意したのが昨日の晩、というよりはかは今日の丑三つ時。未だ疲れが見え隠れしている団員達もいるがニコスの言った通りもう形振り構っている場合ではない事は彼らも重々承知していた。だからこそ文句の一つも垂れずに黙々とされど漸進的に進んでいた。
「大分日が昇ってまいりましたな。キシリア団長」
「嗚呼、この遅さはどうにかならないものなのか?」
「ここまで従軍してきた疲労もありますし、如何に流れが緩やかだと言っても、足を掬われれば一巻の終わりになるやもしれぬのですから慎重にもなりますよ」
「むぅ」
「まあ、そう唸らんで下さい。直に渉り切りますから。もう少しの辛抱です」
デニスの言った通り、直に一辺倒の団員は全て向こう岸に移動が完了し残るはキシリア、デニス、ニコスの三人となった。
先達て、デニスがゆっくりと水に沈み行く。
背が他の者より低いらしく頭一つ出る出ないのギリギリの所で息苦しそうに進む。
そして、無事に渉り切った。
「大丈夫です! 途中、突然現れる段差がありますので注意しながら御渉り下さい!!」
次に渉るのはキシリア。
錘になる武具の類は既に向こう岸に渉っており、その身には護身用の短刀と帷子のみを纏っていた。
「結構流れが速いのだな、気を抜いたら流されそうだ。これは前言撤回する必要があるな……」
デニスよりかは背が高いので息苦しいということは無かったが、予想以上に川の流れが強く思うように動けなかった。
「もう少しで段差がありますので、お気をつけてぇぇぇ」
号が飛ぶ。
気恥ずかしくなり、キシリアもそれに返すように叫んだ。
「分かってる! 一々心配しなくてもいい!! 私は大丈夫だから!!!」
そう思っていた。
「何ッ!!」
そう、デニスが言っていた段差に差し掛かったのだ。
両足を同時に。
そして、そのもう片方の足を『何か』に引き寄せられていた。
「ぐぅ、がぁああああああああ! ゴホッゴボッ!!」
気道に水が浸入し思った通りに呼吸が出来ない。
幾ら抵抗してもけっして足に絡みついた『何か』は離れない。
段々と意識が遠退いていく。
水に浮く、心地いい感覚。
まるで赤子が羊水に包まれ育つ様な。
水中から見る陽光の差し込むその佳景を最後に。
意識は途絶えた。
網のように生い茂り蔓延る樹枝を足場とし、軽快に跳躍する一つの影があった。
猿のようで猿ではない。
慣れた手つきで木々になる果実を毟り取り口に含みながら渓谷に流れる河川を目指している。
男は毎日の食料の確保の為に遠く離れた河川を往復することを新たな日課としていた。
竜、フェルニゲシュは必要最低限の活力を与えただけであって何も世話をするとは言っていない。
始めは男もフェルニゲシュに頼ろうとしたのだが、頑なに拒否する姿を見て渋々自給自足の生活へと発展させた。
今ではそれも板についてきており、痩せ細っていた身体も筋肉が付き随分と逞しくなっていた。
「んはぁーーはぁはぁあああああ。ふん、ふんふー」
忌々しいあの偉丈夫が鼻歌として奏でていた何か。
だが、それも慣れれば一つの娯楽として受け入れていた。
ある意味、この男は図太い神経と胆力を有しているのかもしれない。
「ひゃっほぅ」
長く伸びた蔓を器用に使い、華麗に回転しながら見事な着地に成功した。
自身も満足がいったらしく満面の笑みだ。
「今日は何が捕れるのかぁ~」
自作した籠を腰に提げ、ゆったりと川に近づく。
何時もは何の変哲も無いただの水面。
それがどうだろう。
目の前には何か得体の知れない物が流れていた。
「め、珍しい?!」
恐怖もあったがどうやら好奇心が打ち勝ってしまったようだ。
恐る恐る川の中へと身体を沈めそれを掴んだ。
「お、重い……これ」
「一体何なんだ、これ?」
ズルズルと引き摺りながら水中から陸へとそれを上げ、木の枝で突いている。
「フェルニゲシュにでも聞けば分かりそうかな?」
そう呟くとそれを肩に担ぎ、再び軽々と枝々の間を跳んで行った。
「おおおおぅぅぅ、おおおおぅぅ。キシリア様ぁぁぁ!!!」
渓谷に暑苦しい叫び声が反響したの言うまでもない。
一万アクセス突破致しました!
本当に有難うございます!!
感謝感激です!!!
展開ですが、何かありきたりなような気もしないでもないような……
まあ大丈夫だよね!?
次話ではついに主人公とキシリアが!
あ、あと感想受付を誰でも出来るようにしました。
今後もよろしくお願い致します。
※お気に入り登録や感想を頂けると嬉しさのあまりサンバを踊りだします。