最終回 夜の花嫁船
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
どん底まで落ち、川下りの船頭として再起した夏生。
しかし、元カノである由乃との再会をきっかけに、彼の中で「終わったはずの感情」が再びうねり始めます。
そして、失踪してしまった由乃。
彼女を探す夏生が向かった先は、かつて彼女が「乗りたい」と願っていたあの場所でした。
月明かりの下、二人が最後に出した答えとは——。
『夜の花嫁船』、いよいよ感動の最終回です。どうぞ最後までお見逃しなく!
結局、翌日も僕は由乃に電話をすることはなかった。
時間が経って、自分の心の中に由乃に対するわだかまりのようなものが芽生えてきたからだ。
自分の意思ではなく、僕との別れを選んだ。
それなのに、手首まで切ったという。
昨日は日焼け防止に嵌めていたアームカバーで、その傷を見ることはなかったけれど。
そして、振った相手に、今度は「結婚する」と書いた葉書を送りつけて来た。
連絡をしようとしても元の携帯電話は通じない。
そして、都落ちした僕の新しい職場にやって来る。
どういうつもりなんだろう、と一晩寝て冷静になった僕は、あの時のように由乃をまた——そう。恨んでいた。
わだかまりの正体はそれだ。
ともかく、昨晩僕から電話はした。
もし由乃が本当に何か話したいのなら、着信履歴から僕に連絡をくれるはずだ。
僕は船着場に出勤して、吉田さんと慎之介さんに昨晩のお礼を言った。
慎之介さんからは、
「あれからちゃんと電話したんか? 吉田さんしつこかったけんな。なかなかできんかったろ?」
と気遣いされたが、
「まあ、一度電話したばってん、出らんやったとです。まあ、あちらから電話してくるやろ」
と答えた。
慎之介さんは、少し沈黙した後、
「いや、電話は来んばい。おんおんが掛けん限り」
と言った。
そうかもしれない。
けど、由乃が話したいと言ったんだ。
由乃が僕に掛けてくるべきじゃないか。
そうこうしているうちに、一か月が経ち、十月のカレンダーをめくることとなった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
麻梨絵から電話があったのは午前二時だった。
「なんね、こげん時間に。なんかあったか?」
僕は寝ぼけ眼で対応していた。
「えっ、何したっちゃ、何もしとらん」
「あんた、たいがいにしんしゃい!」
麻梨絵の剣幕に眠気は飛んだ。
「由乃が、三日くらい家に帰っとらんって。由乃のお母さんからさっきアタシに連絡の来て」
「どげな事ね?」
「どげな事って、アタシが聞きたかばい! あんた、由乃から連絡が欲しかって言われたとば無視したろ!」
「いや、電話したけど由乃は出らんやった」
「そん後は掛けなおしたと? せんやったやろ!」
愕然とした。
「由乃の両親がしたっちゃ、アタシが電話したっちゃ由乃は出らん。夏樹くんが電話したっちゃ出らんとよ。ばってん電話は通じとる。アンタくらいしかもう可能性はなかと!」
自分を変える。
そう思って川下りの船頭になったつもりだった。
何も変わっていなかった。
他人に翻弄され理不尽な扱いをされても受け入れるくせに、小さくてくだらない自尊心も棄てられない。
その結果がこれか。
釈然としないことは依然としてあるが、やはり由乃が心配だ。
「わかった。すまん。今から電話ばしてみるけん」
と言って、麻梨絵との電話を切った。
すぐさまLINE通話をしてみたが、繋がらない。
麻梨絵にまた連絡をした。
「いかん。僕が掛けたっちゃ出らん。ご両親は捜索願ば出したとね?」
「ご近所の恥になるけんって、出しよらんとよ。正直どうかしとるわ。由乃のお父さん」
「その……夏樹くんは、どうしとるんね?」
「そりゃあ必死に探しとるわ。当たり前やろ?」
「——わかった」
と言って僕は電話を切った。
今分かったことは、由乃はどこかで僕の事を待っているということだ。
手首を切るほど僕を振ったことに後悔していたなら、どうして、とも思ったけど、由乃の父親のこの対応を聞いて、想像を絶するほど抑圧的な育てられ方をしてきたのかもしれないと思い直した。
船頭の卒業試験の時、なぜ由乃が花嫁船の下見をしに来たのだろうと考えたのは、二人で川下りのどんこ舟に乗った時、
「夏生と一緒に今度は二人で乗りたかね」
と言ったのを覚えていたからだ。
僕は、確証がないまま冷え込んだ夜の街に出ようとして、フィールドジャケットを手に取って玄関で靴の紐を結んでいると、
「夏生、こげん時間にどっかい行くとね?」
と、父さんが僕の背後から声を掛けてきた。
「起こしてしもうた? ごめんな、父さん」
「いんや、またトイレに起きただけたい」
「僕の大切な人の、おおかた今泣きよって僕ば待ちよるんや。ちょっと行ってくるわ」
父さんは少し驚いた顔をしたけど、すぐ元の表情に戻って、
「ああ、わかった。すぐに行ってやりんしゃい」
と、それだけ言った。
僕は自転車に乗って、日枝会館へ急いだ。
するとスマートフォンに着信が。自転車を止めて表示を見る。
知らない番号だ。
「はい」
僕は名乗らず電話に出た。
「あの、私、菅沼と言います。由乃の婚約者なんです」
どうして「夏樹くん」が僕に?
「今、どこかいおられるとですか?」
どう答えていいか迷ったが、
「麻梨絵から電話ばもろうて、由乃ば……いえ、由乃さんば探そうて思うて外に出たところです」
「そうね。あの、少しアンタと話のしたかとばってん」
「急いどるし、僕の方には話はなかけん」
しばらく沈黙が続いたが、夏樹くんは意を決したのか話し出した。
「僕は、由乃の両親には好かれとるばってん、由乃にはそげん好かれとらんとです」
夏樹くんは、由乃のお父さんの部下だということだった。
彼の考えでは、由乃は父親に夏樹を押し付けられたので渋々結婚に同意したのだという。
『両親が望む結婚がしたかったのよ』
僕と別れた時に、彼女が僕に言い放った言葉を思い出していた。
「どうか由乃ば見つけ出してくれんね。僕は、もう身ば引くけん」
「身ば引くとかどうとか、そりゃ見つかってからの話たい! アンタはなんかなし待っとれ! 寝るんじゃなかぞ!」
そう乱暴に言って電話を切った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
十分後、日枝会館に着いた。
会館には人気がなく照明は看板も含めて落とされていたので、僕は背負っているバックパックに入れて持ってきたLEDランタンをかざしながら、会館の川に面している方に歩いて行った。
そこには東屋があり、花嫁船のための船着き場がある。見上げると、晴れ渡った空に満月が輝いて、明るく地上を照らしていた。
良くは見えないが、東屋のベンチに腰かけていた人影が立ち上がったように見えた。
「由乃か?」
「夏生」
やはり由乃だった。
駆け寄ってランタンを投げ出し、由乃を抱きしめた。
「こんなところで、こんな時間に何しよっと?」
由乃は堰を切ったように泣き始めた。
「うちば探してくれてありがとう」
「僕の方こそ、電話できんでゴメンな」
「謝らんで。うち、夏生にほんなこつ悪か事ばした。何度も何度も後悔した。見て」
麻梨絵が言っていたことは本当だった。
月明りで、うっすらと左手首に傷跡が見えた。
「なしてこげんことば」
「うちの本心じゃなかったと。親には逆らえんで、あん時は夏生とお別れすることが、うちにでくる唯一の選択肢やったとよ。ばってん、直ぐに間違いだってわかった。後悔して後悔して。気が付いたらこげんことに」
「それじゃあ、夏樹くんはどうするんね。僕は彼のことは全く知らん。ばってん、由乃ば立ち直らせたんやろ? 麻梨絵からそう聞いた。僕は由乃に振られて諦めてしもうたばってん、彼は由乃に尽くしてきたんやろ。かわいそうやなかね?」
「夏生は、夏生はどうとね!」
由乃の言葉に、僕の中の感情があふれ出した。
「今だって好いとる! おんのことが。ばってん、ずっと憎かった。こりゃ本当のことたい。またおんが僕の前に現れて、こげんことになって自分でもよう分からんごとなっとる」
言うだけ言うと、二人は黙ってベンチに暫く座っていた。
僕は、一つの事を考えていて、それを話してみようと思った。
「なあ、由乃。提案のあっとばってん」
僕がそう言うと、由乃は泣き顔を上げた。
「えっ、何?」
「花嫁船や。今から船着き場へ行って二人で乗ろう。由乃は僕と二人で乗りたかって、言うとったろ?」
由乃は頷いた。
「よかよ」
僕たちは船着き場に自転車の二人乗りで行って、どんこ舟に赤い羅紗を敷き、そこに由乃を座らせた。
無論白無垢を着ているわけではなかったが、白いワンピースの上にやはり白いカーディガンを羽織った由乃は、月明りに映えた。
「花嫁さん、それでは船を出しますよ」
僕は舟の上の行燈を二つ点けて、竿を漆黒の川に差した。
「なんね、そげん東京の言葉使わんでもよかろうもん?」
水路には、「灯り船」のために行燈が間隔を置いて灯されている。
しばらく進むと、丸い月が、広くなった水路の上に映りこんでいる場所に出た。
「月が、綺麗ね」
由乃が呟いた。その呟きは、単なる感嘆とも思えなかった。
僕は訊いた。
「由乃は、親を捨てられるの?」
「また東京ん言葉」
標準語を使ったのはわざとだった。
由乃は少し考えて、首を振った。
「それが答えやね。僕のことばそこまで好きになってくれて、ほんなこつありがとうな」
「夏生……」
「何も言わんくてもよかけん。由乃も結婚前に区切りのつけたかったんやろ。あん時の僕のごと」
この時間が永遠に続くことはない。
でも、時間を進めることは由乃のためだけじゃない。僕のためでもあるんだ。
「本当の花嫁船ん時も、夏生に乗せてもらいたか」
「おお。任せとけ。そん代わり、由乃の両親にもちゃんと話すったいぞ」
由乃は黙って頷いた。
やがて、日枝会館の船着き場が見えて来た。
そこには夏樹くんと、麻梨絵の姿が見えた。
メールで僕が呼んだのだ。
「夏生、ありがとう。うち、ほんなこつ嫌な女やね」
「そうね。そうは思わんばい」
船着き場に着くと、由乃は舟から降りて、一目散に麻梨絵に抱きついた。
夏樹くんは僕に何度も無言で頭を下げていた。
僕は黙って舟を船着き場から離し、竿を差して水路を進んだ。
気が付いた由乃と麻梨絵が、僕を大声で呼んでいる。
竿を差すたびに、水面に映った満月はぐちゃぐちゃに崩れたが、直ぐに元の丸い形に戻った。
最後まで『夜の花嫁船』をお読みいただき、本当にありがとうございました。
どんこ舟の上で、白いワンピースを着た由乃を乗せて進む「花嫁船」。
言葉にしなくても互いの心が通じ合い、そして永遠には続かない関係であることを悟る二人の情景を、水面に揺れる月明かりとともに描かせていただきました。
由乃が過去の「しがらみ」や「親の期待」を捨てきれないこと、そして夏生もそれを受け入れ、彼女を新しい道へと送り出すこと。
竿を差すたびに崩れては元に戻る水面の満月は、彼らの心の揺らぎと、少しだけ強くなった夏生自身の表れでもあります。
不器用で遠回りをした彼らが、それぞれの場所で少しでも前を向いて歩んでいけることを願っています。
この作品にお付き合いいただき、皆様の心に少しでも「柳川の情景」や「切なさ」が残ったなら、作者としてこれほど嬉しいことはありません。
本作を最後まで見届けてくださった読者の皆様へ、心からの感謝を込めて。
もしよろしければ、最後に星(★)評価やレビュー、ご感想などでお声をきかせていただけると幸せです。
それでは、また次の作品でお会いしましょう!




