Gifted / Given
数人の従者を率いた、ひっそりとした葬列だった。
棺は簡素で、弔いの言葉も最小限。
この城に長く影を落としてきた男にしては、あまりにも静かな幕引きだった。
墓碑の前で、ビアトリスは涙を流すことなく、ただ真っ直ぐ立っていた。
背筋は崩れず、唇も引き結ばれたまま。
悲嘆を拒むというより、感情を外に出す場所を、最初から選ばなかったように見える。
「……私が憎いだろう?」
背後に立つアルヴェルへ、振り返らぬままそう言った。
労わるような声音だったが、その直後、噛みしめるように言葉を落とす。
「二度も、あれを傷付けてしまった」
仰いだ空は、馬鹿みたいに青い。
夏の日差しが容赦なく降り注ぎ、涙を拒む目を、否応なく灼いてくる。
「……もう過ぎたことです」
アルヴェルは、静かにビアトリスの隣に並び立った。
「セリウスならきっとそう言う。
心配しなくてもとっくに前を向いています。さっき、もう村へ戻って行きましたよ。研修生が来るなら準備をせねば、って」
アルヴェルが笑うと、ビアトリスも倣うように小さく笑った。
「叔父上は、死んでも尚どこかで罵倒され続けるでしょうね。でも、ビー。あなたの知っているあの人も、嘘じゃないのだと思う」
個人的な感情はさて置き、アルヴェルは現実を美化も切り捨てもせずに言葉にする。だからこそビアトリスの胸に染みるものがあった。
「あの人の罪はあなたのものじゃない。あなたの悲しみは咎められるものじゃない」
彼女は何も答えなかった。
少し離れた場所では、彼女の侍女が立っていた。不安を隠しきれない眼差しで、それでも主より先に泣くまいと、背筋を伸ばして。
アルヴェルは、かつての叔父の言葉を思い出す。
『危うい』
今の自分たちを見ても、あの男は同じ言葉を口にしただろうか。
王族としても、人としても、均衡の上に立っているこの在り方を。
*
僅かな睡眠だったが、驚くほどに身体は軽かった。
昨日もっと深刻な事があったのに、夜明け前の出来事がセリウスの胸の内で繰り返されていた取り留めのない堂々巡りをすっかり攫って行ってしまった。
相変わらず強引だが、それが心地よいと思える自分は、やはりどうかしている。
すでに、彼の人は棺に納められているのだろう。
部屋に残された寝台は空っぽで、ひどく冷たかった。
セリウスは一度だけ、その前に立ち、形式通りの礼をとった。
祈りでも、別れでもない。
ただ、そうするのが筋だと思ったから。
それきり、振り返ることなく城を後にする。
門を出る間際、ノエルドが歩み寄り、控えめに問いかけてきた。
「殿下に、何か伝えることはありますか」
セリウスは咳払いをひとつして、「……大丈夫です」と控えめに答えた。
(暫くは合わせる顔もないな……)
村へ戻る道は一人。馬も従者もいない、ただの帰路だ。
石を踏む音と草を擦る風の音だけが、やけに大きく聞こえ、ざわついた胸をそっと落ち着かせてくれる。
そうして村が見えてきた頃、頭の隅に保留していた幾つかの懸念もまた、舞い戻ってきた。
ニコルは、もう訪ねてはくれないだろうか。
あんなふうに、怒鳴ってしまった。正しいことを言ったつもりではあるけれど、正しさはいつも、人を置き去りにするから。
言葉を選ぶ余裕のなかった自分を、今さら思い返し、胸の奥に、小さく鈍い痛みが走った。
「大丈夫、」
と、あの人ならそう言うだろう。
なんの根拠もないのに――それでも信じてしまいそうになる、魔法のような言葉だ。
家に着き、一息ついていると、砂利を踏む音が近づいてきた。
「セリウス先生」
控えめなノックと、少し硬さのある声。
ドアを開けると、声と同じように硬い表情をしたニコルが立っていた。
「どうぞ、入って」
セリウスの柔らかな声色に、ニコルはあからさまに安堵の色を浮かべる。
「昨日は……すまなかった。来てくれてありがとう。腕は痛まない?」
一つひとつ確かめるような口調だった。言い訳するでもなく、まず先に頭を下げる。
ニコルにしてみれば出会ってまだ数日も経たない赤の他人だ。細身とはいえ自分よりも力のある男に肩を掴まれ、怒鳴られれば萎縮して当然だ。
ニコルは一瞬、言葉に詰まり、それから小さく首を振った。
「……ありません」
そう答えたあと、少し遅れて、唇を噛む。
「まあ、座って」
小さな食卓の古ぼけた椅子に腰掛けると、ニコルは視線を落としたままセリウスの言葉を待った。
背後でセリウスが茶器を用意する音だけが響いている。
「——君は、自分の力を試したくて私のところに来たのか?」
セリウスは二人分の茶を注ぎながら端的に訊ねた。それは曖昧さを回避する為だったが、少し棘のある言い方だったと、口にしてから思う。
「そんなんじゃ……!ただ、」
ギッと椅子が軋み、背中越しにニコルが振り向いた気配が分かった。
「……いえ、先生の言う通りかも知れません」
ニコルはそう言い直すと、束の間逡巡し「私の話をしても良いですか?」と切り出した。
「うん、聞かせて」
セリウスは振り返る。テーブルに置いたカップから湯気が立ち上り、向かい合わせの二人を薄淡く隔てている。
「最近なんです。この力を……授かったのは」
それまで神話の中でしか知らなかった力だった。
それが、ある日突然この身に与えられたのだ。
「高熱が続いて、胸が焼けるように痛くて……。それが数日続いた後のことでした」
目覚めると、胸の奥に揺蕩う水面を感じたのだ。
それだけであれば、単なる思い込みだった。けれど、ある時——。
「子猫が……カラスに襲われていたんです。追い払って、なんとか助けたけれど……傷が酷くて。
でも、何度も立ちあがろうとしていました」
助けたいと願った。
その時——子猫を包む掌から、淡い光が漏れたのだ。
「驚きました、本当に……」
教会に仕える神官の中でも、ほんの一握りしかいないティアベアラー。自分がその一人かも知れない、とは俄かには信じられなかった。
力の正体も、扱い方も、何も分からない。
「本当なら教会に仕えるべきなんでしょうけど……でも、家族とも、この村とも……離れたくなかったんです」
ニコルは指先を膝の上で組み、ぎゅっと握る。
それはそうか——と、小さな理解が胸に落ちた。
この娘には、ただの人間としての時間がある。迷うのも当然のことだ。
セリウスは二人分の茶器を並べてから、向かい側の椅子を引きそっと腰掛ける。話の先を促すようにセリウスが軽く瞼をとじるのと、ニコルはまた話し始めた。
「このことは……母にだけは明かしていました。そうしたら、ちょうど『伯父さんから先生がここにいらしてくれる話を聞いた』って言うんです。
神様の思し召し——そう思って……」
神の思し召し。
自分はそんな風に考えたことがない。
力があった。だから教会へ送られた。
生き延びたのも。王宮へ上がったのも。
結局は、それだけの話だ。
雨が降れば濡れるように。朝が来れば目を覚ますように。
そういうものだと受け入れてきた。
「……では、期待外れだったろうね」
セリウスは小さく笑ったが、ニコルは曖昧に愛想笑いで応じただけで、すぐに話を切り替えた。
「癒しの力は万能ではない。だから安易に頼らない。先生は、そう仰いましたよね」
「ああ、言ったね」
重ねて確認するように頷きながら、その先を促す。ニコルは一度、適切な言葉を探すように下げた視線を泳がしたあと、指先をきゅっと握るとセリウスを見据え、言った。
「でも、それは……セリウス先生が、お医者様だから言えるんですよ」
真っ直ぐで、疑いのない声音だった。
「もし神様が、わたしに使命としてこの力を下さったのなら、それはやっぱり……人を救うために使うべきなんだと思うんです。
私は先生と違って……ほかに何も、ないんですから」
「……なるほど」
セリウスの返した言葉はたったそれだけだった。
そう考える者もいるのか、と。
望みもしない能力を、授かったのだからその使命に生きようだなんて、一点の曇りなく信じられるものなのかと。
それは、セリウスにはなかった発想だった。
幼い頃、自分も確かに「そうあるべきだ」と思っていた。王や王妃を護り、この力を役立てることが、自分の務めなのだと。けれどそれは、信仰からではない。
悪魔か使徒か。
どちらかを選ばねばならないのなら、せめて後者でありたいと望んだ。
ただ、それだけだ。
「そうか……君は、そんな風に始められるのか」
沈黙の後、セリウスはふっと笑ってカップに手をかけた。
湯はすでにぬるくなっていたが、気温が上がり始めた夏の午後には、かえってちょうどいい。
「……一つだけ、分かっていることがある」
言い切る声は静かで、感情を押しつける響きはなかった。
「昨日、あの状態で力を使ってもあの方は助からなかった。それどころか、下手をすれば……君が死んでいただろう」
視線を伏せたまま、淡々と続ける。
「ニコルの考えを否定する気はない。
ただ……その力は、そんなに都合のいいものじゃない」
「それ……って、どういう、事ですか?」
数度瞬きを繰り返し、ニコルは問い返す。
自分が死ぬかもしれなかったなど、想像だにしていなかった——そんな顔だった。
「その力は万能じゃない、と言ったろう。
病を治す力ではない、という意味……それからもうひとつ」
カップに触れると、半分ほど残った茶が、わずかに揺れた。
「その力は、ニコルの身体から生み出されているものだ。走れば息が上がるように、無茶をすれば自分に返ってくる」
ニコルは「あ」と言った。だがそれは、ほとんど音にならぬまま吐息だけが抜けた。
「もしかして……それで先生は髪が白く?」
「え?」
思いもよらぬ質問に、今度はセリウスの方が瞬いた。
「ははは、その発想はなかったな」
ようやく口角に笑みを湛えて言う。けれど内心、訊ねられたのが失った指の事でなくてよかったと思った。
——こんなことは、知らなくていい。
「……怖がらせてごめんね」
ニコルは、しばらく押し黙ったままだった。
セリウスはそれを気にすることもなく、立ち上がって窓へ向かう。
古い建付けの窓が、軋んだ音を立てて開いた。
外から、涼やかな風が吹き込み、室内にこもっていた熱をさらっていく。
「私は教会に行くべきですよね」
セリウスは問いに答えず、
「……公爵は何も仰っていなかったが、知ってしまった手前、いずれ教会に報告を上げるだろう」
と事実だけを告げた。
その問いに答える資格が、自分にあるとは思えなかったからだ。
「でもわたし……」
ニコルは言いかけたが、暫く待ってもその先を言葉にすることはなかった。
風に揺れるカーテンの向こうを眺めたまま、セリウスは小さく息を吐く。
内心、その先を聞かずに済んでホッとしている自分がいた。
ニコルには進むべき道が見えている。
少なくとも、そう信じられている。
「眩しいな」
夏の日差しを避けるように、セリウスはゆるく目を細めた。
*
数日経っても、公爵の遣いや教会の人間がニコルのことで訪ねて来ることはなかった。
そうして結局、ニコルにせがまれるまま、セリウスは時折ベアラーの力について話をするようになった。
これまでの経験と、いつかローワンと共にモルフォンド領で読んだ古い書物の内容を突き合わせるような作業は、その実、セリウス自身にとっても新たな気付きをもたらした。
「守り人?って、なぜ今はいないんでしょうか。
そういう人が近くにいたら、村を離れる必要がなさそうなのに」
セリウスはすぐには答えなかった。
棚に並べた薬瓶をひとつ戻し、少し考える間を置く。
「いなくなったというより……個としての守り人は必要とされなくなったのかも知れないね」
ニコルは首を傾げる。
「力を持つ人が、個人として在るだけでは足りなくなった。力そのものより——それを“管理できる形”にしておきたい。だから守り人も個人ではなく組織になった」
窓から射し込む光の線が、洗いざらした薬瓶に乱反射していた。
セリウスは自分の口から出た言葉が静かに腑に落ちるのを感じながら続ける。
「人は迷うし、怒るし、間違える。けれど人の数だけ考え方が違うだろう。
誰がやっても同じ結果が出るように、同じやり方で、同じ考え方で、御子を守る制度を作った」
「……でも、それって」
「管理できるようにした」
先に言われて、ニコルは言葉に詰まる。
「たぶん便利なんだ」
セリウスはそう言って、小さく息を吐いた。
「……私が生まれたのはちょうどこの国が大水に見舞われた年だった。被害は大きかったけれど、それでもベアラーの対応がもっと少なく、もっと遅ければ、より多くの人間が死んでいたそうだ」
教会のベアラー達が、総出で対応したという。朝も晩も休まずに。その結果、人間は救われた。神の使徒は立派に役目を果たしたのだと、師匠のエルネストから繰り返し聞かされた。
何が役目だ、と。医師になるのがあの子の夢だったのに、と。
一拍置いて、少しだけ声音が柔らぐ。
「心配せずとも、あの頃のようにベアラーが総出で駆り出されることは、もうないだろう」
ニコルはセリウスの心配をよそに、別のところに考えを巡らせていたようだった。
「あの、騎士様は……違うんですか?」
「騎士……?」
セリウスは一瞬、きょとんとした顔をする。
「ほら、あの。お城で先生と、親しくしていた方です。守り人の話を聞いて、あんな感じかなって」
そう言われて、セリウスは遅れて思い出した。
背中に添えられた、あの無骨な手の温もり。
抱きしめられたあの夜が脳裏を過り、セリウスは咄嗟に視線を逸らした。
「さぁ、どうかな……」
「先生?」
「うん?」
「窓、開けましょうか?……ごめんなさい、気づかなくて」
言って、ニコルは軽やかに立ち上がると窓を開け放った。
「だんだん暑い季節になりますね」
無邪気な声が背後から聞こえる。
ただ守り人の話をしていただけなのに。不意に胸の内を覗かれたようで、どうにもこそばゆかった。
「先生」
頬の火照りが引いた頃、ニコルがまたポツリと訊ねた。
「先生は、王宮のお役目を終えた後、どうして教会に入らなかったのですか?」
お茶のおかわりを用意しながらその背中は続ける。
「まあでも……先生ほど知識も理性もあるなら、一人でも大丈夫そうですけど」
ティーポットの注ぎ口がカップの縁に当たり、カチャリと音を立てた。
セリウスはその問いには答えなかった。
代わりに、少し困ったように笑う。
「そうだね。私が“例外”を作ってしまったから、君は悩んでしまうわけだ」
私は違った。
ニコルの亜麻色の髪が、風にたなびいて陽光を弾いている。
生まれたばかりのベアラーが抱く迷い。
それは、今のセリウスには眩しく見えた。




