オマケ
くしゃりと、笑ったのだ。
鼻先を髪に埋める馬の前で、彼女は確かにその顔を綻ばせた。ユーグの知っている気取ったご令嬢たちなら、悲鳴を上げるだろうところで。
淡い金髪はふわふわとやわらかそうだ。まとめられていたが手触りがよさそうで、馬が甘噛みしたくなる気持ちもわかると思ってしまった。だからユーグは、ためらわずに彼女へ手を差し出した。せっかくの髪が台無しになったのをどうにかしてあげたかった。
すっかり曇ってしまったその表情が、あのときのように晴れ渡ったらいいのに。そう思った。そんな気持ちになることが自分でも意外だったが不思議と嫌ではない。
思ってからの行動は早かった。こういうときにのんびりしていると、思いもしないところで邪魔が入ることがある。だったら、その隙も与えないのが一番だろう。
幸か不幸かシルヴィス男爵には目立った噂はない。
功績もないが、後ろ暗いこともなく普通。それがユーグの持っている印象だった。家に問題がなければあとは彼女自身がどんな人なのか、自分で確かめられたらと観察していたけれど。
両親に萎縮している彼女は、もしかしたら口に出す言葉よりもっとたくさんのことを考えているのではないかとユーグは思った。まん丸に見開かれた琥珀色の目がいろんな表情を浮かべていることを、彼女自身は気づいていないかもしれない。
「昨日は、すてきな贈り物をありがとうございました」
気になる人がいるから数日出かけると伝えたとき、家族の反応はユーグにとってあまり思い出したくないものだった。まあ! と声を上げた母は浮かぶ笑みを引っ込めようとして失敗しているし、父は目を見開いたけれど十日は戻ってくるなとうなずいた。加えて、女性への贈り物を扱う店の確認をしたときの姉も記憶から追い払いたい。
どうにか平常心を保って購入したレースのリボンは、二度目のお誘いで無事にコーネリアの手元へ渡ったのだが。
「よく似合ってる」
「あ、ありがとうございます」
ふわふわした淡い金髪の上で白いレースが風に揺れている。
編まれた横の髪をとめるのに、さっそく使ってくれたことがユーグをくすぐったくさせた。やわらかい雰囲気の彼女に似合うと思って選んだが、嫌がられていないようでよかった。
店では色はもちろん素材も様々な品物が並んでいて、どれが一番いいかを決めるのにかなりの時間思い悩んだことは、家族にもコーネリアにも知られたくない。次になにを贈ろうか。どちらにしても、そのときはもう少し洗練された流れで渡したいものだ。
花にしようかお菓子にしようか、はたまたハンカチなんかもいいかもしれない。店はどこにしよう、などと考えを巡らせていると隣から小さな小さなため息がしてユーグを現実へ引き戻した。
「そのため息は、なんのため息?」
いつの間にか頬に手を当ててコーネリアが表情を曇らせていた。ユーグの声にはっとして肩が揺れる。
不躾だが、嫌がることは避けたい。本当はなにか言いたいことがあったのだろうか。
言葉を待つユーグに迷う素振りを見せたが、コーネリアはそれでも素直に口を開いた。
「……頬のそばかすがなかったらよかったのにと思っただけです。それならもっと似合ったかもしれません」
「どうして? かわいいのに」
白い肌には確かに目立つかもしれないが、それは彼女を彩るものであって欠点だとは思ったことがなかった。クリームにまぶされたシナモンみたいだ。
驚いてこちらを見上げる表情に、やはり不快なところは少しもなくてユーグは不思議になった。そんなことに悩まなくていいのに。
ユーグの言葉に、じわじわとコーネリアの頬が赤くなる。
その顔だって、悪くない。悪くないどころかユーグがもっと見たいと思うものの一つだ。
困ったように眉を寄せたコーネリアは、赤い顔のまま髪を耳にかける。
「……ユーグ様はお優しいですね」
「僕が?」
それはあまり言われることのない評価だった。
むしろ、容赦がないと兄が渋面を作ることが多いし、他者からも素っ気なくて冷たいと言われたことならある。
「無愛想だと、思わない?」
コーネリアの目には一体どんなふうに自分が映っているのか。目を見開いたユーグに、彼女は思いもしないことを聞かれたとばかりに何度かまたたいた。
思ったこともないと首を振るのに合わせて、レースのリボンが軽やかに揺れる。
「笑顔もすてきです」
ふわりと花が咲いたみたいに、コーネリアが笑った。
ああ、とユーグはわずかに目を伏せる。
陽だまりにいるみたいなあたたかさが目の前にあって、だからだと唐突に理解した。
「コーネリア、きみが僕をよく笑う優しいやつにしているんだよ」
他の人の前には、きっとこんな自分はいないのだろう。それなら、いつまでもそばにいて彼女から素敵だと言われる人でありたい。
きょとんとするコーネリアは、あの澄んだ琥珀色の目をぱちぱちさせて首を傾げる。
引っ込み思案なのに卑屈なわけではなく、自分の立場を把握し、常に前を向いている心が眩しくて。ユーグは目を細める。その表情も小さな肩も強張らずにいてほしいと思ってしまう。
そうでしょうか、と不思議そうな彼女はやはりちっともわかっていなくて。でも、わからないままでもいいなと思うから、ユーグは微笑んでその手を引き寄せた。
「コーネリア」
はい、とまっすぐ向けられた甘い声。
彼女を見つめて、ユーグはあのやわらかな髪をすくう。
「僕と、結婚してくれませんか」
琥珀色がまん丸になって、かわいらしい頬が薔薇色に染まっていくのを見逃せずにいるユーグは、待った。
急かすことなく、黙ったまま。
その時間さえも大事に思えた。
だから、はいと声が紡がれて髪がうなずきに揺れたそのとき。込み上がってくる気持ちまでもがたまらなくかけがえのないものに思えて、すくったままの淡い輝きにゆっくりと口付けを落とした。