雨だれの参拝
あれよあれよと時間が経って、気付けばもう帰りのHRだった。
ここにきて佐々木くんに昼言われたことを思いだしたくもないけど思いだす。
『放課後覚えてろよな』。
うげ。その放課後までもう間もなくじゃん。
どうしよう。このままじゃさっきの二の前――――いや、それ以上の深刻な被害が・・・。
さっきみたいに駿河さんが割って入ってくるとかは期待できないぞ。あれは偶然だ。
他の誰かが僕を助けてくれる可能性も・・・まあ、ない。
だったら自分でどうにかしなきゃいけないわけだけども・・・この土壇場でバカな僕なんかが名案を浮かべられるはずもなく、そして常々言ってきたけど、佐々木くんに立ち向かう勇気なんてからっきしない。
そんな僕に待ち受ける運命は――――ボッコボコにされるという、哀れな未来。
想像するだけで頭が痛くなる。
とか思ってる内に担任は無慈悲にもHRの終了を堂々と告げた。
学級委員の号令により起立、礼、そして掃除のために机を動かし始めて・・・彼は、フォースを習得した黒い侵略者のようにゆっくりと、じっくりと僕の目の前にやってきた。
言わずもがな、佐々木くんである。
いかにも悪党のような嫌らしい笑みを浮かべている。
このまま僕を拘束して、拉致して、暴行して、という連続技を起こすべく佐々木くんは僕の腕を掴もうと手を伸ばす。そうしてその腕輪のような手が僕に触れる直前で、
「おい佐々木、ちょっと話があるから職員室に来い」
担任による鶴の一声がなんともタイミングよく割って入ってきてくれた。
あれ? な、なんだかわかんないけど、こ、これはもしかして?
「ああ? んだよ、何の用だってんだよ? 話なら今ここですりゃあいいだろうが」
「いいからつべこべ言わずについて来い!」
問答無用で檄を飛ばす担任に佐々木くんは大きく舌打ちしつつも渋々とついていく。
拉致されたのは僕じゃなくて佐々木くんだったようだけど・・・でも、一体何があったんだろう? なんかあまりにもタイミングがよすぎないかな?
「・・・さっきの昼休みのこと、俺が先生にチクっといたんだよ。それで佐々木くんは呼びだしをくらったのさ」
一人で不思議がっているところに、クラスメイトで学年一位の優等生こと天喰秀人が去っていく佐々木くんを見ながらそっと耳打ちしてきた。
百六十台後半と身長はそんなに高くなく(僕よりは高いけど)、どちらかと言うと短めの黒髪は整髪量を使っているのか見栄えよく逆立っていて、その辺は優等生という殻に収まってはいない。利発そうな顔立ちに黒ぶちの眼鏡をかけていて、目は一重だが妙に大きい。微妙に弧を描いている唇からは一種の余裕が感じ取れる。
頭脳明晰、成績優秀、運動もできておまけに品行方正で教師うけもよく、勉強だってわからないところは誰にでも教えてくれるから当然人望も厚い。そして、普段孤立している僕にも気軽に声をかけてくれる数少ない人の一人だ。
そんな天喰くんがどうやら昼休みの一件を見ていたらしく、事前に担任に報告してくれていたらしい。
「あああ、ありがとう天喰くん本当にっ! お陰で僕は今日という日を生きながらえることができそうだよ!」
「ははは、大袈裟だな。ほら、説教がいつまで続くかわかんないんだから今のうちにとっとと帰っちゃえって」
「そ、そうだね。じゃあ・・・ありがとう、天喰くん!」
彼の忠告を素直に聞き、もう一度礼を言いってから僕はそそくさと教室を後にした。すみやかに昇降口に到着し、靴を履いて外に出たところで、ゴロゴロ、と黒く淀んだ空の唸り声が耳を覆う。
それは、ある意味では夏の風物詩と言っても過言ではないゲリラ雷雨の兆し。いつから振りだしていつまで続くのかわからない一時の猛威だ。
困っている時点でおわかり頂けるだろうけど、僕、傘を持ってきていない。
こういうとき普段の僕なら様子見で学校に停滞するんだけど、生憎と今は佐々木くんの件でそれができない。
それに、僕は少し遠いところからこの学校まで電車で通学しているんだけど、この高校は駅からそれほど離れていない場所にあるから電車通学の人はみんな駅から歩いて来てるんだ。そしてバスが走るような大通りには面していないときてる。うーん・・・大急ぎで走れば雨が降る前に駅に着くかもしれないけど・・・どうだろう? 間に合うかな。
杞憂だといいけどね、なんて小走りで校門を飛びだして――――ものの一分と絶たない内に予想通りというか、もしくは予想外というか、肌が大粒の水滴を感知しだした。
や、やばい、このままだと、ずぶ濡れになっちゃう。
雨を防げるような物もろくに持ってないし、仕方ない、雨宿りをするしかない。
と、その場で周囲を確認してみるも、見渡す限り畑が広がっているだけだ。
仮に全速力で駅まで走ろうにも荷物が邪魔だし、こうなったらいっそ学校に戻っ――――いや、そんな愚かしいことしたら佐々木くんとご対面してしまうかもしれないじゃないか。
ビショビショになるか、ボッコボコになるか。二つに一つだ。
悶々としていると、すぐ近くに神社があるのをふと思いだした。
確か、駅と学校を結ぶ大きな一本道から派生するか細い脇道を進んだ所にある雑木林の、その中にぽつんとあったんだっけ。入学したての頃に一人で学校の周辺散策なんかをしていて一回行ったきりだけど。ここからそんなに遠くはなかった気がする。
記憶を頼りに探してみると・・・うん、ここからでもなんとか神社の鳥居の朱色が木々の隙間から断片的に確認できるくらいだし、多分走って二、三分ってところかな?
普段は寄りつく理由もないので視界に入っても「ああ、そういえばあんなところに神社があったっけ」程度に思ってそのまま見過ごしているから最初頭に浮かんでこなかったけど、今このときに限って見過ごさずに済んだのは不幸中の幸いだった――――と、この間にも雨脚は徐々に確実に強まっていたので、もううだうだ考えるのをやめて無心で神社を目指すことに。
やがて二分ちょっと経ったあと。目算通り僕は神社の鳥居前に到着できた。
鳥居は神社を囲い守るようにして広がる生い茂った数々の樹木にもひけを取らないくらいに高く、堂々と構えているところが威厳を感じさせる。改めてこうして見てみると・・・うわぁ、凄いなぁ。
――――って悠長に見入ってる場合じゃなかったんだった、早く社まで行かなきゃっ!
鮮やかな朱色の鳥居をくぐり適度な凹凸をした長方形の石が規則的に積み重ねられてできた石段を駆け抜け、そのまま石畳を突き進む。
石畳の延長線の先に鎮座した風流ある社まで急いで駆け、そして社の手前側にある階段の端に腰を落ち着かせる。そこでようやく一息入れた。
うわ、もうそれなりに濡れちゃってるけど・・・うん、これくらいなら許容範囲だ。まあなんとか乾くでしょ、多分。
身の安全を確保してホッとした本当に一瞬後。雨脚は急速に激しくなり、あっという間にそれこそ濁流のようになってしまった。
ふーっ、間一髪助かったみたいだ。けど、このぶんだと本当にいつ降り止むのか予測できないな。
道を脱線してここまで来てしまった手前、雨が止むまで身動きがとれないわけで。
とどのつまり、帰れないわけで。
けどまあ家に帰って特にすることもないし、気長に待とうかな。
とりあえずすることもなかったので、雨に塗れる境内を頬杖ついてぼーっと眺めだした。
へぇ・・・外からじゃわからないけど、境内は意外と広々としているんだ。僕以外には誰もいないか。こんな雨じゃあ神主さんも外に出てこないみたいだ。まあ当然か。
・・・・・・。
雨は派手に打ちつけられてうるさいくらいだし雷だって鳴りだしてけたたましいけど、そのせいでか車のエンジン音とかいった人工的な音が一切耳に入ってこない。そういった意味では自然だけが織り成す騒音が不思議と心地よく感じられた。
こんなふうにじっとしながら雨音を断続的に聞いていたせいでか、気づけば考え事にふけっている自分がいた。
どうして佐々木くんとこんな関係になってしまったのかを。