ハンプティ・ダンプティ
「ま、まさか・・・っ」
僕は瞬時に理解した。
突如として現れた正体不明の生物。
僕以外の人には姿を見ることも声を聞くこともできない生物。それは――――、
同じ特異性を持つ辺りから鑑みて、そうだと断定しても構わないだろう。
アレは紛れもなく、卵から生まれた生物なんだ、と。
こ、この卵からはあんな化物が生まれるのっ? と手のひらにある卵が急に手榴弾にも似た危険物に感じられてきて恐る恐る見入ってしまう。
――――そんな行動が命取りだったらしい。僕がよそ見している隙に、かの生物は片翼を駆使してものすごい速度で滑空し、僕に迫ってきた。
生物は息もつかせぬ間に僕の手前三メートルくらいまで距離を詰めてその場に足を着ける。その一連の所作があまりにも滑らかで俊敏だったせいか、一拍置いて追いかけてきた風が乱気流となって僕に襲い掛り、その圧迫感で堪らずその場に尻餅をついてしまった。
僕のそんな様子が生物の目には腰を抜かしたように映ったらしく、顔の下半分を嫌らしく歪ませて徐々に一歩ずつ、ゆっくりと近づいてくる。
近づきながら、生物は右腕を――――右腕の先端にある鷲の正面を、銃口の切っ先を僕に向けるようにゆっくりと構えた。途端、
黄色い嘴が中を覗かせるように上下に開き、一間置いて鳥の口の奥からサッカーボールほどの大きさをした透明の、ガラス細工のような物体が吐きだされるようにして出現した。
それは嘴でついばむ形で固定されると芯から一気に力強く妖艶なルビー色に染まりだした。眼球のない目の穴からも紅光が漏れだしていることによって、あたかも鷲の生首の眼球が光線を出しているような奇妙で異様な状態になっている。その紅の目が、鷲がエサを捕獲する際に放つ独特の殺気を放っているかのように見えて、それこそ僕は蛇に睨まれたカエルのように身も心も萎縮してしまう。
や、・・・ヤバい。
よくわからないけど、とにかくアレはヤバい・・・なんか絶対に、絶対にヤバいっ!
とてつもなく嫌な予感がしてなんとか立ち上がり逃げだそうとするも、すでに詰め寄られていたこともあって、体を起こそうとする動作を取ったと同時に生物の鳥のような右足に僕の胸と腹を上から圧迫されて無理やり地面に『大』の字状に寝かせられてしまう。
くっ、み、身動きが、とれない・・・っ
「・・・おい、見てみろよアレ」
「なんだあいつ? あんなところで何してんだ?」
「脱水症状で倒れてんのかな?」
・・・っ、この生物が見えない一般人にとっては、今の僕がどんなに差し迫った状況なのかを理解することができていない。
けど、三十台半ばくらい)が「大丈夫ですか?」と僕に近寄ってきた。
それを、この生物は大きな片翼を一度揺らめかせることで生み出した突風で阻止する。
吹き荒れた風にお父さんは声を洩らしながら少し後ろに飛ばされ倒れてしまった。そのお父さんのそばにいた残りの家族やら他の一般人の何人かもその余波に巻き込まれて倒れたりしている。この辺でようやく周囲からも妙なざわめきが湧きだした。
そんなことはお構いなしに生物は冷笑しながら鷲の生首を僕の顔面の至近距離に用意した。漏れた紅光が凶悪な双眸となって、文字通り目一杯僕をねめつけているようだ。
瞬間、至近距離にあるルビー色のガラス細工から、そして両目の穴から、それぞれ蠱惑的な光が盛大に放たれ溢れだして一気に辺り一帯に撒き散らされた。
それが有無を言わさず僕の両目を浸食する。オーロラのように波を打って波紋状に広がる妖光は僕を包み込むだけには終わらず、周囲一体にいる一般人をも、巻き込む形で、霧のように、広がっていて・・・っ! そう、だ・・・。
こ、この光は・・・たしか、さっき・・・観覧車で、見た・・・あの・・・っ、
・・・・・・・・・・・・。
しばらくして僕は、自分が地面に大の字を描きながら呆けていたのに気付く。そして、
「・・・ンフフッ・・・つ・か・ま・え・たっ♪」
どこからともなく現れた愛しい声に、その天使のような姿に、ただ純粋にときめく。
僕の大好きで大好きでたまらない、もう一秒たりとも離れたくないほどに愛している女性が、両腕を背中に回して組みながら前のめりになって、艶のある麗しい唇を弧にして僕の表情を覗き込んでいる。
「・・・あ、はは・・・捕まっちゃった、なぁ・・・」
僕の力ない笑顔に安堵したのか、鷺宮さんはニヤッと歯を見せて笑うと、
「フフ・・・よくやったわ、フォカロル」
と、そばにいる生物の、その右手にある鷲の生首を撫でながら賛辞を投げた。
「さてと。それじゃあ――――ねえ比護くん。比護くんの卵、あたしにちょうだい?」
・・・さ、鷺宮さんが、あの鷺宮さんが、あろうことか僕におねだりをしている。それに対して周りにいる何人かの男性達が僕に嫉妬しているのか恨めしそうな目で睨んでくる。
ああ、こんなにも人の気を惹くほどに可愛らしい鷺宮さんが、僕だけを見て、僕だけに話しかけてくれているんだ。嬉しいなぁ・・・。
「うん・・・いいよ。こんな物でいいなら、喜んでプレゼントするよ・・・」
鷺宮さんの喜んでくれる顔が見られるならこれくらい安い物だ。
僕は状態を起こし、ゆっくりと卵を持った右手を差しだした――――そこで、
「ダメだ、比護くんっ!」
どこからともなく声が聞こえてきた。