68 襲来②
オレンジ色の照明が影を走らせる中、突き当たりを左へ曲がる。
「つっ、めんどくせえ」
緑色の光が見える扉に差し掛かると、ジンは間髪入れずに文句を垂れた。
壁面の少し出っ張った四角い機器へカードが通され、ガチャっと音を鳴らし扉は開かれる。
――カードリーダーによる認証がなければ、ここから先へは行けなかったってことね。
昨晩ジンのおっさんがなぜ余裕で、俺をうろうろさせていたのかが理解できた。
俺は桜子の小さく柔らかい手を引き、渋々若草色の大きな背中に連れられて行く。
『死にたくねえなら、とっとと付いてきな』。そんな物騒なことを言われたのだから仕方がない。
乗り気じゃないまま厚い扉をくぐれば、配管やら大きな円柱状のタンク、金属製バルブやタラップ。ボイラー室なのか、いかにも工場っぽい空間が広がっていた。
ここに蒸気でもプシュプシュ上がっていたのなら、ダダンダンダダンッ、ダダンダンダダンッと、ショット・ガン片手に人造人間でも出てきそうな雰囲気である。
ジンは、カンカンと窮屈な鉄の螺旋階段を踏み鳴らして行く。また扉。開扉された先は走ってきた構造物の趣とは異なり、さっぱりとして、明るさが欠ける中でも全体的な白さがあった。
その中で真っ直ぐ長い通路上、映画館のフロアで見るような足音を抑える、タイルカーペットの青が目に入る。それを挟み左の壁側には、いくつかの部屋が確認できる入り口。向かいの壁側には、埋め込まれた分厚い硝子窓が等間隔で並ぶ。
窓から見る外は空が白み始めているからなのか、真っ暗という感じではなかった。
薄く射しこむ微かな光を頼りに、先ゆくジンを目指していると右腕が重くなる。
「大丈夫か桜子」
「大丈夫。だ、大丈夫とは何がだ。私は本気を出せば、もっと速く走れる。けれども今、今私は本気じゃないだけなのだ」
フリルレースをあしらった白いワンピースの裾が、ひらひらと踊っていると表現できなくもないが、着ている本人からするとバタバタと暴れている桜子の呼吸は荒い。
「お前は何と張り合ってるんだよ……」
ゆっくりと走る速度を落とし、俺も疲れたからちょい休憩な、と足を止めた。
ジンの背中が小さくなってゆくが……振り返らないおっさんが悪いってことで、いいだろ。
繋ぐ手を離してポケットへ。
硝子窓を通して見える景色からは、草木と土の自然だらけとの情報が送られてきた。それ以外に目を引く物もない。
地面との距離から今いる場所は建物の一階で、さっきまで居た所が地下だったとは認識できた。後はこの何かの施設みたいな所が、全力で走れる程に徒広いってことくらい。俺達以外に人の気配がない分、感じる広さは『8%』増しかね。
取り出す電子機器の電源を入れる。期待虚しく『圏外』の文字と『AM05:20』の時間を表示させてから、スマートフォンは力尽きた。画面が暗転する。
「どうしたスバル。元気がない」
気功でも体得しているのか、ふーふーといかにも腹式で呼吸を整えていた桜子が、嘆息する俺を気遣う。
「いや、元気がないことはないけど……なんだろうなあ、さっきのはまとめると、いろいろツイてないよなーってため息で、程度的には、スニーカー買った翌日が雨だった、ってくらいのどうってことないため息だ」
「スバル、長靴を履けば解決なのだ」
「うん……だよな」
心配してくれた桜子に、なんにしろ大したことじゃないからお気遣いなく、ありがとなの意思表示をして、そういや桜子はどう思っているんだろうと、一緒にジンの後を追う相棒の意見が気になった。
本当は早くに確かめるべきだったが、状況が許してくれず、桜子の気持ちを知らないまま流されるようにここまで来てしまった。
身を隠す所はありそうだし、無理をすればこの分厚い硝子も割れないことも。
桜子の気持ち次第で、選択肢を追加しても良い材料はあった。
「なあ桜子。お前ジンのおっさんのことどう思う?」
「おじさんだと思う」
「お前がいつも真面目なのはよく知ってるから、その即答に対して何も言わないけどさあ。桜子さんアレっスよ、おっさんがイイ奴とかワルイ奴とか、そういうのでお願いします」
「うむ、心得た」
なんで京華ちゃんぽく返事をしたのかは不明ですが、無邪気さ滲む桜子は、いつだって真剣です。そう自分に言って似てるなと褒めたら、モノマネ少女は得意気だった。
「贖罪なんてえつもりはねえ。おりゃ、ただあいつを泣かしたモン全部が許せねえんだよ。だからよ……”あてられ”なんざ、ねえ方がすっきりしていいだろ。そんだけさ」
しゃがれた声、くしゃりとした顔で、桜子が抑揚をつけて喋る。
「いきなり誰だよ」
「おじさん」
どうだったと聞いてくる、お婆ちゃんにしか聞こえなかった桜子の声マネは、どうやらジンマネらしいので、脳内にてもう一度おっさんに喋ってもらう。
「それ、マネした台詞……おっさんが桜子に言ったのか?」
艶のある黒い髪が、左右に揺れた。
「昨日の夜、たぶん大きな音がしたと思う。目が覚めたらスバルが床で寝ていた。その時におじさんが喋っていた言葉だ。そして、私は寝ているスバルが心配だった。けれども、おじさんは喋った後、眠った様子だった。だから、私も目を閉じた」
後半は、自分も眠たかったので寝てしまいました。そう聞こえなくもない。
「……ううんと予想だけどさ。桜子を起こした音ってのは俺が倒れた時のやつで、あーと、俺またおっさんから『夢落とし』くらったんだよ。で、その後寝る俺に対して、おっさんは話してたのかなーって」
桜子がマネするジンの言葉から推考できたのは、これくらい。
すっかり落ち着いた息遣いをする、桜子の大きな瞳が俺を捉える。
「スバル、あのおじさんは”アテラレ”が嫌いなんだと思う」
「お、おう。えらく力強い感じだな。まあ、おっさんのそれ……俺もなんかわかるな」
「今は違うけれど、昔の私も嫌いだった。”アテラレ”は私を一人にするものだと思っていたから、”アテラレ”が無くなればそれもなくなると思っていた。でも違うのだ。”あてられ”をいくら嫌っても無くならないし、何も変わらない。だったら、好きになればいいのだ」
ジンの”アテラレ”なんて無い方が。その言葉に対する解釈なのだろう。
「アテラレた私が桜子で、友達が欲しいと願ったら友達は作れた。スバル、おじさんの”アテラレ”も私のように楽しくなれると思うのだ。だから私はおじさんに、私のことを話して教えたい」
桜子はジンの”あいつ”を知らない。でも少女の感が疼くのか、桜子なりに同じ”アテラレ”であるジンへの想いがあるようだ。そのすべてを理解できてはいないけれど、きっと桜子はこう言いたいのだろう。
ジンのおっさんは、どこか”アテラレ”に拘っている。どこか”アテラレ”に囚われている。それはジン自身を虚しくさせるもの。だから結局、
――”アテラレ”は関係ない。と。
「”アテラレ”は関係ないのだ」
整えられていた呼吸を少し乱す桜子。その気持ちに俺は応えることにしよう。
「よし。なら桜子。俺達はジンのおっさんから逃げるんじゃなくて、追いかけ説教するってことだな」
「説教……説教はなんだか嫌なのだ。だからそれは、スバルに任せたのだ」
「お前がいつも正直っていうか、嘘言えないの知ってるから何も言わないけれどさ。なんだかな……。俺の決意の熱みたいなものがさ、行き場を見失っているんですけれど」
「あう……ごめん。でも大丈夫ですぅ。スバルな、スバルさんならできますよ」
「……先輩のマネで誤魔化すなよ」
「ユイちゃん、似てたか」
「似過ぎて、逆に笑えねーから」
何事にも真摯に向き合う桜子のユイマネは、クオリティーが高かった。神様ってのは絵の才、モノマネの才、そして”あてられ”と、一人の少女にいろいろ与え過ぎな気がする。
「似ていると言えば、スバル」
「うん?」
「なんとなく、スバルとおじさんは似ているのだ」
おいおい、
「お前のそのなんとなくは、どっから飛来して来た」
所在を明らかにして頂きたい。
「なんとなくは、なんとなくだ」
「桜子よ、お前のその綺麗な瞳は飾りじゃないだろう。ちゃんと俺を見てるか。俺とジンのおっさんが似ているなんて……あり得ん、断固あり得ん。……なんでお前顔赤いんだ。アレだな、今度一緒に眼科へ行こうな」
「大丈夫だ。私の目はスバルをちゃんと見ている。そして、私の視力は――」
「おいてめえらっ、何チンタラやってんだ。道草食ってる暇なんてねえぞ。とっととこっちへ来やがれ」
俺達を呼ぶ野太い声が、桜子との会話を遮った。通路の先から飛ばされたそれは、和む俺と桜子の周りにあるものと質が違い、ピリピリとして尖っていた。
ジンがこの場所への侵入して来たらしい者を警戒して、焦燥気味なのは知っている。でも俺と桜子が、同じく注意すべき相手だとは限らない。
ジンのおっさんにとって都合が悪いとなれば、獅童さんもしくは警察なのかもと、想像できるからだ。となればおっさんには悪いけど、必然味方ってことになる。
こっちからジンを追いかけよう。桜子の手を取る。
「行くぞ桜子」
「おう、なのだ」
再び俺達は駆け出した




