10 箱入り少女はかく語りき
まどろみの中の回想――。
『リンネとキツネ目は会わせないようにした方がいいんじゃないかな。あいつとんでもないことしでかしそうなんだけど……』
『己の身より、あの女の心配か。池上殿らしいと云えばらしいが』
『周りが迷惑だろうって話で、俺は自分の心配でいっぱいいっぱいです』
『……池上殿には借りがある。この命ある限り、私が貴方を守ろう』
「いやいや、命ある限りって大袈裟な」
自室のベッドに転がり、一人回想と会話する妹には見られたくないワンシーンを演じる俺は、確実に俺よりお強いが、女の子に守ってやるとか言われた情けない兄でもある。
シズクよ。こんなお兄様どうですか、
「と、冗談はいいとして、キツネ目のことはちゃんと考えなくちゃな……」
キツネ目は俺を快く思っていない。
迷惑この上ないことであるが、慕う登城の爺さんの忌明けにでも、何かしら俺へ危害を加えると予測される。
俺と同じく標的になっている獅童さんは問題なく。あの人のことだから返り討ちにするだろうし、兄への絶大な信頼からか、京華ちゃんも先に獅童さんを襲ってくれた方が召捕る理由もあり都合が良いとまで言っていた。
「それに引き換え、平々凡々な……ふああ」
盛大なあくびが顎が下げ、俺を涙目にした。
登城の爺さんの葬式、ジンの教会と、一日中慣れない格好でうろついたからか、夜も深くない時間だというのに体は眠りを欲しているようだ。
またくわ~、とあくび。寝返って枕に顔を埋める。
命のやり取りが必ずやって来る。なのにこの体たらくっぷり。
眠気、それとも迫り来る危機に猶予があるからか。緊張感のなさに自嘲しつつ、もしかしたらここ最近の尋常ではない経験値によって、俺の胆力が数段飛ばしでレベルアップした……とか前向きに捉えたり。
経験は人を成長させる。
「わかんねえなあ……」
しかし、良くも悪くもだ。
例えは悪いが、中学校の頃なんて夜の時間帯に街へ出歩けば、それだけで未開の地へ赴く冒険者の気分だった。けれどそれも繰り返す内、だんだんと刺激は薄れ、高校生ともなるとだたの外出になってしまう。
この経験則だと、俺の肝っ玉は豪胆へと変貌を遂げたのではなく、たんに鈍感になっただけかも知れない。慣れってヤツだ。
そんで、鈍感ならまだいい。ふと、今日の帰り際に桜子と京華ちゃんがしていた内緒話を思い出して、自分の危機そっちのけで気になっているのだから、逃避の可能性が出てきた。
いかん。追いやろうとすればする程、こいつ、絡み付いてくる。
「なんの話か知らないが、どうせ内緒にするんなら、俺の居ない所で話せばいいのに」
まったくである。
京華ちゃんはどうせ俺にバレるから話しても、と言って、桜子はシーと人差し指を口に当てやがった。
アレか。よくお笑い芸人が『押すな押すな』と口にするけど、その実押してくれって意味で、あれは『教えろよ~』とか言ってせがんでやるのが正解っだったとか……。
ごろりごろり。
――かまってちゃんかよ……。
今更構ってやれないし……なんか、うずうずしてくるから他のことを……。
キツネ目が……。親父にトッキーさんのこと……犬小屋のことも……。後……。
目を瞑ると、ふわふわぷかぷか。思考が浮いて散漫になった。
体を休めまどろみの中に浸る。
そうして、やがて俺は眠りにつくのだろう。
※
一週間の半ばであり梅雨も半ばの今日は、しとしと小雨が降る朝だった。
俺がいつもと異なる通学路で学校へ行き、ギリギリセーフと教室の扉を開け放ち駆け込めば、恨めしそうな顔で髪型を整えようとする女子と出くわす。
大変だねとぼそり言って、窓側にある自分の席へよっこらせ。
すると、雨粒を垂らす窓をのんびり鑑賞する暇もなく、何かがダダダと駆け寄って来る気配――湿気にもめげないツンツンヘヤーを持つ男が、それはもうフライングヒップアタックを仕掛けんばかりの勢いで、こっちへ飛んでくるではないか。
俺は椅子ごと仰け反りガツン。向島は無駄に高い身体能力を上手に使いケツから人の机の上へと着地した。
「スバル転校生は女子で、しかも可愛いっ」
向島から朝の挨拶を省略してまでの緊急速報。簡潔かつ要点は押さえられていたが。
「いきなり過ぎんだよっ。お陰で窓に頭打ち付けたじゃねーか。危うく窓ガラス割るところだったかんな」
「なんと転校してきたのは息を呑むような美少女。夢があるよなっ。希望があるよなっ。否が応でも疼くよな~。ラブロマンスだよなっ。青春だよなっ。美少女ランキングの見直ししないといけねーかもなっ」
すこぶる聞いちゃいねー。
「喜びに打ち震えているトコわりーんだけどさ、その話、どっから仕入れたんだよ」
「もち同級生の鮫嶋君」
「なるほど……」
道理でこの陰湿な梅雨の時期にも関わらず、我がクラスの男子達が晴れ晴れとした表情な訳か。
情報発信元が同級生の鮫嶋君なら、ほぼ確定事項だからな。
しかしながらうちの浮かれる男子諸君は、夏休み前の中途半端な時期なのにどうして転校生が? とか、そこら辺疑問に感じたりしないのかね。
「追加属性は帰国子女でもいいけど、現役アイドルとかもありだよな」
向島の果てなき妄想を肯定してしまっては、普通の子はおちおち転校もできない。
俺は興味ないぞとばかりに、向島から顔を逸らして教室内を見回す。
わいわいがやがや。朝から大賑わいの様子で――、
『きっと前世で僕と一緒に世界を救った人で、僕は今日から異能の力に目覚めて……』
藤木よ……。俺は他人の夢にどうこう口出しはしない。けれど、夢は寝て見るものだ。そのルールをしっかりと守ってくれ。
『見た目は女の子だけどー、実は美形の男の子。きゃっ、もしそうだったらどうしよう』
西村さんのどこまでも諦めない精神。俺嫌いじゃないです。
『転校生女子かあ……はあ』
津川よ。その溜息は、カミングアウトしたものとして受け取っていいのか……。
耳を傾ければ男子に女子、それと中間も問わず、どこも転校生イベントに関心を寄せるクラスメイトだらけであった。
「なんだかな……」
「腹でも痛いのか? なんかノリ悪いな」
向島は調子が悪いとなんでも腹が痛いと決め付ける。いい加減、体調以外の概念を持って欲しいものだ。
「なんつーかさあ、今日の転校生なんだけど――」
俺の声だけではなく教室内の話し声が一時沈黙した。
チャイムだ。生徒待望のホームルームの時間である。
教室の扉が、がらり。姿を現した担任を合図に各自指定の席へ着いてゆく。
生徒達の視線を一身に受け、日頃だらりと教壇へ向かう担任が豊満な胸を張って歩き、ぺたんこで小柄な少女がちょこちょこと後を追う。
男子は歓喜の声を押し殺し、女子は可愛いとの囁きを連発する。
「はいはい、静かに」
ざわつきを収めるようにして、バンっと教卓が叩かれた。
「一度言ってみたかったから二回言うぞ。ええ、今日からこのクラスに新しい仲間が加わります。あーあー。今日からぁこのクラスにぃ、新しい仲間が加わりますっ。良し以下略。では早速、自己紹介してもらいます。大人しく聞くように。それと質問などは休み時間にするように」
担任が、どうぞと手の平をひらり。
採寸を間違えたのか。転校生として紹介を受けた黒板の前で佇む少女は、ゆったりとした制服を身に纏う。飾る胸元のリボンが他の女子生徒より大きい物のようにも見えた。
少女が艶やかな黒髪をはらりと流がし一礼する。
面を上げれば澄んだ白い肌の頬が火照り、恥ずかしそうな顔である。
俺が頬杖をついて眺めていたこの光景の中心には、無論桜子の姿があった。
昨日のことである。
俺は何やらこそこそと手続きや準備をしていたらしい桜子から、『明日からスバルの学校に通いたいのだ』と相談された。
唐突な申し出に、『は?』と驚き、『は?』と苦言も呈するが特に断る理由もなく、ましてや、箱入り少女である桜子の願いを叶えてやれるのは、俺の他にいない訳で――。
なんやかんやの挙句に、今日から桜子は俺と一緒にこの学校へ通う運びとなった。
「あう……」
もじもじ桜子は眉を寄せ口を尖がらせ、ゆらゆら揺れる。だがそれも、桜子が俺を見つけてしまえば、ぴたりと角度を定めて静止した。
潤む綺麗な黒い瞳がスバルと訴えてくる。桜の花びらのような唇が声もなしに俺の名前を呼ぶ。
今日は隣に登城先輩はいない。知らない人に対してはめっぽう弱気な桜子である。いつもの天真爛漫さがしょんぼりだった。
「やれやれ」
俺は困り顔の桜子にわかり易い溜息を一つ見せてから、ゆっくり大きく、口をぱくぱく開いた。
――が、ん、ば、れ。
俺のエールに桜子がしばし俯き、次に見せられたその顔で、俺の顔は窓ガラスへと追いやられる。
頬を紅く染める桜子の笑顔。
頑張ろうとする顔には、照れがあった。喜びがあった。期待があった。それは俺の方が幸せになっちまうくらいだった。
「私は、私は柳桜子なのだ。今日から私とスバルをよろしくなのだ」
そうして、俺を巻き込む桜子こと箱入り少女はかく語りき。
了
<旧題、箱入り少女はかく語りき>
長い物語、読んで頂き誠にありがとうございました。
「壬夜兎ノ伝」もよろしければm(_ _)m




