~ 壬夜兎ノ伝 ~
【ジンとリンネはかく語りき】
窓のない四角い室内には、蛍光灯の明らかな白色が灯る。
備え付けてあった映写機などのAV機器を除いて顕著なのは、広い部屋の真ん中にどんと置かれた木箱。中へかさばりがちな毛布や衣類などを収納しても、差し支えない大きさはあった。木箱の蓋、テーブル代わりを果たす上部面にノートパソコンと幾らかの書物がまばらに並ぶ。
木箱テーブルの傍らには革張りソファがあり、同じ用途としてひっくり返されたビール瓶ケースもあった。
それらをとり巻くように酒の空き瓶やスナック菓子の袋など、細々した物が冷たい塩ビ製の床に散乱している。
人が使っている痕跡は見られるものの、人が暮らす住居の匂いがない一室は、おおよそ殺風景と言えば殺風景なものであろう。
そこへ――。
味気ない部屋模様に相応しい凡庸な扉が、がちゃり音を鳴らした。
扉から大きな体躯の男が姿を現す。中年と思しき風貌であっても三十路は迎えておらず、若草色のコートを羽織る男の名はジンと言う。
波打つ長い髪を揺らし、慣れた足取りでのしのし歩くジンは、どすんと遠慮なくソファを沈ませ背もたれに太い腕を掛けた。そうして後ろを見やって小さく溜息息を吐く。
覗く先、ソファ後方で頭の髪を三本に束ねる、ツインテールならぬトリプルなテールの少女へ向けてのものだ。
「おいリンネ、そいつはなんだ」
ジンがリンネと呼ぶ、ド派手な格好に身を包む少女のしゃがむ後ろ姿からは、上着の丈の短さもあってか腰回りの肌が露出する。時に、履く股上が浅いホットパンツから、あられもない物が垣間見えていた。
ただ彼の指摘そいつは、年頃の若い娘として世間であまり好ましいとは思えぬそれについてのものではない。
「見てわかんねーのかよ。犬だよ犬。ドッグ、ドッグ」
リンネはジンへ振り向く事もせず、がふがふとドッグフードを頬張るむくむくの子犬を撫なでるばかりだ。
「たあ、んなこた言われなくても見りゃわかんだよ。なんで飼った覚えのねえ犬ッコロがここに居んのかって話だ」
「知らないつーの。……シドが勝手について来たんだから仕方ねーだろ」
「どこが勝手にだ。名前までつけやがって、飼う気満々で拾って来たんじゃねえか」
煙草を咥えたジンはリンネの悪態に別段腹を立てるでもなく、深く吸い吐いた煙とともに部屋ここでは飼うなと忠告する。その後リンネの返事を待たずして、やりかけの調べ物に着手した。
木箱テーブルに広げられた書物の中から、和紙で綴つづられた古めかしい一冊が手に取られぱらぱらめくられた。葉えふには彼らが住まう土地に関する文献が記されており、古語を読み解く事が近頃始まったジンの日課である。
ゆらゆら立ち上る紫煙の向こう側では、リンネが子犬へ手製の鈴の付いた首輪をプレゼントしていた。
いつもは騒がしい少女も、子犬を愛でるのに忙しいからか大人しいもので、ここに僅かばかりの閑寂が訪れるのであった。
「でージン。どうだった」
子犬がすやすやと眠ったのを機に、リンネがソファにどかり腰を下ろして隣へ尋ねた。
「ああ? ああ、ワン太郎物語か。レンタル屋にゃなかったからよ、代わりにアウストラ戦記を借りてきた。こいつわ、B級にしちゃあなかなか良く出来た映画でな。折角でけえスクリーンもあんだ、お前も観てみろ」
「ワン太郎ねーとか、オワってんなその店。てか、あたいが聞いたのはそのコトじゃねぇつーの。あたいらの教会の話」
「心配すんな。現ナマで叩はたいてやったらイチコロよ。地上げ屋をせびるついでに建築屋にも補修の話を取り付けてきた。今後、あそこに手え出す輩もいねえし、教会だって立派になりゃ」
がはははと下品に笑うジンにリンネの顔が緩む。
二人には互いを家族として育んだ場所と思い出がある。
ジンは流れ者として。リンネは孤児として。この街にある丘の上に建つ教会は、彼らにとってかけがえのない大切な存在ものであった。
「先生のお墓は」
「あいつは、お前と違って恥ずかしがり屋さんだからなあ。金はあるが……そうでかくなくてよ品のいい墓碑をこしらえてやるさ」
「なんか、あたいがガサツみてーに聞こえたから、ちょっと引っかかんだけど」
腑に落ちないリンネの顎先は上がり、上瞼まぶたは下がる。
「リンネ。いい女てえのは、細けえ事気にしねえもんだ」
ジンは男勝りな相棒のなだめ方をよく心得ていた。
更には話題を変える事で文句無しの流れとなる。
「そういやお前。柳んことで大立ち回りやらかしただろ。登城の爺さんからお達しがあったぞ」
「黙ってるつもりはなかったからな。言うの忘れてただけ。別にイイだろ。あたいが”あてられ”増やすのは、あのヘンクツジジイの望むトコなんだろ」
「まあな。だが言ったろ、三家の”あてられ”にゃまだ手を出すなって。適当やって、あの爺さんの機嫌を損ねちまうのは面白くねえんだからよお」
「らしくねぇー。てか、らしくねぇー。ヘンクツジジイの顔色気にするなんて、ジンもいよいよオヤジだなぁ」
台詞を誇張するように芝居がかる声音。大仰な所作を交え近寄る顔。
茶化してくるリンネの額をジンが指先で小突く。
「いいかいリンネさんよ。今や俺たちゃ銀行や美術館を襲ったお尋ね者だ。日本のお巡りはそう馬鹿でもねえから、わっぱ食らう可能性は大きいかもしんねえ。けど俺たちゃこうして、のうのうとしてらあ。そいつはなんでか」
「あたいらがグレートだからだろ」
にっ、と口の端を上げた顔は、悪魔が微笑むかの如く。
「否定はしねえ。ただよ、加えてちとばっかし賢くなっても悪かねえ。登城の爺さんが俺達を必要とする限り、爺さんが警察に圧力をかけてくれる」
ジン、リンネともに”あてられ”と呼ばれる人智を超えた力を有する為、リンネの言葉もあながち間違ってはいない。
ジンは触れずとも人を眠りに誘う力を持ち、複数の”あてられ”を用いるリンネに至っては、銃火器すらも圧倒し得る力を持つ。このような者に常人が相対すれば、結果は火を見るより明らかだろう。
しかしである。
所詮は人の身。いずれ何処かに綻びが生まれるのは必定。数々の修羅場を経験想定し訓練する猛者の集まりが、その機会を見逃す事はない。
特にジンは、己が歩んできた人生から組織力の脅威を嫌と言う程経験している。
犯罪者であるジン達の現状は、その脅威を最小に留めてくれる街の有力者に囲われ、社会的制裁から免れているものと言って良い。
「チっ、メンドくせぇ」
奔放な性分がリンネに不満気な態度をとらせた。
「そう言うな。”あてられ”を知ろうとすりゃあ、壬夜兎の眷属からの情報も必要になってくる。こっちが利用してやってるくれえに思っときゃいい」
「おかげさんで、このカビクセー本に行き着いたって言うんだろ」
リンネは木箱テーブルから、表題を『壬夜兎ノ伝』と記す古めかしい書物を掴つかみ取る。
「美術館の展示品とかなんとかで渋りやがったからよお、結局盗むハメになっちまったがな」
「どうせパクるんなら、あたいは『ロッキング・オン』の方が良かったね」
つまらなさそうに眺められた書物は、木箱テーブルへ投げ戻される。
リンネから現代の音楽雑誌と比べられた古い書物は、遠き昔にこの地を荒らしたとされる鬼の物語を綴る。
お伽話とも言えよう文献は、歴史的価値を見出され美術館にて扱われていたのだが、ジンは違う観点からこの『壬夜兎ノ伝』を必要とした。
「意外と読めば面白いもんだぜ。毛嫌いせずに一度読んでみろ。ほれ」
木箱テーブルの上に置いてあったノートパソコンがリンネの膝の上に乗る。
「あたいはイイよ。こんなモンで時間無駄にしたくねーし」
「ほう、そうかいそうかい。なあリンネ。昔の言葉をそれなりに読めるようにするってえのは案外大変でなあ……画面のやつはここ最近の俺の血と汗と涙、努力の結晶なんだわ。俺の機嫌を損ねたくねえなら、読むよな」
「マジ声で、やめろつーの」
リンネは隣からの圧力に苦言を呈してから、膝のノートパソコンを手に取りソファの上で胡座あぐらをかく。
渋々、活字で埋まる画面と睨めっこである。
「なんだぁ――今は昔……今は昔、はあ? ショッパナからエラくご機嫌じゃねーか。今はナウに決まってんだろ。ロングタイムアゴーなんてお呼びじゃねぇつーの。意味ワカんね」
「おいおい、頼むから壊すんじゃねえぞ」
自分の血と汗と涙が詰まる電子機器の危機を察知したジンはすかさず釘を刺し、目付きの悪さを最大限発揮するリンネからノートパソコンを取り上げようと手を伸ばす。
「そこにあんのは違った。今の言葉にする前のやつだからよお。読めるやつを見せてやっから、一度こっちにノーパソ貸せ」
「おにのやうなるモノ、ものもの? ものでできてコロさむ、さむとしき……けっ、イライラすんな。なあコレ、マジで日本語か。ジン、このままだとあたい燃えちゃうなぁ」
「こんな場所で”炎獄”使うんじゃねえよ。だからそいつを寄越せって言ってんだろ」
ジンの催促にリンネがその対象を抱え込むようにして背を向ける。
ジンが力づくで奪おうとすればする程、リンネは意味もなく抵抗した。
部屋の端、起こる喧騒に目を覚ます子犬がいる。
届く音は、その小さな耳へ愉しげな様子を伝えた。




