5.13 ひとつだけ
「直ぐ着替えるから待って!」
「うるさい、時間切れだ」
タオルを体に巻いてせっせとドライヤーを振り回すモナに向かって、俺は玄関から欠伸混じりに言った。
あのあと部屋に戻って、少しの間は互いに無言だったが、やがてモナが「お風呂入って来るぅ!」と浴室に駆けこんだ。冷静になったら恥ずかしくなったのかもしれない。俺は俺でふわふわした気分でソファに座っていたが、特に何かを考えるわけでもなく、とにかくふわふわしていた。
そのうち学校に行く時間になったので制服に着替え、いつまでも浴室にこもっているモナに声をかけたけれど「わぁぁ!? 待って! もうちょっと待って!」とのこと。待った結果、時間切れになったので先に行くぞと声をかけて今に至る。
「行ってきます」
「もぉぉぉ! ジュンのいじわる!」
騒がしい声を背に家を出た。
気持ちの良い晴れ空の下をゆっくり歩きながら、ふとした時に浮かび上がってくる記憶に唇をかんだり、意味もなく咳をしてみたり、なんだか落ち着かない自分がいることに気が付いた。
アレは治療行為だ、そもそも俺はゲイだ。
そんな自己暗示をしてみたけれど、余計に意識しているような気がして顔が熱い。
違うことを考えよう。
何か別のことを考えれば、この雑念は消えるはずだ。
ええっと……そう、俺は三日くらい学校をサボっている。何か言い訳を考えなくては……風邪をひきました。はい、思考終了。
いかん、もっと難しい事を考えよう。難しいこと、難しいこと……。
「……優紀」
「うぇ!? あっ、わっ――」
呟いた直後に耳元で聞こえた悲鳴に目を向けると、自転車の下敷きになっている優紀がいた。
「……助けて」
優紀を救出した後、それなりのダメージを負った彼女を乗せた自転車のハンドルを引いて歩き始めた。優紀はバツの悪そうな表情をしながら片手でハンドルを握って、逆の手で膝をさすっている。
まさか優紀の事を考えようとした直後に遭遇するなんて思わなかったが、ダイナミックな登場のおかげで逆に冷静になれた。
ええっと……そう、返事。返事だ。
「なぁ優紀」
声をかけると、優紀は緊張した様子で俺を見た。
勢いで声をかけてしまったが、何を話そうかは決まっていない……まぁいい、思ったことを言ってみよう。案外、それでどうにかなるのかもしれない。
「恋バナしようぜ」
「っ――!?」
突然バランスを崩した自転車を支える為、ハンドルを握る手に力を込める。
「なにやってんだ、危ないだろ」
「……じゅ、純が変なこと言うから!」
「何かおかしかったか?」
「何かって…………ん~っ!」
純粋に問うと、優紀はムっとした表情を見せた。それから重たい溜息を吐いて、何故か笑う。
「どうした、昨日美少女ゲームでもやったのか?」
「やってないよ……まったく、なんでもない。なに、恋バナって?」
「ああ、俺が最近プレイしたゲームについてなんだが」
「……やっぱりか」
「なんだその反応は」
「別に……なんか、なんだかなー」
「どうした、やっぱり昨日」
「やってない。それより……モナさんは?」
……。
「あいつのことは……今は忘れよう」
「なに、今の間」
「気にするな。それより恋バナだ、いいから聞け」
「……はぁ、はいはい。お好きにどうぞ」
やはり何かあったのだろうか?
気になるが、とりあえず話をしよう。
深く考えず、思った通りに……。
「いわゆる幼馴染ポジションのヒロインが出てくるゲームなんだが、主人公が最低のクズで、やっていて吐き気がしたんだよ」
そっと優紀に目を向けると、呆れたような表情をしていた。
「だけどヒロインが魅力的だったから、とりあえず結末を見届けてやろうとプレイを続けたんだ。なんとなく幼馴染ルートに入りそうなフラグを選んでいたんだが、どうしてか義理の妹とのイベントばかり発声する。何処かで間違えたかなと思いながら続けたら、なぜか幼馴染の告白イベントが発生した」
「……すごいゲームだね」
「ああ、驚いたよ。告白の後、主人公と幼馴染の回想が始まるんだ。主人公は幼馴染のことを大切に思っているけれど、それは恋じゃなくて、家族に向けるような感情だった。だけど幼馴染は、主人公に恋をしていた。その気持ちを知った主人公は、とても悩んだ。だけど返事をすることは出来なかった。なんと、幼馴染に告白された直後、突如現れた悪魔によって異能の力を手に入れ、異世界で戦うことになったんだ」
「……とんでもない急展開だね」
「主人公はチキンだから戦う度胸とか無かった。でも彼が戦わなければ、異世界は滅んでしまうらしい。最初は自分には関係ないと思っていた主人公だが、実は義理の妹がその世界の住人で、しかも命懸けで戦っているらしい」
やばい、脱線してきた。
なんとかモナのことを遠回しに伝えようとしたが、完全に異次元へ飛んでしまった。
どう軌道修正しよう。
「まぁ、なんだ……結局異世界で戦うことになった主人公だが、ふとした時に幼馴染の事が気になるんだよ。何か返事がしたいけど、何を言ったらいいか分からないんだ。自分の気持ちだけじゃなくて、その幼馴染の気持ちも分からない……で、結局異世界を救ったところで物語が終わった。幼馴染ルートなのに、幼馴染は後半の方まるで出てこなかった。な、すごいクソゲーだろ」
「……うん、そうだね」
単純に反応に困ったのか、それとも俺の言いたい事が伝わったのか、とにかく優紀は微妙な表情で返事をした。
「この主人公と幼馴染、何を考えていたんだろうな。主人公の方は、なんとなく分かったけど、幼馴染の方は分からなかった……主人公の事が好きだって気持ちは伝わったが、何分登場シーンが少ないからな。優紀は、どう思う?」
「……私も、分からないかな」
でも、
「そういうものだと思う。分からないよ、どうして好きかなんて……主人公は、どう思ってたの?」
「そうだな……あいつは、とにかく悩んでいたよ。返事がしたいって気持ちはあるんだけど、何を言ったらいいのか分からなくて、何を言っても傷付けてしまいそうな気がして……どうしようもなかった」
「……そうなんだ」
「ああ、本当にダメな主人公だったよ」
「うん、そうだね」
少しだけ、優紀が笑ったような気がした。
「確かに、何を言っても傷付くと思うけど……何も言ってくれないのが一番つらいと思うよ、私は」
「……そうか」
会話が途切れる。
隣に居るはずなのに、妙な距離感を覚えた。
気まずいというか、逃げ出したい。だけど、不思議と心は穏やかだった。
「私、先に行くね!」
「……脚、大丈夫なのか?」
「平気、それと、遅刻しそうだから!」
「そういえばそうだな」
「純も走ったら?」
「……いや、俺は少し遅れて行くよ」
「そっか。それじゃ、学校で」
「ああ、また後で」
短い会話をした後、優紀はペダルを踏む足に力を込めた。
「なに話してたの?」
その背中が見えなくなった辺りで、声をかけられた。
「盗み聞きとか趣味悪いな、モナ」
「……聞いてない。全然、何も」
「あっそう」
「ぶー。なんか冷たい」
「最初からこんな感じだっただろ」
「そんなことないよ。特に、昨日は優しかっ……あっ」
自分で言って照れてるよ。なにこのサキュバス。
「……責任、取ってよ」
「食費の免除で許してやる」
「なにそれ!? もうちょっと空気読んだこと言ってよ!」
「空気? なんだそれ、知らん」
「もぉぉぉぉ! 初めてのキスだったんだよ! その翌日なんだよ!」
「あーはいはい。じゃあひとつだけ言うこと聞いてやるよ。なんか言ってみろ」
「なにそれ投げやり」
「なら何もしない」
「ダメダメ! それはダメ!」
相変わらずうるさい。
まぁ、自業自得なんだけど。
「……ええっとね……じゃあね」
もじもじ。
それから顔を上げて俺の目を見た。
その表情を見て、自然と唇に目線が向かってしまう。
それを否定しようと、無理矢理モナの目に焦点を合わせた途端、その目が急に近付いた。
不意打ちに固まっていると、鼻が触れ合うくらいの位置で停止したモナの顔が視界いっぱいに映し出される。
息を止めて、凍り付いた思考に身を任せる。
やがてモナは顔を離すと、えへへと笑った。
「ジュンの顔、近くで見たかった」
それから恥ずかしくなったのか俯いて、ぴょんと駆けだした。
「早く! 遅刻しちゃうよ!」
数歩先で、モナが手を振っている。
顔が熱い。
心臓がうるさい。
これが恋なのか、それは分からない。
だけど、今はまだそれでいいと思う。
きっとこの先いろんなことがあって、その中で、何かを見付けられるのかもしれない。
そういう意味で、一歩前に進めたのかもしれない。
いやきっと、これから進んで行くのだろう。
「……ああ、分かってる」
俺はそっけない返事をして、そっぽを向きながら歩き出した。
悔しいけれど、認めざるを得ない。
一瞬だけ――モナを見て、心が躍った。
……まったく、どうしてゲイの俺がサキュバスなんかに。
読了ありがとうございました。
色々なあれこれは活動報告にて。
では、また機会がありましたら、よろしくしてやってください。




