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後編

 幸いにも、わたしの中はびっくりするほど穏やかでした。傍目には犯罪行為でしかなかったようにも思うのですが、なぜかあんまり気にならないというか……現実感が乏しいというか。

 未だ夢の中の出来事のように、思えてしまうのです。

 それに、喚いたところで夢になるわけでもなく。元の世界に帰りたい、という意思を伝える術も存在しない以上は、この状況を受け入れるしかないのです。

 わたしだって、このまま死にたくはないです。

 そうなると、過去よりも今、そして未来のことを考えなければいけません。


 さて、件の彼はやっぱり『王子様』のようでして。

 王子様となると、結婚の次に望まれるのはやはり『世継ぎ』でしょう。

 どうやら、わたしは俗に言う正妻というヤツのようです。王族相手なので違った言い方があるのかもしれませんが、まぁ、そういうポジションのようです。

 立派な部屋にたくさんのメイドさん。甲斐甲斐しくお世話をされ、半年ほどの時間が流れたように思います。言葉が通じないながらも、身振り手振りで意思の疎通を図っています。


 例の王子様ですが、時々花を持ってきてくれます。

 視線を合わせなかったのは罪悪感から、なのでしょうか。


 薔薇のような花、百合のような花。いろんなものを持ってきては、どこか恥ずかしそうに押し付けていく毎日です。年齢は明らかに上のはずですが、どことなくかわいらしいですね。

 メイドさんはテキパキと、花を花瓶に生けて部屋に飾ってくれます。

 甘い香りが、ふわりと漂って幸せです。

 例の女性もどこか安堵した様子で、時々わたしを尋ねてくれました。相変わらず彼女としか言葉を交わせず、さらにカタコトにもならない会話のような交流を何とかこなすだけですが。

「王子、花、言葉、思い」

 リッカさんが言うには、王子様は王子様なりに、わたしを大事に思っていらっしゃるらしいのです。それがあのたくさんの花で、この世界にも花言葉のようなものがあるようです。

 それらは全部、愛だの恋だのにまつわるもののようで。


 ……えぇ、一つ一つ指差されつつ説明されれば、顔もほてるというものです。


 言葉が通じないから、こうして花に言葉を託したのでしょうか。

 なんだか愛されている感じがして、恥ずかしいです。

 しかしここ数日、その花は一つとして届かなくなっていました。枯れた花は部屋からすべて撤去されていて、部屋の中はずいぶんと殺風景になってしまいました。

 寂しい、とつぶやくけれど、通じる相手はいません。

 わたしは――そう思っていたのですが。


「え?」

 傍らにいたメイドさんが、こちらをみて何か声を発しました。


「え?」

 今度はわたしが、声を発しました。


 えぇ、だって互いに何を言っているのか、わかってしまったようですから。

 そこからはもう、大騒ぎです。メイドさんは大慌てでどこかに走っていってしまい、駆けつけた例の女性にあれやこれや質問攻めに。それに答えると、女性は泣き出してしまいますし。

「あ、あの」

「……よかった。姫さまの身体と魂が、こちら側に完全に落ちてくれたのですね」

 召喚されたわたしの一部は、まだもとの世界に引っかかっていたらしいです。それが完全になくなって、身も心もこっちに来てしまったので、こうして言葉が通じるようになったとか。

 つまりそれは完全に元いた世界に帰れなくなった、という意味らしいのですが、そこら辺はもう長らく諦めモードだったので、あまり気になりませんでした。……寂しいですが。

 そしてようやく、わたしはすべてのカラクリを、教えてもらったのです。


 まず、わたしの髪の色が何度も変わった理由。

 この世界において、銀髪は巫女――神の加護を受けたものの象徴だそうです。

 彼女らは神殿という場所で修行をし、才能があれば銀髪碧眼となります。そして巫女の象徴でもある純潔を失うと、髪は黒くなるそうです。……そういえば、わたしも目が青いですね。

 巫女は各国の王侯貴族にとって、とても重要なんだとか。

 彼女らは神の花嫁であり、神の子だけを身篭るのだといます。もちろん、何もしなければ何もないのですが、何かあった場合は、最初の相手以外との間に子が出来なくなるのです。

 つまり、わたしは例の殿下さま以外との間に、子ができない体となったそうです。

 ゆえに王侯貴族にとっては、清らかな身体であることが一目瞭然で、なおかつ神殿暮らしで礼儀作法などもしっかりしている巫女は、結婚相手とするのにとても魅力的、と。


 ちなみに巫女はある程度真剣に修行をしたら、普通になれるそうです。娘の価値をあげる為に神殿に預ける、というケースも多いそうですが……何か、間違っている気がします。

 わたしは、それらの巫女とは少し違うようです。

 何でもお告げがあったとかで。


「異界より巫女となる娘を呼んで、王子の伴侶となる巫女に祝福を。それがお告げでした」


 と、元巫女で、現在はこの城を守る騎士団長の奥様になっている女性・リッカさんが説明をしてくれます。わたし、巫女というより神様的な意味合いで、ここに呼ばれたようです。

 わたしにあてがわれたあの部屋は、王子の伴侶となる姫君のための部屋だったそうです。

 他にすぐ使える部屋が無く、仕方なかったとか。

 だからあのメイドさん――メイド長の女性はリッカさんと言い争っていたようです。何でも本来なら、すでに姫がいるはずだったとかで。だからすぐに使える状態だったのでしょうが。

 しかしそのお姫様は、旅の疲れで城ではなく城下のご実家に滞在することに。

 かくしてなぜかほろ酔い状態で、殿下さまがお城に戻ってきて。

 部屋で眠っていたわたしを、その姫君と間違え。

 哀れわたしは、このような有様に。


「……本当に、申し訳ありません」

 リッカさんは頭を下げ、ひたすら謝罪を続けています。

 まぁ、確かにすめばすぐに帰す予定だった人物を、強制的にここに縛り付けることになったのはかなり辛いのでしょう。ましてや、決して幸せな状況とも言いがたいなら。

 でも、リッカさんは何も悪くありません。

 どこぞの、ケダモノがいけないのです。

「あの、あの人は?」

「殿下は……その、あの」

 最近見かけないので心配なのですが、と言うと。

「本来結婚するはずだった姫のお屋敷に……」


 ですよねー。


 そりゃあ、いきなり表れた異世界民より、ずっと許婚だか婚約者だかだった人の方が、ずっとずっと大事ですよねー。ましてや言葉が通じないし、どうにもなりませんよねー。

 ……いや、わかってはいましたが、かなりぐっさりきます。

 こんなことなら、何も知らなければ良かったとさえ、思わないでもありません。というか最初からほったらかしていてくれたら、こんな風に傷つくこともなかったと思うのです。

 中途半端に優しいとか、れっきとした犯罪ですよね。

 さて、気を取り直しまして。


「その人を、その……側室、とかにすれば万事解決では? わたしは放置されていても、三食ご飯が食べられれば文句はないですし、ドレスとか宝石とか興味ないですし」

「いえ、それは無理です。この国に限らず、世界の多くの国は側室制度をやめております」

「あれですか、跡目争いで血で血を洗う……」

「えぇ、まさにその通りで。どこの世界も、王族とは同じようなものなのですね」

 あの世界の場合、王族というより企業とか何かしらの一族が、ですけども。そんな本音はともかくとして、さてどうすればいいのでしょう。わたし、完全にお邪魔虫ですよね、えぇ。

「何とかなりませんか?」

「……何とか、とは」

「わたし、要らないなら要らないでいいのですが。このままもとの世界に帰しても」

「いっ、いいえそれは駄目です。あなたは、次の王妃となる方ですし」

「でも……」

「ともかく、時期に殿下が戻られますので、その時に……」

「リッカさま、殿下が!」

 そこへメイドさんの一人が、ドタバタと駆け込んできました。

 タイミングよく話の主役が戻ってきたようです。

 彼の普段着であろう、王族という言葉を当てるには少々ラフな格好です。彼はどこか緊張した面持ちでわたしの前に立ちました。やっぱり例のお姫様の方がいい、という流れですか。

 しかし王子様はわたしの手をしっかりと握って、わたしの目をじっと見て。


「――好きだ」


 はい?

「あの、殿下? どうなさったのですか?」

「必死に精霊言語を覚えてきた。あいつの巫女勉強のついでに、一緒にいろいろと覚えるために通ったんだ。お前ばかり彼女と話をしていて不公平だぞ。彼女の夫は、僕なんだから」

「いえ、あの……まさか、最近あの方の元に通っていたのは、まさか」

「何とかして妻と交流したいだろうが。やっと一つだけ合格が出たんだぞ」

「はぁ……そう、ですか」

 リッカさんが言いにくそうにしています。

 えぇ、確かに言いにくいです。必死に勉強している間に、こっちの言葉がわかるようになりましたなんて、相手が誰であっても、どんなシチュエーションであっても、言いにくいです。


 でも、好きって。

 最初に覚えたのが、そんな言葉で。


 わたしは、思わずうつむいてしまいました。なぜか、目の前の彼を、直視できません。恥ずかしくて死にそうです。きっと頬なんて、熱でもあるのかってぐらい真っ赤です。

「……これは、通じているのか? 僕の言葉が!」

「えぇ、たぶん……いえ、絶対に」

「そうか。よし、次は何から覚えようか」

「あの殿下……」

「愛してる、にするか、それとも可愛い、にするか……迷うな。そうだ、リッカ、お前も少しは通訳か何か手伝ってくれ。僕の『将来の夢』を、お前は良く知っているだろうが」

「えぇ……国王夫妻のような仲睦まじい夫婦、ですわね」

 でも、リッカさんはもう笑いを隠せない様子で続けて。


「姫様はもう、こちら側に落ちてしまいましたから……言葉、通じますよ?」

「……え?」

「殿下のあれもこれも、さっきからダダ漏れですわ」

「……」

「では、お邪魔虫は退散させていただきます。ちゃんと姫様に経緯をお話しないと、別居させられるかもしれませんよ? 自分は望まれていない、と思っていらっしゃるようですから」


 ぺこり、と頭を下げて、メイドさんを連れて部屋を出て行くリッカさん。あぁ、こんな状態で放置していかないでください。しかもとんでもないことを、暴露していかないでください。

 っていうか、なぜわかったのですか。

「……あの、殿下さま」

「知らなかったんだ」

「はい?」

「呼ばれたのは祝福を与える存在じゃなくて、僕の花嫁だと思っていたんだ」

 まぁ、普通はそうですよね。

 祝福のために異世界から何かを呼ぶ、というのは面倒ですし。何より効能があるんだかないんだかって感じですよね。しかもどうやら、そういうのはこの世界だと稀にあるようで。

 勘違いしても、仕方ない感じがします。

「メイドが、例の部屋には異世界からきた巫女様がいるといって、あぁ、その人が僕の花嫁なんだと思ったんだ。……最初は、少し顔でも見るだけにしようと思ったんだけど」

 そこで、殿下さまは思ってしまったそうです。

 ふかふかのベッドに埋もれて、すやすやと惰眠を貪るわたしを見て。


 ――欲しい、と。


 異世界人はいつか元の世界に『連れ戻される』。それを防ぐには、完全にこちら側に叩き落すしかないそうです。手っ取り早いのは、まぁ、あのようにナニかをナニナニすること。

 そうするとゆっくりと元の世界との、縁やら繋がりが切れてしまうそうです。

 そうして、わたしはこの有様なのですが。

「後でぜんぜん違うと聞かされて、たっぷりと叱られた」

「そりゃ……そうでしょうね」

 言葉が通じないながら、怖いくらいの剣幕でしたし。

 本当に、美人さんは怒らせると怖いです。

「それから、その、許婚……って言っても形だけなんだけど、まぁ、そいつに会った途端しこまた殴られた。それで言葉を覚えて帰れと言われたんだ。男としての責任を取れって」

 ずいぶん勇ましいお姫様のようです。

 かっこいいですね。


 どうやら親が勝手に許婚や婚約者にしていただけで、本人達は互いに『あいつだけはお断りだ』の態度だったそうです。つまりわたしの有無は関係なく、元から破談予定だったと。

 件のお姫様、わたしとの一件をこれ幸い、と率先してあの結婚を勧めたそうです。

 ヤッチマイナー、というノリだったのだろう、とわたしは想像します。

 たぶん、そう遠くない想像です。

 ええと……それで、わたしは異世界から招かれた巫女として、この王子様と結婚することになったのですが、王子様はどうにも乗り気ではなかったようだったと記憶しています。

 欲しがられたのは嬉しい気がします。

 必死に言葉を覚えようとしたり、花を贈ってくれたことも。えぇ、元婚約者のお姫様のところに通っている、と聞いてショックを受ける程度には、わたしは彼が好きなんだろうと。


「あれは、その……君に申し訳なくて」

「はぁ……」

「僕のせいで、君を故郷から放してしまった。傷つけてしまった。しかも、結婚の自由さえも奪ってしまって……僕は、どうにかして君を幸せにしたくて、せめて言葉だけでも、と」

「いえ、そんなことは……わたし、は、ただ」

「絶対に幸せにするから、どうか帰るとか言わないでほしい」

 いえ、そもそも帰れないようですが、ともかく帰るなということのようです。

 ぎゅっと手を握られてしまい、わたしは。


「わたしでよければ、一緒にいさせてほしいと思います」


 この手を握る、彼の手を握り返しました。

 たぶん、数発なら殴る蹴るしても、怒られないと思うのです。わたしが彼にされたことを考えたならば、主に女性陣を中心にむしろ推奨されそうです。一時期は本気で考えました。

 でも、こうして話をするとする気が失せたというか。

 わたしのたった一言で、ぱぁ、と笑顔になったその姿にきゅんとした、といいますか。

 あれですね、これもちょっとした一目惚れってヤツでしょう。



 それほど大きくない小さな国で、のんびり暮らしていこうと思います。少しだけ猪突猛進なところのある、でもマジメでとても優しい王子様と一緒に。

 もしも元の世界の、わたしの両親に一言でも何かを伝えられるなら。

 そんな言葉を、送りたいと思います。

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