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理を灯す少年 〜祈り万能世界で、AIを宿す俺だけが“理論魔法”を使えた件〜  作者: いい加減工房
第6章 西からの十五、線が制度になる戦場

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第79話 線を越えた代償

 担架が、ひとつ、横に滑った。

 木枠が湿った地面を噛めず、角度だけが崩れる。

  足元の泥が、昨日よりも柔らかい。

  夜露が落ち、踏み固める前に人が殺到しているせいだ。

「止めて。右、持ち直して!」

 サラの声が救護テントの内側から飛び、外の兵が反射で「はい!」と返した。

  返事が短いのは、礼儀がいいからじゃない。

  言葉を伸ばすと、息が割れてしまう。

  息が割れると、心まで割れる。

 布の隙間から匂いが漏れてくる。

 血と、焦げた布と、薬草の苦み。

 混じったものが喉の奥に残って、飲み込んでも消えない。

 東野営地――ここが本隊の「戻る線」の中心だ。

 村の広場や教会とは別に、兵と荷のために作った戻り道。

 戻り道を二本に分けることで、渋滞で人が死ぬのを防ぐ。

 そういう発想で設計された場所だと、俺は昨夜も確認したばかりだった。

 それでも、戻ってきた人間の数が多すぎると、線は簡単に細くなる。

 細くなった線は、つまずきやすい。

  つまずいた一人が、次の担架を倒す。

  倒れた担架が、次の息を止める。

 俺は救護テントの入口で、ひと息だけ整えた。

 身体は動く。

  脚に“張り”がある程度だ。

 ただ、濁り帯の縁を長く踏んだ後は、足裏の境目が少し曖昧になる。

  砂利と土の切り替わり、泥の深さ、踏める「半歩」の硬さ――その解像度が、ほんの一段落ちる。

(……ここで無理をすると、次の線が雑になる)

 だから呼吸を荒くしておく。

 外からは“疲れて見える”くらいでいい。

 俺が元気そうに見えた瞬間、武闘派は「まだ行ける」と勘違いする。

 勘違いは、また線を越えさせる。

「セイ、入るなら腕、出して」

 サラがテントの中から顔だけ出した。

 怒っているようで、怒りだけじゃない目。

 現場の責任者の目だ。

 俺は黙って前腕を差し出す。

 サラは傷を探すのではなく、皮膚に残った黒い粉と、熱の残りを確かめるように指を滑らせた。

「……濁りの粉、まだ残ってる。浄化、薄く」

 すぐ横にいた術者が頷き、掌をかざす。

「フレイムコート。……浄化だけ」

 熱を抑えた炎膜が、俺の前腕を撫でていった。

 焼くんじゃない。落とすための熱だ。

 黒い粉が、薄い灰になって剥がれ、布に吸われる。

 匂いが少し軽くなった。

「よし。次、邪魔しないで。入るなら中で働いて」

「了解」

 俺は頷いて、テントの奥を見た。

 幕で囲った小さな祭壇スペース――祈り場が、東野営地の内側に設けられている。

 戻った者が最初に座る場所。

 戻れなかった者の名を呼ぶ場所。

 祈り場の横には木箱が置かれていて、そこに「帰ろう札」がまとめられていた。隊ごとの番号と簡単な印が刻まれた木札だ。

 出撃する隊が一枚持って行き、撤退を決めて、なおかつ無事に戻れたら箱へ返す。

 箱に戻っていない札があるなら、その隊はまだ線の向こうにいる。

 ミナが箱の前に座り、札の数を指で確かめていた。

 目の下に薄い影がある。徹夜に近いはずだ。

 それでも手は止まらない。

 戻っていない札がある。

 俺たちは、その現実を「数」で見なきゃいけない。

 数は冷たいが、冷たさが命を救う。

 リアンは祈り場の中で、戻ってきた兵の額に手を当てていた。

 祈りは奇跡じゃない。

 揺れを止める。

 呼吸のぶれを戻す。

 戻れば、サラの治癒も通る。

 祈り場は、今日の「ここまで線」を決める基準にもなる。

 ここより先へは、今は行かない。

 そういう線を、祈り場の位置そのものが示している。

 ――そのとき、外の空気が変わった。

 盾と槍が動き、列が割れる音。足音が重い。

 総大将、エドガー・ハルベルトが来た。

 エドガーは救護テントの前で立ち止まり、担架、祈り場、帰ろう札の箱を一瞥した。

 視線が短いのに、必要なものだけを抜く。

 戦場の目だ。

 次に、救護テントの外側――整列スペースへ顎を向けた。

「武闘派と、志願兵。並べ」

 声は大きくない。

 だが命令は、音より先に骨に届く。

 外へ出ると、八人分の枠が並び、そこにひとつ空きがあった。

 武闘派八名――元Bランク上がりと若手騎士爵で構成されたグループ。

 その一人が、昨日戻れなかった。

 空席が、言葉より重い。

 その後ろに、兵が並ぶ。

 五十名ほど。立っている者もいれば、肩を借りている者もいる。

 包帯の白がまだ新しい。

 鎧の留め具が片方だけ外れ、泥が乾き切らずに黒く光っている。

 昨日、濁り帯の縁で、彼らがどんな判断をしたか――身体の状態が証言していた。

 エドガーは武闘派を見た。次に兵を見た。

 最後に、空席を見た。

 そして言った。

「貴様らは命令違反だ」

 短い。逃げ道のない短さだ。

 武闘派の誰かが口を開きかけた。

「志願だ」とか「偵察だ」とか、そういう言葉が喉まで来ている顔だった。

 だがエドガーは、その言葉が形になる前に切り落とした。

「ここで斬っても線は戻らん。生きて王都に帰り、自分のやったことを報告しろ」

 空気が凍る。

 怒鳴る代わりに、現実だけを置く言葉。

 斬れば終わる。

 けれど終わっても、戻れない命は戻らない。

 戻らないなら、次の死を減らす方向へ責任を使え――そう言っている。

 エドガーは続けた。

「武闘派八名と、生き残り兵は前線から外す。後方、王都への送還ルートへ回す」

 ざわめきが走った。

 屈辱と安堵が混ざったざわめきだ。

 屈辱は理解できる。

 だが、前線に残せばまた同じ判断をする。

 判断が変わらないなら、線を越える回数だけが増える。

 増えれば、空席は増える。

「処遇は王都で決める。ここで決めないのは逃がすためじゃない。誤魔化させないためだ」

 誤魔化させない。

 昨日、俺が「証言して償え」と言った線と同じだ。

 責任を曖昧にするな。線を太くしろ。

 そしてエドガーは、若手騎士爵の三人へ視線を向けた。

「騎士爵は別に帰還させる。兵と同じ列に混ぜない。責任の種類が違う」

 若手騎士爵の顔色が変わる。

 兵の中に紛れて薄まることが許されない、と言われたからだ。

 兵は命令に従った結果としてここにいる者もいる。

 だが、煽って線を越えさせた責任は、肩書きの側にある。

 だから列を分ける。

 その場で誰も、説教を重ねなかった。

 ガランが一歩前に出て、短く言った。

「怒鳴るのは後でいい。今は“もう一度線を引き直す”ことが先だ」

 武闘派の一人が歯を噛みしめ、兵の何人かが目を伏せた。

 だが、伏せた目の中に――わずかだが――理解が芽を出している者もいた。

 線を越えたのは勇気じゃない。

 危険の計算を放棄しただけだ。

 危険の計算を放棄すれば、戻る線が消える。

 戻る線が消えれば、勝利の言葉も功績の言葉も、ただの空音になる。

 送還の準備が始まった。

 兵は担架組と歩行組に分けられ、荷車の順番が決められる。

 サラは治癒を「歩ける側へ戻す」ために使い、リアンは祈りで揺れを止める。

 ミナは名簿と札の管理を続け、コルトは退路方向を示す合図と見張りの線を引き直す。

 バルドとテオは、足場を整える。

 土の補助術で地面を締め、荷車が沈まない帯を作る。

 必要があれば土壁――アースウォールを立て、風を切って人の流れを守る。

「攻め」の魔法じゃない。

  「戻す」ための魔法だ。

 俺は、武闘派に説教をしなかった。

 説教は簡単だ。

 だが説教は、相手の心を折るか、反発を固めるか、どちらかになりやすい。

 必要なのは、反発を叩き潰すことじゃない。

 線を理解させることだ。

 理解させるには、線を「運用」で見せるしかない。

 だから俺は、帰ろう札の箱の前に立ち、戻っていない札を一枚だけ見つめた。

 箱に戻っていない札は、「まだ線の向こうにいる」ことを示す。

 昨日の空席と同じ意味を、木札が持っている。

 リアンが祈り場で、戻れなかった者の名を呼んだ。

 返事はない。

 それでも呼ぶ。

 呼ばなければ、戻れなかった者は二度死ぬ。

 俺は目を閉じ、ほんの一瞬だけ呼吸を整えた。

 ここで崩れたら、次の線が引けない。

 昼前、前線作戦本部――東野営地の会議用天幕で再編会議が開かれた。

 中央に《ウツシ》が置かれ、光の地形図が浮かぶ。

  西側の焼け跡、上流へ伸びる川、これまで打ってきた杭と白布印、灯籠線。

  そこへ、王都から持ち込まれた資料が、水晶ネットワーク端末を介して重ねられていく。

 エドガーが家紋入りの指輪を端末に当てた。

 端末が短く鳴り、本人照会として認識される。

 ――そういう仕組みだ。

 現場の線と、王都の視野が一枚に重なる。

 会議の争点は明確だった。

 昨日の崩れを、どう繰り返さないか。

 そして、本命拠点をどう落とすか。

 ガランが言う。

「本隊は押し込むより、まず線を固定する。濁りは普通の魔法だけじゃ効きにくい。だからこそ、封じて削る」

 濁りは、理から外れたマナの偏り――“バグ”の塊だ。

 マナ操作で殴っても、歪みが残る。理を基準にしたぶつけ方が必要になる。

  だから俺の役割が生まれる。

 だが、俺が全部前に出ればいい、という話ではない。

 前線は《灯》が担う。

  俺は原則、前に出ない。

  命が落ちる瞬間だけ例外――それが封印ルールであり、運用ルールだ。

 エドガーは昨日の件を踏まえ、淡々と確認した。

「セイは撤退ラインの専門だ。君自身は原則、前線に出さない」

 俺は頷く。

 出ない。

  出ないために、出るべき瞬間を限定する。

  限定しないと、限定が崩れる。

 《ウツシ》の上で、俺はAライン――玄関線の位置を指した。

 通称、戦場の玄関口。

  退路が一本に絞られる細い帯だ。

 ここは「行ける場所」じゃない。

  「戻る場所」として祈りと数字と足の感覚を揃えた地点。

「玄関線は、必ず一度戻る基準点です。ここを割ったら、後ろが詰まって転倒が連鎖します」

 俺は《ウツシ》の表示を拡大し、玄関線の細い帯を指でなぞった。

 右が斜面、左が川。

 列が崩れた瞬間に“押し戻し”が起きる地形だ。

「ここは“行ける場所”じゃない。戻る場所として線を固定する。――固定できなければ、次の撤退線も全部崩れます」

 テオが頷き、土の補助術で杭周辺の地面を締める案を出した。

「攻撃」ではなく「足場」の魔法。

  ここが噛み合うと、撤退線は太くなる。

 続いて、濁りの特性が確認された。

 濁りは時間があれば、周辺の自然界のマナを侵食し、濁りマナに変質させ、勢力を拡大できる。

  魔物や魔獣からも取り込める。

 直接取り付けば能力の制御も容易になる。

 ただし、こちらが濁りを潰せば潰すほど、濁り自体は比例して弱体していく――「減らせば弱る」という性質もある。

 つまり、焦って一撃で決着を狙うより、継続的に削って弱らせる方が現実的だ。

 ――本作戦の肝は、そこにある。

 主力は濁り本隊への警戒と対策に徹し、正面で受け止めながら撃退を繰り返して足を止める。

 その間に別働隊を動かし、核へ近づけるだけの時間を稼ぐ。

 核が別働隊の接近に気づく前に、主力が引き付け続ける――そういう構図だ。

 武闘派のように「決めに行ける瞬間だ」と突っ込むのは、濁りにとってはむしろありがたい。

 こちらの動きが単純になり、読みやすくなるからだ。

 エドガーは会議の最後、全員に視線を巡らせた。

 昨日の空席も、戻っていない札も、ここにいる全員が見ている。

 だから言葉は短くていい。

 短い方が、線になる。

「次の一歩は、決着をつけるためじゃない」

 静かな声。

 だが誰も息を漏らさない。

「同じ愚かさを繰り返さないための一歩だ」

 会議が終わり、外へ出ると、東野営地の空は薄く曇っていた。

 湿気がある。

 夜露の名残だ。

 湿気は煙を鈍らせる。

 強風は煙を散らす。

 浄化は煙の魔素を分解する。

 召喚獣としての「けむり」を使うなら、環境を選ばなければならない――そういう性質は、俺の頭の片隅にいつもある。

 だが、今日この場に必要なのは、けむりじゃない。

 必要なのは、線だ。

 戻る線と、戻ってはいけない線。

 戻れた証の札と、戻っていない札。

 言葉で引いた線と、足で刻んだ線。

 俺は《ウツシ》の携行板を開き、村→東野営地→玄関線までの危険度推移ログを確認した。

 リラが重ねるHUDが、数字と線で示す。

 危険度が上がる場所と、上がり方。

「距離が伸びないまま危険度だけが上がる」――あのグラフは、最悪の形だ。

 昨日の無許可突撃が、まさにそれだった。

(明日は、距離を伸ばすんじゃない。危険度を伸ばさない)

 玄関線の杭と赤布印を思い浮かべる。

 あそこは行き先ではなく、戻り先。

 戻り先を守って、初めて前に出られる。

 救護テントの方を見ると、サラが担架を受け取り、ミナが札箱を押さえ、リアンが祈り場で名を呼び、コルトが合図の線を整え、バルドとテオが足場を作っている。

 誰か一人の武勇では、線は太くならない。

 役割が噛み合って初めて、線は生きる。

 俺は携行型ウツシを閉じ、息を吸った。

 深く吸う。

 今度は深く吸ってもいい。

 決着を急がない、という線が共有されたからだ。

 そして心の中で、明日の一文を決めた。

 ――玄関線を越える。

 ただし、越えるのは「勝つため」じゃない。

 同じ愚かさを、二度と起こさないために。

 灯籠の光は、曇った空の下でも消えなかった。

 戻る場所を示し続ける光を見ながら、俺は歩き出す。

 次の一歩へ。線を守ったまま、前へ。


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