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理を灯す少年 〜祈り万能世界で、AIを宿す俺だけが“理論魔法”を使えた件〜  作者: いい加減工房
第9章 王都編中盤――王都の足場、見えにくい線を掘る

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第117話 次の獲物

 ヒトリの視界の中で、王城前広場へ続く道筋が見えた。

 中央通りから一本外れた道の灯が、一本だけ弱い。

 消えたわけではない。

 灯そのものは、夜の道をいつも通りに照らしている。

 けれど、その足元が違っていた。

 灯から石畳へ落ちるはずの祈りの流れが、地面の中で横へ引かれている。

 西の路地で見た黒い板の痕と同じだ。

『セイ、王城前広場へ向かう道に異常があります。中央通りから一本外れた灯です』

 頭の奥で、リラの声が響いた。

『灯そのものは消えていません。ただ、足元へ落ちる祈りの流れが、石畳の下で細くなっています。西の路地で見た黒い板の痕と同じ沈み方です』

 セイの指が、地図の上で止まった。

 机の上には、今夜拾ったものが並んでいる。

 白い抑え布に包んだ、北外れの黒い欠片。

 外套の人物が西の路地に落としていった、黒い板の角の破片。

 逃げた道をテオが書き込んだ紙。

 人足代の控え。

 そして、中身をごまかすように品目だけが大ざっぱに書かれた荷物改めの記録。

 一つだけなら、小さな違和感で済む。

 けれど、並べると違った。

 黒い板は、灯から落ちる祈りの流れを足元でずらす。

 人足代は、誰かが夜に人を動かした痕を残している。

 荷物改めの記録は、何を運んだのか、わざとわかりにくく書いている。

 逃げた人物の足取りは、途中で切れていた。

 だが、足音が消えた場所には、荷馬車の車輪跡が残っている。

 外套の人物は、一人で逃げ切ったのではない。

 誰かが荷馬車で拾った可能性が高い。

 そこへ、王城前広場へ続く道に、新しい異常が出た。

「セイ?」

 サラが声をかけた。

 セイは顔を上げる。

 バルドは壁際で腕を組んでいた。

 視線は、扉とセイの間を行き来している。

 声がかかれば、すぐ外へ出るつもりなのが分かった。

 テオは羽ペンを握った手を止め、セイの目を見ている。

 セイは地図の一点を指し、リラから届いた内容を仲間に伝えた。

「ヒトリで確認しました。王城前広場へ向かう道の灯です。中央通りから一本外れた場所に、西の路地と同じ異常が出ています」

「また灯か」

 バルドの声が低くなる。

「はい。ただ、北外れや西の路地より王城前広場に近い場所です」

 テオはすぐに地図をのぞき込み、セイが指した場所を確認した。

「場所はどこです」

 セイは王城前広場の手前、中央通りの一本外側を指した。

「ここです。王城前広場へ向かう人が通る道です。商人も、巡礼者も、警備の交代も通ります」

 サラの表情が硬くなった。

「人が多い場所ですね」

「今は夜だから少ない。でも昼なら違います」

 セイは机の上の黒い欠片を見た。

 欠片は白い抑え布に包まれている。

 包まれているのに、セイにはまだ薄い黒がにじんで見えた。

「北外れで見つかり、西と東でも似た小さな異常が出た。そして今度は、王城前広場に近い道です。異常が、少しずつ王都の内側へ寄っています」

 バルドが壁から離れた。

「捕まえに行くか」

 セイは首を横に振った。

「今から行くのは、捕まえるためじゃありません」

「じゃあ何をする」

「次に何を狙っているかを見ます」

 その言葉で、部屋が静まった。

 バルドが眉を寄せる。

「人か」

「まだ分かりません。でも、先ほどの相手は、俺たちが追っても逃げ切れるように準備していました。黒い板を置く役と、逃がす役がいた。行き当たりばったりじゃありません」

 セイは地図の上へ視線を落とした。

「俺たちに追われていると分かっているのに、王城前広場へ向かう道でまた黒い板を使った。そこまでして試すなら、理由があるはずです」

 サラが小さく息をのんだ。

 テオが低く言う。

「もっと大きく状況を動かすつもり、ですか」

「その可能性が高い」

 セイはうなずいた。

「だから、今夜見るべきなのは犯人の顔じゃありません。なにを狙っているかです」

 バルドは短く息を吐いた。

「分かった。役割をくれ」

「バルドさんは前です。人の流れと逃げ道を見てください。誰かを追うより、住民が巻き込まれない位置を作りたい」

「任せろ」

「テオさんは音を拾ってください。警備の足音、荷馬車の動き、誰かが待っている気配。特に、音が途切れる場所を見たいです」

「はい」

「サラさんは灯の足元を見てください。補修なのか、隠す祈りなのか、祈りの通り道がずらされたのかを切り分けたい」

「分かりました」

 セイは最後に、窓の外へ意識を向けた。

 ヒトリはすでに夜空にいる。

 光量を落とした小さな鳥は、屋根の影に溶けるように王城前広場の方へ向かっていた。

『低空から中空へ変更。灯の周りにいる人影は少数。灯の上部は正常。異常は足元です』

 セイは三人へ言った。

「ヒトリでは、灯の上は普通に見えます。問題は足元です」

「上から見て普通なら、巡回じゃ分からねえな」

 バルドが言った。

「はい。見た目は壊れていません」

 セイは抑え布に包まれた欠片を小袋へ入れた。

「だから危険なんです」

 四人は宿を出た。

 夜の王都は、眠っているようで眠っていなかった。

 遠くで馬車の車輪が鳴る。

 どこかの酒場から笑い声が漏れる。

 店じまいを終えた女将が、戸口に水を撒いている。

 灯の下では、遅くまで働く人足が肩を並べて歩いていた。

 セイはその光景を見ながら、少しだけ胸が詰まった。

 この灯は、人を守るためにある。

 道に迷わないように。

 濁りが寄らないように。

 夜でも家へ帰れるように。

 祈りは、この世界で暮らす人たちの日々を支えている。

 それを知っているからこそ、その足元へ黒い板を差し込むやり方が、腹の底から嫌だった。

「セイさん」

 隣を歩くサラが小さく呼んだ。

「顔が険しいです」

「すみません」

「謝らなくていいです。私も、同じ顔をしていると思います」

 サラは前を見たまま言った。

「灯を使う人は、灯を疑いません。祈りが弱いのだと言われたら、祈った人が自分を責めます。でも、違うかもしれないのですね」

「はい」

 セイは短く答えた。

「祈りが弱いんじゃない。通り道をずらされている」

 サラは胸の前でそっと指を握った。

「それなら、見つけないといけません」

 その声は静かだった。

 でも、いつものやわらかさの奥に、怒りに似た芯があった。

 大通りへ出る手前で、バルドが片手を上げた。

「止まれ」

 四人は足を止めた。

 前方の灯の下に、四輪の荷馬車が一台いた。

 荷台には布をかぶせた木箱が積まれている。

 御者台に座っているのは、年配の男だった。

 疲れた顔で手綱を握り、馬の歩みも遅い。

 その横を、小さな女の子が走っていた。

 片手に花束を抱えている。

 もう片方の手では、母親らしい女性の袖をつかんでいた。

「明日の朝、祈り台に飾るの!」

 女の子の明るい声が、夜の道に跳ねた。

 その瞬間、セイの目に、灯の下を走る細い線が見えた。

 灯から石畳へ落ちるはずの祈りの流れが、地面の中で横へ引かれている。

 西の路地で見た、黒い板の痕と同じだ。

 セイは右足の裏から、石畳へ薄くマナを流した。

 足元の硬さを読むためだ。

 見えている線だけで決めつけず、実際に踏まれた時に石が沈むかを確かめる。

 返ってきた感触は、悪かった。

 石畳の下が、ほんの少し空いている。

 普通なら気づかない。

 けれど、荷馬車の前輪がそこに乗れば沈む。

 次の瞬間、荷馬車の前輪がその石にかかった。

 石が、沈んだ。

「危ない」

 セイが言うより早く、荷馬車が横へ揺れた。

 木箱が傾く。

 母親が女の子を抱き寄せようとする。

 でも、荷馬車の陰になって一歩遅い。

 バルドが動いた。

 大きな体が、まるで壁のように道へ入る。

 右足を前に出し、左足を後ろへ残す。

 真正面から受け止めるのではなく、肩を斜めに入れ、荷馬車の横揺れを自分の体で受け流す。

「おい、馬を止めろ!」

 御者が慌てて手綱を引いた。

 だが、木箱はまだ落ちる。

 セイは右足を半歩だけ前へ出した。

 踏み込むためではない。

 体を前へ倒しすぎず、地面の流れを読むための半歩だ。

 左足のかかとを残し、右足の内側で石畳の沈みを拾う。

「アースシフト」

 声は小さくした。

 石畳を大きく動かす必要はない。

 前輪が沈んだ角を、指半分ほど押し戻す。

 木箱が落ちる方向とは逆へ、荷台の傾きをほんの少しだけ逃がす。

 地面を支えるための一手だ。

 木箱は落ちなかった。

 代わりに、荷台の縁でがたんと音を立てて止まった。

 女の子は母親の腕の中で目を丸くしていた。

 花束だけが、石畳に落ちた。

「だ、大丈夫か!」

 御者が青い顔で飛び降りる。

 母親は女の子を抱きしめたまま、何度も頭を下げた。

「ありがとうございます。ありがとうございます」

 バルドは肩を回しながら、わざと軽く言った。

「礼はあとでいい。花を落としただけで済んだんだ。まずその子を見てやれ」

 女の子は震える手で花束を拾った。

 だが、その中の一本だけ、茎が折れている。

 サラが膝をついた。

「見せてください」

「お花、折れちゃった……」

「大丈夫です。飾る前なら、少し整えられます」

 サラは折れた花の茎に指を添え、小さく祈った。

 光は派手ではない。

 ほんのりと温かいだけだ。

 完全に元へ戻すのではなく、折れたところを布で支え、花が明日の朝までうつむかないように整える。

 女の子の目が少しだけ明るくなった。

「ありがとう、お姉ちゃん」

「転ばなくてよかったです」

 サラはそう言って微笑んだ。

 その笑顔を見た瞬間、セイの胸の奥で何かが固くなった。

 この子は、明日の祈りを楽しみにしている。

 母親も、御者も、道を歩く人も、灯を信じている。

 その足元で、黒い板の痕がまた見つかった。

 一つ一つの細工は小さい。

 灯を消すほどではない。

 道を壊すほどでもない。

 けれど、小さいからこそ見逃される。

 見逃された細工が、王都の中で少しずつ増えている。

 セイには、それがただの嫌がらせには見えなかった。

 誰かが、大きな企みのために、小さな異常を積み重ねている。

 どこまでなら気づかれないか。

 どこまでなら事故で済むか。

 どこまでなら祈りのせいにできるか。

 それを、王都の人々の足元で試している。

「……これは、ただ道を悪くしているだけじゃありません」

 セイは灯の足元を見たまま言った。

「小さい異常を、わざと積み重ねています。最後に大きなことを起こすために」

「セイ」

 テオの声が、すぐ横で落ちた。

「今の沈み方、偶然ではありません」

「音で分かりましたか」

「はい。車輪が石に乗った音ではなく、下が空いている場所を踏んだ音です」

 セイはうなずいた。

「サラさん、灯の足元を見てください」

「はい」

 サラは母娘を見送ってから、灯の根元へ向かった。

 祈り灯は、何もなかったように淡く光っている。

 近くを通る人たちも、今の揺れをただの荷崩れだと思っているだろう。

 セイには違って見えた。

 本来なら、灯から落ちた祈りの流れは、そのまま石畳の下へ沈んで道を支える。

 だが今は違う。

 流れの一部が、敷石の隙間へ横に引かれていた。

 黒い板そのものは見えない。

 それでも、痕は同じだった。

 北外れで見たもの。

 西の路地で拾った、黒い板の角の破片。

 どちらとも同じ、灯の力を少しずつ奪う痕だ。

 サラが指先を石畳へ寄せ、目を閉じた。

「補修ではありません」

 その声は、かすかに震えていた。

「表だけ整えています。灯がきちんと立っているように見せて、下の祈りの通り道をずらしています」

「やっぱりか」

 バルドが低く言った。

「さっきの子ども、あと少しで木箱の下だったぞ」

「だから、今ここで応急処置をします」

 セイは灯の足元を見た。

「でも、完全には直しません。全部直すと、仕掛けた相手に気づかれます」

 サラが顔を上げた。

「分かりました。今夜、人が転ばない分だけですね」

「はい。あとで証拠として見せるために、痕は残したいです」

「分かりました」

 サラはすぐに祈り方を変えた。

「灯よ、道を支えてください。歩く人の足を、今夜だけでも守ってください」

 光が、石畳へ薄く染み込む。

 壊された場所を完全に癒やす祈りではない。

 応急の支えだ。

 今夜、人が転ばないように。

 明日、誰かがここを踏んでも崩れないように。

 その祈りを見て、セイは思った。

 やっぱり祈りは悪くない。

 悪いのは、それを利用する手だ。

「テオさん」

「はい。もう見ています」

 テオは耳を澄ませていた。

 風の魔法が、灯の周りから大通りへ流れていく。

「警備の足音が、ここで一度途切れます」

「途切れる?」

 バルドが聞く。

「正確には、二組の巡回が交代する場所です。片方は広場側へ戻る。もう片方は商会通りへ入る。その間に、短い空白があります」

「どれくらいだ」

「長くありません。ですが、板を差すには足ります」

 テオは地図へ印をつけた。

「しかも、荷馬車が通る音が多い。車輪の音で、石をずらす音も隠せます」

「人通りが多くて、音も多くて、警備の目が薄い」

 バルドの声がますます低くなる。

「やる側には便利な場所だな」

「便利すぎます」

 セイは言った。

「偶然に選んだ場所じゃない」

 その時、ヒトリの視界がセイの奥へ流れ込んだ。

 灯の列。

 大通り。

 広場へ続く道。

 その先に、まだ布をかぶせた仮設の台が見えた。

 夜の作業は終わっているはずなのに、数人の影が台の周りで動いている。

『中空ヒトリ、王城前広場を確認。仮設の祈り台があります。人影は四人。荷馬車が一台。灯の異常が出た場所から、広場方向へ祈りの流れの乱れが続いています』

 セイは目を細めた。

「広場に仮設の祈り台があります」

「明日の飾りか?」

 バルドが聞く。

「たぶん。ヒトリで見る限り、作業員がまだいます。荷馬車も一台」

 サラが顔を上げた。

「明日ではありません。公開祈礼は明後日です」

「公開祈礼?」

 バルドが聞き返す。

 サラはうなずいた。

「王族が民の前に立ち、王都の安寧を祈る儀式です。広場に祈り台が組まれます。教会側も救護と補助で人を出します」

 その瞬間、セイの中で地図の見え方が変わった。

 王城前広場へ向かう灯。

 荷馬車の通る道。

 警備の交代の空白。

 祈りの通り道がずらされた足元。

 その先に、王族が立つ祈り台。

 偶然ではない。

 まだ全部はつながらない。

 でも、王城前広場へ危険が近づいていることは分かった。

「サラさん。その公開祈礼で、人はどれくらい集まりますか」

「広場だけでもかなりの人数です。王族が民の前へ出る日は、祈りを受けたい人や、姿を見たい人が集まります。子どもも、お年寄りも来ます」

 さっきの女の子の花束が、セイの頭に浮かんだ。

「祈り台に立つのは、王族だけですか」

「基本は王族です。側に教会の祈り手、警備、進行役がつきます」

 テオが顔をこわばらせた。

「もしそこで祈りの流れがずれたら……」

 サラの声が小さくなった。

「祈りが届かないように見えます」

 バルドが吐き捨てるように言った。

「王族の祈りが弱いって見せられるのか」

「それだけじゃない」

 セイは広場の方を見た。

「灯が揺れる。人がざわつく。誰かが倒れる。濁りの反応が少しでも出れば、広場は混乱します」

「その混乱を、誰かが止める」

 テオが言った。

「止めた者が功績を得る」

「はい」

 セイはうなずいた。

「北部で作ろうとしていた流れと似ています。危険を作って、止める役を用意する」

 バルドの拳が鳴った。

「人を何だと思ってやがる」

「駒です」

 サラが言った。

 その声は静かだった。

 でも、セイはその静けさの奥にある怒りを聞いた。

「祈る人も、祈りを受ける人も、守る人も、全部駒として見ているのでしょう」

 バルドは何も言わなかった。

 ただ、広場の方をにらんだ。

 セイは足を進めた。

「広場を見ます。ただし近づきすぎません」

「外套の奴がいるかもしれねえ」

「はい。ここでは作業員の格好をしているかもしれません。だから、俺たちは作業を邪魔しに来たようには見せません。通りがかった冒険者として、人の流れと灯を見るだけです」

「地味だな」

「地味な方が生き残ります」

「それは好きだ」

 バルドが少しだけ口の端を上げた。

 四人は広場の端へ向かった。

 王城前広場は、夜でも広かった。

 昼間なら人の波で埋まるのだろう。

 今は仮設の柵が並び、布で覆われた祈り台が中央より少し外れた場所に置かれていた。

 周囲には飾り用の柱、布を巻いた束、水桶、簡易の救護机が置かれている。

 灯の数も多い。

 光は十分ある。

 けれどセイには、祈り台へ向かう細い線が乱れて見えた。

 本来なら、灯から伸びた祈りの線は、そのまま祈り台の下へ入るはずだった。

 だが、その線は途中で一度、横へ引かれている。

 西の路地で見た黒い板の痕と同じように、祈りの流れが横へ逃がされていた。

「……嫌な感じがします」

 サラがつぶやいた。

「見えますか」

「はっきりとは。でも、胸の奥がざらつきます。祈り台の周りだけ、祈りがまっすぐ入っていかない」

 テオは広場の音を拾っていた。

「作業員は四人。奥に荷馬車が一台。会話は普通の設営の話です。ただ……台の下で金具を触る音が一度しました」

「金具?」

「木の台なら、固定に金具を使うことはあります。でも音が低い。木を留める音ではなく、石か金属の下に何かを差し込む音です」

 バルドが前へ出ようとした。

 セイは小さく手を上げて止めた。

「今はまだ」

「見えてるんだろ」

「見えています。でも、ここで踏み込むと作業確認で終わります。相手が本当に仕掛けているなら、今は作業員の顔をしている」

「ならどうする」

「先に、人が危ない場所を減らします」

 セイは広場の端へ視線を移した。

 仮設の柵の一部が、少しだけ開いている。

 作業員の出入り用だろう。

 そこから一人の少年が中へ入ろうとしていた。

 さっきの女の子とは違う。

 水桶を運ぶ手伝いの少年だ。

 足元の木片を拾おうとして、祈り台の下へ近づいている。

 サラが息をのむ。

「だめ」

 セイは走らなかった。

 走れば目立つ。

 作業員たちだけでなく、祈り台のそばで工具袋を下げている男も、こちらに気づいてしまう。

 男は外套を着ていなかった。

 今は作業員と同じ服を着ている。

 だが、右手だけが白い手袋に包まれていた。

 西の路地で黒い板を置いた人物も、同じ手袋をしていた。

 黒い板に直接触れないためのものかもしれない。

 セイはそう見た。

 だからこそ、ここで慌てて動けない。

 少年を止める。

 でも、男には気づかせない。

 セイは右足を斜め前へ送った。

 最短距離ではない。

 少年と祈り台の間に、自然に入れる角度を選ぶための一歩だ。

 左足を小さく寄せ、重心を落とす。

 右手は動かさず、足元だけで石畳の向きを拾う。

「アースシフト」

 祈り台を動かしてはいけない。

 黒い何かに触れてもいけない。

 動かすのは、少年が拾おうとしている木片だけでいい。

 石畳の表面を、ほんの少し傾ける。

 木片がころりと転がり、柵の外へ出た。

「あれ?」

 少年がそちらへ振り向いた。

 その瞬間、バルドが自然に歩いていき、少年の前に立った。

「坊主、夜の作業場に入るな。足を挟むぞ」

 少年はびくりとした。

「す、すみません。木片が」

「拾うなら外から拾え。指が飛んでからじゃ遅い」

「はい!」

 少年は木片を拾い、走って戻っていった。

 バルドは作業員の方へ軽く手を上げた。

「子どもが入ってたぞ。柵、締めとけ」

 作業員の一人が慌てて頭を下げた。

「す、すまん」

「謝る相手は俺じゃねえ。子どもの指だ」

 バルドはそれだけ言って戻ってきた。

 その自然さに、セイは小さく息を吐いた。

「助かりました」

「礼はいらねえ。殴らずに済ませた俺を褒めろ」

「かなり褒めています」

「顔に出てねえぞ」

「今は出さない方がいいので」

 バルドは鼻を鳴らした。

 その短いやり取りで、張り詰めていた空気がほんの少しだけ戻った。

 だが、安心できたのは一瞬だった。

『祈り台の下に、黒い板と同じ系統の反応があります。ただし、表には出ていません。石材か固定具の下に入っています』

 リラの声が、冷たく響いた。

 セイは祈り台を見た。

 布で覆われた台は、何も言わずにそこにある。

 人々が祈りを見るための場所。

 王族が立つ場所。

 その下に、黒い板と同じ反応がある。

 セイは一度だけ息を止めた。

 言葉にすれば、この場の空気が変わる。

 それでも、言わないわけにはいかなかった。

「祈り台の下にあります」

 三人がこちらを見た。

「黒い板と同じ反応です。見えてはいません。石か金具の下に入っている」

 サラの顔から、血の気が引いた。

「祈り台の下に……」

 その声はかすれていた。

 セイは続けた。

「まだ強く動いていません。今すぐ何かが壊れる反応ではないと思います。ただ、祈りの通り道をずらす力はあります」

 テオが唇を噛んだ。

「公開祈礼で、強い祈りが流れた時に反応する?」

「可能性があります」

 バルドが低く言った。

「明後日、人が集まる。王族が立つ。祈り手が祈る。そこで流れがずれる」

「はい」

 セイはうなずいた。

「祈りが失敗したように見える。灯が揺れる。人が倒れる。広場が乱れる。そこで誰かが前へ出れば、英雄にもできる」

「逆に、誰かを失脚させることもできる」

 テオが続けた。

「王族、警備責任者、教会側の祈り手。誰でも狙えます」

 サラが祈り台を見つめたまま言った。

「祈りを、政治の道具にするつもりなのですね」

 誰もすぐには答えなかった。

 その沈黙が答えだった。

 セイの中で、リラが静かに照合を続けていた。

 北部で起きた濁りの騒ぎ。

 三貴族の失踪。

 黒い板。

 夜に人を動かした人足代の控え。

 何を運んだのか、わざと分かりにくく書かれた荷物改めの記録。

 王都の灯に残った、同じ痕。

 そして、公開祈礼で使われる祈り台。

 一つだけなら、ただの違和感で済んだ。

 だが、重ねると違う。

 誰かが小さな異常を積み上げて、王都の中心で大きなことを起こそうとしている。

 セイには、そう見えた。

 この世界の人たちは、祈りを信じている。

 セイは、その祈りを否定したいわけじゃない。

 祈りで救われる人がいる。

 サラの祈りで、さっきの花も明日の朝まで飾れるように支えられた。

 灯があるから、夜の道を人が歩ける。

 だからこそ、理で見る。

 リラの解析と、セイの目に見える線で、祈りの足元に仕込まれた穴を見つける。

 理論魔法は、祈りを壊すためのものじゃない。

 祈る人が、足元を踏み抜かないようにするためのものだ。

「今すぐ台を壊すか」

 バルドが聞いた。

 セイは首を振った。

「壊しません」

「危険があるのにか」

「はい。今壊せば、仕掛けた側に気づかれます。別の場所へ移される。もっと見えないところでやられる」

 バルドの拳が震えた。

「じゃあ放っておくのか」

「放っておきません」

 セイは祈り台を見たまま言った。

「今夜やることは三つあります。人を近づけない。祈り台の下へ落ちる流れを少しずらして、黒い反応へ直接触れにくくする。明日、正式な理由で台の下を確認させる」

「正式な理由?」

 テオが聞く。

「支柱の確認です。今夜、子どもが柵へ入った。荷馬車の木箱も揺れた。安全確認の理由は作れます」

 サラが顔を上げた。

「教会側からも言えます。公開祈礼の前に、救護導線と祈り台の足元を確認したい、と」

「お願いします」

「はい」

 サラは短くうなずいた。

 その声には、祈りを汚された悔しさがにじんでいた。

 それでも、動きは止まらない。

 バルドも大きく息を吐いた。

「俺は柵の周りを見る。誰かが近づくなら止める」

 セイはうなずいた。

「頼みます」

「テオさんは、作業員の音と荷馬車の動きを覚えてください。今いる四人と荷馬車がどこへ帰るかを知りたい」

「はい。馬車の車輪音、工具袋の金具音、足音の癖を拾います」

 セイは祈り台の足元へ近づきすぎない位置で膝をついた。

 直接触れない。

 触れれば、相手の仕掛けが反応する可能性がある。

 必要なのは、黒い反応へまっすぐ落ちる祈りの流れを少しだけ逃がすことだ。

 地面を変える。

 足場を整える。

 戦って勝つためではない。

 誰かが明日まで無事に歩けるようにするために。

「ソイルリペア」

 土の粒が、石畳の下でわずかに動いた。

 セイは右足を引き、左足を半歩外へ置いた。

 力を一点へ集めないためだ。

 身体の重心を左へ逃がし、右手の指先だけで地面へ式を落とす。

 黒い反応には触れない。

 その手前で、祈りの流れが通れる細い道を作る。

 ほんの少し。

 誰にも見えない程度に。

 石畳は動かない。

 祈り台も揺れない。

 でも、セイには見えた。

 黒い反応へまっすぐ落ちかけていた祈りの流れが、かすかに横へ逃げる。

 完全ではない。

 だが、今夜、子どもが近づいただけで反応する危険は下がった。

 サラが胸に手を当てた。

「ざらつきが、少し弱まりました」

「今夜だけです」

 セイは立ち上がった。

「明日の確認で、台の下を必ず見てもらいます」

「間に合うのか」

 バルドが聞いた。

「間に合わせます」

 その時、テオが顔を上げた。

「作業員の一人が離れます」

 広場の奥で、祈り台のそばにいた男が荷馬車の陰へ歩いていく。

 外套はない。

 作業員の服のままだ。

 だが、右手の白い手袋が灯の下で白く浮いた。

 バルドが動きかけた。

 セイは低く言った。

「追わないでください」

「見えてるぞ」

「はい。でも今追えば、祈り台から目が離れます」

 バルドは歯を食いしばった。

「……くそ」

 白い手袋の男は、こちらへ振り向かなかった。

 振り向かないまま、荷馬車の後ろへ消えた。

『ヒトリで上空追跡します。距離を維持』

 リラが告げる。

 セイは小さくうなずいた。

「ヒトリで荷馬車を追います。俺たちはここを動かない」

 テオが耳を澄ませた。

「荷馬車が動きます。広場の北側へ抜ける音です」

「どこへ行く」

「まだ……」

 テオは目を閉じた。

 風が夜道へ走る。

 荷馬車の車輪音が、石畳から土の道へ変わる。

 少しして、門のきしむ音がした。

 テオの顔色が変わった。

「王城側です」

 サラが息を止めた。

「王城?」

「正門ではありません。裏手の搬入口に近い」

 バルドの声が、今度こそ危険なほど低くなった。

「祈り台だけじゃねえのか」

 セイは王城を見た。

 夜の中に、白い壁が浮かんでいる。

 民はあの壁を守りだと思っている。

 祈り台の下に黒い反応があるだけでも十分に危険だ。

 だが、白い手袋の男が王城側へ荷馬車を向けたなら、広場の仕掛けは本命の全部ではないかもしれない。

 表で人の目を集める。

 祈りを揺らす。

 広場を混乱させる。

 その裏で、別の荷を通す。

 セイは喉の奥が乾くのを感じた。

『ヒトリ、搬入口付近を確認。荷馬車が一台。布で覆われた積み荷があります。外側からは中身不明です』

 リラの声が続く。

『布で覆われた積み荷の下側から、祈り台下と似た黒い反応を検出』

 セイは息を止めた。

 黒い反応が、もう一つ。

 祈り台ではなく、王城側へ向かう荷の中。

 バルドがこちらを見た。

「セイ」

 セイは拳を握った。

 ここで叫んではいけない。

 走ってもいけない。

 でも、もう見えてしまった。

 次の獲物は、広場だけではない。

 祈り台は、人々の目を集める場所。

 その陰で、王城へ入る荷がある。

「表で祈りを揺らして、裏で何かを通す気かもしれません」

 テオの顔が青ざめた。

「公開祈礼の準備なら、王城への搬入は不自然ではありません。布、祭具、救護品、支柱、飾り。理由はいくらでも作れます」

 サラが唇を結んだ。

「正しい準備の顔をして、危険を通す」

「はい」

 セイは王城を見たまま答えた。

「祈り台だけを見ていたら、王城へ入る荷を見逃すところでした」

 夜風が広場を抜けた。

 布で覆われた祈り台が、わずかに揺れる。

 その下に眠る黒い反応。

 王城裏手へ入っていく荷馬車。

 祈り台の下と、王城へ向かう荷の中。

 二つの黒い反応が、同じ計画の別々の場所に見えた。

『追加照合』

 リラの声が、静かに告げる。

『王城裏手の搬入口で提示された通行許可札を確認しました。札に押された印は、三貴族の件で使われた蝋印の欠片と、同じ家の印影に近いです』

 セイの背中を、冷たいものが走った。

 三貴族。

 黒い板。

 公開祈礼。

 祈り台。

 王城裏手の荷。

 バルドが低く聞く。

「何が見えた」

 セイは王城から目を離せなかった。

 祈り台の下だけではない。

 王城へ入る荷の中にも、黒い反応がある。

「次の獲物は、祈り台だけじゃありません」

 サラが息をのむ。

 テオが紙を握りしめる。

 セイは、王城裏手へ消えた荷馬車をヒトリの視界で追った。

「王城の中に、黒い板と同じものが入ろうとしています」

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