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もう恋なんてしない 【最終話】

最終話です。

 木の上で震えていた私に、伸ばされた大きな手。




「さぁ、来い。掴まれ」




 その途端、恐怖が綺麗に吹き飛んでしまう。私は夢中でその手に捕まった。

 あまりにも簡単に体が浮いて次の瞬間、上から下までかっちりとした真っ黒な服を見に纏った彼の大きな腕の中に抱え込まれていた。


 ギュッと瞑った瞳を開くと、目の前に大きな鋭い瞳と白髪交じりの口髭があった。太くて硬い丸太のようなものにしがみつく。後で気が付いたけど、それはその人の首だった。お父様に抱きかかえられた時の感触とあまりに違うので、それが同じ男の人の首だとはなかなか呑み込めなかったのだ。


 それよりも気になったのは彼の口元を覆う分厚い髭だ。いつも寝る前に抱き着いているお父様の顎はブツブツざらざらしているくらいの、ささやかなものだった。だからそんな風にモシャモシャした髭を間近に見たことがなくて、思わず目を丸くして見入ってしまった。


「なんだ」


 見入っていた髭がパカリと割れて、重低音が私の体を震わせる。




「女の子か!」




 鋭い鷹のような恐ろしい二つの目と眉が、くしゃりと綻ぶ。私はその笑顔に惹き込まれた。瞳は深い深い、吸い込まれそうな藍色で。


 そしてハッと我に返った。自分が男の子に間違えられたのだと気が付き、本当に恥ずかしくて逃げ出したくなったのを、覚えている。







 その時はまだ自分が恋をしているなんて、分からなかった。ただあの人のお傍に、少しでも近くにいたいと思った。だからフォーンとの結婚が具体的になるにつれ、ウキウキした。あの人の家族になれる日を、私は心待ちにしていた。


 それが恋だと気が付いたのは、女学院に入学してからのことだ。


 同級生から持ち掛けられる恋の悩みやノロケ話、それからまだ出会っていない王子様との妄想話。耳を傾けつつも、それらは私がフォーンに抱いている感情とかなり隔たりがあるものなのだと気が付いた。


 優しくて綺麗なフォーン。


 彼と一緒にいるのは楽しいし、その隣にいることはもう私にとって当り前のことだった。私は彼のことが好きだった。けれどもそれは、彼女達が話す『恋』とは違う。それはずっと、もっと穏やかなものだと気が付いた。


 首を(かし)げる鈍い私に同級生が「これで恋と言うものを学んだら良いわ」と恋愛小説を押し付けた。その恋愛小説を読んでいるうちに……恋をすると起こる数々の不可思議な症状は、全てあの人のことを思う時に体に表れるものだと気が付いた。


 けれども私はそれに蓋をする。私の気持ちはどうあれ、あの人は自分のことをそう言う目で見ていない。ただの『孫の婚約者』だ。よくて『孫同然』。当然のことだ、私が将来結婚する相手はフォーンなのだから。それにこれは単なる憧れで、気の迷いかもしれない。そして例えこの押さえきれない情動が気の迷いなんかじゃなく、本気の恋によってもたらされるものだとしても―――この恋に未来などないのだ。


 私が結婚するのは、フォーン。夫となるのはフォーンなんだから。


 フォーンのことは好きだ。あまり自分では覚えていないけれど、お母さまが突然いなくなってずっとふさぎ込んでいた私が、フォーンと顔を合わせた途端久し振りに笑顔を見せたのだと言う。気の置けない兄弟のような存在で……きっと彼とならずっと、仲良く楽しく過ごしていけるだろう。フォーンと夫婦になって、彼を支えてヘイズ家を盛り立てて行くことができれば、それはきっとあの人の為にもなる。それに人並以上に頑強な体を持つ彼だって、いずれは年を取る。当主の祖父のお世話を取り仕切るのは当主夫人に違いない。私が当主夫人になったら、毎日お傍に通ってあの人とお話するの。使用人と一緒にお世話も出来るかもしれない。


 彼のお役に立てる!そう想像すると―――フォーンと結婚することは、物凄く価値のあることだと思えて来た。決して成就することのない恋心はそっと胸の内にしまって、私はただひたすらに、フォーンの良い妻になろう。それが私の喜びだ。それ以上を望むべくもないのだから。

 貴族の婚姻は、恋や愛を介さない場合の方が上手く行くのだと一般的には言われているらしい。お父様はお母様と政略結婚だった。でも結婚してから徐々に打ち解けて尊敬しあえる夫婦になったのだと聞いている。だから恋や愛が初めに存在しなくてもたぶん、夫婦って上手く行くのだと考えている。

 オレアのことは勿論好きだし、お父様にはオレアが必要なんだって納得している。だけど恋が初めにある結婚はたぶん難しい……例えばお母様のことが無かったら、おそらくお父様とオレアの結婚は実現しなかったと思うから。




 ……なんて他人事のように呑気に構えていたからバチがあったったのだ。『フォーン当人が婚約解消(それ)を望んでいる』と告げられた時、目の前が真っ暗になった。




 頭に浮かんだのはあの人のこと。あの人と家族になれない。ヘイズ家にお嫁に行けない。


 ショックだった。ショック過ぎて、自分の傲慢さに気付くのが遅れたくらいだ。


 私は自分のことしか考えていなかったのだ。あの人の家族になると言う自分の夢を叶える為にフォーンの気持ちを犠牲にしていたのだ。フォーンとローズの恋から、目を逸らしていた。

 ローズがフォーンに興味を抱いていることには気が付いていた。けれど、フォーンは一度自分が口にした約束は守る人だから、だから幾ら綺麗で魅力的なローズから好意を寄せられたって相手にはしないだろう、と放置していたのだ。こう言うのはいつものことだから……と。


 フォーンだって私にとって大切な存在だったのに。ずっと一緒にいた大切な幼馴染の気持ちを、思い遣ってあげられなかったのだ。自分の恋心ばかりに注目するあまり、彼の恋を無意識に見殺しにしようとすらしていたのだ。私がちゃんと彼自身を見て、彼と向き合っていたなら気が付いた筈だ。


 可哀想なフォーン。ごめんね、ごめんね。

 私はフォーンとローズの恋を踏み台にして、自分の幸せを手にしようとしていたんだ。こんな私が誰かと結婚して、幸せになるなんてありえない。

 それにあの人のいない場所で―――ずっと隣にいたフォーン以外の人と暮らしていくなんて。あの人の家族になることしか想像していなかった私だ。この秘密の恋を胸に抱えたままで―――誰かを支えることなど、到底無理なことに違いない。


 兄とも思っていた大切な幼馴染のフォーンでさえ、私の身勝手で不幸にしてしまったのに。







 そんな私に、思いがけない幸運が舞い込んだ。



 結婚―――結婚?!

 私が、あの人―――イーグル様の妻に……?!



 夢かと思った。だけど現実に今、私と彼は結婚式を挙げ正式な書類にサインをし―――こうして念願のヘイズ家の一員として、この場所にいる。あの人が帰って来るこの屋敷で、私は大好きな犬達の世話をして過ごすのだ。これ以上ない幸せな日々が続いている。今でも時々、これは夢なのじゃないかって、真剣に思う。悪い夢を見た日の朝なんか、自分の部屋で目覚めた後、朝食の席で彼と顔を合わせるまでドキドキして落ち着かない日もあるくらい。


 彼は私がフォーンをいまだに忘れられないのだと、考えている。


 だけど私は本心を彼に告げることはないだろう。告げればどうなるだろうか?彼は私に呆れて、見向きもしなくなってしまうかもしれない。こんなことになってしまってもまだ―――彼に嫌われるのだけはどうしても避けたいのだ。きっと一生、こんなあさましい私には本当の幸いは訪れることはないだろう。


 彼が私の『次の恋』の為に若い男性を山城に伴って戻った時……悲しさで私の胸は張り裂けそうになった。これは私が一生背負うべき罪に与えられ続ける罰なのだ。彼が明らかな善意で私に新しい男性を紹介する、そのたびに私の胸はナイフで抉られるような痛みを受け続け、血の涙を流し続ける。


 彼にとっては私は恋愛対象になり得ない。それをこれから幾度思い知らされることになるのだろうか。


 けれども出来る限り長く―――私は彼の妻で有り続けたい。だから私は今日も嘘を吐く。




『もう恋なんてしない』と。




 ある意味、それは嘘ではない。だって目の前の彼に私は恋しているのだから。

 この先この恋以外の恋心を―――私は他の男性に抱く事はないのだから。







【もう恋なんてしない・完】

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。


完結しましたが、裏設定についてのちのち追加するかもしれません。

ただ追加するとしても、暫く後になりますので一旦完結表示とさせていただきます。


※2022.6.18追記 この後に掲載していた後日談について途中までお読みいただいた方、誠に申し訳ありません!! いろいろ長々と考えた結果、削除することといたしました。再びこのお話で、完結設定とさせていただきます。ご訪問、本当に本当にありがとうございました!m(_ _)m

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