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私説三国志  作者: なかゆん きなこ
曹丕×少女編 第二話
14/14

背けたくても見入ってしまう。昏い闇の奥底で、仄かにひかるあの破片。


 最近の曹丕は猫のようだと、少女は思う。

 それも、生きることに飽いた猫。ただただ眠たげに日々を過ごし、死ぬ時を待つだけのいきもの。

 いつからだろう。彼の瞳が、底の見えない闇のようになってしまったのは。

 いつからだろう。彼が、終わりの見えない絶望に囚われてしまったのは。

 それでも、自分は信じている。

 幼い頃、希望に目を輝かせながら自分に理想を語ってくれた彼は。

『父上や兄上の助けになりたい』と勉学に励んでいた彼は。

 まだ確かに、此処にいるのだと。



 自室に籠りがち、政務そっちのけで詩作に耽る曹丕を、臣下達は早くも『無能』と評価しているようだった。

 一方で、側近の司馬懿などは曹丕の思惑を知ってか知らずか、変わらず付き従っているようだが。

 男装し、司馬懿と同じく曹丕の側近として政務に当たっている少女は今日も、以前彼から突き付けられた通り、国を動かすのに最低限必要な案件を手に曹丕の居室を訪れた。

「失礼します」

 主の返答を待たずに扉を開けると、室内には詩文の走り書きが散乱していた。

 そして部屋の奥、敷き布の上にだらしなく寝そべる一人の男。曹丕だ。

 少女は「はあ、」とため息を吐き、走り書きを踏まないよう慎重に歩を進める。

 最初の頃はいちいち片付けていたが、どうせすぐに散らかされるので諦めた。

「仲達殿はいらっしゃらないんですか?」

 室内には、いつも影のように曹丕に付き従う司馬懿や他の近習達の姿は無い。

「………帰った」

 曹丕は寝そべったまま、それだけを言う。

 詩が思うように浮かばないのだろう。そういう時、彼はいつも言葉少なになる。

 少女はやれやれと主の顔を見つめ、そして持ってきた竹簡の山を机の上に置いた。

 どさどさっと音を立てて机の上に置かれた山を見、曹丕が嫌そうに眉を顰める。

「多い」

「多くありません」

 ぴしゃりと切り捨て、少女が腰に手を当てる。

 よく少女の母、曹丕の乳母が説教をするときにしていた癖だ。

「本来ならこれの何倍も、目を通していただきたいものがあるんです。これでも、ちゃんと厳選して減らしたんですよ」

「………」

 曹丕はしぶしぶ、といったていでゆっくりと身を起こす。

 そしてゆっくりと机の前に立ち、竹簡を一つ手にとって紐解いた。

 ぱら…と目を通しては、また次の竹簡に手を出し。

 それを何度か繰り返した後、彼はぽつりと呟くように言った。

「…お前が持ってくる案件は…」

「? なんです?」

「…治水だの難民対策だのが多いな…。随分お優しいことだ」

 フッと、皮肉気に口元を歪める曹丕。

 しかし少女は怖じることなく、真っすぐに曹丕を見つめた。

「恐れながら、」

「………」

「国のもといは民でございます。なれば、最低限民の生活を安定させるのが、為政者の務め」

「ほう。故に、これらの案件を優先させたと」

「はい。呉や蜀への対策は、百戦錬磨の将軍方や軍師の方々が尽力されております。こう言っては何ですが、門外漢の私や子桓様があれこれと口出しするに及びません。仲達殿もおられますし」

「………」

「内政に関しましても、曹公が選び抜かれた優秀な文官方がおりますから。多少は、任せきりになられても問題はありません。仲達殿も、目を光らせているようですし」

「…………」

「しかし治水や難民対策は、可及的速やかに施行すべき案件です。文官の間でたらい回しにされてはかないませんから、直接子桓様に裁決をいただきたく優先的に選ばせていただいております。これに関しては、仲達殿の同意も…」

「飽いた」

「えっ」

 突然の曹丕の言葉に、少女はきょとんと眼を見開く。

 今、何と言ったのだろう。自分の主は。

「飽いた、と言った。今日はもう政務はやらん」

「子桓様?」

「急ぐのならば仲達にやらせるがいい。奴はこの上なく優秀だからな」

 そう言って、曹丕はぷいと踵を返し、また敷き布の上にごろんと横になった。

 まるで気まぐれな猫のようである。

(…もう)

 少女は深く嘆息した。

 最近の曹丕は、いつもこうだ。

 大人しく政務をしていたかと思うと、ぷいと手を止めてしまう。

 その理由は大半が、『飽いた』だ。

「…仲達殿には回しませんよ」

「………」

「この案件は、子桓様に見ていただきたいんです」

 知っていただきたいんです。そう、少女は言う。

 この国の現状を。民の現状を。

 度重なる戦で疲弊した大地。住処を失った多くの人々。

 彼らを導くのが、いずれこの国の頂点に立つ、曹丕の役目だから。

「せっかく耕した地も、たった一度の川の氾濫で、山津波で、あっという間に無くなってしまいます。そうならないために、この国にはまだまだ、治水工事が必要なんです」

 そしてその治水工事を公共の事業として行えば、職を無くした人々の雇用にも繋がる。

 安定した職は安定した税収へと繋がり、この国を支えるだろう。

「それに、難民対策だって、」

 言葉を続ければ、曹丕の闇色の瞳がひたと、少女を見据えていた。

「…難民がしかとこの地に根付き、畑や田を耕せばそれだけ食料生産力の増加が見込めます。民と兵とを賄う食料生産の増加は、飢饉やそれに伴う略奪、治安の悪化を防ぎましょう。国にとって、最低限必要なものは、」

 少女もまた、絶望に満ちた闇色の瞳を見つめた。

 生きることに飽いてなお、いずれこの国を背負って立たなければならない男を。

「民が飢えることなく、不当な税に苦しめられることもなく、土地を追われることもない。そういう安定した生活、だと思うのです」

「………」

「だから子桓様に、見て、判断して、裁決していただきたいのです」

「…………」

 曹丕はしばらく黙って、少女を見つめていた。

 少女もまた、目を逸らすことなく曹丕を見つめた。

 やがて、曹丕がすっと、寝そべった態勢のまま片手を差し出す。

「……持ってこい」

「っ、はい!」

 珍しい。

 この男が、一度やる気をなくしたものにもう一度取りかかるとは。

 少女は喜び勇んで、残りの竹簡を手に曹丕の傍近くに寄った。

 多少行儀が悪くても良い。寝そべったままでも、案件に目を通し、裁決を下してくれるなら。

「…あっ」

 ぐいと、近寄ってきた少女の腕を曹丕が引く。

 はずみ、手に抱えていた竹簡が辺りにばらばらと散らばった。

「…お前の理想は甘い」

 腕を引かれ、間近に迫った曹丕の端正な顔。

 ほの昏い闇色の瞳が、少女を冷たく見据えている。

「お前が語るのはただの理想論だ。為政者が治水を行い、税を適正に管理し、難民へ土地を振り分ければ民が、国が豊かになると? そう簡単に事が運ぶなら、民も苦労はせん」

「…承知しております。ですが、」

 自分の理想が甘いのは分かっている。治水を行っても、旱魃が起こればどうしようもない。戦が長引けば農に携わる民が兵としてとられ、生産力は減少する。こちらがどんなに適正な税額を定めても、それに携わる役人が不正を働き、民を苦しめるかわからない。難民に振り分けた土地も、いつまた戦場になるか。

 まだまだ課題が多いのは、わかっている。


「ですがそれでも、やろうとしなければ、何も始まらないのです」


 失敗を恐れて、尻込みしても何も変わらない。

 やれることを、やらなければ。

 やろうと、しなければ。

「…………」

 ふっと、曹丕が少女の腕を掴む力を緩めた。

「子桓様…」

 その口元が、ふいに、笑んだような気がして。

 少女は自分を見つめ続ける曹丕の瞳から、目が離せなかった。



 絶望に囚われてしまった闇色の瞳。

 でも確かに、その奥底に。

 かつてと同じ、光が見えた気がして。

 だから私は貴方にどんな意地悪を言われても。

 お傍を離れることが、できないのです。



   

   背けたくても見入ってしまう。昏い闇の奥底で、仄かにひかるあの破片。





曹丕×少女の第二弾。

まあ曹丕が途中で「飽いた」と言いだしたのは、少女があんまり「仲達、仲達」って言うから…という。

ちなみに、政治に関しては本当素人考えで申し訳ないです。その辺は軽く流していただけるとありがたいです。

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