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本物の温度  作者: 幽鬼
『ナナシという存在』
10/14

過去編 ―― 小学二年生後期

ナナシが小学二年生だった頃。


ある日突然、

父から引越しを告げられた。


仕事の都合。


あと一週間。


あまりにも急だった。


ナナシは、

寂しかった。


もっと早く教えてほしかった。


ずっと迷っていたような空気を、

なんとなく感じ取っていたから。


だから、

待っていた。


でも、

本当に決まってしまった。


特に悲しかったのは、

みっちゃんと離れることだった。


ナナシにとって、

みっちゃんは特別だった。


友達。


親友。


あるいは、

幼い恋のような感情。


少なくとも、

「もっと一緒にいたい」

と思える相手だった。


だからナナシは決めた。


残された一週間。


みっちゃんと、

たくさん思い出を作ろう、と。



初めての一人登校


引越し準備で、

父も母も忙しくなった。


だから、

ナナシは初めて、

一人で学校へ向かうことになった。


しかし、

ナナシは、

少しわくわくしていた。


空が綺麗だった。


風が気持ちよかった。


広い青空。


頬へ触れる風。


その時間は、

全部ナナシだけのものだった。


その途中。


ナナシは、

あるサラリーマンと出会う。


男は、

酷く疲れ切った顔をしていた。


ナナシは、

理由も分からず、

その男へ声をかけた。


「おじさん!元気出して!」


「空、綺麗だよ!」


「大丈夫だよ!」


ナナシは、

ただ元気になってほしかった。


それだけだった。


すると、

男の顔から、

何か重いものが落ちたように、

表情が変わった。


爽やかな顔になった。


ナナシは、

「良いことをした」

と思った。


しかし、

この時すでに、

ナナシの能力は、

無意識に動き始めていた。



みっちゃんとの時間


学校へ着くと、

ナナシはいつものように、

みっちゃんへ声をかけた。


みっちゃんは、

引越しを知って驚いた。


そして、

悲しんだ。


だから二人は、

残りの時間を、

できるだけ一緒に過ごそうと決めた。


一緒に帰る。


たくさん話す。


思い出を作る。


子供らしい、

純粋な願いだった。


しかし、

ナナシはすでに、

気づいていた。


人は本音を隠している。


笑っていても、

本当に笑っているとは限らない。


優しくても、

その奥に別の感情がある。


みっちゃんもそうだった。


家族の話をしたがらない。


その奥にある感情を、

ナナシはなんとなく感じ取っていた。


だから、

深く触れないようにしていた。


それは、

ナナシなりの優しさだった。



自由帳


ある日、

ナナシは自由帳を見つける。


そして、

そこへ、

毎日何かを書き始めた。


楽しかったこと。


感じたこと。


思ったこと。


ナナシは、

世界を記録し始める。


しかし、

それは単なる日記ではなかった。


ナナシは、

「知ろう」

としていた。


人間を。


感情を。


本音を。


そして、

自分自身を。



次の日。


担任教師が学校へ来なかった。


自主的に辞めたらしい。


理由は、

「自分には子供の教育は向いていないから」


ナナシは、

嬉しかった。


みっちゃんと、

もっと話せると思ったから。


授業が減る。


自由時間が増える。


それは、

子供らしい純粋な喜びだった。


しかし、

次の日。


さらに変化が起きる。


みっちゃんの親友が、

転校した。


みっちゃんは泣いていた。


強く、

強く悲しんでいた。


そして、

ナナシとは話してくれなくなった。



初めての温もり


ナナシは、

理解できなかった。


何故。


どうして。


さっきまで、

楽しかったのに。


どうして、

こんなに変わるのか。


しかしその瞬間。


ナナシの中へ、

強い感情が流れ込んできた。


みっちゃんの感情。


悲しみ。


拒絶。


喪失。


「今は話したくない」


「なんで笑ってるの?」


「私は悲しいのに」


「一緒に悲しんでよ」


それが、

ナナシへ叩きつけられた。


そして、

ナナシは見てしまった。


言葉ではない本音を。


表層の奥側を。


深層を。


その瞬間。


ナナシは、

温もりを感じた。


初めてだった。


強烈だった。


理解してしまった。


これが、

「本物」

なのだと。



「もっと知りたい」


ナナシは、

欲しくなってしまった。


もっと。


もっと。


もっと知りたい。


もっと見たい。


もっと触れたい。


子供が、

欲しい玩具を見つけた時のように。


純粋に。


無邪気に。


だからナナシは、

知識を集め始めた。


人間を観察した。


感情を見た。


空気を感じた。


自由帳へ、

大量の文字を書き殴った。


どうすれば、

もっと強い本物が見られるのか。


どうすれば、

あの温もりへ近づけるのか。


ナナシは、

必死に考え始めた。



クラス崩壊


この頃、

ナナシの能力は、

無意識に暴走していた。


子供たちの表層が、

剥がれ始めていた。


本音が露出していた。


「あの子なんか嫌」


「一緒にいたくない」


「邪魔」


「うざい」


子供は、

察する能力が高い。


だからこそ、

建前も持っている。


しかし今、

そのヴェールが薄くなっていた。


結果。


クラスは崩れ始める。


給食の取り合い。


暴力。


剥き出しの感情。


子供たちは、

本音だけでぶつかり合い始めた。


しかし、

ナナシは、

それを遠くから見ていた。


そして、

気づいてしまう。


ただ壊すだけでは、

温もりは生まれない。


必要なのは、

落差。


希望。


日常。


安心。


そこから崩れ落ちる瞬間。


その時だけ、

本物は強く煌めく。


ナナシは、

それを理解した。



ナナシの始まり


事態は、

不自然なほど自然に収束した。


何故なら、

誰も「壊された」と思っていない。


本音をぶつけただけ。


ただそれだけ。


少なくとも、

子供たちはそう認識していた。


そして、

次の日。


ナナシは引越した。


自由帳には、

大量の殴り書きが残されていた。


反省。


分析。


観察。


知識。


そして最後に。


「次は、

どんな光が見れるんだろう」


その言葉だけが、

静かに残されていた。


この日。


ナナシは初めて、

本物へ触れた。


そして同時に。


ナナシという存在もまた、

ここから始まった。

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