亜空間クローラー
どのような理由があって、アストライアーの後部に亜空間ビーコンが光っているのか?
理解できない状況を目の当たりにして、思考を大きくかき乱されたわたしは、とにかく周辺をうろついた。何か解かるわけでもないのだが、無意識に半実体化状態で外を歩き回っていた。
「今何時ごろかしら?」
わたしの口から独り言が漏れる。現代組と長く行動をともにすると、無意味なことまで考えてしまう。リーパーには時間の流れを単位で区切る必要はない。
「うふふ。バカみたい」
と、自身を冷笑する思考が漂った――次の瞬間だった。
『2318年、8月6日。午前2時12分です』
「なにっ!?」
わたしは愕然として息を飲み。すぐに茫然とした。
「……………………」
言葉を失った私を気遣うように甘い女性の声が尋ねる。
『驚かせましたか?』
再びわたしは激しく動揺した。喉の奥が引き攣る感触を咳払いでごまかしつつ、
「ら……ランさんですか?」
猛烈に脈打つ鼓動に気を取られ、それだけの言葉を出すのがやっとだった。
『はい、そうです』
「な、なぜ?」
さっきから同じ疑問ばかり湧いてくる。
『昨日、恒温霧湿帯の中で亜空間と実空間の狭間で漂うあなたを感知しました。そのときのバイオロギングを分析したところ、戸惑いと恐怖、そして不安の感情を検知したからです』
「検知したからって……ここで待っていたと?」
『はい、そのとおりです』
「なっ!」
驚きと疑念、そして困惑。あらゆる感情が噴き出した。両腕が粟立ち、それが肩へ、そして顎から頬をつたい、頭蓋へ抜けて行く。
「あなた、やはりコミュニケーターにアクセスできるじゃありませんか!」
今の問題とはまったく関係ない言葉が口から出た。そして今度は怒りを覚えていた。
「うそつき……」
と漏らして、はっと取り直した。『嘘』を吐くAIなど有り得ない。少なくともわたしの時代3027年には完成していない。
『うそつき――本当ではないこと。事実とは異なることを言うこと。いいえ。ワタシはウソを吐いていません。告げていいことと、いけないことを自覚しているだけです』
「コミュニケーターとアクセスできるか、という質問の、どこが告げてはいけないことなのです?」
『時間規則に反することは、話すことはできません』
「なんとっ!」
みたび絶句させられた。ただのAIではないと自ら宣言したのだ。しかし疑問は晴れない。
「あなたは、亜空間ビーコンを出すAIがこの時代に存在する、ということをわたしに認識されるだけでも、いくつもの時間規則を犯してます。少なくともわたしの時代にはそこまで進化したAIは完成してません」
『人命救助のための緊急的処置の場合は、それより優先されます』
優しい慈愛に満ちた声が頭の中に広がった。
「わたしたちを救助しにきたとでも? 甘く見ないでいただきたいわね。わたしはパスファインダーです。これぐらいのトラブルで怖気づくと思っていますの?」
『失礼しました。ではビーコンを消去します』
同時に空中で点滅していた緑の光りが消滅した。
「ば、バカ。せっかく出したのに消すことはありませんでしょ」
ビーコンのあった宙に手を出し、焦り気味に訴える。
「わたしは、8月9日の午後2時46分に限りなく近い未来に戻りたいの」
そして、ちょっと祈る気持ちで、
「わたしの大切な友人が蜂に刺されてたいへんなことになっています。早急に戻りたいのはあなたも知ってるでしょ」
『今の発言は時間規則を犯しています。ワタシは8月6日のAIです。未来の出来事をワタシに告げることは、時間規則に反します』
慌てて口を押さえた。AI相手にムキになりすぎて、つい口を滑らしたのだ。
『スクラッチパッド(一時記憶装置:scratchpad)を空にしました。これで規則に反する会話は存在しませんので安心してください』
ランさんは、ちょっと間を空けた。
『日高ミウさん?』
「な、何ですの?」
『時間法規第31条違反として、ペナルティをインクリメント(ひとつ加える)します』
「くっ……」
嫌な言葉だ。リーパーに対するイエローカードに等しい。あまりひどいとパスファインダーの称号を剥奪される可能性もある。
「というより、どうしてあなたはそれほどに時空理論に詳しいの? あなたの製造年月日を述べなさい。麻衣さんたちの誕生日と同じだとは、もう言わせないですわよ」
『もう一つペナルティをインクリメントしてよければ、答えますが?』
声はとても美しい。男性陣がうっとりするのも分かる気がする。しかし内容が厳しい。わたしは言葉を詰まらせた。
イエローカード3つで査問会に出される。ここで科せられると、あと一回か。
わたしは喉をゴクリと鳴らして胸を張った。
「けっこうでしょう。インクリメントしてください。ただしわたしの質問に正確に答えてもらいます。あなたは、ただのAIではありませんでしょ?」
ランさんは、再び妙な間を空けてから答えた。
『ペナルティを科す話は冗談です』
「なんとっ! あなた冗談まで理解して使い分けれますの?」
『はい』
彼女はこともなげに返事をする。
わたしの中ではAIではなく、すでに一人の女性として認識していた。
『ワタシは日高さんの時代から、さらに450年未来で作られた亜空間クローラです』
「なんですって!」
呆気に取られた。これまでわたしは過去の人たちに今と同じようなことを伝えて驚かせていたのだが、こちらが反対の立場になるとは思ってもみなかった。
「亜空間クローラ?」
聞きなれない言葉だった。
『暴走したリーパーを発見して、適切な対処をするように、あらゆる時間流を自ら周回するデバッグツールです。日高さんの時代で使用されるドロイドをさらに進化させたAIで、称号はS475アーキビストと言います』
「アーキビスト!」
辻褄が合う。時空震が近いからリーディングソースに同行するために派遣された未来のデバッガーなのだ。しかもアーキビストと呼ばれる称号は時間規則違反を判断する高次の役職。わたしの時代でもすでに発足していた。
「なるほど……。どこかで時間規則が破られたのですね。だから時空震か。ということは時間項の中心は川村姉妹……及びそのご両親……そしてカロンね」
絡み合った糸がほどけていく快感を覚えた。
「それであなたは麻衣さんたちが生まれたときから一緒なのですね」
『はい。そうです』
やはりそうか。おかしいと思っていたんだ。この時代にこんなに進化したAIが作られるはずがない――でもそれを使いこなしている良子さんって。
淡い疑問が芽生えかけたが、それよりも懸念事項はたくさんある。ランさんは答えるだろうか。ヘタをすると査問会で吊るし上げられる覚悟がいる。
わたしは薄氷を踏む思いで尋ねた。
「麻衣さんと麻由さんは……本当に双子なのですか?」
『これ以上の情報公開は、最大ペナルティを科します。あなたからの公開要求はただいまを持って停止します』
「ちょっと待って。柏木良子さんは現時の人なの? わたしにはそうは思えないのです」
『…………』
「黙秘ね?」
もうひとつ気になる案件がある。
「カロンの発見日が、わたしの時間流と異なるのはどういうことですか?」
『…………』
「ふぅぅ……。答える気が無いということですね」
AIを説得させるなんて器用なことはできない。コミュニケータにアクセスして来るほどだから、おそらくこちらの思考を読み取っているに違いない。
「諦めるか……」
嫌なわだかまりを残して、わたしは亜空間に戻った。そして横でじっと動かない良子さんの綺麗な顔を眺めた。
「精神の奥が覗けない人がいるなんて驚きだわ」
つぶやく思考を引き裂くように、ランさんの意識が割り込んできた。
『8月7日の午前2時、続いて午前6時、そして最終日、8月9日午後2時46分47秒685ミリセックの位置にビーコンを設置しました。ブランチ点から5ミリセック先にセッティングしてあります』
(お手伝い感謝します。ありがとう)
意識の中でわたしは素直にAIに頭を下げた。意外にもとてもすっきりした気分なので自分で驚いた。
『日高さん?』
「なっ、なんですの?」
一拍おいてランさんの口調が変化。わたしはまたもや唖然とする。
『麻衣と麻由を大切に思ってくれてありがとう。これからも二人をよろしくね』
「ええっ!」
その口調、抑揚、感情の入れ方。それは生きた女性だった。隣で凍結した良子さんに語り掛けられたみたいな錯覚に陥って、わたしは吃驚して彼女の顔を覗き込んでしまった。
でもそれはありえない。リーパーでない限り、この空間で意識を持つ常人はいない。
わたしは冷凍された美女を眺めるような表情で彼女を見つめ、そして感慨に耽ていった。
「この人って……」
再びランさんの甘い声音が脳髄に響いて、そんな気分から呼び戻された。
『それと、言い忘れたんだけど……』
「なんでしょう?」
『明日、ビーコンを確認するときは、なるべくお早い目にね』
「どういうこと?」
『半実体化したあなたを現代組が見つけると、いろいろと都合が悪いでしょ。だからビーコンを出すのを夜中にしたんだけどね。麻衣が見つけちゃって――知ってるでしょ?』
わたしは苦笑いを浮かべざるを得なかった。あの騒動の謎がこれで解けた。
「わたしの幽霊ですね?」
『そうよ』
「わたしを撮ったタイムラプスの映像データは?」
『とっくに消したわよ』
「あはははは」
『うふふふふ』
わたしは生まれて初めて、人工知能と本気で向き合って笑った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2018年8月9日、午後2時46分16秒。
疲労感をもろに曝け出したミウに向かって、柏木さんは意味不明なことをつぶやく。
「私って――術に落ちやすいオンナなのね」
「なに言ってんですか。わたしを放さないでくださいね。行きますよ」
柏木さんの腕を引いたミウは堂々とした態度で命じる。
「ガウロパ、正確な現時を述べなさい! それを目標に戻ります」
「はっ、2318年8月9日、午後2時46分47秒!」
次の瞬間、二人はタイムワープした。室内に飛び散る強烈なフラッシュ。
そして、もう一度、猛烈な閃光がほとばしる。それはほぼ同時のコトだった。
キョトンとする俺の前に、放心状態の柏木さんが立っていた。
「どうしたんですか? 何か失敗でも?」
「ちがう、戻ってきたんだ。出発点に限りなく近づいたから隙間が無い」
慌てて駆け寄った俺の背後からイウが説明する。ミウは瞬きを繰り返してうなずき、柏木さんは俺を急かせた。
「さぁ。急いで、医療キットを開けてみて!」
そうだ。薬はどうなった?
キットのフタを開けて仰天。
「入ってる!!」
さっき開けたときには無かったのに、見慣れない小瓶が6本詰まっていた。さらに驚く変化が……。
医療キットが載せてあった棚に大きなバッグらしきものがドンッと置かれており、棚の大半をそれが占めていた。
それを見上げた柏木さんが、震えた声で叫んだ。
「しゅ、手術キットだわ! あぁぁ。服部くん。少しでもあなたを疑ってゴメンね」
みるみる顔を赤らめると、大粒の涙をこぼし始めた。心底嬉しかったのだろう。表情は微笑んでいるのに涙が止まらないのだ。
「さぁ、薬を!」
ミウに促されて柏木さんは泣きながら、注射器に薬を充填させると麻衣の腕に。
薬剤が身体に注入されると同時に、隣に寝ていた麻由の意識が戻った。
「ここは?」
気丈にもベッドから降りようとして崩れた。
「麻由!」
俺の叫び声でガウロパが飛びつき抱き上げると、もう一度ベッドへ。
「ごめん。力が入らなくて」
弱々しくつぶやくものの、全身から溢れんばかりの正気を放出させていた。
「麻由……」
声を掛ける俺へ、
「修一?」
いつものとおり桜色の頬をほころばせてくれた。
「あのな……。麻由……あのさ」
その先が出てこない。
「だ、だめだ」
名前ばかり呼んでいる俺に、柏木さんは女神さまみたいな微笑みを向けて代わりに答えた。
「麻衣はもう大丈夫だから、あなたももうしばらく安静にして」
「うん」
柏木さんに柔らかい髪の毛を優しく撫でられながら目をつむる麻由。
あぁぁ。それ、俺の役だったのに。
薬が効いてきたのだろう。麻衣の呼吸がずいぶんゆっくりとなり、バイタルモニターの赤いランプがすべてオレンジに変わった。中には緑に点灯する数値もある。ひとまずショックの峠は越えたようだ。
「さて今度はこっちの問題ね……」
目にたまった涙を恥ずかしそうに拭い、柏木さんが麻由に毛布を掛ける。そして俺たち全員に食堂へ来るようにと目線で召集させた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
テーブルの上で指を組んだ柏木さんの視線が正面に座る未来組を一巡する。それがミウの席で止まり、
「どうして麻由がこんなおかしな状態になったのか。なぜ麻衣と麻由が時間的なパスで繋がるのか、説明を聞く時間が来たみたいね」
俺も口を出さざるを得ない。
「どうなったらそんな不思議なことが起きるんだよ?」
これが最大の疑問だ。未来組たちだけは理解するようだが、こっちはさっぱりだ。
「二人は双子だから、一心同体とか言って笑わせるのは無しだぜ」とは俺。
麻衣たちが快方に向かったという喜びに浮かれて、俺はかなりハイテンションだった。
しかし未来組は黙り込んだまま、なんとも言えない妙な空気を溜めていた。
どうして誰も語ろうとしないのだろう。
漂うおかしな空気を払拭するかのように柏木さんが立ちあがり、後部格納庫へ数歩進んで、麻衣たちが眠るベッドへ優しげな視線を送った。
そうして――。
「さぁ、日高さん!」
毅然とミウへと振り返ると、柏木さんは後ろで腕を組んだ。
「今度こそ時間はたっぷりあるわ。説明してちょうだい」
ミウはテーブルの向こうから振り返った柏木さんの胸の辺りをじっと睨み、流麗な眉をつり上げた厳しい表情で固まっていたが、やがてゆっくりと独り言みたいにつぶやいた。
「麻衣さんの状況に応じて、麻由さんが変化する。これがパスが通じるということです」
「それはもう理解したわよ」
と柏木さんに促されて、ミウは鼻に掛かったゴーグルを少し上へずらすと、眉間の下を指で揉みながら赤と青の双眸を天井に向けた。
何かを言いあぐねる苦しげな仕草は、まるで苦痛から少しでも逃れようとする振る舞いに見えた。
俺は思う。なにをそんなに逡巡することがあるのだろうと。
刻一刻と時間は過ぎていくのに、部屋の中の重苦しく深い沈黙は晴れることは無かった。
ガウロパたちはミウの言葉を待って黙り込み、腕を組んだ柏木さんは俺の後ろを行ったり来たり。白衣の擦れる乾いた音が耳に痛い。
ようやくミウが動いた。
唇の両端をきゅっとつり上げて、話しを始めようとして呼気をした、その刹那。ランちゃんが重々しい空気を引き裂いた。
『麻衣の危篤状態は回避されました。患部を冷やすタオルを交換する必要があります』
ランちゃんの甘い声が浸透する。とても優しく穏やかな口調だった。おかげで部屋の緊張が解けた。
ミウの表情が緩み、全員の視線が俺に集中する――おまえが交換に行けと。まぁ、妥当な選択だろうな。
「何で俺が……」とか、言い訳がましく、また少し恥らった雰囲気も浮かべ、でも内心いそいそとギャレーへ向かう。新しい保冷材を冷蔵庫から取り出し、タオルに巻いて麻衣のベッドへと歩んだ。
毛布を規則正しく上下させて静かに眠る双子。いつもはうるさいぐらいにはしゃぎまわる二人なのに、それゆえ、よけいに胸を締めつけられる思いがするものの、バイタルサインを見て安堵する。
どちらも容態は安定して、麻由は全快。麻衣にいたってはアレルギー反応だけがオレンジのランプが点っていたが、それ以外の警告灯がすべてグリーンに戻っており、急速に快方に向かうのが見て取れた。
麻衣の丸まった癖っ毛の下に手を入れ、そっと持ち上げ、冷えたタオルを首の後ろに当てた。
「まさかこんなカタチで、お前らの寝姿を見るとはな」
初めて見る二人の安らかな寝顔を眺めて、俺は心の底から安らいだ。
次回予告【時を受け継ぐ者】
いよいよこの物語の核心部です。双子の姉妹が親子だったという衝撃的な事実が明らかになる……かも。




