第二十一話 見えぬ先
静まり返った空間が此処にはある。
時間の概念が無くなったように、あるいは時間の概念が死んだかのように。何年もそのままの形を保ったまま停止している建物は、今もまだ全く崩れる気配を見せない。
泥に塗れた壁。汚物にたかる無数のコバエ。呻き声が何処からか聞こえ、雑草以外は割れたコンクリートが地面を覆っている。遠目には瘦せ衰えた犬の姿が見えて、その目は傍目にも正気を保っているようには見えない。
破壊された家屋の一部には襤褸の布を纏った子供が居た。痩せ過ぎた身体はとてもではないが栄養が巡っているようには見えず、あまり動いている気配を見せない事からも餓死寸前なのだろう。
残りの時間は如何程か。それは子供には解らないが、決して長くないのは周囲の環境を思えば確かだ。
「――――――」
音の無い空間に、初めて足音が鳴った。
規則正しい連続した音は途切れる気配を見せず、吐き出す息が呼吸をしているのだと教えている。
茶色のトレンチコート。つばの付いた同色の帽子。手には何も持たず、固く黒い革靴は頑丈さを追求したかの如くデザイン性が皆無であった。
知らぬ者からすればその姿は一昔前のホームズめいている。本人はそれを狙ってのものではないが、結果的に好みの服を着た結果としてそうなった。
少なくなっている白髪混じりの黒髪には辛うじて艶がある。頬も痩せている様子は無く、この男がこの環境に相応しくないことを示していた。
その瞳は何も見ていないのか、僅かに揺れている。顔面を僅かに蒼く染めながらの歩行と合わせれば焦りか恐怖に支配されているかのようだ。
「……居るのだろう」
「――バレてーら」
暫く歩き続け、探偵じみた格好の男――中田・譲二が呟く。
直後に彼の背後にある横道から軽い口調の男が現れた。黒髪の一部が黄色のメッシュになっているライダースーツを着た二十代前半程度の男は、弧を描いた笑みで中田に近付く。
振り返った中田はそんな男の顔に嫌悪を含めた眼差しを送るも、向けられた本人はまるで気にした様子が無い。
そんな目を向けられるのに慣れているからなのだろう。あるいは嫌悪を向けられるように狙っているのか。
何処までも軽いという印象を抱かせる若い男は何でもないように隣に並び、共に歩き始めた。その様に中田は眉を顰めるも、何を言わずに歩を進める。
元からこの場所に居た者達はそんな二人を遠巻きに見つめるだけ。一部は殺して奪えないかと飢えた眼差しを向けていて、お世辞にも秘密裏に話をする場所ではない。
「で、どんな感じだったんすか」
「どうもこうもない」
軽く投げられた質問に、中田は先程までの出来事を思い出して怒りを帯びた声を漏らす。
目標の発見は確かに簡単だった。そもそも完全な安全圏内とされる場所でヘリを複数動員しての戦闘など目立って当然だ。追跡も目の前の協力者から与えられた情報のお蔭でデウスの感知圏外より行う事が出来、この街に入ってからはデウスの容姿によってこれまた簡単に目標を発見出来ていた。
相手は素人を連れている。その理由は定かではないものの、しかし中田達にとっては都合の良い話だ。
それだけ足を引っ張るし、人間である時点でデウスの強行軍を行う事は出来ない。何処かで休憩を挟まなければならない時点で追跡をしている側は比較的容易に仕事を終わらせることが出来た。
問題なのは相手の話の取り合わなさだ。
多少の怪しさは含んでいるものの、今の時代どんな場所でも金は必要となる。特にデウスを維持しようとするならば並の給料ではまるで足りない。
デウスを維持する為ならば多少の怪しさを含んだとしても受ける必要性はある筈だ。
少なくとも相手側はそれを理解していて、けれども結果的には拒絶される結果になった。食い下がろうにも男はまるで取り合わず、ならばと当初の目的であったデウスに交渉を仕掛けたのはおかしなことではないだろう。
デウスにも感情がある。自身の存続が危うくなる出来事を看過は出来ないだろうし、先の交渉そのものは真に互いにとってメリットのあるものだ。
デウスの戦力は既存の如何なる装備を凌駕し、いざという場面での最終防衛ラインに用意する事も出来る。
中田が支配するpeaceの格も上昇するのは間違いない。当然その間に軍からの介入は発生するだろうが、彼にとってすれば今の軍を誤魔化す事は簡単だ。
「ふぅ……あのデウスは何だ」
「と、言うと?」
「惚けるな。解っていて私にぶつけたのだろう。アレは最早壊れている」
断じる言葉には確信があった。
中田の言葉に協力者はへぇと感心し、無言で先を促した。答え合わせというよりかは、そこには確認の意味が多分にある。協力者のその態度に内心で腹立たしさを感じつつも、思い出すのはあの殺意だ。
人類の守護者。そう設定され、そう造られ、実際にその通りに活動しているのがデウスである。
如何なる命令に関しても遂行する為に尽力する様は中田から見れば奴隷も同然であり、実際軍内部でもデウスの評価は概ね奴隷に近いものであるのは間違いない。
どれだけの権力があろうとも、人間にはそれを承認する権限がある。故にそれを認めなければデウスの権限は無いも同然。残るは命令に忠実な奴隷としての側面のみが残される。
そこには人間の闇も当たり前の如く存在し、所謂夜の関係になっているデウスも多い。
だからこそ、中田は彩というデウスを見て壊れていると評した。
あれには他のデウスには無い自由意志が認められている。そして件のデウスはその自由意志によって男に付き従っていた。他では絶対に見れない愛を理解し、信頼を理解した眼差しで中田を睨んでいた。
いや、この言葉は正しくはないだろう。中田が最後の彼女を見て認識したのは愛や信頼といったものではない。
あれは狂気だ、あれは狂信だ。何があっても男を裏切らず、敵対する者を軒並み殲滅するデウスとは対極の位置に存在する者である。
もしも中田があのまま食い下がり続けていればどうなっていただろうか。
確実に武器は出されていた。あの場で護衛が一人も居なかった訳ではないものの、しかし護衛が撃つ前に彼女の攻撃で射殺されていただろう。
そこに戸惑いは無い。彼女の無機質だと思っていた目を見ただけで解ったのだ。
彼女はあの男の為ならば何を犠牲にしてでも守り抜くと。そこには当然彼女自身の犠牲も含まれていて、故にデウスのメンテ云々に関しても本人はまるで気にしないのだ。
男が必要だと言えば彼女はそうするだけ。もしも虐殺しろと男が命じれば彼女は迷わずそうするに違いない。
そうなれば彼女は最早ワームホールから出現する怪物と同じだ。慈悲も容赦も無く踏み潰す一体の破壊者として猛威を振るうに違いないだろう。
間違いなく彼女を引き入れるのは悪手だ。もしもそうするとして、男の説得は確実だろう。
そして中田はそれをするつもりはない。手に入らないというのならば、最早男達に構う理由は無いのだから。
「ビビってんですかい?アンタが」
「君も一度アレに会ってくれば良いさ。二度と手を出したくはなくなるだろう」
「いやですよ。それが解っていてこうしてるんすから――それよりも、気付いたっすか?」
「あの双子だろう?」
彩を入手するのは不可能だ。例え出来たとしても、その過程で甚大な被害が発生する。
被害総額で言えば恐らくは最大クラスにまで至る筈だ。それを考えるに、やはり手を出すべきではない。
しかし同時に、彼女でなければどうだろうか。他にデウスが居たとして、それがまだ壊れていないのであれば是非とも入手したい。
中田達が目を付けたのは男達の傍に居た双子だ。明らかに人の範囲を逸脱した美しさを持ち、幼いながらも異様なまでの理知さでもって沈黙を貫いていた。
彼女達がサイキッカーである線が無いではないが、確率としては余りにも低い。デウスであると考えるのが普通であり、それはほぼ間違いではないだろう。
「あのデウスを調べたんすけど、どうにも合致する情報が無いみたいなんすよね。だから多分、違法施設で製造された可能性が高いと思うんすよ」
「デウスの製造?あそこ以外に出来るのか?」
「出来ないなんてことは何事も無いっすよ。人から生まれたなら、同じく人が造る事も出来るってなもんです。実際軍も隠れてかなり良いラインまでいってるみたいっすからね」
若い男は躍るように歩き、言葉を紡ぐ。
胡散臭さの残る笑みはそのままに。しかし中田はその言葉が真実であると、これまでの協力者の発言により確信していた。
であれば、狙う価値はある。peace単体では不可能ではあれど――軍を巻き込めば不可能ではない。
脳裏を巡る複数の案。それぞれのメリットデメリットを計算しつつ、後の利益を考えて中田も裂けるような笑みを浮かべる。
PMCの存続はこれからも続く。戦いが存在する限り、護衛する必要がある限り、仕事が無くなることは無い。
故にこそ、後の時代で覇者となるにはデウスが必要だ。軍が無くなってしまっても生き残る為にも、それは絶対に成し遂げられなければならない。
しかし、と中田は少しばかりの寂しさが混ざった吐息を零す。
「地図を書き直す必要が出てくるな……」
「ま、お手伝いしますよ」
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