第二十話 人類
今までの和やかな気配が俺達の間からは消えた。
それまで心配気な眼差しを向けていた彩も眦をつり上げ、子供達は早々に彩の隣に移動する。
座っていた椅子から立ち上がった俺達に、声を掛けた相手は笑顔を浮かべたまま歩み寄った。そこに警戒感らしきものは一見すると無く、故に此方にとって相手が何をするのかまったく予想出来ない。
「どなたでしょうか」
「おっとこれは失礼致しました。私中田・譲二と申します。あ、これ名刺です」
茶色のトレンチコートに同色の帽子。片手には名刺入れを持ち、もう片方の手は此方に向かって一枚の名刺を差し出している。困惑しながらそれを受け取って取り敢えず読めば、そこに書かれた内容に間違いなく目玉が飛び出しかけた。
――株式会社peace代表取締役社長・中田譲二。
内心の警戒感は限界にまで駆け上がった。背筋に氷柱を差し込まれた感覚を抱き、何だこれはと声に出さずに胸の内で絶叫を上げた。その異常な俺の姿に彩の警戒感も一気に上がったのか、こんな場所でありながらも武装を展開する気配を見せ始めていた。
咄嗟に手を挙げて静止をさせたが、そうでなければ今頃此処は大騒ぎになっていただろう。
にも関わらず、相手はにこやかなままだ。まるでそんな反応を見せるのを想像していたと言わんばかりの態度を保ち続けている。
舌打ちをしたい気持ちだ。どうしてこんなピンポイントのタイミングで変な所から干渉が来るというのか。
peaceと言えば有名な民間軍事会社(PMC)だ。軍部に信用を置いていない有識者の護衛を主にし、海外とも独自のルートを構築しているという噂のある会社である。
よくよく軍関係の掲示板にも利用者が出没するのだが、兵の質は今現在の軍と同等。その上装備も潤沢であり、怪物と直に戦い勝利した者も居るという話だ。勿論撃破にまでは至らずに撤退しただけだったが、それでも人間では絶対に撃破不可能の相手から逃げられたのは奇跡である。
その際の装備も決して状態が良かった訳では無いらしく、故にpeaceの評判は極めて高い。
「……一体どのようなご用件でしょうか。できれば手短にお願いします」
「勿論、此方としても何事も手早く進むのは大変よろしいことです。では、単刀直入に」
予想外中の予想外である。警戒するのも当たり前だし、場合によっては軍よりも質の悪い組織に目を付けられたとも言えるだろう。
何せ軍であれば彩がある程度今後の予定を考えられる。元々そちらに所属していた彼女だからこそ先の施設でもない限り相手はこう動くだろうと考えられたのだ。
しかしPMCにはそれが無い。明確に敵対もしていなければ接触して友好になった覚えもないし、俺の周りにその手の知り合いも居なかった。しかも相手側は完全に依頼によって動く組織だ。
もしも軍の誰かが探してくれと依頼されれば、そちらに関する予測はまったくもって不可能となる。
出来る事なら関わらないのが最善。それが目の前の存在だ。
そんな相手が出す要求が一体どんな内容であるかはまるで予想出来る筈も無い。要求次第によっては相手側に襲撃される事も考えるべきだろう。そうなれば、彩に止めさせた戦闘状態を再会させる必要も出る。
「私共の会社に雇われませんでしょうか」
「は?」
単刀直入の名の通り、壮年の男が発した言葉は短いものだった。
しかしそこに込められた言葉は些かに理解がし難いもので、思わず疑問の声を出してしまう。
直ぐに思考を回転させて考えるも、やはり疑問だ。目の前の男で戦った記憶は無いし、そもそも戦えるのは俺以外の者達だ。声を掛けるならば俺でなく彩の方だろう。
にも関わらず何故俺に声を掛けたのか。まさかデウスだと見抜いての発言であればこの男は要警戒対象だ。
「はっはっはっは、疑問に思われるのも当然でございますな。なに、貴方達は今有名なのですよ。特にそちらのお嬢さんはね」
――確信した、この男は知っている。
「おっと、その顔は何処で知ったのかというものですな?いけませんぞ、他人に簡単に真意を覚られるのはよろしくない。今後活動していくのであればポーカーフェイスは必須と思いなされ」
「黙れ。アンタ、何で俺達を知っている」
「簡単な話ですよ。あの廃墟群の中には我々にとって都合の良い物件があった。ならばそれを守る為に人員を配置しておくのも当然でしょう?見知らぬ誰かに取られたくはないですからな」
呆気なく答えたその言葉の内容はつまり、廃墟での軍との戦いの事を語っていた。
確かに、隠れ潜む為に廃墟を使うのは鉄板だ。俺だって一番最初に考えたのだから、他がしない訳が無い。
加えて俺が住んでいた場所で仕事をしようとすれば、金の掛からないあの地点は余程都合が良かったのだろう。俺が居た学校の廃墟とて生活するのにも十分耐えられる損壊具合だったのだから、武器庫として活用してもおかしくはない。
故にpeaceに所属していた誰かが俺達を見て、そして社長に連絡を入れた。
戦闘力に関しては俺を除いて申し分無し。頭脳部分もpeaceの参謀担当が居れば明確に困ることも少ない。
何よりもデウスだ。軍以外での戦闘行動は不可能である彼等を戦闘で、かつ民間で使えるのならば他のPMC達を置いてきぼりにすることも不可能じゃない。
「途中で追えなくなりましたが、此処で補給をするだろうという予測はしておりました。何せ他に適した街はございませんでしたので」
「加えて言うなら、目立つから街中の監視も簡単だった……」
「その通りでございます」
苛立ちが募る思いだ。まるで誘導されたかのようにも感じ、目前の男を怒鳴りたくなってしまう。
しかしそれでは相手の思う壺。激高させて言質を取られるような真似をすれば、どんな不当な契約を結ばされるのか解ったものではない。何よりも、男は今現在一人というのも警戒感をより引き上げていた。
迷彩技術があるかどうかはさておき、もしも存在すれば傍で透明になっている可能性も十分にある。
殴りかかって逆に殴られるのは御免だ。それに、俺が一度でも戦闘の意志を見せた瞬間に真横の彩は食らいつく。
そうなればワシズとシミズも何かしら行動を起こす。それが何なのかは俺にはまるで解らない。
「怪しいというのが正直な感想だ。此方は突然の事であるしな」
「それは当然でございましょうな。では、如何にして証明してさしあげましょうか?」
「いいや、証明はしなくて良い。俺達はこのまま街から出るつもりだしな。そちらに所属する意思は無い」
「なんと」
俺達の不穏な気配を察してか、周りには誰も近寄らない。
そして中田の驚きの声は明らかに棒読みだった。こうなる事を想定しているのは当然だろう。
洗濯機はまだまだ回し始めたばかり。直ぐに立ち去れないのが悔しいものだ。もしかすればそれすら考えてのこのタイミングでの接触かもしれないが、そこまで思考を巡らせても仕様がない。
兎に角、目の前の男の言葉には否定でもって立ち向かうべきだ。現状における信用度は零であり、何よりも態々知る必要性も薄い。
この男によって生活が潤ったとしても、その裏を察すれば関わるべきではないのは確定だ。
故に断る。そして俺の言葉の後に、中田は顎に手を添えてふむと唸った。
「一回だけチャンスを頂けはしませんか?間違いなく其方が満足いく質をご用意致しましょう。加えて安全な家と一生安泰の給料を差し上げるご予定もありますが」
「チャンスは無い。それにそんなもので釣られる訳が無いだろう。上手い話には何とやらだ」
「成程、これは手厳しい」
更に中田は唸る。既に結果は出ているというのに、この男は無駄に足掻いている。
俺が首を縦に振らない限り、彼女達も首を縦には振らない。悲しいかな、最終決定権は未だに俺が保持している。
それを彩が求める事は無いだろう。あらゆる全てに、彼女は絶対に俺に許可を求める。
だからこそ、目の前の男が彩に顔を向けても何も思いはしなかった。例えどれだけ魅力的な報酬が並んでいたとしても、彼女は絶対に頷かない。
「どうでしょうデウス殿。貴方のご主人はどうやら少々誤解をなされているらしいのですが、どうにか説得してはいただけませんか?……貴方とて、今の状況を良しとは思っていない筈です」
「話す口は持ち合わせておりません」
「いいえ、貴方は意見を述べる権利を有しています。それに今後弾薬もメンテナンス部品も、あらゆるデウスのパーツをどうやって集めるというのです。個人で全てを達成するのは明らかに困難だ」
中田の言葉に間違いはない。
今此処で全てを断ったとして、それで困る事になるのもまた事実。特にデウスに関連するパーツ群は絶対に不足するだろうし、その結果として彼女が負ける可能性も否めない。
俺が此処で断り続けているのは怪しい相手であるからというのと、単純に俺を見ていない事に対する苛立ちだ。
中田が欲しいのは結局デウスだけだ。俺は欲しい訳では無く、俺が言えば言う事を聞くから此方に交渉してきているだけに過ぎない。
意見を述べる権利を有している。それは確かにその通りだが、そこに込められた真意は別だ。
即ち、お前が頷くのであればこの男は不要である。
彩もそこに行きついているからこそ、普段の優しさはまるで無かった。何処までも極寒を纏い、恐らく視線一つだけで他者を圧倒しているに違いない。
彼女は味方に対してはかなり甘いが、敵に対しては極端に冷淡だ。容赦の無さに関しては一級品である。
「確かに困難でしょう。これから先何回襲われるかも定かではありません。貴方様の言葉に乗った方が良いとも思えます」
「そうでしょうとも。いくら精強なデウスと謂えども単体では限界があります。しかし微力であれども此方がサポートしてあげれば、貴方様は常に全力でもって戦う事が出来る」
「ええ、理解出来ますよ。全て」
目の前の会話は全て文章にしたら上手く動いているように見える。
しかし現場に立ってみれば解るのだ。どんどんと低下していく体感温度に、濃密になっていく殺意。
今にも武器が出現しそうな場所で、されども二人の間に武器は無い。ここまで殺意を全面に押し出した彩は珍しく、故にそれこそが彼女の本音であると理解させられた。
止める必要がある。このまま会話をさせ続ける訳にはいかない。どうしてそう思ってしまうのかは定かではなくとも、本能じみた部分が悲鳴を上げていた。
「――ですが、御断りさせていただきます」
笑った気がした。
彼女の姿が見えないにも関わらず、彼女が笑ったように俺は感じた。そしてその笑みに、中田は浮かべていた愛想笑いを引き攣らせるのを今度は瞳が捉えた。
ここまでだ。これ以上は何故か解らなくとも耐えられない。
片手を挙げて全体に注目を集め、俺は中田と目を合わせて睨む。それだけでもう決着はついたも同然だった。
「話は終わりだ。お引き取り願う」
二度目の消えろ宣言は、今度は中田に届いた。
震えた片手で帽子のつばを掴みながら頭を下げ、その場を去っていく。辺りの注目は当然多いままで、場もかなり重苦しいままとなってしまった。
もうこの街には二度と寄れないだろう。もしも寄れたとしても買い物はより迅速に済ませなければならない。
横に居るワシズとシミズに顔を向ければ、二人は身を寄せ合って震えていた。明らかに俺達に対して恐怖を含んだ眼差しを向けていて、そして彩も完全に怒気を収めてはいなかった。
この場を元に戻すのは俺の仕事。直ぐにそれを認識して、溜息を一つ。新たな厄介事の種に俺の不安が追加された。
よろしければ評価お願い致します。




