下総千葉郡千葉妙見社・頼義、呪いを受けるの事
頼義たち一行は千葉郡に入り、地元の人間の案内を頼りにここ「千葉妙見社」まで辿り着いた。ここに至るまで障害というような障害も無かった割に思いの外到着に時間がかかったのは、まだこの神社が創建されたばかりで、近隣の者以外にはまだほとんどその存在を知られていなかったのが原因だった。
なるほど見てみればその鳥居も本殿も新品の木材の香りすら漂うほどに真新しく、まだ汚れも傷も付いていないまっさらな姿を誇るようにそびえていた。といっても香取や鹿島の大社のような威容を誇るわけでもなく、こじんまりとした鳥居とお宮が立っているだけである。穂多流の相棒である鳶の「残雪」がさっそくその真新しい鳥居に飛び付き、頼義たちを迎え入れるようにこちらを見下ろしている。
「さて、着くには着いたが、小次郎……いや『良門』のヤロウは本当にここにいやがるのか?あれから俺たちを追い抜いて先回りしたようには思えねえが……」
金平は警戒を怠らないように周囲をキョロキョロと見回す。その答えはすぐに現れた。妙見宮の本殿の観音開きの扉が音を立てて開き、中から千葉小次郎が二人して現れた。
「おう、何処のたわけが吠えているのかと思えばこれはこれは。随分とお早いご到着よのう、貴様らがノコノコと性懲りも無くまた利根川を渡ってくると申すから『俺』が一人歓迎の挨拶に向かったと思うが、会わなかったかな?」
千葉小次郎の一人が冷ややかな目で頼義達を見下ろしながら言う。どうやらこの「小次郎」は先だって「多古」の屋敷で酒を酌み交わした千葉小次郎とは別の分身であるようだ。と、いうことはあの時の小次郎もまた我々の背後から迫ってきていると言うことか。金平は自分たちが挟み撃ちの形になっているのに平静でいる頼義の豪胆さに半ば苦笑いの表情になる。
「ところで貴様、いま聞き捨てならん事を申したな?俺が『誰』だと?」
もう一人の方の小次郎が同じく冷ややかに問いただす。金平はめいいっぱい大口を開けて笑い顔を見せた。
「今さらとぼけんじゃねえよ。テメエは『平将門』の生まれ変わりなんかじゃねえ、その息子『平良門』だってえ事はもうとっくにバレてんだよバーカ。今までよくも散々ナメた真似してくれたよなあ」
金平が勝ち誇ったように言う。穂多流は冷たい視線で
「自分で看破したわけでもないクセに」
と小声でつぶやく。
「と、いうわけでそろそろ決着をつけようかあ良門さんよお。テメエの七十年分だかの恨みつらみ、この『鬼狩り紅蓮隊』が心置きなく叩き潰してやるぜえ!!」
金平が吠えながら布鞘を剥ぎ取って愛用の剣鉾を構える。鬼二人に対してこちらは三人、魔物を狩るにはいささか人数が心もとないがそこは百戦錬磨の金平である。有利不利などと言う条件で目の前の獲物から目をそらすはずもなかった。最近では頼義もだいぶに実戦に対して練れて来た所がある。盲目とはいえ自分の背中を預けるには十分なほどの成長を見せていた。
「ほう、それを知っているという事は迎えに行った『俺』はどうやら討ち果たされてしまったかな?ふん、つまらんな。この坂東を平らげた後の楽しみが減ってしまったではないか、無粋な真似をしてくれる」
小次郎が頼義達には通じない意味不明なことを言う。
「奴には相応の数の『八束小脛』をつけていたはずだったがな。その囲みの中をようも突破して打ち破ったものよ。それでは『俺』も油断することなく全力で叩き潰させてもらおう……かあっ!!」
つい今の今までダラリと腕を下げて脱力していたはずの小次郎がいきなり金平の目の前に出現して抜き打ちの一刀をかける。金平は本能的に剣鉾の柄を返して半回転させて辛うじてその斬撃を防いだものの、今の一瞬の速攻にはあれだけ構えて戦闘態勢に入っていながら、全くその動きを読む事ができなかった。金平は改めてこの「鬼」の持つ戦闘能力の凄まじさに驚愕した。
「……っ!!」
「おう、よく俺の初太刀を受け切ったな。光圀ほどの手練れでも防げなんだものを……ふふ、貴様も大概化け物だな。なかなかに楽しませてくれる」
「千葉小次郎、いえ平良門の怨霊よ、これ以上この坂東の地で無辜の民の血を流させるわけには参らぬ。我らの手にて黄泉路へ帰られよ。どうか、お鎮まりあれ……!」
「ほざくな、源氏の小童ごときが俺を誅するとは片腹痛い。丁度良い機会だ。貴様の素っ首叩き斬って常陸の国衙に塩漬けにして送ってやろう。さぞ美味い酒の肴に仕上がるだろうて」
小次郎が憎しみに満ちた色で頼義を睨みつける。その姿からはあの時酒を酌み交わして自身の来歴を語り合った千葉小次郎の面影は欠片も見られない。「小次郎」同士はそれぞれに見聞きした経験を共有する事はないようだ。逆に言えば、それぞれの「千葉小次郎」はそれぞれに違う経験を経てそれぞれ別の「千葉小次郎」になっていくのではなかろうか。頼義は張り詰めた殺気のやりとりの間にもふとそんな考えが頭の中によぎっていった。
「『鉄妙見』はその中に安置されているのか?」
頼義が問う。二人の小次郎は何か含みのあるような笑顔を互いに見せ合いながら、
「いかにも。『鉄妙見」はこの中におわす。今後はこの地こそが黄金を無限に生み出す『聖地』となる。ふふ、黄金に惹かれて寄り集まってくる有象無象どもには事欠くまい。欲に目がくらんだクズどもの血で黄金を生み出す。ゴミのような奴らにも役に立つ道が出来て幸せというものであろう?のう、姉上よ?」
開きっ放しになっていた観音開きの両扉の奥から、丹色に染まった死衣に包まれた滝夜叉姫が音も無く現れる。その後ろにはやはり虚ろに目を伏せたままの大宅光圀が幽霊のように付き従っていた。
「よう参られた源氏の子よ。歓迎いたすぞ、今宵の宴はそなたが主賓じゃ。存分に我らのもてなし、堪能するが良い」
滝夜叉姫の言葉は呪いを引き寄せるかのように、突如として天空が夜闇に覆われた。視覚を遮られたわけでもない、現に風も吹き星まできらめきを見せている。先ほどまで傾きかけていたとはいえまだ日が沈むには程遠い時刻であるはずだったのに、今頼義たちのいる場所はまるでそこだけ時間の針を無理やり押し進められたかのように夜の闇に覆われてしまった。
「幻術か?小癪な真似をするじゃあねえかよう!」
「……いえ金平、違う、これは……まことに夜に?まさか、時間を飛ばしたとでも!?」
滝夜叉姫が口を歪ませて笑う。
「ほほほ、理屈なぞいくら論じても詮無き事。妾にはそれができる。それだけの事じゃ。全ては妾の思うがままに。ほれ、このように」
そう言って滝夜叉姫は手に握った何かにブスリと五寸釘を刺し貫いた。そして、
「……!?ぎゃあああああああああああ!!!!!!!!!」
虚空に頼義の絶叫が木霊した。




